言語の扉を開く

 2017-01-16
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土曜日の大阪でのレッスンのことです。


4年生の女の子と文章読解の勉強をしていました。

「正月の行事」という説明文に取り組んでいました。

ちょうど逐次読みからまとまり読みが出来るレベルへと成長してきた子ではありましたが、これまでやって来た生活文と比べるとやや難解な言葉が多く、途中ででたらめに読み始めました。


段落ごとに区切ってはいたのですが、きっと彼女が視覚的に一度にとらえられる量をこえたため、辛抱しきれずでたらめに読み始めたわけです。

ならばということで、地の文も問題文まも、文節ごとに鉛筆で区切って読ませてみました。

するとたちまち正確に音声化することができ始め、それを私がリフレインすることで、文脈を見失わずイメージ化内言化しながら音読が出来るようになってきました。


文脈の中でキーワードをとらえさせるときも、対応可能な範囲を指定してやると、理解言語と対応することができます。

そのキーワードを書字化させたり、話し言葉と対応させたりする学習を構成すると、それまで文字言語-読字-理解言語-書字などのプロセスが統合化され、生き生きとそれをイメージ化することにつながっていくのです。


私は学習の途中で、その表情から、その子の言語の学習が次々とつながっていく様が見てとれました。

学習がかみ合っていく姿を、目の当たりに見ることができました。


勉強が終わったあと、その子は、まるで感極まったような表情で、私の元に歩み寄り握手を求めてきました。

こんなすてきな握手は、私の人生にとっても、初めての出来事なのかも知れません。


その様子を見ていてたお母さんが、こんなことを私に教えてくれました。

「うちの子に、お休みの時にどこに行きたいのか聞いたことがあるのです。」

「USJ? 公園? どこがいい?って聞いたら、SHINOBU先生のとこって答えたのです。」

「ここに来る日の朝は、本当に生き生きとした表情になります。」


あの日3歳だったこの子も、むう4年生、

春には高学年の仲間入りです。


基本運筆や数字シールから始めたこの子の教科学習も、ついにここまで来ました。

学習の基本が出来、言語の扉が開いたわけです。

ここからどんなに豊かな学びの世界が広がっていくことでしょう。


この子をここまで育てたのは、私ではなくて、間違いなくこのご両親です。

私はその信託の一部に応える事が出来ただけに過ぎません。


そう言えば、今から数年前、友里ちゃんの言語の扉を開けたのもちょうどこのくらいの年齢の時でした。

あの伝説の夏休みサマースペシャル学習で得た経験が、こうしてこの子の学習の中でもしっかりと花を咲かせました。

だからこそ私は、こうした臨床実践から、決して軸足を外すことが出来ないのです。










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個別支援の研修

 2017-01-12
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この日のレッスンは、子ども2人に対して私も含めると先生が5人の体制でスタートしました。

子ども1人に先生1人ではなく、子ども人1人に先生2.5人のマンツーマンだったわけです。


昨年末に、新年度のマンツーマンレッスンのご希望をお伺いしました。

伊福町に新しい教室を増やしての対応でしたが、それでも皆さんのご希望をすべて受け入れることが出来ません。

お正月の三日間考えに考えた挙げ句、新年度からは、本館でのマンツーマンレッスンは、私も含めると4人の体制で行うことにしました。


レッスンの内容の評価は、言葉でもアンケートでもなく、次年度のご予約・お申し込みをいただけるかどうかにかかっている。

日々私は、担当の職員には、何度も何度もそう伝えてきました。


そのための日々のレッスンで、どのような内容を提供し、どのような支援が重要となっていくか、

この日は、そんな研修の1日、

最初のレッスンでは、私の個別レッスンを、他の4人の先生が固唾をのんで見守るというような内容になりました。


私は、これまで何千何万という実践を積み重ねてきた者として、ここに集う先生方の力をさらに磨き上げていかなければなりません。

そのことが、これからの私のもう一つの大切な仕事となっていくに違いありません。


私のもっている技術や理念は、すべてこうした先生方に伝授していきたい、

本やマニュアルでは絶対に習得出来ないこと、


その個別支援の奥義を、多くの先生方に伝授していきたい。

私の夢は、果てしなく広がっていくのです。








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育ての分岐点

 2017-01-11
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成人の日をはさむ三連休は、岡山で2日、京都で1日、3日で30近いレッスンをさせていただくことができました。

ここ7~8年の三連休、おそらくはそのすべての時間をレッスンに費やしてきたはずです。

京都も、もう6年も7年も通い続けているはずですが、教室以外の観光名所などに立ち寄ったという記憶は全くなく、その桜も紅葉も、教室に通う道すがらの風景でしかありません。


その往復は新幹線ですから、三連休ともなると、乗客の多くは観光の方になります。

それをうらやましいと思ったことはありません。


三連休であろうが何であろうが、何か一つのことに、生きがいや使命感をもって取り組むことができるものがあるということが、自分にとっては誇らしくも幸せに感じているのです。

もしもこの部分にわずかでも迷いがあるのなら、こんなふうに軸をぶらさず、何年も続けることはできなかったと思っています。


子どもとの出会い、そのご家族との出会いが、私という人間を変えてしまいました。

何のとりえのない凡人の私ですが、それでもわき目もふらず、これだけ実践に打ち込むことができたなら、それは少しは技術も理念も高まっていくというものです。

適性や資質や能力ということもありますが、人が育つか否かの分岐点は、案外こんなところにあると思っています。


続ける事さえできれば、子どもは必ず育ちます。

それを支えるテクニカルな部分は重要ですが、それと同じくらい学ぶこということに対するモチベーションを高めていく支援は重要です。


ここに来て、もう何年も通ってくれている6年生の男の子の読解力が、目に見えて向上してきました。

レッスンをお受けするとき、お母さんに 「最低でも3年はがまんして」 とお願いしたのを覚えていますが、確信はあったにせよ、それが詐欺師にならなくて本当によかったと思います。


中学からは、さらにレッスンの回数を増やしてくださると聞き、とてもうれしく思いました。

根が張り、目に見えて枝葉がついてきましたからね、

ここからの育ては、楽しいばかりです。


真の教育者とは、収穫時にそこにいる者ではなく、未開の耕地を耕す者である。

去りゆく者と、なくてはならない者、

その分岐点がどこにあるか、

答えはきっと、いつもその根元にあるはずです。







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つながることで生まれる力

 2017-01-05
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昨年末、私に血のつながっている叔父がいることがわかりました。

これまで私は、血のつながった親戚はいないものと思っていましたから、大変驚きました。


そのおじさんには3人の子どもがいます。

そのうちの一人が体育教師をされていたそうですが、障がいのある子の役に立ちたいと決意し、教職を辞して理学療法士に転身されたと聞きました。

私が小学校の教師をしていたと伝えると、これまた大変驚かれ、血は争えないわねと苦笑いをされていました。


よくよく考えてみると、その方は私のいとこにあたるわけです。

小学校の時から私には、血のつながった親も兄弟も何もいませんでしたから、友達から 「お正月にいとこ遊んだ」 などと聞いたときには、いつもうらやましくも切ない思いでいっぱいになっていました。


血のつながった親や兄弟がいないという感情は、そうでない人にはとても理解できにくい内容です。

私の生きて来た何十年間は、「自分は必要とされて生まれた子ではない」 「すなわち自分はこの世に生きている意味がない」 という自己否定の嵐の中にいたわけです。


以前わたしは 「忍」 という名前が大嫌いでした。

女の子と何度も間違えられて、「なあんだ」 と言われたことは一度や二度ではありません。

何で 「健一」 とか 「隆」 とか、男らしい名前にしてくれなかったかと、そのことをとても恨めしく思っていました。


いつの頃だったかは忘れましたが、ある日私は、「親は私に何も残してくれなかった」 「でもこの忍という名前にだけは、両親が私に託した思いがあるんだ」 と気が付き、これ以上でないくらいの涙をこぼした日がありました。


私にとっては、この日こそがアイデンティティーの確立した日であり、自分の足で自分の人生を歩み始めた日でもありました。

今ではこども園でも、発達支援センターでも、今私のことを所長とか石原先生と呼ぶ人はほとんどいません。

子どもも職員も保護者の皆様も、みんな私のことをSHINOBU先生と呼んでくれているのです。


正月があけ、平成29年の仕事がスタートしました。

私は、私の心に大きな異変が生じているのを実感しています。


この歳ですから、体のどこかが痛かったり辛かったりするのは日常ですが、とにかく毎日よく眠れてすっきり起きることができる。

以前出ていた原因不明の発疹はウソのようになくなり、自分でいうのも変ですが、仕事の集中度や気合が格段に高くなった一方で、心に余裕が出来、職員への指示や対応もシャープかつふところの深いものに変わってきました。

子どもとのレッスンも本当に楽しく、笑い声の絶えない、より活気のあるものになってきました。


まだ顔もみたこともありませんが、思いもかけす知ったいとこの存在、

私は一人ではない、

つながることで生まれる力


やる気も、独立心も、決断力も、責任感も、突破力も、その源泉は人とのつながりから生まれる自己肯定感の中にある、

私は支援者として、子どもとの心のつながりを通して、こうした自己肯定の旅路を共にずっとずっと子どもとやご家族と歩んで行きたい。


その大切な一歩を、今日もしっかりと積み上げていきたいのです。









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始動

 2017-01-02
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昨年末、母の終の棲家で何か形見になるものはないかとずいぶん探しました。

膨大な蔵書や資料がありましたから、持ち帰るものがあれば持ち帰ろうかとも考えました。

しかしその途中で、なぜだかもうそういうことはやめようという気持ちになりました。


結果、マウスを一つだけいただいて帰ることにしました。

早速、パソコンに取り付けましたが、快調に作動しています。


私にとって、ブログに書かれている活動の歩みは、自分らしさそのものです。

いつ頃からか、月間記事10本以上と決め、8年以上継続しています。


1年とか2年とか、毎日記事をアップされていた方は何人も知っていますが、その頃からずっとスタンスを変えずに続けているのは、おそらく私くらいだと思います。

それこそが、私の信念ですし、思いの深さを示すものだと考えています。


遺言書の開封に立ち会う日、家内と一緒に福山の家庭裁判所に伺いました。

その道中、このタイミングでの母の死が、私の人生の最も大きな分岐点にるるのではないかと感じていました。


ここまでの人生は練習で、ここからの人生が本番、

正直、私はそのようなことを考えていました。


大晦日と正月は、毎年恒例ですが、個人でやってる新大阪教室の会計処理に追われました。

以前は3日くらいかかっていたのですが、こうした経理にかかわる知識や技能も身につき、丸一日あれば何とかなるようになりました。


29歳で結婚し、娘を3人授かり、色々ありながらもその娘も保育にかかわる仕事をさせていただけるようになりました。

私の人生の中で、家族旅行に行ったり、普通の人と同じような家庭生活を送る時間があったことを、本当にありがたく思っています。


物事を為す人の決心は、きっと重く深いものであるに違いありません。

目先の一歩をおろそかにしては、いつまでたっても物事は前に進んできませんが、何か目の前のことに一喜一憂しているだけでは大局を見失ってしまします。


その大局から目を離さないこと、

しっかりした土台の上に、一分一秒の努力を逃さず積み上げていくこと、


残された人生の時間を、余生としてゆっくり生きる道もあるでしょう、

しかし、私はその道を選ばない。


その人生が限られた時間中にあるのだとしたら、せめて人生の後半は、悔いなく生きるものでありたい、

そこに織りなす出来事が何だとしても、体の向きはいつも同じ方向を向いていたい、

残された時間のすべては、出会った子どもたちの成長と幸せに力を尽くすものでありたい。


神様は私に、他の人にはない生きがいを与えてくださいました、

ならば私の幸せは、きっと他の人と同じ色ではないはずです。


母の形見に、この小さなマウスを選んで、本当によかった。

静かであるがゆえに、深く重い決心、

私の本当の人生は、ここから静かに発進していくのです。








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母の命 ②

 2016-12-31
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12月28日に仕事を納め、29日と30日は母の眠る広島県三次市東川内町、そして母が晩年過ごした広島県府中市上下町に伺いました。


母が生まれた家庭は、代々続く上級武士の家庭であったそうです。

先祖代々の大きな墓と共に、歴史を刻む幾多の武家の墓がありました。


母の生まれた時の写真を一枚見せていただきました。

真ん中の祖父に抱かれた母の姿がそこにありました。

祖父も祖母も母も、美しい姿で写真に映し出されていました


裕福な旧家に生まれ、秀才であった反面、祖母が祖父と離婚したことをとても恨んでいたと聞きました。

今回案内をしてくれた叔父は、その母の再婚後の弟で、母が老後を迎え、ケアマネさんから連絡があるまで母との付き合いは一切なかったのだそうです。


その後、府中市上下町にある母の終の棲家を訪ねました。

部屋の中のほとんどは、書籍や絵画などで埋め尽くされていました。


パソコンが数台ありましたので、そのすべてを開いてみました。

データのほとんどがエクセルで、仕事以外にパソコンを使っていた形成はありませんでした。

内容のほとんどは経理や総務が中心でしたが、それはすべて幼児教育やその研究・イベントにかかわるものでした。


私が自分の車に荷物を取りにいくと、ちょうどお隣に住むご家族が出かける途中でした。

ずいぶん母と仲良くしてくださっていたと聞いていたので、ご挨拶をさせていただきました。

息子夫婦とそのおばあちゃんだと思われましたが、そのおばあちゃんは、「君子さんに、こんなりっぱな息子さんがいらっしゃとは思いもせなんだ」 と、目に涙を一杯うかべておられました。


母の家には半日以上滞在し、アルバムなどないかと探しましたが、それとおぼしきものは見つかりませんでした。

初めは何か遺品になるようなものをと探していましたが、途中からもうそういうことはやめようという気持ちになりました。

それよりも、50年にも長きにわたり、東京で一緒に仕事をさせていただいていた研究所の方にできるだけ早くご挨拶をして、もうこのことには早めに終止符を打つことにしました。


叔父さんは、現職の町議会議長ですから、この時期に丸一日私のためにお時間を作るのも、至難であったに違いいありません。

叔母様もずっと一緒にいてくださり、母が恵まれた最期であったことに安堵し、感謝の気持ちで一杯になりました。


一日の予定を終え、叔父が私が車を置いていた世羅町の道の駅送ってくださるその途中に、曇り空の向こうから天空の半分もあろうかという大きな虹が、私の視界の真ん前に広がっていました。

私はもう何も迷わない、

私のこの手も、この足も、この口も、すべてはこうしたつながりの中から生まれたもの、

母が母であったからこそ、私は私でいられる、

だからこそ私は、この目で前を向いて、これからもしっかりと自分の道を歩んでいくことができるのです。





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「僕は生まれてから 母が泣いたところを見た事がない」

 2016-12-26
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「SHINOBU先生がそばにいるから、私は鬼になれる」

今からもう7~8年前のことになるでしょうか、私はあるお母さんから車の中でそんな言葉を聞きました。


当時小学生の、ダウン症の女の子をおもちのお母さんでした。

神奈川県にお住いの方でしたが、当時私はその思いに導かれるようにして神奈川まで出張レッスンに伺っていました。


初めてお会いしたのは、私が研修で出かけ千葉県舞浜のホテルのロビーでした。

ダウン症の女の子、お父さん、お母さん、そしてまだ小学校に上がる前の弟さんが、わざわざ私の研修先のホテルまで訪ねてくださいました。


その日のことを、私はまるで昨日の事のように思い出すことができます。

(当時のブログです → http://shinobu1.blog117.fc2.com/blog-entry-398.html )

今では秦野にレッスンに伺うことはできなくなってしまましたが、それでも私が東京へ出張などで伺った際には、会ってその子の成長ぶりにふれることができました。


当時まだ小学校に上がる前だった弟さんは、今中学2年生になっていました、。

その弟さんが、ダウン症のお姉さんのことを書いた作文が、第40回神奈川県福祉作文コンクールで県知事賞を受賞されました。

そこには、「僕は生まれてから母が泣いたところを見た事がない。今までたくさん泣いたから、どんなことがあってももう泣かなと決めたらしい」 という一文が書かれていました。


今では高等部に通うその女の子は、光輝くステキな娘さんに成長していました。

そして、その弟さんも、空手の全国チャンピオンでありながら、こんなにも豊かな心をもった立派な青年へと成長されていました。


その作文を以下に掲載させていただきます。

今でも年末には、いつもカレンダーのプレゼントを私に送ってくれます。

今日もお礼の電話を差し上げながら、この母の何がこの子たちの心に宿っていったか、私は自分の胸が熱くなるのを、どうしても抑えることが出来ませんでした。





僕の姉
秦野市立南中学校2年  伊藤 大地

 皆さんはダウン症という障害を知っていますか。
 僕が小学校に入学する少し前に、初めてお母さんと二人だけで遊びに出かけた。どこに出かけたのかは覚えていないが、最後にファミレスでご飯を食べた。その時、僕の姉がダウン症という障害があると聞かされた。当時の僕には難しい話だったが、僕が小学校に入学したら姉の事で嫌な思いをするかもしれない、でも誰も悪くないから堂々としなさいと言われた事は良く覚えている。
 小学校に入学して、姉の学年の男の子から「こいつの姉ちゃん、ちゃんとしゃべれないんだぜ」とからかわれた。その時何も言い返せなかった。僕が二年生になった時姉はクラスでいじめられて学校に行けなくなった。二週間も女の子に蹴られていたり、ひどい事を言われ続けて、身体がおかしくなってしまった。学校が怖いと言っていた。やっと姉が学校に行けるようになっても僕は気になって、学校に着くと姉の教室をのぞきに行った。そこにはいつもお母さんがいた。僕が幼い頃からお母さんが「心の強い人になりなさい」と言っていた意味が少し分かった。学校だけじゃない。家族で出掛けた時には、姉をジロジロ見られたり振り返られたり、指を指されたりする。姉は何も悪くない。僕達の様に障害が無く生まれてきた人でも苦手な事だってあるし、皆んなと同じに出来ない事だってあるのにひどい人が沢山いるのが悲しかった。
 小さい頃の姉は具合が悪くなると入院する事が多かった。全身の筋肉が弱くて僕達が簡単に出来ることでも、姉にとっては大変な時が沢山ある。そんな大変なことが僕にもわからなくて、行動が遅くてイライラする時もあるし、根性のある頑固になる時は頭にくる。障害が無く生まれてきた兄弟でも、そんな風に思う事はあると思うし、兄弟げんかだってする。姉は、やると決めた事は必ず頑ばり張り続けるし、我慢強い。人の悪口も言わないし、人の良い所を見つける。いじめられてもすぐ許す事が出来る。何でも前向きに考えるし、挑戦する勇気もある。毎年僕の誕生日に、頑張って作った手作りのプレゼントをくれる。こんな良い所がある姉なのに、なぜ皆んな冷たくするのか悔しくてたまらなかった。
 ダウン症は姉が病気になったのでもお母さんが病気になったのでも無く、千人の赤ちゃんに一人の確率で生まれてくる障害だと聞いた。もしかしたら、僕がダウン症で生まれる可能性だってあったはずだ。姉が千人の代表になって生まれただけなのに、それが分からない人が大勢いる。
僕のお父さんは姉を障害児として特別扱いはしない。悪いことをすればすごく怒るし、良いことをすればすごくほめる。
 母は姉の障害を知った時に、ショックが大きく毎日泣いて一年以上家からほとんど出られなかったそうだ。それでも父はどこにでも姉を連れて行ったと聞いた。すごいと思った。僕は生まれてから母が泣いたのを見た事がない。今までたくさん泣いたから、どんな事があってももう泣かないと決めたらしい。
 そんな両親で良かった。そんな両親だからか、姉を障害児学級で過ごす事を選ばなかった。小学校も中学校も通常のクラスで姉は過ごした。姉は友達と楽しく過ごす事が嬉しくて、自分の出来ることを頑張り、僕より勉強をしていた。でも、毎晩遅くまで姉のためになる事や法律を調べたりしていた母が、姉にひどい事を言う人にも、頭をペコペコ下げていたのが嫌だった。障害者として生まれただけで、皆んなと同じクラスで過ごすことがこんなに大変なんておかしいと思った。僕も悔しかった。皆んな同じに過ごさなければ解ってもらえるはずがないと思う。車椅子の障害のある人などは、どんな事に手を貸してあげられるか解りやすいと思う。でも、ダウン症の人はそれぞれ僕達と同じに違っていて、手を貸してほしい所も違っている。だからこそ、もっと皆んなが障害を理解してその人自身を知る事が大切なんだと思う。障害のある人ない人を分けないでほしい。僕達皆んな、命の重さは同じなんだから。













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母の命 ①

 2016-12-21
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先月末、広島家庭裁判所福山支部から1通の封書が届きました。

何だろうと思いながら封を切ると、そこには50年前に生き別れとなった母の 「遺言書検認期日通知書」 が入っていました。


昨日、福山市にある家庭裁判所に伺いました。

時間通りに会場に案内されると、そこには裁判官、書記官、遺言にかかわる申立人の方がいらっしゃいました。


申立人は広島県内のとある自治体の現職の議長をされている方でした。

裁判官が、また開封されていない遺言状を前に、この遺言が書かれた経緯について申立人に質問をされました。


私は、今回の遺言は、てっきり母が地域で信頼のおける方に生前に託したものであると考えていましたが、申立人様が質問に答えていく中で、その方が母の弟であることを知り、大変驚きました。

わが娘は別として、私にはこれまで血のつながった親類縁者はいないものと思っていただけに、叔父様にあたる人物が目の前にいることに感激し、ましてやそのおじさんが議会の要人として活躍していることを誇らしく思いました。


限られた時間ではありますが、母の晩年最期のようすを、お伺いすることができました。

事実を直接確認したわけではありませんが、母は私を岡山に残したあと、東京の出版社で働き、以後齢80になるまで現役として働いていたと聞きました。

しかも、それが保育関係の書籍であったと知り、万感の思いがこみあげてきました。


自宅の部屋の中にはパソコンが3台あり、まるで図書館のような仕事部屋であると聞きました。

とても頭の良い人で、仕事の鬼だったようにも伺いました。

叔父様の口から出る幾つかの生前のエピソードを知る度に、今の私の仕事ぶりや価値観・物の考え方とそのことのほとんどが見事なまでに重なり、まぎれもなく私のDNAがここにあるのだと思いました。


私の家内も,叔父様の奥様も一緒に家庭裁判所に来ていましたが、会場への同席は許されませんでした。

私の家内が保育園の園長をしていると伝えると、目を丸くしてとても驚いておられました。


出来れば年内に墓参りをして、母の仕事場を見せていただいたいとお願いをしました。

こんなに近くに住んでいたのなら、ただの1年であってもよいから連絡してもらって、親孝行をしたかったという気持ちがないわけではありません。

わが子を捨てた母の思いが、一体何であったのかをもう直接知ることは出来ませんが、今の私には母を恨む気持ちなどかけらもなく、80歳まで現役でったという母に、少しでも近づいていけるように実践者としての道を突き進んでいきたいという思いが、あふれる水のごとく心の中に湧き上がっていくのでした。


きっとこれから、母のゆかりの場所を訪ねていく機会が続くことでしょう、

そしてそのことが、私の中で、とてつもなく大きなモチベーションとなっていくのは間違いのないことでしょう、


神様は、私の人生に何をお与えになったのか、

私は一人ではなかった、

この日をもってして、母の命が私の心にしっかりと宿ったのです。


これまであったやりきれない私の迷いはもはや霧散し、その行く先に、母の背中がはっきりと見えるように感じています。







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経験をつなぐ

 2016-12-19
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私が、初めて直接就学前のお子様の個別レッスンをさせていただくようになってから、まだ10年くらいしか経っていません。

それまで、特別支援学級も含め教職経験は20年以上ありましたが、小学生以下の子のレッスンについては、当時の私にはほとんど経験がなかったわけです。


今から考えると、技術的にはお恥ずかしい限りの内容であったはずですが、それ以上にご家族の皆様の期待感が強く、全国各地へ出張レッスンに出かけた時期もありました。

それからは、年間2,000とか3,000とかという、おそらくは普通では考えられないようなマンツーマンレッスンとしての臨床経験を、10年近くにわたって積み上げることができました。

自分自身は、まだまだ道半ばの未熟者だと思っているのですが、それでも私と同じような経験を誰かに積ませるなんてことは、二度とできないことだと考えています。


昨日も一昨日も、私は大阪でいくつかのレッスンを行いました。

毎週毎週新幹線で大阪にいくことも、土日だけのために家賃や備品などの経費をかけることも、平日フルタイムで働きながら土日にも働いていることも、所長でありながら一向にレッスンから身を引こうとしないことも、私にとっては日常ですが、一般的にはきっと非常識であるに違いありません。

だとすると、その非常識な実践の中から培った経験は、たとえそれが自分にとっては道半ばのものであっても、これから育つ先生方には、大切なことは伝えていかなければならないと思うようになりました。


今岡山で、私と一緒にマンツーマンレッスンを担当してくれている先生は、以前私が教えていた子どものお母さんです。

本館が出来、定員が増えることを知り、「便所掃除でも何でもいいから、ここで働かせてください」 と、職員募集に応募してくれました。


教育現場での経験が豊富というわけではありませんでしたが、自身の子どもの学習について、小学校1年生の時から心を砕いて取り組んでいたことは、誰よりも知っているつもりでした。

今ではその子は、当時の課題を見事に乗り越え、一般の高校に入学し、成績も学年でトップクラスだと聞いています。


「その経験を、これからは1人でも多くの子どもたちの成長と幸せのために生かしてください」

私はそう言って、このお母さんを職員として採用させていただきました。


経験不足もあって当初は何かと苦労も多かったように思いましたが、控えめでありながらその信念に揺るぎはなく、その技術や態度は、いつの間にか見違えるようになってきました。

あの先生に教えてもらうことを、うちの子はすごく楽しみにしています、

そんな声を、たくさんの利用者のお母さんからお聞きするようになりました。


その先生が、金曜日にお子様の懇談で年休をとりました。

その先生が前回担当した子は、この日は私が担当することになっていました。


さて、今日はどんな教材を作ろうかなとボックスを開けてびっくり、

当日の教材が、画像のようにきちんと整理して用意されていました。


この先生は、子どものレッスンを担当するだけでなく、請求や契約など事務のほとんどを直接担当してくれています。

うちの事業所は、一般の事業所の4倍の利用量がありますから、その事務量は膨大です。

一体どこにそんな時間があったのだと、驚かずにはいられませんでした。


よく考えれば、私が表舞台でたくさんのレッスンをこなすことができるようになったのも、この先生の存在あればこそです。

以前は、大阪に行く前日は、教材作成に夜中までかかっていましたが、今では岡山のレッスンが終われば、すぐさま新幹線に乗り大阪にいくことができるようになりました。


私が何千、何万という臨床実践から得た経験は、こういう先生の成長のために生かしていかなければならない、

それが私の次の仕事。


芸の奥義は、弟子入りしなければ身につくものではありません。

4月からは、また新しい教室も開設されます。

その志のある先生との出会いを、これからもずっと楽しみにしているのです。






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子どもの心の根元にあるもの

 2016-12-17
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私は、学級担任として小学校の現場に20年以上、その後個別指導の実践者として10年の臨床経験があります。

またその間、当時の国立特殊教育総合研究所に内地留学に行かせていただいたり、大学院の修士課程で特別支援教育を学ばせていただきました。


重い課題を背負いながらも、懸命に命を輝かせている子ども、

人から見れば、ほんの小さな出来事に、途方に暮れて身動き出来ない子ども、


こうしたたくさんの子どもたちとの出会いを繰り返す中で、いつの間にか私の教育観の根底に、「すべての子どもの行動の源泉は、生存・成長の欲求にある」という考えが広がっていきました。

まだ、アイデンティティの確立していない子どもにとっては、成長の方向性を見失うことは、自分の生存そのものを見失うに等しいことです

突発的な子どものマイナス行動は、裏を返せばほぼ100%、自分の生存にかかわる不安と無関係ではありませんでした。


学んでいるということは、自分の成長の手応えに触れること、

自分の成長の手応えを感じることができれば、生存にかかわる不安を感じることもなければ、マイナス行動を起こす意味もないわけです。


準備のための1分1秒が待ちきれず、知育いすに飛び込んで来る子がたくさんいます

もうおしまい、といっても、学習席にしがみついて、帰ろうとしない子も、毎日のようにいます

障がいのある子どもが、勉強が嫌いとうのは、大間違いです。


もしもその子にあった学習の内容と方法が提示出来ないでいたら、勉強そのものが嫌いになるのも当たり前です

適切な愛情も技術も信念もない指導者が、子どもにこんなこともわからないのかとやったら、不適応にならないことの方が不思議です。


この子たちは、誰よりも生きることにピュアで、良質の学びを誰よりも求めているものです。

だとしたら、今すべきことが何であるのかが、私にはハッキリと見えます。


もはや私の進むべき道は、これしかないのです。






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プロの仕事

 2016-12-14
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新規の事業所を立ち上げるということもあり、今回パソコンを2台注文しました。

以前は、量販店などに行って格安パソコンを買っていましたが、今ではそういうことをしなくなりました。


量販店のパソコンは、消費者の目を引くような甘い宣伝が満載です。

一方、業務用のパソコンは、余計なソフトは一切入っておらず、同じスペックならメモリーの余裕が違います。

若干価格は高めに感じますが、プロの道具と考えると、とシンプルで基本性能の良いものでなければ、結局使い物にはなりません。


私は22歳の時から教育の仕事に就き、実践現場で35年の指導経験があります。

それでも、日々新しい発見があり、もっともっと力をつけ、改善を積み重ねていかなくてはならないことが、山ほどあります。


髪の毛をカットしても、ブロックを積んでも、大体のことは素人でもできますが、プロと同じレベルのものはなかなかできるものではありません。

ましてや特別支援の分野では、そうであって当たり前なはずです。


華やかで過度な宣伝をしているうちは、本物ではありません。

素人では出来にくい内容を、当たり前のように毎回積み上げることが出来てこそ、本物のプロの仕事、


どんな仕事でもそうですが、価格を越える満足感がなければ、次に足を運んではいただけないものです。

1人の実践者としても、チームのリーダーとしても、しっかりと研鑽をして、白ゆりを選んで良かった思っていただける方をもっともっと増やしていきたい。


それが、職業人としての意地、

私は教育の仕事に大きな夢と誇りをもっているのです。









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言語と感覚

 2016-12-13
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以前英会話のスクールに通っていた頃、英語を聴いた時に、その言葉を日本語に訳して、その訳した言葉を日本語で判断し、その日本語を再び英語に訳すようにしていました。

初級の頃はそれで何とか対応できていましたが、だんだんとクラスが上がっていくうちに、ついにはそのやり方ではどうにもならなくなってきました。

先生に、「これからは聴いた言葉は、英語で判断して、ダイレクトに英語で返すようにしなさい」 と教えられました。


それまでの入力は日本語オンリーでしたので、なかなか別の言語のルートだけ使うというのは、慣れませんでしたし苦痛でした。

しかし、前納した多額のレッスン料が惜しくて、ぼろぼろになりながらもレッスンに通い続けていると、いつだったか何となくその感覚がつかみ始め、英語の音もだんだんとしっかり聞き取れるようになってきました。


先日、幼稚園の男の子と数の勉強をしていたときのことです。

9匹の動物を数える問題が、ありました。


継次処理の子なら、1・2・3・4・・・・ と数え始めるところですが、この子はちょっと違いました。

手で動物を4と5に分けて認知し、それを映像として合成し9と答えたのです。


これぞまさしく数感覚、

これまで小さい時から何でも言語で置き換えて物事を判断してきた私としては、もっと小さい時にこうした数感覚を意図的に育ててくれる先生がいたら、どれだけ自分の可能性が広がったことかと悔しくてなりません。

逆に、私の唯一のとりえである言語感覚は、こうした同時処理系の感覚を補うための代償性の機能として、今の私の財産となっているに違いありません。


言語優位なならそれはそれでよいし、視覚優位ならそれはそれで素晴らしいことです。

きっと一方が伸びれば、片方は退化するのです。

私の場合は、言語屋さんですからそれはそれで良いのですが、その言語屋さんの営業の中に、うまく視覚屋さんの良い所を生かす、そんなアプローチが学習の中身だと考えています。


数も、順序数で処理する良さもあれば、集合数でみる素晴らしさもあるのです。

その素晴らしさを、算数の教材を通して、実感させる営み。

それが学習のダイナミズムであり、それはそっくり言葉の学習でも同じことが言えるのです。


その両方が豊かに使えるすてきな子、

いつも楽しみながら子どもと共に学び行く方向感、


数を4と5に分解して認知したあの男の子は、勉強時間が終わってもなかなか帰ろうとはしませんでした。

そりゃそうだね、先生も楽しかったし、また一緒に勉強するのが楽しみです。

きっと私は一生、臨床から抜け出せそうにもありません。






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クリスマス発表会の奇跡

 2016-12-12
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白ゆりはこの春、保育園から認定こども園へと移行しました。

そのことに伴い、これまで保育園では受けいれることの出来なかった、幼稚園が対象のお子様を受け入れることができるようになりました。


その1号認定の子の多くが、発達支援センターに通所で来てくれていた子どもたちでした。

それまでのそれぞれのクラスに、発達支援センターの子が何人も入ってくるという状況になったのです。


行政の担当者は、1号認定の中に、支援の必要な子が入ることは想定外だと言って、人的な加配も、予算的な加配もありませんでした。

それでも、発達支援センターの子は、最優先で入れるという園長の信念は変わりませんでした。


土曜日に、クリスマス発表会がありました。

秋にあった運動会も感動の嵐でしたが、室内での発表となると、正直それとはまた別の不安もありました。


あるクラスのオペレッタを見ていたときのことです。

ダウン症の子が舞台のセンターに、下手には肢体不自由の子、上手には発達障害の子が演技をしていました。


発達障害の子は、聴覚過敏の傾向があって、大太鼓の音にはマイナスの反応を見せていましたが、自分の大好きな曲になると、とたんに笑顔になって上手に演技ができていました。

ダウン症の子は、内言語は豊かですが、言語表出をクリアにすることが苦手です。

でも、一生懸命口を動かして、オペレッタのストーリーにしっかり乗っているのが見て取れました。

肢体不自由の子は、つい先日まで独立歩行がままならなった子です。

もちろん補助付きですが、他の保育園などでは考えらえない運動量で、脳の運動野にかかわるネットワークが加速的に育ち、視線や表情も見違えるように生き生きしたものになってきました。


3人とも、私のマンツーマンレッスンを受けてくれている子です。

しかしながら、もしも今年、この子たちがこども園に入っていなかったとしたら、今日のこの成長は絶対にありえなかったと私は断言できます。


ただ集団に投げ入れているだけで、それでインクルージョンにはなりません、

集団から分離して、病院や療育に行って、難しい名前の検査をすれば、それで子どもが育つのでもありません。

その双方の大切さを、子どもの特性や育ちに合わせてプロデュースし、結果を出すことこそが育ての質であるのです。


研究用にと、0歳から5歳の子までの活動のようすを動画に記録しました。

と、このオペレッタを撮影している途中で、感動して胸を詰まらせながらも、「これは大変なことになった」「とんでもないの成長の記録を手にしてしまった」「この映像を手にした者の責任を、果たして私が果たしていくことが出来るでのであろうか」 と、そんな気持ちがこみ上げてきました。


障がいのある子を何人も1号認定で受け入れて、それを無謀だと思われたり、調子のいい対応だと批判的に横目で見ていた人がいるのかも知れません。

クラス運営がパンクしてにっちもさっちもいかなくなり、ホレ見たことかと言われるリスクが無かったわけでもありません。

ですが、結果はその真逆だったと、私は感じています。


発表会が終わったあと、初老のご婦人が私の所に歩み寄り、目に涙を浮かべて深々と頭を下げて帰られました。

名前も存じ上げない方でしたが、こども園になり、新しいお友達をたくさん受け入れて、本当に良かった、

私は、心の芯からそう感じました。


私にとっては、クリスマス会の奇跡、

今年は、本当に良い1年となりそうです。






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新教室の息吹

 2016-12-07
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来春4月に開設予定の新教室のリフォームも、日に日に形が整ってきました。

少人数の教室ながら、大きな規模では出来にくい、きめ細やかなニーズに対応できる内容の提供を目指しています。


この伊島学区は、かつて私が勤務した小学校区でもあり、つい最近まで私が住んでいた地域でもあります。

この日、真新しい真っ白い壁紙を見て、ここでどんな子どもたちの笑顔で出会えるだろうかと思うと、特別な思いが沸き上がっていくのを感じました。


学びから決して軸足を外さない、専門性の高い個別支援、個別指導

それでいて、送迎サービスなどでご家族の時間的負担を軽減し、少人数のグループの中で培うコミュニケートと自己肯定の気持ち

その双方を、1日のレッスンの中でうまくバランスをとってコディネートしていく、


新しい時代のニーズの中で、私たち白ゆりが踏み出す次の第一歩、

その春の息吹も、もう手の届く所まで来ているのです。






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子どもが学ぶ意味

 2016-12-05
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私は、大学院時代に脳の機能局在について学びました。

その学習を通して、人間の生存欲求の根幹に、成長の欲求があると確信しました。


成長なくして、子どもの生存はありえない、

成長を目指す方向感こそが、子どもの存在意義をより確かにしていく営みである、

つまり学ぶというプロセスが、子どもの生存の基本であり、学ばなくてもいいという考えは、子どもに生きる意味がないと言っているのと同じことである、

そう考えるようになりました。


私のマンツーマンレッスンを受けてくれている子どもたちは、自分の時間が来るの待ちきれずに、教室に走りこむように入ってくる子どもがとても多いのです。

今日の勉強はこれで終わりと伝えても、首を何回も横に振り、教室から帰ろうとしない子が、1日のうちに何人もいるのです。


学びの充実感、

指導者と心が心が通い合うこと、

そのことによって子どもは、自分の生きている証や、自分の生存にかかわる安心と心の安定感を培っているのです。


楽しい学びの中身、

それは人が生きる根幹に根差している、

だからこそ、子どもから学びを決して奪ってはいけない。


そのことを実証していくために、私は今日も、一つ一つの実践を、しっかりと積み上げていきたいのです。




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新時代の支援

 2016-11-29
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発達支援の事業を始めた頃は、一日の定員が10名でした。

当初はなかなか定員に満たなく、経営面では本当に厳しい状況が続きました。


今ではその定員も1日40人、

来春からは新しい事業所も含めて1日50人の体制となります。

先日お越しくださった行政の担当者の方も、現在の実契約人数が180人と聞いて、目を丸くされていました。


事業を始めた頃は、通所支援の制度自体が、改訂の道半ばといった感じでしたが、今ではそれぞれの地域に、特色のあるたくさんの事業所ができました。

そんな中で、白ゆりの独自性も確立し、いつの間にか私のマンツーマンレッスンがなくとも、定員一杯の子どもたちを迎え入れることができるようになってきました。

私の代わりに、直接子どもの指導にあたる職員の技術も経験も、格段に向上してきました。


先日の指導監査をもって、事業基盤としての私の果たすべき役割は、一つの区切りがついたのではないかと感じています。

これからは、もう一度原点に返ると同時に、さらに一段高いステージから、すべきこともあろうかと感じています。


今後この2つの事業所は、それぞれの新しい責任者と共に作り上げて行こうと考えています。

責任者として、ただがむしゃらに前に進んできた5年間を、とても愛おしく感じます。


私らしい次の1歩の踏み出し方、

この道を、いつまでもまっすぐに進んでいきたいと思うのです。






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子どもの育てに生かす 個別支援の技術

 2016-11-28
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昨日は、前理事長の7回忌の法要でした。

日曜日に予定していた大阪のレッスンは、すべて23日の祝日に振り替え、土曜日には大阪からトンボ帰りというスケジュールになりました。


その土曜日の最後の女の子が、体調を崩しお休みとなりました。

そのお母さんから、以下のようなメールをいただきました。


SHINOBU 先生

おはようございます。

昨晩より娘が風邪をひいて熱を出しており、今日のレッスンをお休みさせてください。
今朝搭乗予定だった飛行機も、泣く泣くキャンセルいたしました。

私がSHINOBU 先生のでところに行くよ!と数日前から言っていたので娘は「せんせ、せんせ」と言っています。

来月のレッスンを楽しみに、日々の生活を頑張りたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。





大阪でのレッスンを受けるために、毎回福岡から飛行機で来てくださっているのです。

思えば平成24年、この子が3歳の時からレッスンをさせていただいているので、もう4年以上のお付き合いです。

お父さんのお仕事の都合で、岡山から福岡へ転居されたにもかかわらず、こうして年に何回も大阪でのレッスンを受けにきてくださいます。


特別な理由のない限り、レッスンには絶対穴をあけない、

土曜も日曜も返上して、私がレッスンにかける源泉は、こうした子どもとご家族の気持ちあればこそで、そのことを私は、何よりの生きがいに感じているのです。


法要が終わった後、水曜日にある園内研修会のプレゼンの準備に取り掛かりました。

先週は監査に追われ、準備をするのはこの時間しかないと考えていました。


「子どもの育てに生かす 個別支援の技術」

私が多くの子どもたちの実践を通して得た支援技術を、これから活躍する若い保育士の育てに生かしたい、

そんな思いで取り組みました。


場合によっては、深夜までかかるかと思っていましたが、予想より早くプレゼンの準備はできました。

特にハードな1週間でもありましたから、体には相当ダメージがあったのでしょう。

パソコンのスイッチを切ると、まるで海の底に沈むこむように眠り込んでしまいました。


そのせいか、今日の私の体調は絶好調、

たまには休みも必要かもしれませんが、今週も、振替レッスンのお申し込みなどをたくさんいただいています。


先ほどは、新しい教室のリフォームの状況を見に行きました。

なかなかすてきな感じです。


毎日、目指すことと、子どもたちの笑顔がそこにある。

一つ一つのことに真心を込め、これからもしっかりと前を向いて歩いていきたいと、心から願っているのです。







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担当課の実地指導

 2016-11-24
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今週の火曜日に、岡山市事業者指導課の実地指導がありました。

認可事業で言えば監査にあたるものですが、私たち通所支援事業所では、今回の実地指導がそれにあたります。


平素から何かとお世話になっている担当課の方が3名お越しくださいました。

児童デイサービスを始めてから5年になりますが、今回が初の実地指導ということになります。


補助金をいただいて建物を建てた関係で、春には会計検査院の実地検査を受けました。

何一つ不正を行っているわけではありませんが、それぞれが初の検査でしたので、落ち度の一つでもあれば、法人の名にかかわることでもあるし、厚い信託を寄せてくださっている利用者の皆様に申し訳が立ちません。

責任者の私としては、特別な思いでこの日を迎えることになりました。


事業を始めるにあたっては、どこかの事業所を参考にするようなとは一切せず、ただ子どもたちやご家族の思いに寄り添うことだけを考えて前に進んできましたから、手続的なことで不安に思う内容は少なくありませんでした。

今回も、いくつかの点で表現の変更が必要であったり、内容を整合させたりする部分についての指導を受けました。

指導を受け点については、すぐにも改善させていただきたいと思いました。


事業を始めて5年、

担当課の実地指導を受ける以前に、補助金をいただくことなど、普通ではありえないことですが、無事今回の指導を終えたことで、私自身は一つ大きな仕事を成し遂げたように考えています。


これで、来春からの新しい事業所の開設申請に弾みがつくというものです。

多くの方の期待と支えがあればこそ、私たちの今がここにあるのです。


コンプライアンスを大切にしながらも、いつも子どもとご家族の願いを受け止め、さらに心の通った支援を充実させていきたい、

私たちの次のステージは、もう目の前にあるのです。








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新大阪教室への思い

 2016-11-19
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大阪や京都に出張レッスンに行かせていただくようになってから、もう7~8年になります。

その関係で、高速や新幹線を使って、何人もの方が、毎週のように岡山でのレッスンを受けてくださった時期があります。

これでは申し訳ないということで、作ったのが新大阪教室、

もう3年にもなります。


土日限定、今は月に3回新大阪のでのレッスンをさせていただいています。

月曜から金曜日は、教室は空き家、

月3回の往復は、当然新幹線。


となると、1回あたりの経費は普通の教室とは比較にならず、事業としてのうまみはほとんどありません。

でも、そのことを可能にしてくださっているのは、利用してくださっている皆様が、経済的な負担をシェアしてくださっているからに他なりません。


新大阪の教室は、全くの個人経営ですから、何の制約もありません、

さながら今では、私の研究の附属小中学校とか、幼稚園とかいった貴重な臨床現場となっています。

ここで儲けようとかは思わず、内容的なことに徹底的に向き合う時間と環境がここにあるということが、今の私にとっての生命線となっているのです。


おかげさまで、岡山の新教室は、開店前にもかかわらず、予想以上のたくさんのお申し込みやお問い合わせをいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

だからこそ大阪は、少し心と時間に余裕をもって、しばらくはクオリティを重視した運営にしていこうかとも考えています。


先日は、新大阪の教室に、会員の方のご紹介で入会してくださる方がいらっしゃいました。

本当にありがたく思いました。

広告を出していた時期もありますが、それをペイするために経営を考えていくバランスも必要です。


内容的な向上と質の高さが、口コミでご紹介の方を増やしていく、

本来の白ゆり教室のスタンスをいつまでも忘れないようにしていきたい。


平素は、白ゆり発達支援センター所長として、皆様の期待と責任を強く受け止める毎日となっています。

だからこそ今、大阪の教室は、私の活動の原点となる位置となっているのです。







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10年もやっていて、初めて気づくこと

 2016-11-18
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今日、3歳の男の子のレッスンがありました。

確かレッスンを初めて3回目くらいの時に、ご両親がレッスンを見に来てくださいました。


それまでは調子よく出来ていたでしたが、その日には、何度もパズルやおもちゃを放り投げてしましました。

せっかくお父さんが来てくださったのに、そんな場面を見せることになり、大変申し訳なく思いました。


しかし、これまでにも、そんな子は何人も見てきましたから、かといって特別困った気にはなりませんでした。

絵本や手遊びが大好きなので、パズルやおもちゃは、そのタイミングが来てからで大丈夫と考えました。


認知に比べて、手指の巧緻性が後から育つタイプ、

出来れば早くそこの育てに取り掛かりたいと、若干あせる思いもありました。


今日のレッスンのことです。

いつもは、私の方で絵本をめくってやる場面がありましたが、どうもそのことを快しと思っていないふうに見受けられましたので、思い切って本児の思うようにさせてみました。


最初は、何となくぎこちない感じがしていましたが、しばらくすると、案外自分で何とかできることに気が付きました。

それどころか、内容的なことがかなり認知出来ていて、それが生きた学習になっていることがわかりました。

言葉によらずとも、内容を共有することで、こうまで心が通じ合い、活動が豊かになるものかと、弾むような気持ちになってきました。


これだけ絵本が好きなら、絵本から数の扉を開けることができるかもしれない。

10年間、何万という個別レッスンを積み重ねて来て、初めて気が付いた内容です。


早速アマゾンで、いくつかの絵本を購入しました。

絵本はいつも高額で、3冊買っただけで数千円にもなります。

でも、その中の1冊でも教材化できたなら、同じような認知特性の子どもの数の扉を、少しでも早く開くことになるかも知れない。

私は、その期待で、胸が高鳴るのを抑えることができませんでした。


汲めども尽きぬ教材研究の奥の深さ、

もっともっと多くの子どもたちからたくさんのことを学び、そのことをさらに以後のレッスンにダイレクトに活かしていきたい、

これだから私は、いつもまでも実践の場から立ち去ることができないのです。









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時の重み

 2016-11-17
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小学校1年生の時からサポートさせていただいている男の子が、来春、高校生となる予定です。

3歳の頃からサポートさせていただいている女の子は、春からは中学生になります。

いずれも8年・9年と、長い期間ずっと私のレッスンを受けてくれてきたわけです。


それぞれに小学校卒業、中学校卒業という大きな節目の時期を迎えるわけですから、ここで何人かの子どもは白ゆりを卒業ということになります。

初めて文字が読めるようになった日のこと、

初めて繰り上がりのたし算ができるようになった日のこと、

一期一会のレッスンの積み重ね、

ここまで子どもと、そしてご家族と共に歩んできた時間は、何にも代えることのできない大切なものとなりました。


支援はいつか除去してこそ、意味をなすものです。

そのあとに残るもの、

決して数字や言葉で表せないそのものが、きっと何かその子のその後の支えとなっていくはず、

これまで私は、そう信じて取り組んできました。


子どもの育ちの8年・9年は、その子の人生の中で特別な意味をなすはずです。

そこに映る私の姿が、いつも笑顔のあふれるものであってほしい、

それぞれの場面で、学びを通して伝えてきたその子の命の輝きを、ずっと心に刻んだままで、新しいやがて来る新しいステージを力強く歩んで欲しい、

そう思うのです。


たった一人の子どもとの出会いから始めたこの教室、

それからもう程なく10年、

限りなく重い子どたちとの出会いが、そこにありました。


この先10年も、信じるこの道をしっかり歩んで行きたい、

心の底から、そう願うのです。






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真の教育者

 2016-11-11
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私は教員時代、研究主任を何度もしましたし、嘱託でしたが教育員会の指導主事もさせていただきました。

どちらかと言えば、一発勝負の大きな研究発表会などが得意なタイプでした。


一方で、そういうことは苦手なタイプの先生もいらっしゃいました。

派手な舞台は得手でなくとも、日々の一つ一つの教育活動にていねいに取り組み、しっかりとした学級を作り上げておられました。

体育館で私がプレゼンの準備をしているときに、クラスの子どもたちと一緒に運動場の草取りなどをなさっている先生の姿を見て、真の教育者は子どもとあゆむその先生の方で、だからこそ私は、その先生のお気持ちに添えるよう自分の役割をしっかりと果たしていかなくてはならないと、気持ちを引き締めたものでした。


今うちの発達支援センターの内容は、とんでもなく高いレベルにまで来たと私は思っています。

もし保護者の方が直接、よそと比べていただいたら、きっとうちを選んでいただけるものと自負しています。


学会など、もっと大きな場で発表してみてはと、勧めてくださる方もいます。

でももうそんな必要以上の派手さは不要で、しっかりと足元を固めていく方が肝要と思い、主任の先生に相談してみたら、彼女も私と全く同じ思いでした。


決して、楽をしたいと考えているわけでも、何かが面倒くさくなったわけでもありません。

目標や夢のないところに、人は集いません。

もう私たちは大きく飾らなくとも、ありのままで、ただ子どもたちの成長と幸せだけをしっかりと見つめていくことが、さらなる次のステージに向かうための基盤になっていくような気がしています。


今の時代に、私たちがなすべき役割は、決して軽くありません。

子どもと保護者の願いを背負う代弁者として、これからも大切なことをしっかりと見つめながら、ずっと前を進んでいきたい。

多くの人がここに集ってくださることを、私は何よりの幸せに感じているのです。










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この先に何がなくても

 2016-11-09
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先日、私のワゴンRを車検に出しました。

もう7年目になる車で、動き出すときに、ハンドルが20秒くらいキューキュー鳴ります。

もう買い替えの時期なんでしょうが、それ以外はちゃんと動くので、動かくなくなるまではずっとこのワゴンRで行こうと思っています。


少し若い時は、いい車に乗りたかったり、いい時計が欲しかったりしたものですが、今では全くそんなことには関心がありません。

ワイシャツだけはきちんと毎日アイロンの効いたものを着たいですが、高級ブランドのスーツや、カバンなどには全く興味がありません。


先生が、どうして年式の古いワゴンRに乗っているのか、不思議でたまりません、

いつも行っている所の美容師さんが、以前そんなことを言っていたのを覚えています。

若い人の中には、こんな私の物欲のなさに、驚く人も少なくありません。


土・日や祝日は、たいていは県外に出かけて、レッスンをしています。

オフの日は、年に数回しかありません。


そのことに驚かれる方も多いのですが、もう10年ずっとそんな生活をしています。

もしも毎週休みのある生活と、今の生活とどっちを選ぶかと尋ねられたら、0・5秒で今の生活を選びます。


もしかしたら誤解を招く言葉なのかも知れませんが、私はもう、このまま死ねたらどんなに幸せだろうかと思っています。

ここから先にあるものは、今の幸せの延長線にあることであって、子どもの成長や幸せのために、自分が何かお役に立てること以上のものは、きっとどこにもないと考えています。


私はもう、これで十分、

私の人生の後は、真心を込めたレッスンを、1つでも多く積み重ねていく、ただそれだけです。


最近、3歳くらいの子が、次々に新しく私のレッスンを受け始めてくれるようになっています。

本当に幸せです。


一度お引き受けさせていただいた子の育てに、何らかの答えを出すまでには、最低3年くらいはかかります。

無責任にリタイアなど、当分できません。


先生は、いつも生き生きしていると、よく言われます。

誰が私の命をつないでくれているのか、

その答えを私は知っています。


一体何が、人の人生を豊かにしていくのか、

そのことを私は、自分の生き方を通して、子どもたちに伝えていきたい。


だから私は、ただ信じる自分の道を、まっすぐに前に進み続けていくのです。






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私のなすべきこと

 2016-11-07
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昨日は、「岡山県産婦人科医会」 様主催の、「おぎゃー献金合奏会 定期演奏会」にお招きいただき、とても意義深い時間を共有させていただきました。

冒頭の会長様のご挨拶の中で、わざわざ私の名前をご紹介くださり、大変驚き、恐縮に感じました。

http://okayama-shirayuri.com/nc_images/pdf/2016.11.06.pdf


会場で、私が教えている何人もの子どもたちとそのご家族と会いました。

なかなか普段接することのできない生の合奏から、子どもたちの心の中に、大切であたたいものが流れ込んでいくように感じました。


いくつかのレッスンをキャンセルしての参加でしたが、来てよかったと心の底から思いました。

そして、子どもたちの成長と幸せを願ってくださっている方が、こんなにも心を一つにしてお取組みくださっていることを知り、胸が熱くなるのを抑えることができませんでした。


時間の都合もあり、最後まで拝聴させていただくことはできませんでした。

次年度は何とか、こうしたお取組みの中で、私たちももっともっとお役に立っていきたいと思いました。


日々レッスンに明け暮れる毎日であったからこそ、こうした会にもお招きくださったるご縁がつながったのだと思います。

だからこそ、これからの私がすべきこともあるのです。


レッスンを大切にする気持ちに、微塵の変化もありません、

1人1人の子どもたちの成長と幸せのために、今の私がすべきこと、


新しいステージでの自分のなすべき役割と責任、

会場を後にしながら、そのことも、しっかりと見つめていきたいと、強く思ったのでありました。






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子どもの行動改善

 2016-11-04
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教育は先手、

私のレッスンは、いつも準備と事前の手立てが命で、万が一の場合の対応にも、待ってましたとばかりに対応できるように、と考えています。

しかし、今朝のレッスンでは、私がトイレに行っている際に、先に子どもが教室に入り、自分の学習席ではなく支援者席に座ってしまい、注意してもてこでも動かないというような状況になってしまいした。


このようすをご覧になったお母さんが、「どうしたらいいでしょう? 最近家でもこんな場面が多くて… 力づくで動かした方がいいでしょうか?」 と心配してくださいました。

私は、この子が学びに来ていることを確信していますから、こんなことで、今日のレッスンをパアにするはずかないと思っていました。

そこで、「まあ見ていてください、ちゃんと自分の意志で着席させますから」 とお伝えし、アプローチを開始しました。


きっと先生席に座って、いろいろと興味のあることをやってみたかったのでしょう、

でも、それ以上に、ここでの学習を楽しみにしているはずです、

一時的な欲求で、その基本的なデマンドが崩れるわずがない、というのが私の基本的な見立てです。


「○○ちゃん、そこは先生の席だから、そこに座っていると勉強はできないよ」

「いつもの所に座りなさい」

そう言っても、にやにや笑って動こうとしません。


「じゃあ、先生は一緒に勉強できないから、あっちの部屋にいくよ」

そう言うと、ちょっと表情が変わったのが見て取れました。

表出言語なんてなくても、ちゃんとコミュニケートがとれている証拠です。


3分ほど間をおいて戻ってみると、動きが少しそわそわし始めました。

やっぱり勉強がしたいに違いありません。


「そうか、残念、 あんなに先生楽しみしていたのに~」

「じゃあ、今日はこれでおしまいです」

バイバイ~、と私が言いかけた瞬間、その子は跳ね起きるように学習席に駆け足で戻っていきました。


「この子は、誰よりもポジティブで、向上心の願いの強いお子さんです」

「だからマイナス行動をしても、ちっとも得にならず、逆に心の中の向上心を満たすような場を作って、きちんと評価して足れば、マイナス行動を起こす動機も意味もなくなるのです」

「最後は少しトーンを落として、言うのがポイントですよ」 とその3分間の間に、応用行動分析のアプローチをお母さんにお伝えしておきました。
お母さんは、ものの5分も経たない間に、その子の体に触れることなく、きちんと学習席に座らせる私のかかわりを見て、「まるで目の前で魔法を見ているようだ」 と、とても驚かれていました。


子どもの成長を心の芯から信じているのが、教育者であり、教育者と子どもは相互の信頼感で結ばれた特別な関係です。

薬ではなく、教育の力で、子どもの望ましい行動変容と成長を目指していきたい。

私たちのチャレンジは、これからもずっと続いていくのです。






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支援除去のテクニック

 2016-10-31
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昨日の大阪でのレッスンのことです。

4年生の子と、15-3×4  や 12-(1+4) のような四則混合の計算問題に取り組みました。


最初は、やや自信なさげな表情でしたので、少し厚めの支援を入れて、エラーが起きないように問題解決に取り組んでいました。

途中でリズムがつき、要領を得てきましたので、20問中半分の10問は支援を入れて、残りの10問は自力解決させてみることにしました。


自力解決の場面では、最初は少しとまどったり、迷っているのが見て取れました。

が、ここは自力解決可能と判断し、喉から手が出るほど言いたい補助発問をぐっと飲みこんで、その子のトライ&エラーを見守ってみることにしました。

何度か消しゴムに手をやったあと、その子は小さく 「うん」 とつぶやきました。

ついに、四則計算の手順が、自分のものになった瞬間です。


よい学習とは、決して支援者が目立つレッスンではないのです。

むしろ支援者は何も言わず、その子自身の手や頭や口が、フル回転し、学習場面の構成が動き出したたら、以下何もしなかったがごとくニコニコと子どもの学習を見守る支援者こそが、私の目指す一人前の支援と言えるのです。


簡単そうに見えますが、こと実践場面となると、そうやすやすと出来ることではありません。

だからこそこの技術を、私は後に続く先生たちに伝えていきたいのです。


大阪の教室は、私にとっての臨床最前線、

技術を磨き上げるうえで、なくてはならない場所なのです。






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矛盾しない二つの価値

 2016-10-28
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それぞれの子どもの発達のレベルや特性に応じた教育内容を構成していくこと、

どの子も同じ一人の子として、同じようにその存在を大切にしていくこと、


文字だけを眺めていると、この二つは相反する内容にも見えますが、私はこの二つの視点こそ、子どもを大切にするというページの表と裏の関係で、矛盾どころか全く同じ内容であると考えています。

この感覚をはき違えることが、えてして母子を、一瞬にして奈落の底に陥れる元凶になっているにつながっていきます。


決してみんなとすべてを一緒にしてほしいと言っているわけではありません、

ただこの子にも、このなりの学びの場を与えていただきたいと思うのです、


たったこれだけのことが、どうしてわかってもらえないのか、

これまで何度も、こうした苦しい胸の内をお伝えくださるご家族に出会ってきました。

決して差別と思っていないその一言が、決定的に母の胸に突き刺さっていくことが、何よりも恐ろしいことなのです。


画一的ではない多様な人の価値を、まっすぐに見つめること、

それは子どもたちとのかかわりを通してこそ、身についていく人権感覚です。


そもそもが分けて育てていて、どうして子どもたちにそれが身についていくでしょうか?

その人としての基本的な感覚には、小さい時でしか身につかないこともあるのです。

準備ができていなから、インクルージョンが容易でないかないからやらないのなら、一体いつになったらそのことが叶うというのでしょう。


私の今のこの感覚は、のべ10000時間をはるかに超える個別指導の臨床実践を通して、やっと身についてきたものです。

何百人という保護者の皆様の、血の出るようなご苦労をお聞きしたからこそ、思う気持ちです。


それがたやすいことだとも、夢の国のことだとも思っていません。

もしかしたら、永遠の課題となるのかも知れないとも思っています。


認定こども園になり、発達支援センターから多くの子どもが、認定こども園白ゆりの子どもとなりました。

記念すべきその最初の運動会は、多くの人の感動と涙に包まれていました。


この子たちは、それが当たり前のこととして、未来の日本を支えていくのです。

私はこの先の人生のほとんどを、そういうことに注ぎながら、全力で駆け抜けていいきたい、

そのことは不幸でも何でもなくて、私の幸せそのものなのです。






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お金の感覚

 2016-10-26
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先日、何だかとても楽しそうな雰囲気だったたので、小学生のグループレッスンのようすをのぞいてみました。

紙のお金をもった子どもたちが、真剣にその日食べるおやつを購入しているのです。

1人100円、飲み物は50円、同じ品物は3つ以上は購入できないというルールが決められていました。


お金はレプリカですが、この設定の中では電子マネーと同じ、しっかりと通用する通貨です。

しかも商品は、正真正銘のリアルです。


プリントの学習は苦手でも、こういう場面では、目を輝かせて取り組む子もいます。

そういう子には、プリント学習の中でも、こうした数感覚が生きる子どもに育てたい。


逆にプリントではしっかり計算ができるのに、こうしたリアルなおつりのやりとりには、手間取る子どももいます。

そんな子にも、こうした教育的な設定が意味をもってきます。


先日は、先生がゲーム大会の勝ち抜きトーナメント表を、とてもていねいに仕上げ、係の子がそれはそれは嬉しそうな顔をしていました。

白ゆりに来ると、子どもの表情が変わる、

難しい理論や肩書よりも、こうしたセンスにこそ、支援者の愛情と力量、そして教育的な信念が垣間見えるものだと思ったのでありました。






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豊かさを加味していく育て

 2016-10-21
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私は、実際に諸外国の教育事情に直接ふれた経験があるわけではありませんが、お仕事等の関係で、海外でお子様の教育を受けられているお母さんの話は日常的に伺っています。

そうしたお母さんのお話をお聞きするたびに、分離教育が当たり前なのは、日本だけのことなんだと感じています。

分けて育てるより、分けないで育てる方が、教育効果が高いことが当たり前のように実証されてされていると聞き、さもありなんと考えています。


一方で、同じ屋根の下にいるだけで、子どもが育つと思っているわけでもありません。

どの子にも、その子の発達段階や特性に合った豊かな教育の質が必要なのであって、それは障がいのあるなしにかかわらず、それこそが教育の基本なんだと思っているのです。


特性理解に基づいた個別の教育は、集団の中にしっかりとした教育の基盤があってこそ初めて生きる、というのが私の揺るぎようのない信念です。

つまりは、集団から切り離して何かをする教育ではなく、それに豊かさを加味していくような支援のスタンスが重要だと考えているのです。


私が個別のお迎えに行ったとき、充実している運営をしているクラスの子は、実にあたたかいまなざしをしています。

その子を自分のクラスの大切なお友達として、送り出してくれていることが、伝わってくるような気持ちになります。

個別レッスンを終えて、集団の中に帰っていくその子の足取りも弾んでいます。


まさに多様性を受け入れているクラスは、一人一人がクラスの大切な一員として受け入れられ、それぞれが自分と友達に対してプラスの気持ちをもっているのです。

友達を大切にしているクラスは、まちがいなくそれぞれの子が先生や友達から大切にされているのです。

これがない所に、どんな権威ある指導者がやって来ても、どんなテクニカルな技を駆使したとしても、決してそれで十分ということにはなり得ないのです。


どんな新米の先生であっても、子どもにとっては、誰よりも大切な担任の先生です。

その誇りと愛情、そしてその使命感が教育者としての命です。


私は、そんな真摯な先生を、全力で支えていくことが、自分の重要な役割の一つであると考えているのです。






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早期療育

 2016-10-18
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私が支援学級の担任だったころ、私が教えていた2年生の子に、誰よりも早く九九をマスターさせ、交流学級の子どもたちを驚かせたことがあります。

○○君すごい、と多くの友達に囲まれている姿を見て、ご両親がとても喜んでくださった日のことを、今でもはっきりと覚えています。


自慢ではありませんが、私は一論車に乗れます。

なので、この子に一輪車を乗せてみたいと頑張りましたが、もう一息というところで、私は転勤になってしました。

今からもう、10年以上も前の話です。


今日の夕方、何気なくこども園の運動場をのぞいてみました。

すると、何とこの春からこども園に入園した子が、一輪車に乗れるようになっていました。

私が見た時には、まだ数メートルという感じでしたが、ここまでくれば運動場一周に、そんなに時間はかかりません。


同じように協応運動の苦手なタイプの子ですが、就学後となると、なかなかこんなふうには出来ません。

運動などの感覚は、まさに早期の指導が重要だと、改めて思い知らされた瞬間なのでした。


先取りして花が咲くこと、

じっくり育てて実を結ぶもの、


教育の世界も、プロのレベルとなると、マニュアルや方程式だけでは太刀打ちできません。

早期療育とは、中身が大事あって、結果を出してこそ初めて意味をなすものです。

どこかの屋根の下にいれば、それだけで大丈夫というものでは決してないのです。


小さい頃に、むやみに集団から切り離すだけでは、マイナス面の方が私は多いと考えています。

集団の中に居場所がしっかりとあって、それでいてそれぞれの子に応じた豊かな教育の場を、

このブログを始めた時から、ずっと伝え続けてきた内容です。


そのことを論理だけでななく、具体的な事例を通して世に示していくこと、

また一つ、大切な1ページが、私のブログに刻まれたのでした。







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大切さを全国に伝えたい
Author:SHINOBU
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