人が集う力

 2017-02-18
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金曜日に、新しく開く教室の事前審査のために担当課に伺いました。

4月1日開設のためには、日程的にこの日がリミットでした。


教育は人です。

ここのギリギリのタイミングまで待ったのは、納得のいく人事の体制を作りたいと願ったからです。


前日のお昼前に、最後の面接の方をお迎えしました。

人事のことでは、これまで何度も最終場面での苦労もありましたから、どっしりと構えてお話をお伺いしようと考えていました。


最後にお越しくださった先生は、小学校を定年退職された方でした。

国立大学の附属小学校の勤務経験、内地留学、専修免許の取得、特別支援教育コーディネーターとしての実績…

それよりも何よりも、謙虚さと笑顔の中に、子どもを引き付ける人としての魅力がにじみ出ていました。


どうして先生みたいな方が、うちの面接にお越しくださいましたか?

私がそう訪ねると、長い期間子どもに携わる仕事を続けたいから、そう答えられました。


今回の人事については、子育て真っ最中のお母さんだけでなく、意欲と能力のある方が、代わりあって休みなどを取れるような、基準を越える複数のスタッフでのローテーションを考えました。

子育てが終わった後には、管理者となり、フルタイムで働く道すじもつけました。

そして今回、すばらしい教育実績をおもちの先生に、末長くうちで働いていただくご縁をいただけることになりました。

のちにわかったことてすが、この先生は、うちの法人の創設時に大変お世話になった方の娘さんで、私の母も家内もその名前を聞いてとても驚いていました。


申請ギリギリの奇跡の面接、

もちろん今回、この先生だけでなくそれぞれに耀きをもった新しいスタッフと出会うことが出来るわけです。


これもそれも、すべてはここにいる子どもだちが引き寄せること、

私たちの希望の春は、もう目の前まで来ているのです。





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真心

 2017-02-16
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SHINOBU先生には、華がある

教員時代から時々そんなことを言われたことがあります。


研究主任を何年もさせていただいたり、教育委員会嘱託の指導主事をさせていただいたことがあります。

内地留学にも行かせていただきました。

学校現場を離れてからは、特別支援教育の巡回相談員をさせていただいたり、いろいろな地域で講演会などをさせていただきました。

大学で講義も経験させていただきました。

法人のほとんどイベントで締めの挨拶を担当し、一発勝負の補助金のプレゼンでも結果を残すことができました。


しかし、こういうことは得意ですが、その中身が決して看板ほど出ないことは、私自身が一番よく知っています。

ちょっと見はいいけれど、案外中身はうすっぺら、

だから私は、人よりも何倍も努力しなければ、まともに追いつけないと考えているのです。

私には、苦手なことや出来ないことの方が、出来ることよりはるかに多いのです。


昨日のことです。

私は、ある職員に、新しい教室の設営にかかることで用事を頼みました。


私は管理者専任ではありませんから、レッスンの合間に職員に指示を出します。

1分1秒を惜しんで仕事をしていると言えば聞こえがいいですが、その内容は行き当たりばったりで、朝令暮改・急なめちゃぶりは日常で、さぞや職員は振り回されていることでしょう。


新しい教室の駐車場は契約したばかりで、その職員にはまだ場所を伝えていませんでした。

「駐車場の場所を調べてすぐに来るように」

電話でそう伝えたものの、よく考えればこれも無茶だなと思って、少し後悔しました。


道に迷っていないだとうかと不安に思い、3階の窓から少し離れた駐車場の方に目をやったその時です。

300Mはあろうというその先から、その職員が走ってこちらに向かっているではありませんか?


ここでの勤務経験はまだ浅いのですが、そんなに私と年齢の離れていない職員です。

普段は決して華やかな仕事ぶりとは言えませんが、私の目の見えない所では、こんな態度でいつも仕事に取り組んでいたのかと思うと、私の胸には何か特別な思いがこみ上げてきたのでした。

そういえば、その資材を運ぶ時は、若手の職員が全力疾走で私の車に積み込んでくれていました。


こういう職員がいるからこそ、今の私がステージにあがることができている。

私に出来ないことを、職員がみんなで支えてくれている。

そのことを改めて知ることになったのでした。


本当に私は恵まれました。

こうした職員の真心に応えるためにも、これからも私は、さらに私らしさを発揮して、自らの仕事に打ち込んでいかなければなりません。


子どもたちの成長と幸せを願う所にこそ、こうして人は集う、

これからもそのことを、ずっと大切に歩んでいこうと思うのです。







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信じて待つ

 2017-02-13
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このところ、めきめきと学習の集中度が向上してきている男の子がいます。

以前は、プリント1枚するにも結構力がいったものでした。

個別レッスンで45分もお子様をお預かりして、何だか自分の力不足で申し訳ないと思っていました。


行動面のコントロールが出来にくく、予定の半分程度の達成率だったことも何度かありました。

それでもその子は休まず毎回、きちんと教室に通い続けてくれました。


昨日のレッスンのことです。

扉を開けたとたんに、その子の目が輝いているのが見てとれました。


文字や数字を見てその内容を理解し、頭の中で判断・処理をし、話し言葉や書き言葉でアウトプットする。

一連の学習のベースが、ここに来て1本のLINEとして成立し、学習のベースが整ったのです。

こうした基盤が出来れば、成果が目に見え、手応えを感じることができるので、マイナス行動の生起率は格段に少なくなります。


どうだと言わんばかりにプリントをやり遂げ、さも自慢げなその子の様子に、少し前までの苦労を共有していた私とお母さんは、思わず顔を見合わせて吹き出しそうになりました。

まいた種が、やっと芽を出し始めた、

お母さんにとっても、支援者にとっても、待ちに待った待望の瞬間がやってきたわけです。


信じて待っていて本当によかった、

私はただ与えられた時間に自分の出来ることをさせていただいただけで、今回の勝利は、まさに我が子の成長を信じ、粘り強く愛情と努力を積み重ねてこられたご家族のものであったと言うことができます。


ここから先、この子はどんな学びの道を歩んでいくことになるのでしょう、

この子らしさを生かしながら、これからも学ぶ楽しさと喜びをしっかりと体験できるような時間を構成していきたい、

私たちのチャレンジは、これからもずっと続いていくのです。



↓お母さんからコメントをいただきました。


気持ちの変えにくい息子に、いつも愛のある眼差しで取り組ん下さる先生。ごねる息子に「〇〇くんも、たくさん学んで大きくなったら、みんなのお役に立つようになるんだよ」と、静かに語りかけて下さる先生。ただの知識ではない心のこもった学びの時間。先生に出会えたことに感謝しております。




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主体者と支援者

 2017-02-10
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先週、いつもお願いしているはんこ屋さんに、新しい事業所の角印やらゴム印やらを作っていただきました。

「また、新しく事業が発展するんですね」

そう言いながら、私たちの事業の成長を我が事のように喜んでくださいました。

ゴム印などは、これまで何個も何個もオリジナルで作ってきましたが、その都度、はんこ屋さんとして親身になったアドバイスをいただきました。

「ゴム印を通して、伸びる事業の中身が見えてくるんですよ。」

「事業が発展する企業は、間違いなく利用者の方を第一に考えられているところです」

そんなふうに教えてくださることもありました。


はんこ屋さんの次には、看板屋さんに伺いました。

5年前に、通所支援事業の小さな看板を作ってくださいました。

私は、その小さな看板をつけた日のことを、生涯忘れることができません。

よもやその看板を、3年も経たないうちに、補助金をいただくような建物に付け替えることになろうとは、夢にも思っていませんでした。


今回の看板の中には、縦が1・7M、横が4Mものとても大きなものも含まれています。

現地でイメージを確認したあと、細かい色合わせなどで、会社までおじゃまさせていただきました。

プロのデザイナーさんの技術で、私の期待を超えるイメージの看板が、目の前でできあがっていきました。

まさに主体者としての私のコンセプトが、専門性の高い支援者としてのプロの技術によって、形となってクリエイトされていくプロセスを目の当たりにしたのです。


デザイナーさんがいるからこそ、はんこ屋さんがいるからこそ、私は主体者としての責任を果たすことが出来るわけです。

子どもたちのために、ご家族のために、その願いに寄り添う豊かな内容を提供していかなければ申し訳が立ちません。


私たちの新しい、夢の形の第一歩、

主体者としてのご家族と共に歩む私の役割、

春の息吹は、もう目の前に来ているのです。






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通常学級の選択

 2017-02-06
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今から9年前、その子がまだ小学校の1年生のとき、私はある地域の特別支援教育の巡回相談員として、週に1回、保・幼・小・中の各学校園にお邪魔していた時期があります。

その巡回指導に行ったことがご縁で、その子と個別学習が始まったのです。


岡山市からは車で1時間以上かかる地域でしたが、以来今日までずっと通い続けてくださいました。

そのファイルをみると、通し番号がすでに⑨となっていました。

これまでにA4ファイル9冊分のプリントをしてきたことにも、驚きと特別な思いを感じずにはいられませんでした。


先週、その子の高校入試がありました。

雪の中、一般の高校の入試を無事に終え、おそらくは程なく合格通知が届くのではないかというお母さんの話でした。


就学に際して、通常学級は無理と言われた子でしたが、こうして無事高校受験を終えて感慨もひとしおでした。

「あの時通常選んで、正解でしたね」

これまでも私が、そうお伝えする度に、目に涙を一杯ためておられました。


この3月をもって、この子も私のサポートも卒業ということになりました。

私のとって、何とも愛おしくも大切な9年の旅路であったことでしょう。


この子とのレッスンから、私が得たものは計り知れない。

だからこそそのことを、これから伸びる多くの子どもたちの学びに生かしていかなくてはならない。


子どもが育てば、支援者は風のように去るのが美学、

今の私の胸の中に去来する特別な思い、


すべては、一人の子どもの学びの寄り添うこと、

今も昔も、それ以外には何もない、

だからこそそのことを大切にしていくことで、その先にあるものへと、これからもずっと歩み続けていたいと願っているのです。








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鉛筆の持ち方指導 (3点支持)

 2017-02-03
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ダウン症のお子様の独立歩行に向けて開発されたプログラムを、もう数年にわたって実践しています。

今では県内外から、1日20名近くのお子さん来てくださることも珍しくありません。


独立歩行ができるようになることは、単に身体機能が向上したということでなく、言語・生活・身辺自立・コミュニケーションや認知に至るまで様々の知的なレディネスが整うことを意味します。

そのくらい身体機能の向上と知的発達には、深い相関があるのです。


今日のレッスンことです。

年中クラスの男の子が、タブレットでの学習をしていました。


このところ、表出言語が日に日にクリアになり、コミュニケーションレベルが向上している子どもです。

ごれまで、何度か軽くトライしてみましたが、、グーでの握り持ちしか出来ませんでした。


しかし言語表出がこのくらいのレベルになれば、3点持ちもそろそろ可能なはずです。

決して最初からすぱっとうまく行ったわけではありませんが、3~4度目のトライで一定時間3点支持ができるようになりました。


この子は本年度から、白ゆりのこども園で、きっとそれまでの何倍もの運動量をこなして来たに違いありません。

そのベースをなくして、こうしたテクニカルな向上にはつながらないのです。


集団の中に育てのベースがしっかりあってこそ、個別支援は初めて生きる、

私の信念と夢は、いつも子どもたちの育ちが実証してくれるのです。








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子どもの笑顔がもたらすもの

 2017-01-31
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新大阪の教室に、京都から通ってくれている中学生の男の子がいます。

数学が得意な子ですが、漢字の書字は苦手です。


立つ木に見るで 「親」 だよと、言語化してとらえさせるとよいのですが、視覚的に文字を認知してそれをトレースしたり、映像化してそれを長期記憶の中からひっぱり出すことが出来にくいわけです。

ならばと言うことで、まずは言語にかかわる学習を継続して積み上げながら、視覚的に文字をとらえる力を段階的に育てていくことと、短期記憶であってもよいから、そのルートを徐々に広げていけばよいのではないかと考えました。


その学習をどのくらいの期間積み上げてきたでしょうか?

以前は、この子のための周到な支援を施してきたつもりであっても、なかなかこの子自身が達成感をもつことはありませんでした。


しかしここに来て、その様子に変化が見られ始めました。

以前はミニテストで100点を取る事なんてほとんどあり得なかったことですが、直近のテストでは3回連続で満点という結果を残しました。

元々笑顔の素晴らしい魅力的な好青年ですが、このときばかりは、はちきれないばかりの笑顔を私に見せてくれました。


学びを通して培う自分に対するプラスの気持ち、

学び以外では決して得ることの出来ない大切なこと、

そのための確かな手立てと信念、

そしてそれを継続していくための支え、


この子の笑顔が、私にもたらすもの、

そのことを、これからもずっと、多くの子どもたちのために生かしていきたいと、願わずにはいられないのです。







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子どもの内発性を信じる

 2017-01-30
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先週のレッスンのレッスンのことです。

ある中学生の女の子が、決められた勉強を途中で終えてしまい、担当の先生が心配そうな顔で私の所に相談にきました。


私はその子と小学校の頃からずっと一緒に勉強して来ました。

そしてその子が、誰よりも向上心が強く、学習の手応えそのものが自身の存在を支えていることを理解しているつもりでした。


「そんなふうに言うのは、きっとよっぽどのこと」

「今日は子どもを信じて、早めに帰そう」

私は、担当の先生にそう伝えました。


いつもより学習時間が短くなり、お母さんが心配をされましたが、私はこの子の内発性の高さを知っていますから、お母さんにそのことを伝え、この日のレッスンを早めに終えることにしました。

それが決して手抜きでもなければ、いい加減でもないことは、その信念の深さのともにやがては必ず理解していただけると確信していました。


その子が帰ってから2時間ほどして、お母さんからLINEでで私の所に連絡がありました。

帰りの車の中で急にしんどくなり、家に帰っておう吐したとのことでした。


そんな体調の悪い中、よくぞあそこまで勉強をがんばったものぞと、私は抱きしめてやりたいような気持ちになりました。

やはり、この子の勉強にかける思いは、信じるに値するのだと確信しました。


ここが信じられなくなったら、教育はおしまい、

子どもの勉強にかける内発性の高さは、その子の存在そのものと深くかかわっている。

その信念に、揺るぐ余地などどこにもないのです。









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実践の宝物

 2017-01-25
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私が個別指導の実践を始めてから、10年近くになろうとしています。

土曜日、日曜日、祝日は県外のレッスンにでかけ、その間、1年にレッスンがなかった日は年間せいぜい10日、

仮に一日8レッスンと仮定すると、1年で8×350=2,800レッスン

これまでに20,000以上の個別レッスンを積み重ねてきた計算になります。


下は2歳から上は18歳まで、

中には、就学前から高校生になった今でも、レッスンを継続している子もいます。


毎日毎日その子のために教材を選んできました。

20,000の個別レッスンの一つとして、誰かと同じ教材配列をしたことがありません。

前回の指導記録をもとに、今その子にとって最も旬な教材を選び、市販のものがなければ、自作の教材を開発してきました。


私のスタイルでの個別支援の題材は、もはやすっかりと系統化されていますが、それを資料としてきちんと整理することは出来ていません。

もしも、教材開発だけに打ち込む環境があり、一定の期間さえいただけば、すべてオリジナル教材でそれを体系化することが可能になってきたと考えます。

それができれば、私の元で修行をし、素直で心構えのしっかりした職員なら、大切な子どもの指導を委ねることもできます。


職員には、それぞれの持ち味があります。

子どもの特性や育ちの経過を理解し、教材の選択や指導テクニックをきちんと指導することによって、中には私が直接指導するより豊かな教育効果をあげている職員もいます。


私がいればこそ、その職員も、子どものひとみも輝くのであれば、これからの私がなすべき方向が見えてきます。

すべては子どもの成長とご家族の幸せのために、

何万時間実践を積み重ねて行こうと、その基本スタンスだけは、微塵も変わりようがないのです。








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インクルーシブ教室 白ゆり

 2017-01-23
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今日は、4月から新しく開設する予定の新教室の備品搬入に立ち会いました。

机、いす、ロッカーなど先週注文しておいた商品が次々と運ばれてきました。


白を基調として、白ゆりらしい上品な感じです。

何もなかった部屋が、少しずつではありますが体裁が整ってきました。


ずいぶん考えた新教室の名称ですが、「インクルーシブ教室 白ゆり」 という名前にすることにしました。

インクルーシブという名前に込めた私たちの願い、

その第一幕が、まもなく開こうとしているのです。









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職員を育てる

 2017-01-19
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今から2年前、私の教え子のお母さんが、職員募集の面接に来てくださいました。

「私は、教育にかかわる資格は何も持っていません。ただ、自分の子どもの育てで学んだことを生かして、誰か別のお子様のお役に立ちたい」

「トイレ掃除でも、雑用でも何でもさせていただきます。」

「私を雇っていただくことが出来ませんでしょうか」

そのお母さんは、そんなふうに話してくれました。


このお母さんの採用については慎重に考えるべきとの助言もいただきました。

しかし、最終的には私の責任で、このお母さんの採用を決めました。

後にも先にも、白ゆりで無資格の方を採用したのはこの方だけになります。


保育士資格も、教員免許もありませんでしたが、すばらしい内容の働きぶりでした。

最初は本当に雑用から始まりましたが、事務・教材作成などにかかわる能力だけでなく、教科指導の技術もみるみるうちに向上しました。

自分のお子さんの教材を通して、私の指導内容を誰よりも理解していましたし、その謙虚さとひたむきさがゆえに、通常の何倍もの努力を継続していました。


今日、岡山市の担当課の方が、うちのような事業所で働く職員の資格要件が、この4月から格段に厳しくなるという連絡をいただきました。

無資格のものについては、正規の職員としてはカウントされなくなるというものでした。

つまりこの職員を採用するのなら、もう1名、新たに有資格の職員を採用しなければならないという内容でした。


私は何があっても、一度ご縁があった職員はずっと長く勤めてもらうことに決めていましたし、人件費や予算のことがすぐに頭をよぎりましたが、市役所の方と相談しているうちに、この先生のうちでの実務経験が、児童指導員任用資格の要件を満たすことが明らかになりました。

私は飛び上がらんばかりにうれしくなりました。


うちで働くなら、児童指導員任用資格があれば、保育士や教員と同じ基礎資格を有することになります。

待遇もこれまでの無資格のものではなく、他の職員と同じものになります。

つまりは、うちで働いた2年間で、教員や保育士と同じ資格を、この職員にプレゼントできたことになります。


制度の変更により、事実上この4月から、無資格の方をうちで採用することは不可能となりました。

この職員は、この2年間、私の横で私の実践のほとんどを見てきたわけですから、その技術も理念も決して遜色のない相当なところまで力をつけてきているのです。

何て、私たちって運が強いのでしょう。


さあ、さっそくこれからその実務経験証明書の作成に取りかかります。

希望の春は、もう目の前のところまで来ているのです。





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言語の扉を開く

 2017-01-16
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土曜日の大阪でのレッスンのことです。


4年生の女の子と文章読解の勉強をしていました。

「正月の行事」という説明文に取り組んでいました。

ちょうど逐次読みからまとまり読みが出来るレベルへと成長してきた子ではありましたが、これまでやって来た生活文と比べるとやや難解な言葉が多く、途中ででたらめに読み始めました。


段落ごとに区切ってはいたのですが、きっと彼女が視覚的に一度にとらえられる量をこえたため、辛抱しきれずでたらめに読み始めたわけです。

ならばということで、地の文も問題文まも、文節ごとに鉛筆で区切って読ませてみました。

するとたちまち正確に音声化することができ始め、それを私がリフレインすることで、文脈を見失わずイメージ化内言化しながら音読が出来るようになってきました。


文脈の中でキーワードをとらえさせるときも、対応可能な範囲を指定してやると、理解言語と対応することができます。

そのキーワードを書字化させたり、話し言葉と対応させたりする学習を構成すると、それまで文字言語-読字-理解言語-書字などのプロセスが統合化され、生き生きとそれをイメージ化することにつながっていくのです。


私は学習の途中で、その表情から、その子の言語の学習が次々とつながっていく様が見てとれました。

学習がかみ合っていく姿を、目の当たりに見ることができました。


勉強が終わったあと、その子は、まるで感極まったような表情で、私の元に歩み寄り握手を求めてきました。

こんなすてきな握手は、私の人生にとっても、初めての出来事なのかも知れません。


その様子を見ていてたお母さんが、こんなことを私に教えてくれました。

「うちの子に、お休みの時にどこに行きたいのか聞いたことがあるのです。」

「USJ? 公園? どこがいい?って聞いたら、SHINOBU先生のとこって答えたのです。」

「ここに来る日の朝は、本当に生き生きとした表情になります。」


あの日3歳だったこの子も、むう4年生、

春には高学年の仲間入りです。


基本運筆や数字シールから始めたこの子の教科学習も、ついにここまで来ました。

学習の基本が出来、言語の扉が開いたわけです。

ここからどんなに豊かな学びの世界が広がっていくことでしょう。


この子をここまで育てたのは、私ではなくて、間違いなくこのご両親です。

私はその信託の一部に応える事が出来ただけに過ぎません。


そう言えば、今から数年前、友里ちゃんの言語の扉を開けたのもちょうどこのくらいの年齢の時でした。

あの伝説の夏休みサマースペシャル学習で得た経験が、こうしてこの子の学習の中でもしっかりと花を咲かせました。

だからこそ私は、こうした臨床実践から、決して軸足を外すことが出来ないのです。










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個別支援の研修

 2017-01-12
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この日のレッスンは、子ども2人に対して私も含めると先生が5人の体制でスタートしました。

子ども1人に先生1人ではなく、子ども人1人に先生2.5人のマンツーマンだったわけです。


昨年末に、新年度のマンツーマンレッスンのご希望をお伺いしました。

伊福町に新しい教室を増やしての対応でしたが、それでも皆さんのご希望をすべて受け入れることが出来ません。

お正月の三日間考えに考えた挙げ句、新年度からは、本館でのマンツーマンレッスンは、私も含めると4人の体制で行うことにしました。


レッスンの内容の評価は、言葉でもアンケートでもなく、次年度のご予約・お申し込みをいただけるかどうかにかかっている。

日々私は、担当の職員には、何度も何度もそう伝えてきました。


そのための日々のレッスンで、どのような内容を提供し、どのような支援が重要となっていくか、

この日は、そんな研修の1日、

最初のレッスンでは、私の個別レッスンを、他の4人の先生が固唾をのんで見守るというような内容になりました。


私は、これまで何千何万という実践を積み重ねてきた者として、ここに集う先生方の力をさらに磨き上げていかなければなりません。

そのことが、これからの私のもう一つの大切な仕事となっていくに違いありません。


私のもっている技術や理念は、すべてこうした先生方に伝授していきたい、

本やマニュアルでは絶対に習得出来ないこと、


その個別支援の奥義を、多くの先生方に伝授していきたい。

私の夢は、果てしなく広がっていくのです。








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育ての分岐点

 2017-01-11
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成人の日をはさむ三連休は、岡山で2日、京都で1日、3日で30近いレッスンをさせていただくことができました。

ここ7~8年の三連休、おそらくはそのすべての時間をレッスンに費やしてきたはずです。

京都も、もう6年も7年も通い続けているはずですが、教室以外の観光名所などに立ち寄ったという記憶は全くなく、その桜も紅葉も、教室に通う道すがらの風景でしかありません。


その往復は新幹線ですから、三連休ともなると、乗客の多くは観光の方になります。

それをうらやましいと思ったことはありません。


三連休であろうが何であろうが、何か一つのことに、生きがいや使命感をもって取り組むことができるものがあるということが、自分にとっては誇らしくも幸せに感じているのです。

もしもこの部分にわずかでも迷いがあるのなら、こんなふうに軸をぶらさず、何年も続けることはできなかったと思っています。


子どもとの出会い、そのご家族との出会いが、私という人間を変えてしまいました。

何のとりえのない凡人の私ですが、それでもわき目もふらず、これだけ実践に打ち込むことができたなら、それは少しは技術も理念も高まっていくというものです。

適性や資質や能力ということもありますが、人が育つか否かの分岐点は、案外こんなところにあると思っています。


続ける事さえできれば、子どもは必ず育ちます。

それを支えるテクニカルな部分は重要ですが、それと同じくらい学ぶこということに対するモチベーションを高めていく支援は重要です。


ここに来て、もう何年も通ってくれている6年生の男の子の読解力が、目に見えて向上してきました。

レッスンをお受けするとき、お母さんに 「最低でも3年はがまんして」 とお願いしたのを覚えていますが、確信はあったにせよ、それが詐欺師にならなくて本当によかったと思います。


中学からは、さらにレッスンの回数を増やしてくださると聞き、とてもうれしく思いました。

根が張り、目に見えて枝葉がついてきましたからね、

ここからの育ては、楽しいばかりです。


真の教育者とは、収穫時にそこにいる者ではなく、未開の耕地を耕す者である。

去りゆく者と、なくてはならない者、

その分岐点がどこにあるか、

答えはきっと、いつもその根元にあるはずです。







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つながることで生まれる力

 2017-01-05
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昨年末、私に血のつながっている叔父がいることがわかりました。

これまで私は、血のつながった親戚はいないものと思っていましたから、大変驚きました。


そのおじさんには3人の子どもがいます。

そのうちの一人が体育教師をされていたそうですが、障がいのある子の役に立ちたいと決意し、教職を辞して理学療法士に転身されたと聞きました。

私が小学校の教師をしていたと伝えると、これまた大変驚かれ、血は争えないわねと苦笑いをされていました。


よくよく考えてみると、その方は私のいとこにあたるわけです。

小学校の時から私には、血のつながった親も兄弟も何もいませんでしたから、友達から 「お正月にいとこ遊んだ」 などと聞いたときには、いつもうらやましくも切ない思いでいっぱいになっていました。


血のつながった親や兄弟がいないという感情は、そうでない人にはとても理解できにくい内容です。

私の生きて来た何十年間は、「自分は必要とされて生まれた子ではない」 「すなわち自分はこの世に生きている意味がない」 という自己否定の嵐の中にいたわけです。


以前わたしは 「忍」 という名前が大嫌いでした。

女の子と何度も間違えられて、「なあんだ」 と言われたことは一度や二度ではありません。

何で 「健一」 とか 「隆」 とか、男らしい名前にしてくれなかったかと、そのことをとても恨めしく思っていました。


いつの頃だったかは忘れましたが、ある日私は、「親は私に何も残してくれなかった」 「でもこの忍という名前にだけは、両親が私に託した思いがあるんだ」 と気が付き、これ以上でないくらいの涙をこぼした日がありました。


私にとっては、この日こそがアイデンティティーの確立した日であり、自分の足で自分の人生を歩み始めた日でもありました。

今ではこども園でも、発達支援センターでも、今私のことを所長とか石原先生と呼ぶ人はほとんどいません。

子どもも職員も保護者の皆様も、みんな私のことをSHINOBU先生と呼んでくれているのです。


正月があけ、平成29年の仕事がスタートしました。

私は、私の心に大きな異変が生じているのを実感しています。


この歳ですから、体のどこかが痛かったり辛かったりするのは日常ですが、とにかく毎日よく眠れてすっきり起きることができる。

以前出ていた原因不明の発疹はウソのようになくなり、自分でいうのも変ですが、仕事の集中度や気合が格段に高くなった一方で、心に余裕が出来、職員への指示や対応もシャープかつふところの深いものに変わってきました。

子どもとのレッスンも本当に楽しく、笑い声の絶えない、より活気のあるものになってきました。


まだ顔もみたこともありませんが、思いもかけす知ったいとこの存在、

私は一人ではない、

つながることで生まれる力


やる気も、独立心も、決断力も、責任感も、突破力も、その源泉は人とのつながりから生まれる自己肯定感の中にある、

私は支援者として、子どもとの心のつながりを通して、こうした自己肯定の旅路を共にずっとずっと子どもとやご家族と歩んで行きたい。


その大切な一歩を、今日もしっかりと積み上げていきたいのです。









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始動

 2017-01-02
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昨年末、母の終の棲家で何か形見になるものはないかとずいぶん探しました。

膨大な蔵書や資料がありましたから、持ち帰るものがあれば持ち帰ろうかとも考えました。

しかしその途中で、なぜだかもうそういうことはやめようという気持ちになりました。


結果、マウスを一つだけいただいて帰ることにしました。

早速、パソコンに取り付けましたが、快調に作動しています。


私にとって、ブログに書かれている活動の歩みは、自分らしさそのものです。

いつ頃からか、月間記事10本以上と決め、8年以上継続しています。


1年とか2年とか、毎日記事をアップされていた方は何人も知っていますが、その頃からずっとスタンスを変えずに続けているのは、おそらく私くらいだと思います。

それこそが、私の信念ですし、思いの深さを示すものだと考えています。


遺言書の開封に立ち会う日、家内と一緒に福山の家庭裁判所に伺いました。

その道中、このタイミングでの母の死が、私の人生の最も大きな分岐点にるるのではないかと感じていました。


ここまでの人生は練習で、ここからの人生が本番、

正直、私はそのようなことを考えていました。


大晦日と正月は、毎年恒例ですが、個人でやってる新大阪教室の会計処理に追われました。

以前は3日くらいかかっていたのですが、こうした経理にかかわる知識や技能も身につき、丸一日あれば何とかなるようになりました。


29歳で結婚し、娘を3人授かり、色々ありながらもその娘も保育にかかわる仕事をさせていただけるようになりました。

私の人生の中で、家族旅行に行ったり、普通の人と同じような家庭生活を送る時間があったことを、本当にありがたく思っています。


物事を為す人の決心は、きっと重く深いものであるに違いありません。

目先の一歩をおろそかにしては、いつまでたっても物事は前に進んできませんが、何か目の前のことに一喜一憂しているだけでは大局を見失ってしまします。


その大局から目を離さないこと、

しっかりした土台の上に、一分一秒の努力を逃さず積み上げていくこと、


残された人生の時間を、余生としてゆっくり生きる道もあるでしょう、

しかし、私はその道を選ばない。


その人生が限られた時間中にあるのだとしたら、せめて人生の後半は、悔いなく生きるものでありたい、

そこに織りなす出来事が何だとしても、体の向きはいつも同じ方向を向いていたい、

残された時間のすべては、出会った子どもたちの成長と幸せに力を尽くすものでありたい。


神様は私に、他の人にはない生きがいを与えてくださいました、

ならば私の幸せは、きっと他の人と同じ色ではないはずです。


母の形見に、この小さなマウスを選んで、本当によかった。

静かであるがゆえに、深く重い決心、

私の本当の人生は、ここから静かに発進していくのです。








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母の命 ②

 2016-12-31
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12月28日に仕事を納め、29日と30日は母の眠る広島県三次市東川内町、そして母が晩年過ごした広島県府中市上下町に伺いました。


母が生まれた家庭は、代々続く上級武士の家庭であったそうです。

先祖代々の大きな墓と共に、歴史を刻む幾多の武家の墓がありました。


母の生まれた時の写真を一枚見せていただきました。

真ん中の祖父に抱かれた母の姿がそこにありました。

祖父も祖母も母も、美しい姿で写真に映し出されていました


裕福な旧家に生まれ、秀才であった反面、祖母が祖父と離婚したことをとても恨んでいたと聞きました。

今回案内をしてくれた叔父は、その母の再婚後の弟で、母が老後を迎え、ケアマネさんから連絡があるまで母との付き合いは一切なかったのだそうです。


その後、府中市上下町にある母の終の棲家を訪ねました。

部屋の中のほとんどは、書籍や絵画などで埋め尽くされていました。


パソコンが数台ありましたので、そのすべてを開いてみました。

データのほとんどがエクセルで、仕事以外にパソコンを使っていた形成はありませんでした。

内容のほとんどは経理や総務が中心でしたが、それはすべて幼児教育やその研究・イベントにかかわるものでした。


私が自分の車に荷物を取りにいくと、ちょうどお隣に住むご家族が出かける途中でした。

ずいぶん母と仲良くしてくださっていたと聞いていたので、ご挨拶をさせていただきました。

息子夫婦とそのおばあちゃんだと思われましたが、そのおばあちゃんは、「君子さんに、こんなりっぱな息子さんがいらっしゃとは思いもせなんだ」 と、目に涙を一杯うかべておられました。


母の家には半日以上滞在し、アルバムなどないかと探しましたが、それとおぼしきものは見つかりませんでした。

初めは何か遺品になるようなものをと探していましたが、途中からもうそういうことはやめようという気持ちになりました。

それよりも、50年にも長きにわたり、東京で一緒に仕事をさせていただいていた研究所の方にできるだけ早くご挨拶をして、もうこのことには早めに終止符を打つことにしました。


叔父さんは、現職の町議会議長ですから、この時期に丸一日私のためにお時間を作るのも、至難であったに違いいありません。

叔母様もずっと一緒にいてくださり、母が恵まれた最期であったことに安堵し、感謝の気持ちで一杯になりました。


一日の予定を終え、叔父が私が車を置いていた世羅町の道の駅送ってくださるその途中に、曇り空の向こうから天空の半分もあろうかという大きな虹が、私の視界の真ん前に広がっていました。

私はもう何も迷わない、

私のこの手も、この足も、この口も、すべてはこうしたつながりの中から生まれたもの、

母が母であったからこそ、私は私でいられる、

だからこそ私は、この目で前を向いて、これからもしっかりと自分の道を歩んでいくことができるのです。





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「僕は生まれてから 母が泣いたところを見た事がない」

 2016-12-26
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「SHINOBU先生がそばにいるから、私は鬼になれる」

今からもう7~8年前のことになるでしょうか、私はあるお母さんから車の中でそんな言葉を聞きました。


当時小学生の、ダウン症の女の子をおもちのお母さんでした。

神奈川県にお住いの方でしたが、当時私はその思いに導かれるようにして神奈川まで出張レッスンに伺っていました。


初めてお会いしたのは、私が研修で出かけ千葉県舞浜のホテルのロビーでした。

ダウン症の女の子、お父さん、お母さん、そしてまだ小学校に上がる前の弟さんが、わざわざ私の研修先のホテルまで訪ねてくださいました。


その日のことを、私はまるで昨日の事のように思い出すことができます。

(当時のブログです → http://shinobu1.blog117.fc2.com/blog-entry-398.html )

今では秦野にレッスンに伺うことはできなくなってしまましたが、それでも私が東京へ出張などで伺った際には、会ってその子の成長ぶりにふれることができました。


当時まだ小学校に上がる前だった弟さんは、今中学2年生になっていました、。

その弟さんが、ダウン症のお姉さんのことを書いた作文が、第40回神奈川県福祉作文コンクールで県知事賞を受賞されました。

そこには、「僕は生まれてから母が泣いたところを見た事がない。今までたくさん泣いたから、どんなことがあってももう泣かなと決めたらしい」 という一文が書かれていました。


今では高等部に通うその女の子は、光輝くステキな娘さんに成長していました。

そして、その弟さんも、空手の全国チャンピオンでありながら、こんなにも豊かな心をもった立派な青年へと成長されていました。


その作文を以下に掲載させていただきます。

今でも年末には、いつもカレンダーのプレゼントを私に送ってくれます。

今日もお礼の電話を差し上げながら、この母の何がこの子たちの心に宿っていったか、私は自分の胸が熱くなるのを、どうしても抑えることが出来ませんでした。





僕の姉
秦野市立南中学校2年  伊藤 大地

 皆さんはダウン症という障害を知っていますか。
 僕が小学校に入学する少し前に、初めてお母さんと二人だけで遊びに出かけた。どこに出かけたのかは覚えていないが、最後にファミレスでご飯を食べた。その時、僕の姉がダウン症という障害があると聞かされた。当時の僕には難しい話だったが、僕が小学校に入学したら姉の事で嫌な思いをするかもしれない、でも誰も悪くないから堂々としなさいと言われた事は良く覚えている。
 小学校に入学して、姉の学年の男の子から「こいつの姉ちゃん、ちゃんとしゃべれないんだぜ」とからかわれた。その時何も言い返せなかった。僕が二年生になった時姉はクラスでいじめられて学校に行けなくなった。二週間も女の子に蹴られていたり、ひどい事を言われ続けて、身体がおかしくなってしまった。学校が怖いと言っていた。やっと姉が学校に行けるようになっても僕は気になって、学校に着くと姉の教室をのぞきに行った。そこにはいつもお母さんがいた。僕が幼い頃からお母さんが「心の強い人になりなさい」と言っていた意味が少し分かった。学校だけじゃない。家族で出掛けた時には、姉をジロジロ見られたり振り返られたり、指を指されたりする。姉は何も悪くない。僕達の様に障害が無く生まれてきた人でも苦手な事だってあるし、皆んなと同じに出来ない事だってあるのにひどい人が沢山いるのが悲しかった。
 小さい頃の姉は具合が悪くなると入院する事が多かった。全身の筋肉が弱くて僕達が簡単に出来ることでも、姉にとっては大変な時が沢山ある。そんな大変なことが僕にもわからなくて、行動が遅くてイライラする時もあるし、根性のある頑固になる時は頭にくる。障害が無く生まれてきた兄弟でも、そんな風に思う事はあると思うし、兄弟げんかだってする。姉は、やると決めた事は必ず頑ばり張り続けるし、我慢強い。人の悪口も言わないし、人の良い所を見つける。いじめられてもすぐ許す事が出来る。何でも前向きに考えるし、挑戦する勇気もある。毎年僕の誕生日に、頑張って作った手作りのプレゼントをくれる。こんな良い所がある姉なのに、なぜ皆んな冷たくするのか悔しくてたまらなかった。
 ダウン症は姉が病気になったのでもお母さんが病気になったのでも無く、千人の赤ちゃんに一人の確率で生まれてくる障害だと聞いた。もしかしたら、僕がダウン症で生まれる可能性だってあったはずだ。姉が千人の代表になって生まれただけなのに、それが分からない人が大勢いる。
僕のお父さんは姉を障害児として特別扱いはしない。悪いことをすればすごく怒るし、良いことをすればすごくほめる。
 母は姉の障害を知った時に、ショックが大きく毎日泣いて一年以上家からほとんど出られなかったそうだ。それでも父はどこにでも姉を連れて行ったと聞いた。すごいと思った。僕は生まれてから母が泣いたのを見た事がない。今までたくさん泣いたから、どんな事があってももう泣かないと決めたらしい。
 そんな両親で良かった。そんな両親だからか、姉を障害児学級で過ごす事を選ばなかった。小学校も中学校も通常のクラスで姉は過ごした。姉は友達と楽しく過ごす事が嬉しくて、自分の出来ることを頑張り、僕より勉強をしていた。でも、毎晩遅くまで姉のためになる事や法律を調べたりしていた母が、姉にひどい事を言う人にも、頭をペコペコ下げていたのが嫌だった。障害者として生まれただけで、皆んなと同じクラスで過ごすことがこんなに大変なんておかしいと思った。僕も悔しかった。皆んな同じに過ごさなければ解ってもらえるはずがないと思う。車椅子の障害のある人などは、どんな事に手を貸してあげられるか解りやすいと思う。でも、ダウン症の人はそれぞれ僕達と同じに違っていて、手を貸してほしい所も違っている。だからこそ、もっと皆んなが障害を理解してその人自身を知る事が大切なんだと思う。障害のある人ない人を分けないでほしい。僕達皆んな、命の重さは同じなんだから。













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母の命 ①

 2016-12-21
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先月末、広島家庭裁判所福山支部から1通の封書が届きました。

何だろうと思いながら封を切ると、そこには50年前に生き別れとなった母の 「遺言書検認期日通知書」 が入っていました。


昨日、福山市にある家庭裁判所に伺いました。

時間通りに会場に案内されると、そこには裁判官、書記官、遺言にかかわる申立人の方がいらっしゃいました。


申立人は広島県内のとある自治体の現職の議長をされている方でした。

裁判官が、また開封されていない遺言状を前に、この遺言が書かれた経緯について申立人に質問をされました。


私は、今回の遺言は、てっきり母が地域で信頼のおける方に生前に託したものであると考えていましたが、申立人様が質問に答えていく中で、その方が母の弟であることを知り、大変驚きました。

わが娘は別として、私にはこれまで血のつながった親類縁者はいないものと思っていただけに、叔父様にあたる人物が目の前にいることに感激し、ましてやそのおじさんが議会の要人として活躍していることを誇らしく思いました。


限られた時間ではありますが、母の晩年最期のようすを、お伺いすることができました。

事実を直接確認したわけではありませんが、母は私を岡山に残したあと、東京の出版社で働き、以後齢80になるまで現役として働いていたと聞きました。

しかも、それが保育関係の書籍であったと知り、万感の思いがこみあげてきました。


自宅の部屋の中にはパソコンが3台あり、まるで図書館のような仕事部屋であると聞きました。

とても頭の良い人で、仕事の鬼だったようにも伺いました。

叔父様の口から出る幾つかの生前のエピソードを知る度に、今の私の仕事ぶりや価値観・物の考え方とそのことのほとんどが見事なまでに重なり、まぎれもなく私のDNAがここにあるのだと思いました。


私の家内も,叔父様の奥様も一緒に家庭裁判所に来ていましたが、会場への同席は許されませんでした。

私の家内が保育園の園長をしていると伝えると、目を丸くしてとても驚いておられました。


出来れば年内に墓参りをして、母の仕事場を見せていただいたいとお願いをしました。

こんなに近くに住んでいたのなら、ただの1年であってもよいから連絡してもらって、親孝行をしたかったという気持ちがないわけではありません。

わが子を捨てた母の思いが、一体何であったのかをもう直接知ることは出来ませんが、今の私には母を恨む気持ちなどかけらもなく、80歳まで現役でったという母に、少しでも近づいていけるように実践者としての道を突き進んでいきたいという思いが、あふれる水のごとく心の中に湧き上がっていくのでした。


きっとこれから、母のゆかりの場所を訪ねていく機会が続くことでしょう、

そしてそのことが、私の中で、とてつもなく大きなモチベーションとなっていくのは間違いのないことでしょう、


神様は、私の人生に何をお与えになったのか、

私は一人ではなかった、

この日をもってして、母の命が私の心にしっかりと宿ったのです。


これまであったやりきれない私の迷いはもはや霧散し、その行く先に、母の背中がはっきりと見えるように感じています。







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経験をつなぐ

 2016-12-19
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私が、初めて直接就学前のお子様の個別レッスンをさせていただくようになってから、まだ10年くらいしか経っていません。

それまで、特別支援学級も含め教職経験は20年以上ありましたが、小学生以下の子のレッスンについては、当時の私にはほとんど経験がなかったわけです。


今から考えると、技術的にはお恥ずかしい限りの内容であったはずですが、それ以上にご家族の皆様の期待感が強く、全国各地へ出張レッスンに出かけた時期もありました。

それからは、年間2,000とか3,000とかという、おそらくは普通では考えられないようなマンツーマンレッスンとしての臨床経験を、10年近くにわたって積み上げることができました。

自分自身は、まだまだ道半ばの未熟者だと思っているのですが、それでも私と同じような経験を誰かに積ませるなんてことは、二度とできないことだと考えています。


昨日も一昨日も、私は大阪でいくつかのレッスンを行いました。

毎週毎週新幹線で大阪にいくことも、土日だけのために家賃や備品などの経費をかけることも、平日フルタイムで働きながら土日にも働いていることも、所長でありながら一向にレッスンから身を引こうとしないことも、私にとっては日常ですが、一般的にはきっと非常識であるに違いありません。

だとすると、その非常識な実践の中から培った経験は、たとえそれが自分にとっては道半ばのものであっても、これから育つ先生方には、大切なことは伝えていかなければならないと思うようになりました。


今岡山で、私と一緒にマンツーマンレッスンを担当してくれている先生は、以前私が教えていた子どものお母さんです。

本館が出来、定員が増えることを知り、「便所掃除でも何でもいいから、ここで働かせてください」 と、職員募集に応募してくれました。


教育現場での経験が豊富というわけではありませんでしたが、自身の子どもの学習について、小学校1年生の時から心を砕いて取り組んでいたことは、誰よりも知っているつもりでした。

今ではその子は、当時の課題を見事に乗り越え、一般の高校に入学し、成績も学年でトップクラスだと聞いています。


「その経験を、これからは1人でも多くの子どもたちの成長と幸せのために生かしてください」

私はそう言って、このお母さんを職員として採用させていただきました。


経験不足もあって当初は何かと苦労も多かったように思いましたが、控えめでありながらその信念に揺るぎはなく、その技術や態度は、いつの間にか見違えるようになってきました。

あの先生に教えてもらうことを、うちの子はすごく楽しみにしています、

そんな声を、たくさんの利用者のお母さんからお聞きするようになりました。


その先生が、金曜日にお子様の懇談で年休をとりました。

その先生が前回担当した子は、この日は私が担当することになっていました。


さて、今日はどんな教材を作ろうかなとボックスを開けてびっくり、

当日の教材が、画像のようにきちんと整理して用意されていました。


この先生は、子どものレッスンを担当するだけでなく、請求や契約など事務のほとんどを直接担当してくれています。

うちの事業所は、一般の事業所の4倍の利用量がありますから、その事務量は膨大です。

一体どこにそんな時間があったのだと、驚かずにはいられませんでした。


よく考えれば、私が表舞台でたくさんのレッスンをこなすことができるようになったのも、この先生の存在あればこそです。

以前は、大阪に行く前日は、教材作成に夜中までかかっていましたが、今では岡山のレッスンが終われば、すぐさま新幹線に乗り大阪にいくことができるようになりました。


私が何千、何万という臨床実践から得た経験は、こういう先生の成長のために生かしていかなければならない、

それが私の次の仕事。


芸の奥義は、弟子入りしなければ身につくものではありません。

4月からは、また新しい教室も開設されます。

その志のある先生との出会いを、これからもずっと楽しみにしているのです。






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子どもの心の根元にあるもの

 2016-12-17
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私は、学級担任として小学校の現場に20年以上、その後個別指導の実践者として10年の臨床経験があります。

またその間、当時の国立特殊教育総合研究所に内地留学に行かせていただいたり、大学院の修士課程で特別支援教育を学ばせていただきました。


重い課題を背負いながらも、懸命に命を輝かせている子ども、

人から見れば、ほんの小さな出来事に、途方に暮れて身動き出来ない子ども、


こうしたたくさんの子どもたちとの出会いを繰り返す中で、いつの間にか私の教育観の根底に、「すべての子どもの行動の源泉は、生存・成長の欲求にある」という考えが広がっていきました。

まだ、アイデンティティの確立していない子どもにとっては、成長の方向性を見失うことは、自分の生存そのものを見失うに等しいことです

突発的な子どものマイナス行動は、裏を返せばほぼ100%、自分の生存にかかわる不安と無関係ではありませんでした。


学んでいるということは、自分の成長の手応えに触れること、

自分の成長の手応えを感じることができれば、生存にかかわる不安を感じることもなければ、マイナス行動を起こす意味もないわけです。


準備のための1分1秒が待ちきれず、知育いすに飛び込んで来る子がたくさんいます

もうおしまい、といっても、学習席にしがみついて、帰ろうとしない子も、毎日のようにいます

障がいのある子どもが、勉強が嫌いとうのは、大間違いです。


もしもその子にあった学習の内容と方法が提示出来ないでいたら、勉強そのものが嫌いになるのも当たり前です

適切な愛情も技術も信念もない指導者が、子どもにこんなこともわからないのかとやったら、不適応にならないことの方が不思議です。


この子たちは、誰よりも生きることにピュアで、良質の学びを誰よりも求めているものです。

だとしたら、今すべきことが何であるのかが、私にはハッキリと見えます。


もはや私の進むべき道は、これしかないのです。






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プロの仕事

 2016-12-14
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新規の事業所を立ち上げるということもあり、今回パソコンを2台注文しました。

以前は、量販店などに行って格安パソコンを買っていましたが、今ではそういうことをしなくなりました。


量販店のパソコンは、消費者の目を引くような甘い宣伝が満載です。

一方、業務用のパソコンは、余計なソフトは一切入っておらず、同じスペックならメモリーの余裕が違います。

若干価格は高めに感じますが、プロの道具と考えると、とシンプルで基本性能の良いものでなければ、結局使い物にはなりません。


私は22歳の時から教育の仕事に就き、実践現場で35年の指導経験があります。

それでも、日々新しい発見があり、もっともっと力をつけ、改善を積み重ねていかなくてはならないことが、山ほどあります。


髪の毛をカットしても、ブロックを積んでも、大体のことは素人でもできますが、プロと同じレベルのものはなかなかできるものではありません。

ましてや特別支援の分野では、そうであって当たり前なはずです。


華やかで過度な宣伝をしているうちは、本物ではありません。

素人では出来にくい内容を、当たり前のように毎回積み上げることが出来てこそ、本物のプロの仕事、


どんな仕事でもそうですが、価格を越える満足感がなければ、次に足を運んではいただけないものです。

1人の実践者としても、チームのリーダーとしても、しっかりと研鑽をして、白ゆりを選んで良かった思っていただける方をもっともっと増やしていきたい。


それが、職業人としての意地、

私は教育の仕事に大きな夢と誇りをもっているのです。









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言語と感覚

 2016-12-13
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以前英会話のスクールに通っていた頃、英語を聴いた時に、その言葉を日本語に訳して、その訳した言葉を日本語で判断し、その日本語を再び英語に訳すようにしていました。

初級の頃はそれで何とか対応できていましたが、だんだんとクラスが上がっていくうちに、ついにはそのやり方ではどうにもならなくなってきました。

先生に、「これからは聴いた言葉は、英語で判断して、ダイレクトに英語で返すようにしなさい」 と教えられました。


それまでの入力は日本語オンリーでしたので、なかなか別の言語のルートだけ使うというのは、慣れませんでしたし苦痛でした。

しかし、前納した多額のレッスン料が惜しくて、ぼろぼろになりながらもレッスンに通い続けていると、いつだったか何となくその感覚がつかみ始め、英語の音もだんだんとしっかり聞き取れるようになってきました。


先日、幼稚園の男の子と数の勉強をしていたときのことです。

9匹の動物を数える問題が、ありました。


継次処理の子なら、1・2・3・4・・・・ と数え始めるところですが、この子はちょっと違いました。

手で動物を4と5に分けて認知し、それを映像として合成し9と答えたのです。


これぞまさしく数感覚、

これまで小さい時から何でも言語で置き換えて物事を判断してきた私としては、もっと小さい時にこうした数感覚を意図的に育ててくれる先生がいたら、どれだけ自分の可能性が広がったことかと悔しくてなりません。

逆に、私の唯一のとりえである言語感覚は、こうした同時処理系の感覚を補うための代償性の機能として、今の私の財産となっているに違いありません。


言語優位なならそれはそれでよいし、視覚優位ならそれはそれで素晴らしいことです。

きっと一方が伸びれば、片方は退化するのです。

私の場合は、言語屋さんですからそれはそれで良いのですが、その言語屋さんの営業の中に、うまく視覚屋さんの良い所を生かす、そんなアプローチが学習の中身だと考えています。


数も、順序数で処理する良さもあれば、集合数でみる素晴らしさもあるのです。

その素晴らしさを、算数の教材を通して、実感させる営み。

それが学習のダイナミズムであり、それはそっくり言葉の学習でも同じことが言えるのです。


その両方が豊かに使えるすてきな子、

いつも楽しみながら子どもと共に学び行く方向感、


数を4と5に分解して認知したあの男の子は、勉強時間が終わってもなかなか帰ろうとはしませんでした。

そりゃそうだね、先生も楽しかったし、また一緒に勉強するのが楽しみです。

きっと私は一生、臨床から抜け出せそうにもありません。






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クリスマス発表会の奇跡

 2016-12-12
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白ゆりはこの春、保育園から認定こども園へと移行しました。

そのことに伴い、これまで保育園では受けいれることの出来なかった、幼稚園が対象のお子様を受け入れることができるようになりました。


その1号認定の子の多くが、発達支援センターに通所で来てくれていた子どもたちでした。

それまでのそれぞれのクラスに、発達支援センターの子が何人も入ってくるという状況になったのです。


行政の担当者は、1号認定の中に、支援の必要な子が入ることは想定外だと言って、人的な加配も、予算的な加配もありませんでした。

それでも、発達支援センターの子は、最優先で入れるという園長の信念は変わりませんでした。


土曜日に、クリスマス発表会がありました。

秋にあった運動会も感動の嵐でしたが、室内での発表となると、正直それとはまた別の不安もありました。


あるクラスのオペレッタを見ていたときのことです。

ダウン症の子が舞台のセンターに、下手には肢体不自由の子、上手には発達障害の子が演技をしていました。


発達障害の子は、聴覚過敏の傾向があって、大太鼓の音にはマイナスの反応を見せていましたが、自分の大好きな曲になると、とたんに笑顔になって上手に演技ができていました。

ダウン症の子は、内言語は豊かですが、言語表出をクリアにすることが苦手です。

でも、一生懸命口を動かして、オペレッタのストーリーにしっかり乗っているのが見て取れました。

肢体不自由の子は、つい先日まで独立歩行がままならなった子です。

もちろん補助付きですが、他の保育園などでは考えらえない運動量で、脳の運動野にかかわるネットワークが加速的に育ち、視線や表情も見違えるように生き生きしたものになってきました。


3人とも、私のマンツーマンレッスンを受けてくれている子です。

しかしながら、もしも今年、この子たちがこども園に入っていなかったとしたら、今日のこの成長は絶対にありえなかったと私は断言できます。


ただ集団に投げ入れているだけで、それでインクルージョンにはなりません、

集団から分離して、病院や療育に行って、難しい名前の検査をすれば、それで子どもが育つのでもありません。

その双方の大切さを、子どもの特性や育ちに合わせてプロデュースし、結果を出すことこそが育ての質であるのです。


研究用にと、0歳から5歳の子までの活動のようすを動画に記録しました。

と、このオペレッタを撮影している途中で、感動して胸を詰まらせながらも、「これは大変なことになった」「とんでもないの成長の記録を手にしてしまった」「この映像を手にした者の責任を、果たして私が果たしていくことが出来るでのであろうか」 と、そんな気持ちがこみ上げてきました。


障がいのある子を何人も1号認定で受け入れて、それを無謀だと思われたり、調子のいい対応だと批判的に横目で見ていた人がいるのかも知れません。

クラス運営がパンクしてにっちもさっちもいかなくなり、ホレ見たことかと言われるリスクが無かったわけでもありません。

ですが、結果はその真逆だったと、私は感じています。


発表会が終わったあと、初老のご婦人が私の所に歩み寄り、目に涙を浮かべて深々と頭を下げて帰られました。

名前も存じ上げない方でしたが、こども園になり、新しいお友達をたくさん受け入れて、本当に良かった、

私は、心の芯からそう感じました。


私にとっては、クリスマス会の奇跡、

今年は、本当に良い1年となりそうです。






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新教室の息吹

 2016-12-07
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来春4月に開設予定の新教室のリフォームも、日に日に形が整ってきました。

少人数の教室ながら、大きな規模では出来にくい、きめ細やかなニーズに対応できる内容の提供を目指しています。


この伊島学区は、かつて私が勤務した小学校区でもあり、つい最近まで私が住んでいた地域でもあります。

この日、真新しい真っ白い壁紙を見て、ここでどんな子どもたちの笑顔で出会えるだろうかと思うと、特別な思いが沸き上がっていくのを感じました。


学びから決して軸足を外さない、専門性の高い個別支援、個別指導

それでいて、送迎サービスなどでご家族の時間的負担を軽減し、少人数のグループの中で培うコミュニケートと自己肯定の気持ち

その双方を、1日のレッスンの中でうまくバランスをとってコディネートしていく、


新しい時代のニーズの中で、私たち白ゆりが踏み出す次の第一歩、

その春の息吹も、もう手の届く所まで来ているのです。






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子どもが学ぶ意味

 2016-12-05
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私は、大学院時代に脳の機能局在について学びました。

その学習を通して、人間の生存欲求の根幹に、成長の欲求があると確信しました。


成長なくして、子どもの生存はありえない、

成長を目指す方向感こそが、子どもの存在意義をより確かにしていく営みである、

つまり学ぶというプロセスが、子どもの生存の基本であり、学ばなくてもいいという考えは、子どもに生きる意味がないと言っているのと同じことである、

そう考えるようになりました。


私のマンツーマンレッスンを受けてくれている子どもたちは、自分の時間が来るの待ちきれずに、教室に走りこむように入ってくる子どもがとても多いのです。

今日の勉強はこれで終わりと伝えても、首を何回も横に振り、教室から帰ろうとしない子が、1日のうちに何人もいるのです。


学びの充実感、

指導者と心が心が通い合うこと、

そのことによって子どもは、自分の生きている証や、自分の生存にかかわる安心と心の安定感を培っているのです。


楽しい学びの中身、

それは人が生きる根幹に根差している、

だからこそ、子どもから学びを決して奪ってはいけない。


そのことを実証していくために、私は今日も、一つ一つの実践を、しっかりと積み上げていきたいのです。




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新時代の支援

 2016-11-29
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発達支援の事業を始めた頃は、一日の定員が10名でした。

当初はなかなか定員に満たなく、経営面では本当に厳しい状況が続きました。


今ではその定員も1日40人、

来春からは新しい事業所も含めて1日50人の体制となります。

先日お越しくださった行政の担当者の方も、現在の実契約人数が180人と聞いて、目を丸くされていました。


事業を始めた頃は、通所支援の制度自体が、改訂の道半ばといった感じでしたが、今ではそれぞれの地域に、特色のあるたくさんの事業所ができました。

そんな中で、白ゆりの独自性も確立し、いつの間にか私のマンツーマンレッスンがなくとも、定員一杯の子どもたちを迎え入れることができるようになってきました。

私の代わりに、直接子どもの指導にあたる職員の技術も経験も、格段に向上してきました。


先日の指導監査をもって、事業基盤としての私の果たすべき役割は、一つの区切りがついたのではないかと感じています。

これからは、もう一度原点に返ると同時に、さらに一段高いステージから、すべきこともあろうかと感じています。


今後この2つの事業所は、それぞれの新しい責任者と共に作り上げて行こうと考えています。

責任者として、ただがむしゃらに前に進んできた5年間を、とても愛おしく感じます。


私らしい次の1歩の踏み出し方、

この道を、いつまでもまっすぐに進んでいきたいと思うのです。






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子どもの育てに生かす 個別支援の技術

 2016-11-28
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昨日は、前理事長の7回忌の法要でした。

日曜日に予定していた大阪のレッスンは、すべて23日の祝日に振り替え、土曜日には大阪からトンボ帰りというスケジュールになりました。


その土曜日の最後の女の子が、体調を崩しお休みとなりました。

そのお母さんから、以下のようなメールをいただきました。


SHINOBU 先生

おはようございます。

昨晩より娘が風邪をひいて熱を出しており、今日のレッスンをお休みさせてください。
今朝搭乗予定だった飛行機も、泣く泣くキャンセルいたしました。

私がSHINOBU 先生のでところに行くよ!と数日前から言っていたので娘は「せんせ、せんせ」と言っています。

来月のレッスンを楽しみに、日々の生活を頑張りたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。





大阪でのレッスンを受けるために、毎回福岡から飛行機で来てくださっているのです。

思えば平成24年、この子が3歳の時からレッスンをさせていただいているので、もう4年以上のお付き合いです。

お父さんのお仕事の都合で、岡山から福岡へ転居されたにもかかわらず、こうして年に何回も大阪でのレッスンを受けにきてくださいます。


特別な理由のない限り、レッスンには絶対穴をあけない、

土曜も日曜も返上して、私がレッスンにかける源泉は、こうした子どもとご家族の気持ちあればこそで、そのことを私は、何よりの生きがいに感じているのです。


法要が終わった後、水曜日にある園内研修会のプレゼンの準備に取り掛かりました。

先週は監査に追われ、準備をするのはこの時間しかないと考えていました。


「子どもの育てに生かす 個別支援の技術」

私が多くの子どもたちの実践を通して得た支援技術を、これから活躍する若い保育士の育てに生かしたい、

そんな思いで取り組みました。


場合によっては、深夜までかかるかと思っていましたが、予想より早くプレゼンの準備はできました。

特にハードな1週間でもありましたから、体には相当ダメージがあったのでしょう。

パソコンのスイッチを切ると、まるで海の底に沈むこむように眠り込んでしまいました。


そのせいか、今日の私の体調は絶好調、

たまには休みも必要かもしれませんが、今週も、振替レッスンのお申し込みなどをたくさんいただいています。


先ほどは、新しい教室のリフォームの状況を見に行きました。

なかなかすてきな感じです。


毎日、目指すことと、子どもたちの笑顔がそこにある。

一つ一つのことに真心を込め、これからもしっかりと前を向いて歩いていきたいと、心から願っているのです。







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担当課の実地指導

 2016-11-24
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今週の火曜日に、岡山市事業者指導課の実地指導がありました。

認可事業で言えば監査にあたるものですが、私たち通所支援事業所では、今回の実地指導がそれにあたります。


平素から何かとお世話になっている担当課の方が3名お越しくださいました。

児童デイサービスを始めてから5年になりますが、今回が初の実地指導ということになります。


補助金をいただいて建物を建てた関係で、春には会計検査院の実地検査を受けました。

何一つ不正を行っているわけではありませんが、それぞれが初の検査でしたので、落ち度の一つでもあれば、法人の名にかかわることでもあるし、厚い信託を寄せてくださっている利用者の皆様に申し訳が立ちません。

責任者の私としては、特別な思いでこの日を迎えることになりました。


事業を始めるにあたっては、どこかの事業所を参考にするようなとは一切せず、ただ子どもたちやご家族の思いに寄り添うことだけを考えて前に進んできましたから、手続的なことで不安に思う内容は少なくありませんでした。

今回も、いくつかの点で表現の変更が必要であったり、内容を整合させたりする部分についての指導を受けました。

指導を受け点については、すぐにも改善させていただきたいと思いました。


事業を始めて5年、

担当課の実地指導を受ける以前に、補助金をいただくことなど、普通ではありえないことですが、無事今回の指導を終えたことで、私自身は一つ大きな仕事を成し遂げたように考えています。


これで、来春からの新しい事業所の開設申請に弾みがつくというものです。

多くの方の期待と支えがあればこそ、私たちの今がここにあるのです。


コンプライアンスを大切にしながらも、いつも子どもとご家族の願いを受け止め、さらに心の通った支援を充実させていきたい、

私たちの次のステージは、もう目の前にあるのです。








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新大阪教室への思い

 2016-11-19
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大阪や京都に出張レッスンに行かせていただくようになってから、もう7~8年になります。

その関係で、高速や新幹線を使って、何人もの方が、毎週のように岡山でのレッスンを受けてくださった時期があります。

これでは申し訳ないということで、作ったのが新大阪教室、

もう3年にもなります。


土日限定、今は月に3回新大阪のでのレッスンをさせていただいています。

月曜から金曜日は、教室は空き家、

月3回の往復は、当然新幹線。


となると、1回あたりの経費は普通の教室とは比較にならず、事業としてのうまみはほとんどありません。

でも、そのことを可能にしてくださっているのは、利用してくださっている皆様が、経済的な負担をシェアしてくださっているからに他なりません。


新大阪の教室は、全くの個人経営ですから、何の制約もありません、

さながら今では、私の研究の附属小中学校とか、幼稚園とかいった貴重な臨床現場となっています。

ここで儲けようとかは思わず、内容的なことに徹底的に向き合う時間と環境がここにあるということが、今の私にとっての生命線となっているのです。


おかげさまで、岡山の新教室は、開店前にもかかわらず、予想以上のたくさんのお申し込みやお問い合わせをいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

だからこそ大阪は、少し心と時間に余裕をもって、しばらくはクオリティを重視した運営にしていこうかとも考えています。


先日は、新大阪の教室に、会員の方のご紹介で入会してくださる方がいらっしゃいました。

本当にありがたく思いました。

広告を出していた時期もありますが、それをペイするために経営を考えていくバランスも必要です。


内容的な向上と質の高さが、口コミでご紹介の方を増やしていく、

本来の白ゆり教室のスタンスをいつまでも忘れないようにしていきたい。


平素は、白ゆり発達支援センター所長として、皆様の期待と責任を強く受け止める毎日となっています。

だからこそ今、大阪の教室は、私の活動の原点となる位置となっているのです。







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大切さを全国に伝えたい
Author:SHINOBU
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