宝物のような時間

 2014-12-19
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もしも私が、自分自身のレッスンの内容を評価するとしたら、

① 子どもとのコミュニケーションがしっかりとれたかどうか?

② 子どもの内発的な学びを具現化できたかどうか?

その2点をあげることになると思います。


他者と通じ合うことによって、子どもは自分の存在の位置を確かめることができ、文化的に価値のある学習を積み重ね、自分が向上している方向感を得ることによって、子どもの心は安定し、自己実現に向かっていくと、考えているからです。


積み木遊びが発展する子は、それまでのレッスンの内容が充実している証拠です。

1個の積み木から次々とイメージが発展し、内容がしっかり共有でき、心豊かにコミュニケートが深まる時間は、まさに私にとって宝物のような時間です。


言語・数量・コミュニケーションなど、個々の内容を細分化したり、系統化したりして、それを順番に子どもにさせていくと、たったそれだけのことが何だか急に専門的になったような気分になり、保護者の方にも説明しやすいのですが、子どもの瞳はちっとも輝きません。

積み木遊びのようなことは、量的な評価がむずかしく、ただ遊んでいるようにしか過ぎませんが、子どもの表情はみるみるうちに変わっていきます。


私の駆け出しの頃は、簡単なことにあえて専門用語をくっつけて、自分を大きく見せようと必死でした。

でも、本当に力のある人は、あえて専門用語やむずかしい数値を控え、涼しい顔をして、いつの間にか子どもをひきつけ、知らぬ間に子どもを変えていくのです。


儲かってまっか?

いやいや、ぼちぼちです。


私たちの評価は、出会った方に、もうここでなければダメと、末長くレッスンをさせていただけるかどうかだにかかっていると思っています。

あなたが目を輝かせて学び、生き生きと成長していくことこそが、私たちの願いであり喜びです。

その大切な時間を、1日に1分でも長く積み上げていきたいと、心から願っているのです。



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子どもの願いをキャッチするコミュニケーション力

 2014-12-11
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昨日、4歳の子のレッスンがありました。

手遊びやカードの活動が終わったあとに、つみき遊びを一緒にしました。


最初は、感覚遊び的に、機械的に積み木を上に積み重ねていましたが、だんだんとそれが見立て遊びに発展していくのが見てとれました。

上の画像が、何だかお分かりになりますか?

これは、電話機なのです、

この想像力、固定観念にしばられる私には、なかなかできない芸当です。


この電話機を使うと、表情といい、内容といい、これまでには無いような生き生きとした展開に、私の方が楽しくなって引き込まれていくような気持ちになってきました。

通う中身が先にあって、言語はその豊かさに応じて広がっていく、

そのコミュニケートの豊かさこそが、自己肯定の気持ちを培い、内発的な学習の達成動機を高めていく。

私は、改めてこの子との活動を通して、その大切さに気付かされたのでありました。


以前、シアトルのセーフィコフィールドに行った時、となりに座ったネイティブの方と気持ちが通じ合ったのを覚えています。

でも、全く英語が話せなかった私は、名前すら尋ねてみる方法がなかったわけです。

レストランでの注文方法もわからず、毎日同じハンバーガーショップの同じ商品ばかり食べていました。


もし、英語が話せたら、こんな何千キロも離れた人と通じ合える、

いや、世界のいろんな人とも、通じ合うことができる。

今からもう10年くらい前の話ですが、その日のことがきっかけで、以来私は、ずっと英語を習い続けるようになり、今でもその気持ちに全くの変化はありません。


子どもの気持ちと乖離した言語指導は、味気ないもので、一時的には効果があっても、結局は長続きしないものだと思っています。

子どもは、どの子でも、成長と自己実現の強いエネルギーをもっていて、それは大人と比較できるようなものではありません。

その成長の願いをくみ取り、学習という共通のツールを使って、自己実現の旅路を共に歩んでいく。


奇跡を何度も目にしてきた私は、この魅力と魔力にとりつかれていて、このスタイルを変えようにも絶対に変えることが出来ない領域に入っています。

通じ合うこと、子どもが育つということは、こんなにも楽しいものでしょうか?


私は、子どもと心が通じ合うことにより、自分が生きている意味を、誰よりもしっかりと確かめることができているのです。




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心が通う 言葉が通う

 2014-11-27
10月から、4歳になる男の子が、私の所に来てくれるようになりました。

STさんとの訓練が、うまくかみ合わないとうことで、お母さんは、主に言語にかかわる願いを強くお伝えくださいました。


ここでのレッスンを開始するに当たって、私は、

「言語機能そのものより、お子さんとの内発性を信じ、心の通じ合いやコミュニケーションの充実を大切にしたレッスンをさせていただきたいと思っています」

そのようにお伝えしました。


事前のご相談で、これまでの経過や内容、お子様の育ちやご家族の願いなど、かなりしっかりとお聞きすることができたこともあって、私はすぐに育てのビジョンやイメージをもつことができました。

確かに、パズルなどは苦手で、あまりソフトな対応は苦手なタイプ


でも、絵本やカードや手遊びは大好きで、やる気も表情もとっても豊か、

それに、まだほんの小さな芽ではありますが、言語表出の兆しが随所に見られます。

私にとっては、大好きなタイプの、すてきなお子さんです。


最初の1~2回は、お母さんにもレッスンの様子を一緒にご覧いただいていましたが、これなら分離した方が近道と判断した私は、お母さんには、レッスン中ログハウス(控え室)で待っていただくようにしました。

ところが昨日、急な来客があり、ログハウスが使えない状況になってしまいましたので、お母さんには教室に戻ってきていただき、途中からではありましたが、久しぶりにレッスンを見ていただくことになりました。


「かえるがぴょんぴょん、かえるがぴょんぴょん~♪」

もちろんまだ明瞭というわけではありませんが、当たり前のように、歌詞をくちずさんでいるこの子のようすをご覧になり、お母さんはとても驚いておられました。

「この子のこんな姿は初めて見ました」

お母さんは感激され、目頭を真っ赤にされて、教室を後にされました。


今から5年くらい前のことになりますが、かれんちゃんが初めて私に「せんせい」と言ってくれたときも、ご両親には、しばらくそのことを信じてもらえませんでした。

願いを託されたレッスンの場では、時々こんなことが、起こるようです。

それは、どこか私に優れている所があるということではなく、ここがご家族の願いが託され場であるということを、きっと子どもが感じ取り、その持ち味が生かされる場になっているということなんだと、私はとらえています。


就学前に言語があまり機能しなかった子が、就学後に、当たり前のように会話がクリアになっていく。

私は、そんな子を、実際に何人も見てきました。

だからこそ、私は、その可能性をしっかりと信じることができる。

今、何をすべきなのかが、はっきりと見える。


そういえば、このお母さんは、そのかれんちゃんのお母さんのご紹介で、ここにやって来てくださった方、

私とこの子との歩みは、今やっと始まったばかり、

3年後、5年後のこの子が、いったいどこまで豊かに育っていくか、

もはやこの子も、私にはなくてはならない大切な子の一人。


君の育ちが、後に続く多くの子の希望の星になる、

これから君と一緒に歩む道のりそのものが、私たちの何よりの宝ものなのです。


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非言語の目力

 2014-09-10
私の所では、月に1回ダウン症のお子様のための赤ちゃん体操のイベントをさせていただいています。

そこには、主に0歳から2歳くらいの子が、たくさん来てくれます。


もちろん、白ゆりに来るのが初めての赤ちゃんもたくさんいます、

私が扉を開けて、その会場に入ると、ほとんどの子は私の方を、しっかりと見てくれます、

もちろん、そこに言語のやりとりはありませんが、非言語だからこそ、私がどんな思いでそれぞれの子を迎えているのかという気持ちが、ダイレクトにその子の視線を釘付けにするのです。


試しに、ほかの人が入ったときに同じようなことが起こるのかどうか、観察をしてみました、

他のお母さんが入っても、お客さんが入っても、うちの職員の誰かが入っても、赤ちゃんの目を釘付けにする人は、誰一人としていませんでした。


知育いすに一度座れば、言語があろうとなかろうと、ある意味私は、真剣勝負での子どもとの戦いが始まるのです、

たとえどんな子であろうと、ただの一人でも、子どもの心の扉を開けることが出来なかったら、

すべての看板を降ろして、個別指導の実践から即座に引退する

それこそが、私が、自分自身に何度も言い聞かせている覚悟と決心です、


これだけの決心をもって、私は毎日、10名近くの子どもとのバトルを繰り返しているのです。

その目力が、一般の方と同じであって良いはずがありません、


早く、赤ちゃん体操を卒業して、SHINOBIU先生とお勉強をしたり、遊んだりしようね、

ずっと楽しみにしているよ、

また、きっと白ゆりに来てね。


私の視線は、いつも子どもたちにそう語りかけているのです、

あなたこそが、白ゆりの未来のエース、

そういう思いがあればこそ、私の目からは、誰にもまねのできない必殺ビームが発射されるのです。


他に何ができなくとも、私はこのことでこそ、自分が自分でいられるたった一つの空間、

あなたにも、あなたにしかできない大切なフィールドがきっとある、


人を教え、育てること

小さいけれど、何よりも尊いその命と、一緒に歩んでいけるその幸せ、

あなたの瞳と笑顔の奥から、私にはそんなイメージが、しっかりと映し出されて見えているのです。





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外言と内言とをつなぐ支援

 2014-06-28
「おともだちとなかよくしましょう」

国語の本に、そんな文章がのっていました。


やっと文字が読めるようになったまいちゃんは、「お・と・も・だ・ち・と・な・か・よ・く・し・・・」 と、、一文字一文字いっしょうけんめい読んでくれました。

でも、文字の言葉を音声化するのに精一杯で、「どんなことが書いてあったかな・」 と、尋ねても、きょとんとした顔をしています。

こうした文字で書かれていて、それを読むことができても、自分の言葉になっていない言葉を 「外言」 と呼ぶことがあります。


一方で、遠足から帰ったばかりの子に、「今日の遠足楽しかった? どんなことして遊んだの?」 と尋ねると、

「うん、めちゃ楽しかった、最初に、けいどろしたら、けんちゃんが坂でしりもちついて、そのまま下まですべったんだ、そしたら、みんなもまねしていっしょにすべりだいみたいに・・・」

楽しかった出来事を、次々に私に伝えてくれます、


「そう、よかったね、じゃあそのことを作文に書いてみよう」

と言って、すぐに生き生きとその時の様子を、文章に書くことが出来る子には、あまり出会ったことがありません。

「内言」  と 「外言」 の間には、想像以上の乖離があるのです。 


物語文を読んでいて、「そうか、太一はお父さんの命を、自分の心の中によみがえらせたんだ」 そう思った時に、外言だった物語が、この子の言葉として内言化されたことになります。

まいちゃんがひらがなを見て、一生懸命 「み・か・ん」 と読んだ時、私はそれを 「そう、みかんなんだ~、先生も大好きだよ、まいちゃんもみかん好き?」 と返してやります。

そうすることにより、まいちゃんの心の中に、内言の小さな芽が育っていくのです。


内言は、子どもの命そのものです、

内言が豊かになることは、行動のコントロール力を育てることであり、コミュニケートにより自己肯定の気持ちを育むことにつがります。


たとえ言語表出がなくても、内言が豊かなな子はいくらでもいます。

逆に外言が豊かすぎるゆえに、内言が貧弱で、行動のコントロールが出来にくい子も、これまでたくさん見てきました。


内言を育てることが、私のレッスンの大切な柱の一つ、

そして、このことを外言として、豊かに情報発信できるような子に育てていきたい、

そこをつなげる支援の具体を、実践を通してもっともっと明らかにしていきたい。


どんなに苦しくとも、その道のりには、小さな希望の香りがしています。

主体的な学びは、きっとどこかで、子どもの幸せにつながっていくのです。




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内言の随意性

 2014-06-24
今日、保育園に年長組の子の、個別レッスンのお迎えに行きました。

その途中で、その子のお母さんにバッタリ出会いました。

お母さん、この日はお仕事がちょうどお休みということでしたので、急きょ個別レッスンの様子を見てもらうことになりました。


事前に、特別な準備は何もしていませんでしたし、お誕生会の時間までという時間的な制約がありましたが、お母さんが見てくれるということでよっぽどうれしかったのでしょう、

いつも以上に張り切って、生き生きと笑顔の輝くレッスンになりました


家に帰っても、いつもSHINOBU先生のことばっかり言うんです。

失敗するからうまくなる、まちがえるからかしこくなる、

大丈夫、大丈夫、いっぱいまちがえて、いっぱい失敗して、どんどんおりこうになろうって、

家でも、何度も、何度も言ってます、

お母さんは、担当の職員に、そんな意味のことをお伝えくださいました。


責任は軽くないですね、

それが何気ない一言であっても、私がこの子に伝えた言葉は、すっかり、この子の規範の一つとなって内言化され、行動をコントロールするようになっていたのです。


「失敗するから、うまくなる」

こういう言葉を心の中で意識したり、大切な場面で使えるようになることを、「内言の随意性」 と言います。


この内言の随意性を育てていくために、大切なこと、

それは、子どもと心を寄せる信頼感、

自分が何か望ましい方向に進んでいる手応えがなければ、メタ認知も内言の随意性もあり得ない。


記録を見ても、この子とのレッスンは、初めからこんなふうに心通うものでは決してなかった、

何が、私たちをここまで変えてきたか?

私は、レッスンを見つめるお母さんのまなざしの中に、その答えをしっかりと見つけることができるのです。






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言葉のブラックボックス

 2014-05-29
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みなさんは、ご自身が、ひらがなの読みをどのような過程で習得していったか、覚えておられますか?

自分のお子さんが、どのような形で、ひらがなが書けるようになったか、そのメカニズムを説明することができますか?

そして、まだ字が読めない目の前の子に、どのようなアプローチを実施したらそのことが可能になるか、道筋を示すことができますか?


先日、新大阪の教室で、ある2年生の女の子と一緒に 「たんぽぽのちえ」 の標準化されたプリント問題をしました。

地の文を音読し、問題文を読み、尋ねられたことをイメージ化し、地の文から該当箇所のキーワードをピックアップし、所定の解答欄に正しく記入する。

多少の支援はありながらも、自分の力で、次々と意欲的に問題にチャレンジしていくこの子の姿を見て、目がしらが熱くなっていくのを抑えることができませんでした。


平成21年3月、

私がその子のレッスンを始めさせていただいたのは、その子がまだ3歳にも満たない頃でした。

それから5年以上にもわたり、ほとんど欠席もなく、レッスンには毎回ご両親が同席し、熱心に記録をとってくださいました。

まだ何の実績もない私を信じ、大切なお子様を育ちを託してくださる、

手探りの中から、細い糸を手繰り寄せるようにして、毎回、手づくりのレッスンを積み上げてきました。


私の言語指導は、ひと言でいうとすると、「その子その子の認知特性と言語にかかわる背景を理解・共有し、ノンバーバルなコミュニケーションをベースとしならがら、文字言語・理解言語・聴覚性の言語・内言語・言語表出・書字といったそれぞれのプロセスを、個別に、ていねいにていねいに紡いでやるアプローチであると言えるのかも知れません。


今、初めて文字の世界の扉に手をかけようとしている子が、私の教室に何人もいます、

その子たちも、この女の子と同じように、やがて当該学年のプリントを使って、私と一緒に勉強をする日がやってくるのでしょうか?


この子と積み重ねてきたそれぞれのレッスン、

その箱の中から、私が得たものは、はかりしれないものがあります。


一人の学びに寄り添うことから生まれたアプローチは、やがて多くの子どもたちの目標となり、道しるべとなっていきます、

それを伝え広めていくのが、私の責務

今日の一つのレッスンこそが、きっとどこか大切な道へとつながっているに違いないのですから、







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読解支援で何を育てるか

 2014-05-05
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私は今、「にじの見える橋」(光村図書・中1教科書)という作品の教材作りをしています。

この春中学生になった女の子のために作り始めた教材です。

月1回のレッスンですが、4年生の頃からずっと一緒に勉強しているので、教材を作っていて、その子の反応がリアルに思い浮かんでいます。


地の文から、キーワードをピックアップするのは得意、

文を音読する力も、かなり豊かに育って来た、

文章にこめられた非言語のメッセージも、それを感想として言語化することは出来にくい時もあるが、それを感じとったり、心の中で受け止めることはできるようになってきた、

内発的な学びの意欲も、モチベーションもかなり高い、

ならば、この部分に支援を入れて、ブラッシュアップしていけば、必ず力が付いていく

この子のために、今考えている育てのビジョンは、こんな感じです。


私は、文字に興味を示し始めた4歳・5歳の子のひらがなや言語の支援を行っています。

子どもが、その年齢やレベルに応じた様々な教材に出会いながら、言語にかかわるどんな力を身につけていくのかが、私なりのスケールで理解することができるようになってきました。


文字を文字として、まず正しく認知できること、

それをきちんと音声化できること、

聴覚性の言語(聞き言葉)と対応してとらえることができること、

文章の中から、該当する箇所をしっかりと視覚的にピックアップできること、

視覚的に認知したり、理解言語化された内容を、書字という形、あるいは発表というスタイルでアウトプットできること、

文脈の中にこめられた非言語のメッセージ主題を感じとり、それを言語化することができること、


この女の子の場合、ここまでは出来ていて、ここはこう支援すればクリアできる、

あと何回かレッスンを重ねれば、かならずそこは支援をフェードアウトしても自力解決できる


当該学年の教材を使えば、モチベーションは格段に上がるに決まっています。

どんな教材を使おうが、支援さえ入れれば、すぐにその子のための教材に変身させることができます。

そして、この教材は、やがて多くの子どもの支援に、脈々と生きて繋がっていくのです。


私にとってのユニバーサルな教育とは、つまりそういうこと

一人の学び、一人の育てに寄り添うことから、すべての教育はスタートする、


「勉強、楽しかった〜」

娘がそう言っていたと、お母さんからすぐにメールをいただきました。


楽しかったのは、私も同じ、

オーダーメイドのレッスン、

私がはまる理由、わかっていただけるでしょうか







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タブレットの活用

 2014-04-21
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お正月に Surface を購入しました。

もしかしたら、これならマウスの使いにくいお子さんでも、教育ソフトが利用できるのではないかと考えました。


慣れない Windows 8 でしたので、設定などにはずいぶん時間がかかりました。

しばらくの試行を重ねて、何とか臨床場面でもスムーズに扱えるようになりました。


タッチペンを利用すれば、書字学習などで効果的に活用でき、新たな学習の楽しさを体感する子も次々に増えてきました。

お正月、まるまる一日かけて設定に費やした時間もこれで報われました。


これぞユニバーサルな視点、

良い教材は、多くの子の学びに役に立つというものです。


一人の学び、一人の育ちに寄り添うことから、白ゆりの支援はスタートする、

教育の原点は、こんなところにもあるんだなと、感じているのでありました。









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子どものコミュニケーション能力を引き出す 支援者の理解度

 2014-01-30
人は1人では生きていけない存在です。

人の生存を司る大脳辺縁系では、食欲や睡眠欲と並んで集団への所属欲求がコントロールされているのです。

支援者とのコミュニケートの内容が豊かになることによって、子どもはその自尊心を増し、望ましい方向へと伸びていくことを、私はこれまで、数多くの子どもの育ちを見つめながら確認してきました。


コミュニケートは、決して一方的なものではなく、相互の関係によって成り立つのです。

特に成長の過程にある子どものコミュニケート能力を育てようとするならば、意図的にかかわる支援者のアプローチが特に大切な意味をもってきます。


先日のレッスンの時のことです。

このごろやっと、「これ~」と表出言語が出始めた、もうすぐ5歳になる女の子がいます。


初めて私の教室に来始めた頃は、なかなかその行動の意味が理解できず、レッスンがかみ合わない時期がありました。

ところが、レッスンを積み重ねていくうちに、この子には内発的な学びの欲求があり、行動の背景には決してネガティブなものがないということが理解できるようになっていました。


紙芝居を読んでほしい、

ひらがなカードで遊びたい、

料理のロールプレイをしたい、


その表情や、まなざしや、仕草から、今では手に取るようにこの子の学びの欲求を受け止めることができます。

当初はきっと相互に一定の緊張感があったと思いますが、今では私、毎週この子が来るのが楽しみでなりません。


「料理がやりたいときには、はじめにちゃんと席に着いて、これ~って言ったらすぐにできるんだよ」

そう教えてやると、次々に活動が広がっていき、あっという間に40分のレッスンが終わってしまいます。



「私が初めて見学させていただいた娘のレッスンは、まるで娘がマジックがかかったのかの様な、素敵なSHOWを観てるかのようでした」

「先生の眼差しは強く優しく、娘の表情を読み取りながらの真剣勝負、いつまでも見ていたい気持ちでした」


先日、私のレッスンを見てくださったお母さんは、そんな感想を寄せてくださいました。


レッスンは、うまく行かなかった時こそが勝負であり、一番伸びるとき、

うまく行かないことを、決して子どもだけのせいにすり替えてはいけない、

コミュニケートは、子どもと支援者との相互の関係や内容があってこそ成り立つもの、

非言語な子ほど、人の真実を感じとる、豊かな感性が育っている、

子どものコミュニケーション能力を引き出すためには、支援者の子ども理解度が大きな影響を与える、


すべては、子どもとの実践が、私に教えてくれたこと、

この子との心のつながりと、コミュニケートの豊かさこそが、支援者としての私の誇りと使命感を、しっかりと高めてくれているのです。





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中学生になっての書字改善

 2014-01-17
どんなに時間がかかっても、私は必ずこの子に、読んだり書いたり計算したりする力をつけて見せる、

今から数年前に、私にそのように伝えてくださったお母さんがいます。


すべての教育は、子どもの可能性を信じることからスタートする、

それが私の信念です。


その子が低学年の頃、何とか文字にかかわる視覚認知を高めようと、新聞紙大の大きさの紙に字を書かせたり、粘土で文字を作らせたり、型紙で作ったパーツを組み合わせたりして、学習を工夫してきたものです。

今すぐに芽を出すことはできないかも知れない、

でも、ご家族の切なる願いを受け、出来ないとあきらめるのではなく、可能性を信じて、どうしたらできるかだけを見つめて、最善の学習を積み重ねていこう、

私は、そうした時間を、1時間1時間しっかりと積み重ねていく、

ただそのことだけを考えて、前に進んでいこう、

そう考えて取り組んできました。


小学校1年生の時から一緒に勉強してきたその子は、今、中学生1年生になりました。

小学校の中学年までは、ひらがなの「ら」という字がなかなか書きにくい期間もありました。

あれは、たしかそれは5年生の時だったと思います。

私のレッスンの最中に、ある日突然そのことが認知できた瞬間があり、それ以降は、まるでそのことがウソであったかのように見事なまでに改善されて行きました。


小学校2年生の時には、「私もみんなと一緒に漢字ドリルがやりたい」と、なみだを流したこともありましたが、その漢字にかかわるスキルも、小学校高学年になると目を見張るほどに改善のあゆみを見せてくれるようになりました。

そして今、中学生になり、書字にかかわるアウトプットのスキルが、大きな向上を見せるようになってきました。


「あきらめるくらいなら、死んだほうがまし」

当時は、色々な先生に、色々なことを言われ、随分と心を痛められたのもこのお母さんでした。

でも、結局は、すべてこのお母さん言うとおりだった、


このお母さんの信託に応えることが、今の私のレッスンの原点であり、これからも崩しようのない真実として、多くの子どたちのささえとなり、道しるべとなっていくのです。


今、あきらめる前に、5年間私と一緒にがんばってみませんか?

信じる信じないはその人の自由、

教育は、いつも子どもの可能性を信じることからスタートしていくのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-01-18)






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理解言語があればこそ文字言語はつながる 行動理解があればこそコミュニケートは豊かになる

 2013-12-29
言語表出には、何の問題も見られないけど、その言葉によって相手がどんな気持ちになったり、その言葉によって自分にどんな影響があるのかが、予測できにくいタイプのお子さんがいます、

その発せられた言葉と、そのことが意味する内容との乖離は、ほんのわずかであったり、表面上は全く差がなかったりする場合もあります。

でも、実は、そのほんのわずかなズレこそが、相手の心に何とも言えないダメージを与えることが多いのです。


「背のちっちゃい人に、ちっちゃいと言って何がいけないの?」

「背のちっちゃい人は、背がちっちゃいことを、自分では嫌だと思っていることも多いんだよ~」

「へ~、そうなんだ」


悪気がちっともないからこそ、そんなことを平気で言ってしまいます。

「その人は、どんなことが好きなの?」

「ポケモン~」

「だったら、Aちゃんはポケモンのこと、とってもよく知っているから、こんど一緒に遊んであげたらどう?」

「うん、そうしてみるよ」


メタ認知のためには、肯定的な自己理解力も大切です、

一つ一つの出来事に、細かく寄り添いながらも、私はいつもその部分を大切に育てていきたいと考えています。


一方で、言語表出が全くない子もいます、

こういう子は、表情や仕草で気持ちのやりとりをしますから、ダイレクトに心が通じ合うことが多く、そう言う意味では前者のタイプの子より、案外豊かにコミュニケートがとれることが多いように思います。


幼児期に、ようやく言葉がでるようになってきた子とのコミュニケーション指導では、私は、理解の言葉と話し言葉と文字言語との接点を、相互に行き来させるようなことを意識してかかわります。

その場合には、何を題材にするか、その部分での内容の共有化ということがポイントなります。


構音がクリアでない子もいます。

例えばそれが、ポケモンの名前と意識していればキャッチできる言葉であっても、そうでなければ、何を言っているのかわかりにくことも多いのです。


それは、子どもが文字を習得する過程の中でも言えることです。

いちごの「い」でも、つきの「つ」でも、理解言語があってこそ、文字には魂が宿ってきます。


逐次読みだった子が、やがては「あ」という文字で始まるそのことばが、「あんぱんまん」であることを認知し、やがてまとまり読みで、「あんぱんまん」とすらっと読めるようになる日がやってくるのです。

「うんとここしょ、どっこいしょ、とうとうかぶはぬけました」

クラスのみんなと一緒に動作化したこのフレーズがあればこそ、音読のときに、その文字が子ども目の前で躍り出す日がやってくるのです。


テクニカルな言語指導も、もちろん大切です、

しかし、言語表出の大爆発の引き金が、大好きなお友達とのかかわりであったという事例を、私はこれまで、何度も何度も目の当たりに見てきました、


今年のレッスンは、今日の京都が最後の日となりました。

豊かにコミュニケーションがとれるということで、子どもはまちがいなく肯定的な自己理解力を高めていきます。

通じ合う心、通じ合う中身があってこその、言語指導であり、コミュニケーション指導であることを、私はこれからもずっと心に刻んで、子ども達のかかわりを続けていきたいと願っているのです。





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理解言語と文字言語との接点

 2013-12-17
先日のレッスンのことです。

ある女の子が、次のような読み違えをしました。


○ 「年越しそば」 → × 「今年そば」
○ 「家族」 → × 「家庭科」


この子の読みは、逐次読みではなくスラスラ読みですが、よくよく聞いているとこうしたエラーが時々見受けられます。

一文字一文字を、精査に音声化しようとしているのではなく、かたまりをみて「あ」を見たら「ありがとう」、「す」と見たら「すみません」と、理解言語から単語を引っ張り出して読んでいるのです。


この日、この子が漢字練習をしているときに、以下のようなミスもありました。

「暖」という文字を書く際に、「日」(ひへん)が、「月」(つきへん)になっているのです。

つまり、文字を書くときにも、微細な形を見ているのではなく、アバウトに「これはつきへん」と認知して、それを書字化するという処理をおこなっているのです。

もしも、継次処理優位傾向の子どもが、こういうメカニズムで、認知から書字までの処理を行っているのだとしたら、どこにどんな支援を入れて、どこを達成させて、何を磨き上げていくか、レッスンの方略も明確になっていきます。


こうした処理は、子どもによって違うし、題材によっても違うし、その育ちの過程の中でも様々に変化していきます。

そのプロセスが明確に見てとれると、教材の意義も、支援の内容も、育ちの中身も、より充実していくというものです。


この女の子は、来春には中学生になり、新しい学びのステージに立つことになります。

だからこそ、私は、今共有しているこの学びのフィールドがら目を離すことなく、フレームをきっちりキープしていこうと考えています。

フレームが同じだからこそ、内容を充実させたり、発展させたりすることに力が注げるわけです。


それが、支援者としての、私のなすべき道、

この子と進んでいく言語の道には、いったいどんな花が咲いていくのでしょうか?

そのことが、私には、何よりの楽しみとなっているのです。





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言葉は出る

 2013-12-06
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昨日のことです、

主任さんが、目を真っ赤にしながら、私にこんな報告をしてくれました。


「グループレッスンの場面で、1年生の男の子の表出言語が、この頃みるみるクリアに、そして豊かになっている」

「懸命に伝えようとする姿、そして心通じ合うその瞬間に、あふれる思いと感動を、押さえることができない・・」


就学前の2年間は、週1回、私がマンツーマンレッスンを担当させてもらっていました。

お母さんはお仕事をされていましたが、どんなに仕事が忙しくても、レッスンをお休みにされることはありませんでした。

どうしても都合のつかないときなどには、仕事のやり繰りをつけ、私のスケジュールに合わせてくださり、必ず振り替えをしてくださっていました。


レッスンを重ねるたびに、理解言語やノンバーバルなコミュニケーションは確実に豊かになり、微細な運動刺激も積み重ね、運動機能の面からみても、かなり整っていました、

これまでも、何人か似たような言語の育ちをしてきた子どもと出会ってきました、

その子たちはみんな、就学後に表出言語の爆発期を迎え、目に見えて大きく育つ時期を一緒に見つめてきました、


「きっと、きっと、この子もいつかその時期がくると確信しています」

「これまでの子どもたちの例からしても、それはきっと、お友達とのリアルなコミュニケーションの機会が豊かになる、就学後しばらく経っての時期になることが多いようです」

いつだったか、私は、お母さんにそうお伝えした日のことを、私は、今でもはっきりと覚えています。


ついに来たか~

私の胸に、何ともいえない大きなものが、心の中にいっきに流れ込んでくるような気持ちになりました。


私のマンツーマンレッスンは、ずっと、この日この瞬間を目指して積み重ねてきました。

そのことを信じて、雨の日も、雪の日も、1週たりとも休まず、ずっと私のところにこの子を連れてきてくださったお母さん、

すべての扉は、このお母さんの深い愛情と強い心が、押し開いていった、

私は、そのお母さんの気持ちを支えていたに過ぎないのです。


児童発達支援の事業は、定員を倍増したにもかかわらず、連日キャンセル待ちの大盛況の状況になってきました、

発足当時の経営の苦しさを思えば、夢のようです、

こうした保護者の厚い信頼を受けるまでになった最大の功績は、この主任さんの、教育者としての誇りと使命感、そして子どもたちへの深い愛情にによるところが大きいと考えています。


子どもの成長には、友だちとのかかわり、人とのかかわりは必要不可欠、

それがあってこそ、初めて、専門性や個別の支援は生きる、

分離するだけでは、子どもは決して育たない、


これからも私は、実践事例を通して、このことをずっと伝え続けようと願っているのです。







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子どもを変える深い決心

 2013-11-01
私のところには、高等部の子ども通ってくれています。

今年から高等部に通い始めた男の子は、小学校卒業してから、ずっと通い続けてくれています。

毎週火曜日、高等部から福祉タクシーに乗って来てくれていますが、いつも笑顔一杯、この子といるだけで、私の方が元気になってしまいます。


この子、大変達成動機の高い子ですが、それゆえに、細かい部分、例えば漢字の書字の時、止めのコントロールなどが、なかなかうまく行かないことがありました。

ところが、このところ、微細な手指の巧緻性が高まり、急にその部分に改善が見られ始めました。


これまでも、3年・5年と、多くの子どもの育ちに寄り添って来ましたが、子どもが化ける時は、いつもこんな感じで、ある日突然、急に改善されていくのです。

おそらくは、今回も、書字にかかわる脳内ネットワークが、何かのタイミングで、ぐるんと繋がっていったに違いありません。


ていねいに、ていねいに畑を耕し、水をやり、肥料をまいても、土の中は見えませんし、種の中がどんなに膨らんでいるのかも、見えません。

ですが、蒔かぬ種は生えませんし、打たぬ矢は当たりません。

そこに、子どもの成長を信じて、3年5年と積み上げていくことの大切さと、むずかしさがあるのです。


半年間位、死にものぐるいで頑張ることは、案外、誰にでもできることです。

ですが、むしろ、成果の見えない時をして、3年5年と積み上げることには、相当の決断と深い決心が必要です。

その深い営みこそが、結局は子どもを変える。


私は、これまで、幾人となく大変身した子どもの成長を見届けてきました。

でも、感動するのは、たった1日、

独立歩行を獲得した子どもは、翌日には、また、その子は次の目標に向かって歩き始めるのです。

教育とは、そういう営み、


その育ちの最前線で、日々子どもの成長と向き合っていけること、そのことを、私は幸せと呼ぶのだと考えているのです。



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コミュニケーションを高めるための レキシコン(心内辞書)の精度

 2013-10-03
心が通じ合うまでは、表出言語の少ない子と、コミュニケーションを図るのは大変です。

なかなか思うように行かず、ギクシャクすることもしばしばです。

その子の思いをうまくキャッチしてやることができず、物を投げるなど、あまり適切でない表現をさせてしまうこともあります。

ですが、これは一時的なものに過ぎないと、私はとらえています。


でも、通い合っていまえば、心が通じ合ってしまえば、非言語の子とのレッスンは、そりゃ楽しいものです、

口ばっかりの子より、よっぽど深いレベルのコミュニケーションが図れます。

大げさに言えば、パラダイスのような楽しいレッスンの時間を過ごすことができるのです。


活動の文脈の中で見せる表情や仕草は、言葉以上に大切なものを私に伝えます、

言語を媒介としない分、ダイレクトにその手応えを感じることができるのです。


その表情や行動を読み解き、子どもの内言語をキャッチするするためには、それを言語化(翻訳)するためのレキシコン(心内辞書)の性能が重要です。

例えば、活動の流れの中で、左の方向を指さしたら、「次はカード学習がやりたい」 と読み解いたり、右の方向を見たら、「次はお買い物のロールプレイをやってみたい」と、分かってやらなければなりません。


先日、ある4歳の女の子とのレッスンがありました。

毎週通ってくれている女の子です。

表出言語のほとんど見られない子です、


初めてレッスンを始めた頃は、なかなか行動が安定しませんでした、

ですが、今では、この子の行動や表情の読み解きが、大きくずれることはほとんどありません、

それどころか、その子の気持ちや思いが手にとるようにわかるし、私の願いや思いも、本当にダイレクトにこの子の心の中に届いて行きます。


以前は、40分のレッスンをこなすには、相当の気合いや工夫が必要でしたが、今では流れるように活動が展開し、通じ合い、通い合いながら、あっという間にレッスンの時間が終了していきます。

それはそれは、支援者として、達成感のある時間を過ごすことができます。


はじめに苦労した子ほど、その後に心を寄せるというのは、もはや当たり前のことになってしまいました、

「オレの所に来る子は、本当にかわいいんよ」

SHINOBU先生は、いつも同じことしか言わないと、行きつけの美容師さんに笑われてしまいました。


心が通じ合うということは、子どもの自尊心を高めることにつながると、私は信じています、

私のレッスンの極意の一つがここにあります、


子どもと心を通じ合わせるための、心内辞書の精度を高めること。

子どもの発信しているメッセージをきちんとキャッチし、応答的なやりとりそのものをを深めていくことことこそが、言語・コミュニケーション指導の王道だと、私は考えています。


心通い合うレッスン以上に、私の使命感や誇り、そしてモチベーションそのものを高めるものは、決して他にはないのです。




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コミュニケーションレベルと自己肯定感との深い相関

 2013-09-23
脳には、大脳辺縁系という部分があって、睡眠だとか、食欲だことか、人間が生きるうえでの基本部分をコントロールしています。

その大脳辺縁系の大切な機能の一つに、集団への所属欲求があります。

それだけ、人間というのは、他とのかかわりなくしては、生きてはいけない存在であることを意味しています。


言語が、コミュニケーションや思考に果たす役割には、計り知れないものがあります。

人は、言語によって、たくさんの大切な内容を伝え合うことができるのです。


言語は、コミュニケーションや思考の最も大切なツールではありますが、言語がなければコミュニケーションが成立しないのかといえば、その答えはNOになります。

例えば、表出言語が少ない子ほど、人の気持ちを受け止める感性が鋭くなっていることは、このブログの実践を通して、何度もお伝えした通りです。

伊達政宗の隻眼は、物を見ることができない代わりに、人の心を、誰よりも鋭く見ることができていました、

コミュニケーションには、言語に置き換えられる内容と、そうではない内容とがあり、言語性の豊かな子は、非言語の内容が伝わりにくいため、逆に生活の中でのトラブルに苦しむケースに、私はこれまで何度も遭遇してきました。


心が通い合うということは、自分が生存するということと、ダイレクトにつながっているのです。

コミュニケートができるということは、その存在を受け入れたり、自分の生きている意味を確かめているのと同じことだと、私は考えているのです。


昨日も、高知から、一人の男の子が来てくれました。

どちらかというと、マイナス行動の連発の子ですが、何故だか私はこの子が好きでたまらない、

だからこそ、この子は、その気持ちが本物がどうかを、何度も何度も試してきます、

もちろん、望ましくない行動を容認しているわけではありませんから、そこは厳しく叱ります、

でも、その真剣な眼差しや、厳しい口調の中を通して、心の芯にある私の深い愛情を、この子はダイレクトに感じ取っているのです。

コミュニケーションとは、そういうことです。


また来てね、

笑顔で見送る私の言葉に、その子は何を感じ取ったのでしょうか?


今日は、大阪

この3連休で、30近いレッスン、

真剣勝負のレッスンを、一つでも多く積み上げて、誰にもまねのできない独自の個別指導のスタイルを作り上げていきたい、


体調は、今日もほぼベストに近い状態で、大阪にのぞむことができます。

今日は、どんな子どもたちの笑顔に出会えることでしょう、

子どもたちに出会えることでこそ、私は、自分が生きている意味をしっかりと感じ取ることができるのです。



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これぞ個別指導のダイナミズム (作文指導の実践より)

 2013-09-18
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土曜日に、2年生の男の子のレッスンがありました。

その子と、作文の構想を一緒に考える学習を構成してみました。


いざ、文章を書こうと思っても、何をどう書いたらいいか分かりにくお子さんもいます。

私はこれまで、子どもの文字言語と理解言語との間に大きな乖離がある場合、そこに適切な支援を入れながら言語感覚を養い、レディネスが整った時点で、その接点をつないでいく学習を大切にしてきました。


小学校の教員時代にも、作文の指導は何度も行ってきましたが、さすがに40人学級ともなると、なかなかそれぞれの子の内容に寄り添ってやることができませんでした、

でも、個別指導ならその夢が叶う、

まさに、この日のレッスンは、私の小さな夢を叶える時間となったのです。


「この子、こんなこと覚えていたんですね~」

それが、バレンタインで作ったチョコレートのことだと分かり、お母さんの顔が、いっぺんに笑顔で包まれました。


作文メモを構成していく中で、この子の思いが、みるみる広がっていくのを、私はしっかりと感じ取ることができました。

そのことが苦手であればあるほど、できるようになれば、喜びもひとしおというものです。


だからこそ、時には行き届いた支援を入れて、段階的にそれをフェードアウトしていく、

その間に、基本的なその周辺領域の力を、たっぷりとつけてやる、

これが、私の目指す、個別指導の一つのスタイルであるわけです。


こんな時間は、本当に楽しい、

子どもの笑顔さえあれば、私は、どんな困難にも立ち向かっていける、

子どもたちといっしょに、もっともっと可能性幅を広げることができたら、どんなにすてきなことでしょう、

私たちのチャレンジは、これからも、ずっとずっと続いていくのです。





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継次処理タイプの子の書字エラーとその対応

 2013-08-08
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上の画像は、先日のレッスンで、ある女の子に見られた実際のエラーです。

Aは、「品」という感じですが、「口」が一つ多くなっています。

Bは、「配」という字のつくりの部分が、「弓」なってしまっています。

Cは、「非」という文字の棒が1本多く、はらいの部分も正しく認知できていません。


これらは、継次処理優位タイプのお子さんに見られる典型的なエラーだと思っています・

この子の場合は、漢字を見て、個々のパーツをあまり形として認知しない処理様式です。

例えば、「配」 の 「己」 の部分を見て、「弓」という言葉に置き換えて処理しているわけです。

だから、作品の 「口」 が4個になったり、「非」 の横棒が4本になったりします。


逆に同時処理タイプの子の漢字の処理も、また独特です。

継次処理タイプの子には、書き順重視の傾向が見られますが、同時処理タイプの子は、まるでスケッチをしているかのように、漢字を書いていきます。

スケッチの時には、幹から描く人もいれば、枝から描く人もいるでしょう。

それと同じように、同時処理タイプの子の中には、漢字を下から書いていく子もいますが、そういう子には、今回のABCのようなタイプのエラーは見られません。

つまり、同じ漢字の書字といっても、処理様式が全く異なっているのです。


作品の「品」という字を確かめてみようか?

「口」という字が、何個あるかな?

そう、3個だね、じゃあどこを直せばいいの?


「弓」という字と、「己」という字を書いてみたよ、

さあ、どこが違うかわかるかな?

そう、その通り、

じゃあ、「配る」という字は、どう直したらいいのかな?

私は、そんなふうな補助発問をして、子どもにエラーをとらえさせていきました。


同じ書字のエラーといっても、そのメカニズムが明確になれば、打つ手も自ずから変わってきます。

こういうアシストが、ぴたっと決まるときにこそ、個物指導の醍醐味を感じることができます。


その子の特性を理解しながら、様々な方法で、問題解決の力を段階的に育てていくこと、

その手順も、教材も、アプローチーも、多種多様です。


だからこそ私は、ご縁があって出会った子どもたちの、1回1回のレッスンに、いつも全力投球で取り組める自分であり続けたいと願っているのです。







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ひらがなが読めるようになる瞬間

 2013-06-26
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今年、小学1年生になった男の子がいます。

就学前から、ずっと週1の個別サポートをさせていただいていました。


いつも元気いっぱい、笑顔のステキな男の子です。

言語による応答的なやりとりが豊かにでき、数もちゃんと数えることができます。

なぞり書きとかも、とても上手にできていました。


そんな彼ですが、なかなかひらがなを読むことができない期間がありました。

理解言語も、聴覚性の言語も豊かに育っている、

文字言語を認知し、音声化したり、理解言語のベースに乗せるところだけ、苦手だったわけです。


この先、この子に、言語に関連する様々な感覚が育っていけば、ほどなくこの子は、ひらがなが読めるようになるに違いない、

ならば、その苦手な部分にだけ支援を入れながら、言語にかかわる各種感覚を、達成感をもたせながら楽しく構成してやろう、

それが、私の立てた支援計画の柱であり、支援者としての私のなすべき役割だと決めていました。


昨日、その男の子のレッスンがありました。

絵とひらがなのカードとを対応させるプリントをさせてみました。


先週までは、絵を見なければ、「ぞう」 を 「ぞう」 と読めなかったはずです。

ところが、今週来てみると、少し間違えることはあるものの、その大部分を自分の力で読むことができるようになっていたのです。


言語表出についても、読字にしても、出来るとき、分かるときは、いつもこんな感じです。

ターゲットとなっている行動に向かって、様々な感覚のニューロンやシナップスがニョキニョキと育っていく、

そして一定の段階で、それらがある日突然ぐるっと統合化され、目標実現のための有機的なネットワークが構成されていく、

当たっているかどうかは別として、私はいつもそんなイメージで、レッスンを積み重ねているのです。


字が読めるようになったら、学習の幅は、格段に広がっていきます、

本当におめでとう、


私の果たした役割は、きっとほんの少しにしか過ぎませんが、この日が来るのを信じて、ずっと一緒に歩んできたのは事実です。

記録を見ると、2010年の5月からレッスンをさせていただき、その間個別サポートも含めると、この日までに約170回のレッスンをさせていただきました。

文字が読める、

それは私たちにとっての大目標の一つであったわけで、その目標に向かって、一つずつのレッスンを積み重ねてこられたことを、とてもうれしく思います。


言葉の海を、自由に泳ぎ回れる子に育てたい、

そのために積み重ねていく大切な1回のレッスン、

その小さな一歩の向かう先を、自信をもって、笑顔で、しっかり精査していくこと、

支援者としての力量は、きっとそういうことに集約されていくに違いありません。


この子と歩んできた道のりこそが、私にとっても何よりの宝物となったのです。




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非言語の子どもの ステキな感性

 2013-06-23
私の教室には、表出言語のほとんど見られない子もいます。

また、他の人が聞いたら、まったく意味のない言葉を、しゃべり続けているようにしか見られない子もいます。


このように、いわゆるアウトプットが苦手なタイプの子には、内言語・理解言語が育っていないかと言えば、その答えは 「NO」 と言わざるを得ません。

むしろ、アウトプットが苦手な分だけ、心の中の感性がとても豊かで美しい場合が多いと、私は思っています。


いつだったか、ノートルダムの青山先生と、居酒屋にご一緒した時、この話で、えらく共感した思い出があります。

子どもの心に寄り添う実践者なら、多かれ少なかれ、みんな同じような思いをもっているはずだとも思っています。


今日は、中学生のとも君のレッスンがありました。

小学校のときからのレッスンですから、もう4年以上にもなるでしょうか?


とも君は、以前は、教室に入ると、なかなか学習席に着席できない時期がありました。

肩をもって、学習席へ導こうとすると、ぐっと踏ん張ったりして、なかなか動こうとしません。


でも私は、この子が学習自体を嫌がっているのではないことは、分かっていました。

一度、学習席に着いたこの子が、離席したり、学習そのものの抵抗感を示したりしたことは、一度もないのです。


学習席に着こうとしないとも君に、私は、ありったけの笑顔でやさしく語りかけます。


最近よく雨がふるね~

もうプールは始まったの?

疲れていないかい?

学校は楽しい?

困ったことはないの?


言語表出はありませんが、とも君は、いつもやさしい顔をして、私の言葉に耳を傾けてくれます、

言葉の一つ一つが、彼の心にしったりと届いていくのがわかります。


今日もよく来てくれたね、

そう言って、彼の肩にやさしく手を添えると、体は自然に学習席の方へ動いて行きます。

百万の言葉に代わる、おだやかな彼の気持ちが、ゆっくりと私の心に流れ込んでくるように感じます。


これぞまさに、ノンバーバルコミュニケーション、

誰よりも深い信頼の気持ちを、私は彼の肩に添えた指先から、感じることができるのです。


彼は、私にやさしい言葉をかけてほしかったのです、

学習席に行かず、足を踏ん張っていたのは、そういうメッセージであったわけです。


たとえ高邁な理論を身につけ、難解な言葉を操ることができたとしても、こういうメッセージがキャッチできない支援者がいたとしたら、コミュニケーションレベルといった観点からは、子どもより、支援者の方の感性がにぶいとしか言いようがありません。

論理で動く者ほど、感性が鈍くなるというのも、ある意味真実です。


行動面でうまく行っていないケースをよくよく見れば、それが子どもだけの問題でないことがほとんどです。

うまく行かないことを、それをすべて子どもの障がいのせいと、転嫁してしまうようなことがあってはいけません。

人の行動は、すべてつながりの中で動き、決定づけられていくのです。


「先生のおかげでこの子はここまで来られました」

そんなお言葉をいただくこともありますが、私は、お子様の成長を、ただただ確かめさせていただいたに過ぎません、

ご家族の深い愛情と、たくさんの先生方のお力、そして何より本人の努力があればこそ、この子はここまで育ってきたのです。


言語優位の私は、自分の感情理解のアンテナが、相当に鈍いことを自覚しています。

だからこそ、レッスン中は、短いアンテナを、いつも全方位でフル回転させているのです。

私は、こういうやり方で、自分の欠点を補おうとしているのです。

欠点のある私だからこそ、こういうことができるようになってきたのです。


行動の背景にある、子どものピュアな感性を心の底から信じているかどうか?

とも君が、確かめたかったのは、そんなことではなかったかと、私は思っているのです。








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ロールプレイから 言語表出を引っ張り出す

 2013-05-31
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言語はツール、

先に伝えたい気持ちと内容がなければ、言語のレッスンは決して発展しない、

私の言語・コミュニケーション指導の基本スタンスです。


そのための関係づくり、

内容の共有化、

逆に言えば、そこがきちんと構成できれば、向かう先は必ず見えてくる、

体験を通して身につけてきた、私のレッスンのスタイルがそこにあります。


先日、4歳の男の子のレッスンがありました。

定番の活動を少し続けたあと、この子は、「もしもしアンパンマン」 の教材を要求してきました。


この教室にやって来る時、それぞれの子には、それぞれの学びや育ちのストーリーがあるのです。

保育園で、ごっこ遊びが楽しかった子は、そのごっこ遊びのイメージを、おうちで絵本が楽しかった子は、その楽しい気持ちをキープしながら、この教室にやってくるのです。


マンツーマンレッスンでは、それをキャッチし、今、その子にとって旬の素材を、ライブで提供することができる。

そのためには、ねらいの軸をぶらさないことと、どんな展開になっても軌道修正ができるだけの、力量と経験とが不可欠です。


「とりさん、どこ?」

そういって、私がアンパンマンの電話機をのぞき込むと、その子は、ゲラゲラと笑い出します、

きっと、受話器の中にとりさんが、いると思ったのでしょう、

そのことに、私が共感していることが、うれしくてたまらないのです。


「かえる」 「わんわん」 「かして」 「こわい」 「お~い、バイキンマン」 「もう1回」 ・・・

ロールプレイから、次から次へと、これまでとは比較にならない程、たくさんの言語をひっぱり出すことが出来ました。


与えられた40分の間、一度も意識が切れることなく、笑い声のとぎれない楽しいレッスン、

私にとっては、胸のすくような、まさに会心の手応えといったところです。


私程度の力量では、ライブのレッスンともなると、思い通りの展開にならず、時には、ぼろぼろになることもめずらしくありません。

でも、一度こうした本物の手応えを感じてしまうと、もう冷凍物の魚は食べられません。

個別指導の看板をあげたからには、たとえどんな小さくとも、いつも新鮮な魚をさばき続ける自分でいたい、

私は、子どもと心を通じ合わせることから、言語の扉をこじ開けていきたいのです。


それが、私の目指すやり方、

それが、私の夢であり、目的、

すべては、肯定的な自己理解の力を、子どもに育てていくため、


ご家族の信託を受け、そうしたフィールドに立たせていただけることを、何よりの幸せと、私は感じているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2013-06-01)





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気がつけば いつの間にかスラスラ読みに

 2013-05-29
「わ・た・し・は、き・の・う・・・・」

一文字一文字を区切って読み、なかなか文章のまとまりとしてとらえにくい、いわゆる逐次読み傾向の子に、私はこれまでたくさん出会ってきました。


小学校4年生の時、逐次読みだった友里ちゃんは、中学に入る頃には、読みにくい漢字にルビをふるなど、ていねいな支援さえすれば、標準の中学校の国語の教科書がスラスラ読めるまでに成長しました。

あの友里ちゃんを、ここまで引き上げたという実践は、その後の私に、明確な方略をしっかりと示唆することになりました。

3年あれば、条件さえ揃えば、大抵の子なら、いつかはスラスラ読みで、物語の世界の扉を開けることができる、

大変おこがましい言い方ですが、今では、それに近い自信みたいなものを、感じるまでになりました。


りんちゃんは、6年生になりましたが、今では4年生の頃がうそのように、地の文も、問題文もスラスラ読み、生活文の読解問題を、得意満々で自利解決できるようになりました。

しんちゃんも、ひろ君も、昨年までは一文字一文字鉛筆でしるしを付けながら読んでいたのが、なつかしい思い出のようになってしまいました。


「読む」 は、教科学習の基本中の基本、

そのことから、文化の扉を開け、その限りなく広く続く海を、心ゆくまで泳がせてみたい、

それが、私の願いであり、目的であるのです。


いつも 「プリント減らして、減らして」 と私に懇願するひろくん、

でも、いつも決められた量を仕上げてうれしそうな表情を浮かべるときの、君の横顔を見るのが、先生には何よりの喜びです。


「もう先生には、教えることがなくなったよ、降参~、おめでとう、君はもう卒業です!」


いつの日か、そんな日が来るのを楽しみにしながら・・・

でも、本当は、こうやって毎日一緒にプリントをする時間が、実はどんなことより大切なことを、君も知っているんだよね、


気がつけばいつの間にかスラスラ読みに~

そのプロセスを、君と歩む旅路そのものが、先生には何よりの宝物なのです。





この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2013-05-30)





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絵本でつくる言語の感覚

 2013-05-26
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最近私は、言語の指導の際に、絵本を使う機会が増えてきました。

私は、元々が小学校の教員だったので、教材の中心には、これまでいつも教科書を据えていました。


長年幼児教育に携わり、絵本による実践を積み重ねて来られた方なら、当然ご存知のことでも、私にはとても新鮮で興味深いものも多いのです。


例えば、手指の巧緻性の育ちがこれからの子で、ページがペラペラとうまくめくりにくい子どもには、厚手の段ボールのページがうまくつながっており、簡単に自分でページをめくることができるような工夫がされています。

やっとひらがなを文字として認知でき始めた子には、「がたんごとん」 など繰り返しの言葉を使いながら、内言語と文字言語がつながっていくような工夫がされています。

このようにして子どもは、絵本を通して文字を習得していくものかと、毎日の子どもの成長を目の当たりにしながら、胸がときめくような思いになることもあります。


絶対音感、運動神経、基本的な信頼感、そして言語感覚・・

幼い頃の記憶はやがて遠ざかっていきますが、だからこそ、その時期に培った感覚は、いつまでも心の根元に息づいているのです。


絵本を通して、子どもは未知の世界を知り、そこに通う愛情を一身に受けながら、大切なものをいっぱい心の中にしみわたらせていくのでしょうか?

絵本は、そのための大切なツール、

子どもの成長を真摯に願う母の気持ちが、そこにある絵本に、手を差しのべていくのです。



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通じ合う心とノンバーバルコミュニケーション

 2013-05-22
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今からもう、10年近く前になるでしょうか?

私は、英会話のNOVAに足繁く通った時期があります。

私の英語は、今でも大した事はありませんが、当時は全くのビギナーで、超初心者クラス(小学生レベル)からのスタートでした。


その時に、確かアメリカ人の先生だったと思いますが、おなかに7ヶ月の赤ちゃんがいる先生がいました。

当時のNOVAは、先生と生徒が1対3の割合でしたが、たまたま他の生徒さんのキャンセルが重なり、その先生とマンツーマンのレッスンになったことがありました。


で、その時、その先生は、持っていたテキストをパタリと閉じて、私の目を見ながら色々と尋ねてくださいました。

仕事のこと、家族のこと、趣味のこと、そしてこれから自分が歩もうとしている夢のこと・・


超初心者の私は、身振り手振りで、必死になってその先生に自分のことを伝えようとしました。

すると、その先生は、私の非言語のオーラをくみ取って、それを優しい単語の英語に置き換えて、私に返してくださいました。

「SHINOBUは、自分の仕事に夢と誇りをもって取り組んでいるのね、その大切なことにふれられて、私は本当にうれしい」

先生がそう、私に伝えてくださったとき私は、初めて外国の方と心がつながった感動で、胸がいっぱいになったことを、今でも鮮やかに覚えています。


NOVAでは、7B(初心者クラスのBランク)からスタートした私でしたが、結局レベル4(上級者クラスのCランク)まで、5段階もレベルアップすることができました。

もしも、あの日あの時、あの先生との感動のレッスンがなかったら、きっと私は、こんなふうにNOVAでのレッスンを続けることだきなかったと思っています。



きのう、ある4歳の女の子のレッスンがありました。

言語によるコミュニケーションは、苦手なタイプの女の子です。


ところが、最近になって、この子とのレッスンが、めっちゃ楽しい、

レッスンの日がくるのが、待ち遠しいくらいです。


絵カード、絵本、紙芝居、ロールプレイ・・

私には、この子がどの活動を楽しみにしているかが、手にとるようにわかります。

なので、この子が、次にどの活動がしたいのかが、かなり正確な確率でキャッチできるようになったのです。


「次は紙芝居みようか?」

女の子は、にっこりとほほえみます。

ここでレッスンを始めた頃の、固い表情は、もうどこかにふっとんでしまったようです。


「次は、これ?」

「は~い」

そう言って、その子は大きく手をあげます。


「は~い」って???(驚)

今、ちゃんと言語で応答した!!!(感動)


伝えたい中身を共有することが先にあれば、テクニカルな事は必ず後からついてくる、

それが、私のコミュニケートの指導の基本スタンスではありますが、こんなに突然、ずっと願っていたその時が訪れるなんて・・

これだから、個別指導はやめられません、

レッスンが終わると、その子は、迎えに来られたお父さんに手をひかれ、バイバイと手を振って笑顔で教室を後にしました。


「幼稚園から別の所へ連れていこうとすると、この子は必ず嫌がります。ですが、SHINOBU先生の所に行くよ~とひとこと言うと、活動をやめてさっと車に乗り込みます。」

「娘が心を開いているのは、家族とSHINOBU先生のみです。」

「他のお子さんにも、他者とのコミュニケーションをする事の喜びや素晴らしさを少しでも体験させてやりたいと思っています。経験と知識の引き出しをたくさん持っておられるSHINOBU先生に、少しでも伸びる可能性を引き出していただきたいと思っています。」


お母さんから、そんなお話を伝えていただくと、ますますもって、レッスンの時間が楽しみになるというものです♪


職員ともよく話すことですが、行動にしても、コミュニケーションにしても、最初苦労した子ほど、そのつながりは深く、本物になって行きます。

要は、深い愛情と信念、そしてどんなことがあっても逃げない覚悟があるかどうか?

そしてそれが、本物であるかどうかは、必ず結果として表れてきます。


コミュニケーションとは、インタラクティブ(双方向)のものであり、筋書きのないライブで、生きた気持ちの中から、通じ合うものです。

表出言語が少ない子ほど、人の気持ちには敏感なのは、当然と言えば当然のことです。


通じ合う心から広がっていく、ツールとしての言語の機能

「は~い」

そう言って大きく手をあげてくれたこの子の笑顔こそ、言語・コミュニケーション指導の大切なところを、しっかりと私に伝えてくれているのです。




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音韻ルートと文字ルート

 2013-05-20
昨日、SKYPE を利用して、英語のレッスンを受けました。


以前、お願いしていたカナダの先生は、お母様がご病気となり、現在はお休みをされています。

今は、アメリカ在住の日本人 AYUMI 先生が、担当してくださっています。

私がレッスンに行かせていただいている大阪堺市のご出身で、私のニーズをしっかりと受け止めてくださり、とてもていねいなレッスンをしてくださっています。


昨日のレッスンのことです。

相互が日常生活の事について伝え合った後に、先生が、簡単なリーディング問題を提示してくださいました。


私、英語の場合、以前に徹底的にリスニングに取り組んだ時期があり、日本人にはめずらしく、どちらかというとリスニングが得意なタイプなのです。

その私が、簡単な英文を読んでみると、音声化するのに精一杯、

でも、その内容がちっとも頭にイメージ化されないのです。


私は、子どもの読解指導を、毎日10人近く行っています。

そうした子どもたちのレッスンで、似たような場面を何度も目の当たりにしてきました。


同じ言葉でも、聞いて理解する音韻ルートと、文字を見てそれを認知する文字ルートのメカニズムは、それぞれに異なっています。

その2つのルートが、双方向に、瞬時に相互に機能することによって、言語感覚はより豊かに育っていくわけです。


昨日のレッスンの途中で、こりゃダメだと思った私は、あえて深呼吸をし、もう一度その文章を眺めてみました。

そして、その文字をゆっくりと心の中で内言語化して、理解のベースに流し込むように読んでみました。

こうするだけで、全然違う、

大げさに言えば、取り入れた文字が、心の中で躍り出すように感じる瞬間なのでありました。


そういえば、以前、友里ちゃんが、それまでは文字を読むだけで何の反応も示さなかったのに、ある日突然、物語を読んでゲラゲラと笑い始めた日があります。

あの日、友里ちゃんがつながったパイプは、まさにきっとこのようなものであったと思われるのです。


もしもその子のつまずきのメカニズムが明確に理解できたならば、支援の方略も、自ずから明らかになっていくというものです。


私、以前は英語のリスニングが、一番の苦手だったのです。

でも、何百というレッスンを重ねて、今では、そのリスニングの方が得意になってしまったのです。


英語のレッスンを始めてもう、かれこれもう10年以上になります。

いつまでたってもビギナーのままですが、私はきっと、ずっと英語のレッスンを受け続けると思います。


苦手なリーディングのクリア、

その小さな希望の道筋が、目の前に見えてきているのです。


少し時間がかかるかも知れませんが、子どもの場合、その可能性は無限です。

可能性を信じない所には、教育は成立しません。


そこに向かって歩む道のりは、決して無意味なものではないのですから、





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支援をつなげていく責務

 2013-04-09
先週土曜日に、愛知県から、新3年生の男の子が来てくれました。

事前に、お母さんの方から、詳しい資料をいただいていました。

この日は、午前中に保育園の入園式、午後からは新入職員の歓迎会があり、それが終わってからの遅い時刻からのレッスンのご案内となりました。


お車でお越しいただいたということでしたので、きっとかなりの長旅だったことでしょう、

ですが、教室に入るとその子はすぐに着席し、ご両親に見守られながら学習を始めました。


事前にお母さんから詳しい資料をいただいていました。

私は、その資料に目を通すと、すぐにそのお子さんに今、どんなことが起こっているのか?

どうして愛知県の方が、わざわざ岡山までお越しくださることを決意されたのかが、伝わってくるような気持ちになりました。


初めてここに来てくれた小学校3年生の男の子は、すこし緊張気味ではありましたが、、最後まで、精一杯学習に取り組んでくれました。


この感じ、

何年か前に、初めてここに来てくれた子と、どこか共通するものがある・・


私には、同じような課題に立ち向かって来た多くの子との、数年間の実践の歩みがあります。

私たちの目の前には、ここから続くであろう、3年・5年の学びの道筋が、遠くまでつながって見えているのです。


その大切な一歩、

行く先に光があることを、私は微塵も疑っていないのです、


あなたの先輩たちが歩んだ貴重な道のりを、私は生涯忘れることはありません、

そのことをつなげていくのが、私の責務、


あなたの育ちの一つ一つが、あとに続く子のし幸せにつながっていくことを、

これからも私は、しっかりと見つめていきたいと願っているのです。






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花子ちゃんに見る 書字改善の軌跡

 2013-03-23
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花子ちゃんのお母さんからご相談をいただいたのは、今から5年以上も前、花子ちゃんが1年生の時でした。

(その日のブログ → http://shinobu1.blog117.fc2.com/blog-entry-12.html) 



参観日に、お母さんと一緒に学校での勉強の様子を見に行った日のことを覚えています。

「読んで、書いて、数えて・・ この子に、何としても、日常生活に困らない程度の学力を身につけさせたい」

その言葉を、今でも忘れることができません。


「みんなと一緒に、漢字ドリルの勉強をしたい」

2年生の時に、花子ちゃんは、私にそんなふうに伝えました。

当時は、ひらがなの 「ら」 という字、そして数字の 「9」 も正しく書くことができにくい状態でした。


その花子ちゃんが、今週、小学校の卒業式を迎えました。

5年生の時の途中までは、「ら」 も 「9」 も、大きな改善は見られませんでした。


ところが、ある日突然、「ら」 も 「9」 も正しく書ける日がやってきました。

書字にかかわる視覚認知の、脳内ネットワークがつながった瞬間です。


そこから、一気に学びの風景は変わっていきました。

今では、当該学年の新出漢字も、ほぼ正しく書けるようになりました。

2年生の時に私に伝えた小さな夢は、6年生になってやっと叶ったのです。


私は、「黄色のバケツ」(2年)の学習の時に、彼女の理解言語の豊かさにふれました。

微細な文字認知は苦手だけど、手指の巧緻性もこれからの課題だけれど、その分、音声言語・聴覚性言語の力が育っている、

ならば、そこに支援を入れて長所を伸ばし、達成感をもたせながら、学習活動を充実・発展させていく。

その営みの中から、多感覚に視覚認知や巧緻性の育てを目指す、

私は、そのようなスタンスで5年間のレッスンを積み上げてきました。

この日の 「海の命」(6年) の学習でも、主題に迫るような大切な内容を、次々に読み取っていくことができました。


本当に色々なことにチャレンジしてきました。

成果が見え始めたのは、花子ちゃんが高学年になってから、

何が良かったのかを、明確に特定することはできませんが、お母さんとの最低限のお約束は果たすことができました。

うれしいことに、中学生になっても私の教室に通ってくれることになりました。


私の個別指導のすべては、花子ちゃんのお母さんとの出会いから始まりました。

この子と出会ってなければ、私は、全く違う人生を歩んでいたかも知れません。


奇跡を起こすには、どんなに先が見えない状態であっても、可能性を信じ、そこを目指して一歩ずつ歩んでいくしかありません。

あきらめるのは自由です。

信じる、信じないも自由です。


「あきらめろというのなら、可能性がないのら、死んだ方がましです」

あの日、私にそう言い切ったのは、このお母さんです。


花子ちゃんをここまで育てたのは、深くて強い母の信念以外にはありえないと、私は思っているのです。



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絵カードから広がる内言語の世界

 2013-02-03
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言葉というものは、不思議なものです。

べらべらしゃべるから、きっとちゃんとわかっているのだろうと思っていると、ただその言葉を使っているというだけで、ちっともイメージがともなっていない場合があります。


「お友達が困っている場合は、どうしたらいいと思いますか?」

「親切に、助けてあげたらいいと思います」


そう言っているだけで、頭の中に、何一つイメージらしきものさえ思い浮かばない子がいます。

言葉が豊かすぎて、映像イメージと結びつにくい子だっているのです。

逆に、言語表出が少なかったり、構音がはっきりしなかったりするため、分かってないだろうと思っていると、本当は、心の中に、驚くほど豊かな内言語が広がっている子もいます。


最近、私は絵カード遊びが、大好きになってきました。

「みかん」 だの 「とけい」 だの 絵カードを見せると、子どもの内言語の世界が垣間見え、そこから豊かにコミュニケートできる術が、身についてきたからです。


「ろうそく」 の絵カードを見せると、多くの子どもは、ふっーと息を吹きかける動作をします。

お誕生日ケーキの上のろうそくが、即座にイメージ化されるからです。

「バッピバースデー トゥユー」 と歌ってやれば、一緒に手をたたいてくれます。

そんな活動をしばらく続けていると、思わぬところで、その子との豊かな言語の接点を発見することもしばしばです。


共有する中身があって、伝えたい気持ちがあって、はじめてツールとしての言語が意味を深める、

テクニカルな面は大切にしながらも、そこから軸足を絶対に動かさない、

言語指導に対する私の基本的なスタンスがそこにあります。


カードからつながる内言語の世界、

何よりも子どもの笑顔が、そのことを私に伝えてくれるのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2013-02-04)







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こうすれば言葉は出る

 2013-01-10
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ご縁があって、11月から、ある5歳の女の子が来てくれるようになりました。

大変お世話になった別の保育園の園長先生の紹介で、月にグループレッスン8回・マンツーマンレッスン1回のプログラムをご提案させていただきました。


この日が、3回目のマンツーマンレッスンの日になりました。

これまでの2回のレッスンから、認知や内言語の豊かさが、活動の随所から伺えていました。


でも、どこか表情が不安げで、言語表出がみられない、

3回目のレッスンとなる今回、記録を読み返しながら、私には一つの方略が思い浮かんできました。


得意な認知の活動をメインに据え、コミュニケートの活動自体を、あえて要求しない、

そうすればきっと、内発的な言語コミュニケートの場面が生まれてくるはずだ・・


さっそく、活動を始めてみました。

こうなると、リズムや活動の方向感が大切です。

周到な準備をして、立て板に水の如くのレッスンが始まりました。

すごい集中力、

面白いようにこの子は、活動に食いつき始めました。


やっぱり、私の見立てははずれていない、

活動の中盤には、わたしはもう、この日のレッスンの勝利を確信していました。


これまでに構成しなかった、「お買い物ゲーム」 や 「おままごと」 をさせてみました。

少し面食らった表情を見せましたが、ノンバーバルなメッセージはしっかりとつながっているので、この頃から表情に少し変化が見られ始めました。


そして、終盤の 「すうじパズル」 に差し掛かったときです、

「ホラーマン、どこ?」

突然、この子が口を開き始めました。


来たっ、

心の中で、勝利の V サイン、ガッツポーズの瞬間です。

内発性の高い、コミュニケーションツールとしての言語の必要感が生じた瞬間であるわけです。


レッスンが終わった後、いつも送迎をしてくださっているおばあちゃんが、目を丸くして驚かれていました。

「よその療育では、一切口を開かないこの子が、グループレッスンでも、マンツーマンレッスンでも、こんなに生き生きと活動して、信じられない気持ちです」


さあ、しゃべりなさい、

そんなスタンスで、この子が口を開くとは思えません。

子どもにとってにコミュニケーションは、ツールであって、目的そのものではないはずです。

特に、メンタル面でデリケートな子に対しては、そうした理解の視点が重要です。


ホラーマンさん、ありがとう、

君のその頭の形がいつもとってもすてきなので、私とこの子との心が、しっかりとつながりました ♪


それにしても、うちのグループレッスンの担当はさすがです。

いつレッスンを見に行っても、この子、生き生きとした表情で、楽しそうに活動しています。


地元の保育園を休んでまで、月に9回、うちのレッスンを受けに来てくれているのです。

そのご家族の期待には、何としても応えなければなりません。


かれんちゃんと一緒に培ってきたコミュニケーションレッスンのプロセス、

これからも、それぞれの子のあゆみに寄り添いながら、大切な営みを重ねていきたいと思っているのです。






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Author:SHINOBU
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