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インクルージョン教育の中身

 2010-10-18
先日、ある小学校の校長先生にお話を伺う機会がありました。

教育委員会や附属小学校、県の校長会など様々な分野で要職を経験されてきた方ですが、私の今の活動に関心を寄せてくださり、1時間以上色々なことを教えていただきました。

私の機微に触れるような質問を次々にしてくださり、さすが大切な部分をしっかりととらえておられるなと、感じていました。


その中で、私が改めてその大切さに気がついた内容が、2つあります。

1つは、しっかりとした価値のものさしをもって、子どもの存在を育むこと、

もう1つは、インクルージョン教育の中身は一体何か、ということでした。


例えば、2年生だから九九ができるようにとか、何歳だから縄とびが跳べるように、という教育的な目標があったとします。

私は、集団で育てる教育では、こうした目標がとても大切であると思っています。

2年生になって、九九を学ぶ子どもの表情に、自尊心や学ぶ喜びが満ちあふれていた場面に、何度も出会ってきたからです。


私は、可能な限り、こうした場で子どもを学ばせたいと考えています。

そして、出来ればその目標をクリアさせてやりたいと願っているのです。

みんなと共に学ぶことにより、そのモチベーションはうんと高まっていきます。

一人では歩けない道も、みんなと一緒ならがんばれることも多いのです。


しかしそれは、一定の限られた時間の中で、パーフェクトに達成できないこともあるでしょう。

だとしたら、その内容は、すべてが無になったということになるのでしょうか?


すべてがそうだとは言えませんが、一杯一杯になりながらも、懸命に宿題に取り組んだことで、個別指導以上の教育的な効果を上げた事例は、世の中に山ほどあると思っています。

これが、集団で学ぶ魅力の一つであり、教育的な効果の一つであるのです。


他と競うのも、時には大切です。

しかし、その競う観点を、ぜひ集団での育ちに置いてほしいと思うのです。

「俺は90点で、70点のヤツには勝った」 というような、安易な競争原理ばかりを持ち込むと、つかの間の優越感と、いつか必ず訪れる自分への劣等感を煽る結果となります。


誰々ちゃんが漢字テストで初めて合格したことを、クラスみんなで喜び合うことができる、そんな価値観をクラスの中に構成することはできないでしょうか?

相互に教え合い、学び合い、お互いの向上や成長を共に喜べるクラスづくりは出来ないでしょうか?


たまたま足の速い子が揃うクラスもあります。

リレーをすれば、必ずいつも1位になります。

運動会でも結局1位でしたが、3学期になると、そのトロフィーはすっかりほこりをかぶっていました。


逆に少し足の不自由な子がいて、何回やってもいつも5位(ビリ)になるクラスがありました。

そのクラスは、結局、運動会当日も、5位に終わってしまいました。


でも、何故だかそのクラスは、みんな抱き合って喜びあっています。

どうやら、自分たちで決めた目標タイムを大きく上回ったようです。

それは、足が不自由だからと、練習さえも嫌がっていたあの子が、みんなと一緒に練習をして、大幅にタイムが向上したからです。

驚くべきは、上がったのは実はその子のタイムだけでなく、すべての子どものタイムが向上していたというのです。

まさに、奇跡としか言いようがありません。



子どもの意識が変わることによって、先生の的確な指導が、吸い込まれるように子どもに身についていきました。

先生は、知っていました。

もし、この子が運動会に出場しなければ、このクラスが間違いなく1位になれたことを。

そして、それで1位になっても、誰一人として喜ばないことを。


このクラスには、1位のトロフィーはありません。

しかし、そのクラスの文集には、何人もの子が、この運動会の感動を書いていたのです。

クラスの応援旗には、みんなの感動の言葉がつづられ、その先何十年もクラスの宝物として、先生の手で保管され続けるのです。

そして、何度も同窓会が開かれ、当時の思い出が、語られ続けるのです。


このクラスの子は、やはり優秀で、のちにパイロットになった子もいれば、弁護士になった子もいます。でも、同窓会ともなれば、みんなあの日のままの、裸の自分でいられるのです。


インクルードするのは、一体何か?

それは、何もかもを混ぜこぜにすることではありません。

その子の存在を、クラスの大切な一員、地域の大切な一員として受け入れることです。

存在がインクルードされてこそ、個別の行き届いた教育が生きてくるのです。

もしも、存在がインクルードされていなければ、大切な個別指導の時間でさえ、何だか集団から排除されているような疎外感を感じてしまうことがあります。


クラスのみんなは、足の不自由な子がクラスみんなから受け入れられる姿を見て、みんな自分自身の姿を重ね合わせて見ていました。

勉強の苦手な子も、声の小さい子も、その姿を見て、どれだけ勇気づけられていたか知れません。だからこそ、懸命な気持ちで、1本1本のバトンが受け継がれていったのです。


やがてこの子は、養護学校に進学することになります。

パイロットになれなくても、弁護士になれなくても、いつまでもこのクラスの大切なメンバーです。

自分だったらくじけていたかも知れないことを、彼はやり遂げたと、クラスのみんなが思っています。


この子が、このクラスの子ども達の成長に果たした役割は、はかりしれないものがあります。

一つ一つに小さなステップの積み重ねは、大切です。

真剣であればあるほど、そこだけしか見えないことあります。

しかし、 たとえその歩む道は色々であっても、人のねうちを、決して小さなものさしだけで、はかってはいけないのです。



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コメント
リレーの件、いいお話ですね。。

先日、娘の小学校でも運動会がありました。
ダンスが苦手で幼稚園時代から毎年、途中で分からなくなってぼんやり立ち尽くしたり・・だったので、今年は私が内容を覚えて毎日ガッツリ練習しました。
おかげで当日は素晴しい出来で・・・うれしくて泣いてしまいました。

でも実は娘の大成功には影の立役者がいたのです。

同じクラスのN子ちゃん。
ダンスでも大玉ころがしでも娘のペアで、よくリードしてくれていたのですが、前日風邪でお休みしてらしたんです。
不安そうな娘、さらに輪をかけて心配な私だったんですが、
運動会当日は来ていたので娘と胸をなでおろしました。

でもお父さんに話を聞いたら、実はまだ微熱があってお医者様にもお休みを勧められたとの事。
でも、「私がいないと○○(娘)が困るから」と言ってムリして来てくれたようなのです。
幸い、娘とペアの2競技とも午前の早い順番だったので、それが終わってから
早退されてました。

もう、ありがたくてうれしくて余計に泣けました。

いろんな人に支えられて、娘は頑張っていける、私も頑張っていけると
感じた出来事でした。

そんなやさしい気持ちが周りに広がって、クラス全体が包まれたら・・・
きっとクラス全員の子どもたちにとってこの上ない育ちの環境になるんでしょうね。
【2010/10/18 10:16】 | がんも #- | [edit]
これまた、ステキなお話をありがとうございました。

N子ちゃんにとっても、娘さんが大切な存在となっているのです。

心のつながりから、きっと新しい何かが生まれてきます。

ずっとそういうことを、学んでいく場であってほしいと願っています。

やっぱり、学校って、かけがえのない大切な場所なのですね。
【2010/10/18 13:33】 | SHINOBU #- | [edit]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2010/10/18 18:10】 | # | [edit]
お久しぶりです。中3の時に 特殊学級の先生の虐待に耐えられず、学校の配慮で普通学級に1年通っていました。
男子が輪になって まこちゃん(息子)を理解しようと考えてくれたり、どんな風に困り感やトラブルにみんなで対応していったらよいかと 一生懸命に話し合って対応してくれました。
だからといって、おんぶにだっこではありません。先生と保護者の連絡も大切だし、この部分はこちらでサポートという最低限のラインも決めておきました。

インクルージョンするというのは 教科でも何でも一等をとれる子にがまんさせて 支援の必要な子に合わせるのではなく、一人一人が一生懸命に力を出し合って、高めあう教育だと思うんです。
自分だけの花だけ咲いていればいいという利己的な教育ではないと私は思います。
一生懸命にがんばる友達といっしょに、さらに自分も一生懸命にがんばる その気持ちが全ての子供達の力を高めていくと感じています。

がんばっている ぶきっちょに見える子供達が 一生懸命に取り組む姿が 大人の心も大きく動かし、学校全体がかわっていきます。

ただ子供を普通学級につっこんで みんなといられればいい~そんな統合教育(イクスクルージョン)の形は間違っていると思います。
包括的な教育~インクルージョンとは異なっているからです。
「ゴールが同じなら 同じでしょ?」という教育者はたくさんいますが、その過程が違えば結果だって全然 違うのです。

いま、「インクルーシブ教育」が日教組の主導で行われるところですね。
援助が無ければ統合教育にも聞こえるけど、インクルージョンとも違う?この教育はどんな風に展開していくのでしょう?
「普通学級に全ての障害児が入学できる制度」と特別支援学校ではお話を聞きました。
「特別な希望があれば 特別支援学級、特別支援学校に入ることもできる」というお話です。
支援がついているなら、普通学校で、普通学級で学ばせたいのはみんな同じ気持ち。でも、大丈夫?という支援の内容への不安もありますよね・・

我が家は その頃には 特別支援学校高等部を卒業してしまいますので関わることはありませんが、制度ができても 現場の学校で 学校と向き合って闘うのは パパとママだと思います。
子供のために 子供の将来を築いていくために、がんばってほしいと願っています。
【2010/10/21 09:36】 | マドンナ #fYFfjCTQ | [edit]
これからの教育の流れをつくる制度や枠組みが重要であると同時に、現場での教育が実際にどのように行われていくかということから、決して目を話すことはできません。

これまで真摯にお子様の教育を構成してくださった先輩のお母さん方の歩みは、あとに続くご家族の大切な道標となっていくはずです。

大きくの流れゆく環境の中にあって、大切なことを見つめていくことは、言葉では簡単であっても、なかなかその答えは見つけにくいものです。

教育に向き合う真摯な姿勢、子どもの成長を願う深い気持ち。

必ず、どこかに接点があるのではないでしょうか?

インクルージョンというコンセプトは、そういうことを見つけていくための大切な概念の一つであると、私は考えています。
【2010/10/22 11:11】 | SHINOBU #- | [edit]












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