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真剣! だからこそ学校と対決する

 2010-02-22
「3年1組の学級目標は、みんなで協力する楽しいクラスに決めたいと思いますが、皆さんどうですか?」

全員、賛成です。 みんな本当に 「みんなで協力する楽しいクラス」 にしたいと思っているのです。

しかし、遠足の班を決めるとき、係活動を決めるとき、リレーの順番を決めるとき、学級紹介の内容や役割を決めるとき、ドッチボールのチームを決めるとき、そうした具体的な内容を決めるときには、いつも全員一致というわけには行きません。

キャプテンを先に決めてからチームを作るか、先にチームを作ってからキャプテンを決めるか? その問題が、具体的であればあるほど、話し合いは対立的になったり、紛糾したりします。

「みんなで協力する楽しいクラス」の中身は、お題目ではなく、こうした具体的な問題の中でこそ、真価が問われることになるのです。


別に、ドッチボールなんてどうでもよければ、チーム分けの議論も白熱しません。

どうしても、今度の大会で、3年1組を優勝させたいと願えば願うほど、どうしても健太君にキャプテンになってほしいと思うからこそ、強い口調で意見を言うようになるのです。

強い願いがそこにあるからこそ、強い意見がそこに生まれるのです。

「どうしても、ぼくはアンカーになりたい」

時には、涙を流して訴える子がいます。

君がそうまで言うなら、アンカーをやらせてあげよう。

クラス独自のモラルがそこに生まれ、学級に対する誇りと愛着心が育ちます。

時として、対立的になるクラスの方が、何でも仲良く?決まってしまうクラスより、真剣度も高いし、エネルギーもあるし、充実度も違うのです。


こうして1年間過ごしたクラスは、「みんなで協力する楽しいクラス」という学級目標の、本当の値打ちを体験を通して学んでいくのです。

たとえそれがアンカー勝負で、優勝を逃したとしても、そのクラスの文集には、その事が子どもの言葉で生き生きとつづられていることでしょう。

ほこりをかぶった優勝カップより、何倍もねうちのある、そのクラス独自の価値がそこに生まれてくるわけです。

「みんなで協力する楽しいクラス」 という中身が、こうした形で具現化されます。

学級目標ということばの影に、どれだけこうした体験が積み重なっていくかで、その厚みは変わっていきます。


何でも賛成のクラスの学級目標は、たとえ教室のど真ん中に掲示されていても、きっと子どもの心の中で、体験としてよみがえるものが乏しいのではないかと思います。

「みんなで協力する楽しいクラス」

生きた学級目標と、死んだ学級目標とでは、天と地ほどの差が生じてしまうのです。



私は、元小学校の教員です。

同僚の多くが、現職で活躍されています。

そうした人脈を、ぜひ今の活動に生かしていくたいと願っています。


ですが、実際には、そうしたことが難しくなる場面が、だんだんと多くなってきました。

私は、保護者のサポーターです。

子どもの豊かな成長のために、相互に連携しましょうと言われれば、何の異論もありません。

しかし、例えば学校側から、「支援学級への在籍についての保護者理解にかかわる協力をお願いしたい」 というレベルになると、「はいそうですか、わかりました」と、安請け合いなど、とてもできません。

元同僚となると、余計に立場をはっきりさせないと、双方の信頼を失ってしまうことになります。


学校は組織です。プロとしてその仕事を行っているのです。

一方、家庭は、唯一無二の大切な我が子の、切実な課題に向き合っているわけです。

この子たちには、時間がありません。

無駄にしてよい一年間なんて、あり得ないのです。

身を削るような問題に対応しているのです。決してお題目ではない、リアルな現実問題を、日々考えていかねければなりません。 自分がやらなければ、誰も代わりにやってくれる人はいません。


しかも、いくら真剣度が高くとも、いくら家族がいるとはいえ、平素母は、たった一人でプロ集団の学校にに向き合っていくわけです。

真剣にならざるを得ませんし、時として対立的になってしまうのは、当然のことであると思っています。

モンスター何とか、という言葉を気にしているような親が、切実な我が子の環境を切り開いていけるわけがありません。


私は、信じられないようなご苦労をされ、我が子の学びの環境を創造されてきたご家族の方が、どれほど繊細で、どれほど美しい心をおもちであるかということを、目の当たりに見てきました。

そんな方が、ある意味、自分の命さえ捨てて、子どものために前へ前へと進んでいかれようとしているのです。


私は、保護者のサポーターです。

皆さん、私を信じて、ご相談にお見えになるのです。

子どものために、うまく学校と連携していきたいと心の底から願っていますが、切実でリアルな問題に立ち向かっていく以上、一定レベル以上の内容になると、学校と対立的になってしまう場面があっても、それは仕方のないことです。

たとえ元同僚から、厄介者・裏切り者と指を差されたとしても、そういう覚悟なくして、この活動を続けていくことはできないと思っています。


私も個人で、立場は非常に弱いです。

ですから、真剣度と覚悟と決心、そして何十倍もの努力と勉強がなければ、勝負にさえなりません。


私はいつもご家族の皆さんと一緒に前へ進んでいくのです。

学校組織は、1年を単位として、少しずつ担当者が変わっていきますが、私たちは何年経とうが、ずっと一緒に歩んでいくのです。


主体者としての親の役割は、決して放棄することは出来ない。 私が、親の代わりをすることも出来ない。

だからこそ、わずかであっても、共に歩む人=サポーターが必要なのではないでしょうか?


保護者相談の方のスタンスが、いわゆる体制側のスタンスで、ちっとも保護者支援になっていないという声、担当者の方々に届いていますか?

行政目線ではない保護者支援のニーズに、これからどんな形で応えていこうと考えられているのでしょうか?


物事を磨きあけて行くときに、多少対立的になるのは、仕方のないことです。

大切なことを作り上げていこうとしているのですから、一定の痛みを伴うこともあれば、覚悟が必要なときもあるわけです。

ならば、その支援にも、覚悟もいれば、決心もいるわけです。


子ども豊かな学びの場を創造する

それがお題目ではなく、特別支援教育が、より具体レベルで推進していくためには、対等な関係で保護者と学校が向き合っていくことが重要ではないかと、私は考えています。

こうした過程の中では、学校側にも、一定の負担は伴って当然だと思います。

新しい形を作ろうとしているのです。

要は、その覚悟と決心、そのための努力と研鑽を、具体的に進めることができるかどうか?


特別支援教育の理念を、決してお題目の薄っぺらいものにしてはならない。

特別支援教育という6文字の言葉に託す、切なる家族の期待、そして願い。

それだけのねうちがあると信じるからこそ、私もご家族も、覚悟を決めて前へ進んでいるのです。


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