テストの成績 知能検査の数値を 正しく読み解く

 2009-11-21
今年からお母さんの強い決意で、支援級から交流級での学習を開始した4年生の男の子

先日お母さんから、電話をいただきました。

通常級の理科のテストで、ついに100点をとったそうです。

ここまでのお母さんのご苦労を知っていますから、胸の熱くなる思いです。


1年生の時は、漢字の勉強にとても苦労した女の子  当時は、とてもテストどころではありませんでした。

でも、3年生になった今、当該学年の漢字の教材に、それは生き生きと取り組むようになりました。

もしもの仮定の話ですが、この調子でずっと漢字の学習に取り組むことができたなら、漢字の点数は飛躍的に伸びて行くに違いありません。

こうしたことからわかるように、たとえ1年の時に苦労したとしても、今、期待通りの点数が出なかったとしても、その点数は絶対的なものではないのです。


今日のトピックは、こうした点数や数値にかかわる大切な見方をお伝えしようと思っています。



例えば、Aちゃんが何かのテストで0点だったとします。

Bちゃんは、同じテストで100点をとったとします。

では、その学習内容について、本当にAちゃんの理解度が100%で、Bちゃんの理解度は0%なのでしょうか?

私の答えは、NOです。


例えば、九九のテストで100点とった子に、「その箱に入ったおかし全部で何個かな?」 と尋ねたときに、全くその事が使えない子はたくさんいます。

テストの点が0点でも、正確に数をとらえる子がいます。 具体物を示すと、とたんに目が輝く子がいます。 文字や平面認知の配慮が足らないだけで、そこさえ配慮すれば、とたんに出来るようになる子もいます。

テストに強いタイプの子と、実践に強いタイプの子がいるのです。


特に、継次処理タイプの子は、何か一つにつまずくと、そこから先が全滅ということはよくあることです。

同時処理タイプの子も、パターンにはまると100点、そうでなければ0点、という子が、私の教室には何人かいます。

その1個を乗りこえたら、0点が100点になります。

乗りこえるまではずっと0点ですから、その経過は目に見える数値では示されません。しかし、質的、内容的な評価は、私自身ははっきりととらえています。

そういう観点からも、同じ0点であっても、あとわずかで100点になる0点もあれば、しばらく時間のかかる0点もあるのです。


もうひとつ忘れてはならない観点があります。

例えば、「6+8」 の計算を、「ろく たす はち は じゅうし」 と、言語化して覚えている子がいるとします。

別の子は、頭の中で、加数の8を4と4に分解して、被加数の6と合成しているとします。

同じ14でも、理解度は全く違います。

暗記する方法でとった100点と、頭の中で数のイメージ操作をしてとった30点では、発展性や数理的な力といった面では、どちらが上かわかりません。


さらにもう一つ

温度の尺度として、水の凍る温度=氷点を0度、沸点を100度と定めています。

ご存知の通り摂氏何度という温度の尺度で、絶対的な温度ではないわけです。

ちなみに摂氏0度は、華氏32度なわけです。

摂氏0度は、温度がない、と勘違いしている子が多くいました。

摂氏0度は、任意の点であり、ちゃんと意味のあるポイントであるわけです。


私が言いたいのは、テストも知能検査も、こうした任意の尺度であるわけで、絶対的な尺度でも何でもないわけです。

ある部分を切り取って、そのせまい範囲の中で、レベルを測定しているのです。

ですから、たとえ0点でもまったく理解できていないということではない場合があり、100点をとったからといって100%マスターしたということではない場合もあるのです。

大切なことだけど、プロフィールを測定したという理解でよいのではないでしょうか?

運動能力テストだけで、運動能力のすべてが計れるということではありませんよね。


最後にもう一つ、知能検査の目盛りについてです。

MA=(Mental Age 精神年齢) 3歳5ヶ月

「うちの子、三歳の知能しかないのか・・」  愕然とした思いで、それを見つめられた人もいるのではないでしょうか?

これ、検査の結果と受け散る側のイメージに大きな差があるように感じがしてなりません。

そもそも0歳から1歳 1歳から2歳 ・・・ 10歳から11歳 と、発達における各年齢間の意味はまったく違うのに、それを同じ目盛りをつけて、あてはめるのっておかしくありませんか?


こんなことを書くと、大馬鹿者とおしかりをうけそうですが、50歳の私がIQ150なら、精神年齢は75歳ですか? IQ50なら精神年齢25歳ですか?

5歳のテストで、数値がこれこれだから、精神年齢が3歳というのは、受ける側のイメージと検査結果とが著しく乖離しているように思います

ましてやこうしたプロフィールが、決して絶対的な尺度としてとらえないような配慮がもっともっと必要だと私には思えてならないのです。


指摘をされる方、リスクを予見される方はたくさんいますが、実際に子ども育てるのは誰でしょう?

検査結果は大変大切な参考資料となりますが、それはあくまで資料にしか過ぎません。

客観性のあるデータは、とても大切です。 決して無視することがあってはならないと考えます。

検査結果を見ながら教育をするのではなく、子どもの目を見て、体温を感じて、指導を組み立てていくのが教育です。

特別支援学級の入級が適当です、と助言されても、ただ少人数にすればいいというわけではないはずです。 具体的な教育内容を調べ上げておっしゃっておるのではなく、一般論として、行き届いた教育の場が必要であると助言されているのであって、その教育の中身について責任をもってくださるわけではないはずです。


教育の担当者は、教育のプロとしての専門性を発揮し、医療や数値と向き合うべきだと考えています。

子どもを育てるのは、家庭と教育の役割です。

検査は、子どもの利益や行き届いた教育を構成していくための、大切な手段として考えるべきです。

決して、何かを決めつけるものであってはなりません。

リスクを前もって知っておくことも大切です。 冷静にプロフィールを見つめることも重要です。

しかし、子どもの可能性は無限です。 指導の工夫だっていくらでもできます。

最初からあきらめている人、可能性を信じることが出来ない者に、教育者としての資格はないと、私は思うのです。

わずかであっても可能性を信じ、最大限の努力を行い、子どもと共に歩むこと、その事にこそ値打ちが宿るのであり、その営みこそが教育という名にふさわしいものだと考えているのです。


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