家族の支え 自分が好きになる気持ち
2009-10-23
小さいお子さんで、私の指導場面ではそうでもないのに、家庭では物を投げたりする、というお話を時々聞きます。物を投げないまでも、家庭ではすぐに涙を流したり、わがままを言ったり、甘えたりする子も多いようです。
子どもは、そう言う行動を通して、ご両親に何を伝え、何を求めているのでしょう?
私はそのことに対するまなざしから、絶対的な愛情と絆、ゆるぎない信頼感が培われているのだと思います。
もちろん望ましくない行動を是認しているわけでも、甘やかしを奨励しているわけではありません。
質の高い愛情と教育で、望ましい行動ができるよう育んでいくことが大切だと考えています。
ですがそこに、何があっても揺るぎない親子の絆というものがあって、それを確認しながら子どもは自立に向けて歩んでいくのだと思っています。
わがままを叱ってもらえたり、投げ散らかしたものを片付けてもらえる両親がいるからこそ、子どもは育っていくのです。
私は小さい頃、「忍」 という名前が大嫌いでした。
よく女の子と間違えられて、「何〜だ、男か?」と、がっかりされたりして、いい迷惑でした。
私は小学校高学年の時には、すでに両親がいませんでしたから、どうして 「忍」 という名前にしたのか、尋ねることもできませんでした。
そればかりか、両親は自分に何一つ残してくれなかったと嘆く気持ちが強く、勉強にも、生活にも、何もかも力が入りきれない状態でした。
高校になり私は、「学校の先生になって、子どもたちの力になりたい」 と考えるようになりました。
その時になってようやく、この 「忍」 という名前が、両親から授かった大切なものであることに気がつきました。
その時、心の中に、自分を支えてくれる力強い物が根付いていくのを感じました。
それが、両親の存在そのものであったような気がします。
それ以来、私はこの 「忍」 という名前をとても大切にするようになったのです。
今の活動を始めて、子どもたちに 「SHINOBU先生」 と言われると、とっても幸せな気持ちになります。
この親子の絆があればこそ、時には厳しくしつけなければならないときもあります。
あえて手放しにほめることが出来ないときもあります。
細かいことを、いちいち口やかましく注意しなければならない日常があります。
だから親子なのですし、何も飾らないありのままの愛情も、大切なことの一つだと思います。
人間は、自分だけで自分のことを支えることができない存在なのだと思っています。
しっかりした愛情があるからこそ、そこに独立心が芽生え、自立への歩みが始まるのだと考えています。
私の目標としている 「肯定的な自己理解の育成」 には、ご家族の愛情が不可欠です。
それがあってこそ、私の教育的な愛情や技術が生かされるのです。
自分の苦手な子とも含めて、自分を好きになる感覚
そこが育てば、他者理解や感謝の心が生まれ、多くの人と手をたずさえながら生きていくことができるようになります。
私が、学校の先生になれたのも、心の中に、両親を感じることができるようになったからに違いありません。
今日の朝一の指導は、私ともうすぐ4歳になるの女の子、そしてお母さんとお姉ちゃんの4人で行いました。
一人の子を3人が囲むのは、極めてレアなケースですが、すごく楽しくて充実した指導になりました。
時に、来年小学生になるお姉ちゃんの支援は大人顔負けで、アシスタントで雇いたいくらいでした。
予定していなかった動物カードのポインティングまでしっかりでき、お母さんが、「信じられない〜」 と、目を丸くしていました。
私はずっとご家族の応援をさせていただきたいし、ご家族の皆さんには子育ての主体者として子どもたちの幸せのために、苦しい場面でも笑顔で歩んでいただきたいと願っています。
↑どうかランキングも見てやってください。はげみになりますので,ご協力よろしくお願いします。


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