運動会でめざすこと
2009-09-28

私が指導をさせていただいているお子さんの家庭でも、週末運動会だったところも多かったようです。
運動会が終わったその足で、私の教室に来てくれた子どももいます。
昨年は、友里ちゃんの学校に運動会を見にいきました。
入場門で、笑顔いっぱいの表情で迎えてくれ、「先生が見てくれるから、一生懸命走る」 と、言ってくれました。
今年は、土・日には指導が一杯で、出かけることができないことを伝えると、「先生が見てくれていると思って走る」 と、言ってくれました。
友里ちゃん、今年は応援団に入ってがんばった、と教えてくれました。
金曜日には、あきなちゃんの保育園の予行演習を見に出かけました。
お母さんが保育園に連絡をしてくださっていて、私の姿を見つけると、園長先生がとてもていねいな対応をしていただきました。
あきなちゃんは、ダウン症ですが、運動が大好きな女の子です。
ダンスの時には、少し場所がわかりにくい時もありましたが、保育園の先生の過剰な支援はありませんでした。
私は、その先生方の姿勢に共感をおぼえ、そのことを園長先生にお伝えして帰りました。
そして、この子の育ちにはナチュラルな集団が不可欠であること、そして私が背負う役割の大きさを、改めて感じました。
特性理解と過剰な支援は別物です。
運動会もできばえそのものよりも、子どもの育ちの方が重要であるに決まっています。
しかし、現実にはできばえの方が優先され、子どもや家族の心が痛む場合も場合もあるようです。
順位はビリだったけど、クラス中が互いの健闘をたたえ、抱き合って喜んでいるクラスがあります。
何のハンディもなしで全力で運動会に向き合い、精一杯取り組むその子の尊さを、クラス全体で受け止めているのです。
きっとその体験は、長く長く子どもの心に息づくことでしょう。
そして人が生きるという尊さを、運動会という行事の中から、体験を通して学んでいるのです。
私が考えるインクルージョンの姿は、こんな形です。
子どもの心は正直です。
形だけを整えた運動会は、すぐに風化します。
どんなにささやかな一コマでもいい、その子の命が輝く瞬間、
私たちが見つめたいのは、そんな瞬間なのだと思います。
私が、あきなちゃんの予行演習で、目頭が熱くなった理由、皆さんにはわかっていただけるでしょうか?
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