私のインクルージョン感覚
2009-09-01
たとえどんなに発達の課題があっても、クラスの居場所は、とても重要だと私は思っています。まずは、何を差し置いても、「あなたは、うちのクラスの大切なメンバーです」 という感覚があって、それでいて、通級や支援級や専門機関に行くのが、とてもステキなシステムだと考えています。
「あなたは何々症だから、ここではなく、専門家の指導を受けた方がいいですよ」 という言葉には、どこかその存在そのものをを排他的にとらえている部分はないでしょうか?
「あなたは私たちの大切な仲間、社会の重要なメンバーの一員!」
本当に心の芯かそうら思っていたら、果たしてそんな言葉が飛び出してきたりするでしょうか?
存在そのものを心の中で分けていて、それで 「一緒にしてあげましょう」 というのは、一段も二段もレベルの低い感覚です。
そうではなくて、「まずは大切な存在・大切な仲間という意識が定着したうえで、その上でその子に必要な専門的な教育を」 これが、私の考えるインクルージョンです。
土曜日に、新宿の居酒屋で、20年ぶりに教え子に再会しました。
ネットで私の名前を検索し、このブログにたどりつき、私にメールをくれたあの弁護士の彼です。
本当に東京で会ってしまいました。
その居酒屋で、彼は言いました。
「小学校の3・4年生の時、先生とあのクラスのみんなは、私のわがままな言動もしっかりと受け止めてくれた。どんな私の発言もちゃんと聞いて考えてくれた。そんなクラスは、後にも先にも、あの2年間だけだった。その後の学校生活で、私があのようにクラスから受け入れられることは、決してなかった。私は司法試験に、何度も何度も挑戦し続けるような時期が、長く続いた。その苦しい時代をぶち抜けたのは、家族の支え、そして先生と、あのクラスのみんなとの2年間との営みを抜きにして考えることは出来なかった。私が自分の可能性をずっと信じられたのも、あの時の2年間があったからだ。だから、先生にどうしても会いたかった。・・・」
20年ぶりにあった彼は、本当にいい男に成長していました。
またインクルージョンという言葉も何も知らない、通常学級の学級担任をしていたあの頃。
一人のどんな発言も、クラスみんなの問題として一緒に考え解決していこう・・
そんなステキなクラスだった。
彼には怒られると思いますが、彼は優等生でも何でもありませんでした。
奇しくもその翌年、私は脳性麻痺のお子さんを、通常学級の担任として1年生で受け持つことになるのでした。
当時の校長は、「担任はおまえ」 と、一番に私を指名してくれたと聞いています。
インクルージョンという言葉はなくても、日本の教育は、ずっと前から一人一人の存在を大切にする教育を行ってきていたのです。
むずかしい言葉の定義なんて必要ありません。
ただ、輝ける一つ一つの命を、ありのままに受け入れ、どの子も同じように育んでいく、たったそれだけの事です。
「先生、今度岡山に遊びに行きます」
「それと、法律の事でお困りの事があったら、遠慮なくお声をかけてください」
東京で弁護士として活躍する彼、
彼はまた、私にもっとも大切なことを確かめさせてくれました。
私は、岡山で、君に続く子を育てなくてはならない。
弁護士であろうと何であろうと、自分の存在と命を輝かせる子どもを育てなくてはいけない。
あなたが、どれほどステキで大切な人かを、ちゃんと教えてあげなくてはいけない。
自分のことを肯定的にとらえられてこそ、初めて、誰かのために何かのできる人に育つ。
それは、すべての人にあてはまる、人としての真実に違いありません。
君の存在と活躍は、先生にまた一段と大きなエネルギーを与えてくれました。
きっと彼は年末にも、岡山に来るでしょう。
ミニ同窓会になるかも知れません。
それまで目立たない子が、発表会で主役になるようなクラスでした。
彼は弁護士ですが、そのクラスの中にはパイロットになった子もいます。
肝心なことは、何の仕事をしているかではなく、どれだけ自分の命を輝かせているかということです。
私は胸を張って彼らの前に立てるよう、尊い実践を、毎日ていねいに積み上げていかなければばらなりません。
私は今の仕事を、何よりの誇りに感じていますから。
新宿の夜は、あっという間に過ぎました。
私は、小田急ロマンスカーの窓に映る景色をながめながら、人生もなかなかステキだと思っていました。
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