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通常学級で学ぶ魅力と可能性

 2009-07-06
先日、支援学級で学ぶ、ある男の子のお母さんから、以下のような内容のメールをいただきました。

いつもお子さんに寄り添い、考え、さまざまな工夫や努力を重ねてこられたお母さん。

私は、たとえわずかであっても、主体者であるこのお母さんに寄り添い、一緒に歩いていきたいと考えていました。





7月に入り 一学期のまとめの時期になりました。

4月から交流に入った社会 理科でも まとめのプリントやテストをしました。

たった一枚のプリントですが 学習した内容を一生懸命に思い出して 答えをかいた様子がみえます。

答えが間違っていても 全然的外れな答えはないんですよ。

なにより 空欄がないことが素晴らしい!

わからなくても何か言葉を書いてます。

いくつかの言葉のなかから答えを選択する問題では 漢字が読めない言葉もあったようですが 頑張って漢字をかいたりしていました。



一度あきらめて降りた階段をまた昇らせることは 親としてかなり勇気の必要なことでした。

しかし 子どもは今、みんなの背中を追おうとしています。その姿たとてもたくましく感じます。

4月に勇気をだして 交流を増やしたこと 当初は悩みましたが 頑張ってボランティアがつくようになり 学習したノートやプリントを見ると 涙のでる思いです。

その子なりの花が咲いた瞬間ですね


その時 その時 私の背中を押してくださったSHINOBU先生には本当に感謝しています。

プリントやテストを見ていて思うことは、『問題を解く』ということに慣れていないことです

現在、先生の教室では国語の文章読解の問題がありますが、学校では全くこの領域の学習をしていないので、今後もぜひ続けていただきたいこと、算数の方でも学校ではひたすら計算の状態なので、今後中学校に向けて触れておいた方が良い算数の学習などを先生の教室で取り入れてもらえると助かります。

できる場所で、できる経験をしていこうと考え方をかえてみました。

明日 プリントやノートを持たせます。

見た瞬間 彼の頑張りが伝わってくると思います。

SHINOBU先生が感じた言葉を彼にかけていただけると 喜ぶと思います。

では 明日よろしくお願いします。





その子、以前は、少し自信なさそうな表情でいることもありましたが、明らかに感じが変わってきました。

うれしそうにノートを見せてくれるその表情から、交流級で学ぶことができるようになった理科や社会に、自信と手応えを感じることができるようになってきたことが伝わってきます。


指導が終わったあと、あるいはメールで、私たちはその子の学び、あるいは育ちについての情報交換をします。

そこではいつも、私たちは、「対等な関係」 でいたいと願っています。

このお母さんは、いつも謙虚な言い方をされますが、主体者としての親の意識を、片時もはずしてしまうことは、ありません。

そんなお母さんから、そしてこの子の育ちから、私は多くのことを学ばせていただきました。


今回のケースから私が学び、思いを一層強くした事柄は、やはり 「学校は、支援級と言えども、集団で学ぶところ」 「学校の中に、その子の大切なポジションがしっかり存在すること」 「支援級と交流級に内容的な連携があり、支援級では専門性を生かしたコアな力の育成に内容を焦点化すべき」 ということでした。


先日、あるお母さんが、「交流級に行っても、受け入れられている感じも、あたたかみも感じられない」 と、肩を落とされていました。

交流級の廊下に、我が子の作品が何もない、名簿やロッカーの一番下に付け足しのように書かれた名前、 時にはその名前すら、忘れられていることも・・・

それでいて、支援級では、いつも変わらない単調なプリント学習や、アニメのビデオ・・・

親がどんな思いで、支援級を選択したのか、感じ取る感性は残っているのでしょうか?

まだ、「分けること=特殊教育」 みたいな感覚のまま、現場におられる先生も何人もいるようです。


学校教育の最大の専門性は、集団の中で育てるオフィシャルな教育機関、ということです。

その集団の中でこそ、子どもは育つのです。

人間は、そういう風に出来ているのです。

この専門性は、他で補完することは、極めてむずかしいと考えます。

集団の中に居場所がないのだったら、それは首のない人形と同じです。


そこがあってこそ、認知特性や個々のパーソナリティーに即した、高度な専門性を生かした教育の効果があるわけです。

このポイントさえ押さえれば、通級指導も交流も取り出し指導もうまくいきますが、ただ籍や席があっても、血の通っていないところでは、期待するものは乏しいと言わざるを得ません。

たとえ交流であっても、「あなたは、大切なメンバーの一員」 そういう意識が、何より大切なことであり、そこに教育の大きな魅力と可能性が存在するのです。

一人じゃできないことも、みんなとならがんばれる。

これが、教育のダイナミズムであり、そうやって人は育っていくのです。


こうした学校の専門性が発揮され、それぞれの専門スキルをもった専門家と内容連携を組み立てていく。

これが、目指すところではないでしょうか?


私のやっていること、私の専門性は、ほんのすみっこの小さな内容です。

学校と同じ事をしようなんて、考えたこともありません。

ご迷惑にならないように、隅っこでごそごぞやらせていただきたいと願っています。

それでも、私は今の仕事が一番好きですし、生まれ変わってもこの仕事をしたいと思っています。

それは、もしかしたら、私にも、子どもの成長と幸せのために、何か出来ることがあるかも知れないと感じているからです。


子どもだって、誰かのために、何かができると思わなければ、真のやる気は起こりません。

私が、集団にこだわる大きな理由の一つがそこにあります。

これは、真実です。

それは誰であろうと、何であろうと、同じ事だと信じています。




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コメント
SHINOBU先生おはようございます。西風です。

学校教育機関に勤める者として、保護者様の思いや先生のお考えを重く受け止めながら拝読いたしました。

現在、自分自身はLD通級教室という個別指導中心の場で働いています。

あくまで集団の場での学びをよりよくするために、個別指導によりサポートをしたい、そのためには個別指導の場で「何ができるようになったか」のみを評価するのでなく、学級担任にそのお子さんの特徴を「どれだけフィードバックできたか」やそのお子さん自身にどれだけ「自発的な学びの芽を与えたか」を重視したいと常々内省しながら進めています。

SHINOBU先生のお考えや取り組みは、フィールドこそ違えど、私にとりお手本だと感じています。
今後もいろいろと教えてください。

添付しているURLは拙ブログで、通級教室と他教室や機関との連携の実情をまとめたものです。

「個別」指導が「孤独」指導にならないよう、これからも取り組みます。
【2009/07/07 10:01】 | 西風 #- | [edit]
西風先生、コメントありがとうございます。

先日、私が敬愛しているある保護者の方から、「西風先生は、本当にすごい」 というメールをいただきました。

私も同感です。

私たちの求める 「子どもの特性に応じた専門的指導」 のモデルをお示しくださっていると思っております。

先生のような専門的なアプローチと、集団の中での学びと育ち、こうした内容的な連携が、今後ますます重要になってくるのではないかと、私は考えています。

先生の貴重な実践から、私もぜひ学ばせていただきたいと思います。

愛用のノートパソコンが、ついにダウンしてしまい、お返事が遅くなりました。申し訳ありませんでした。

今後とも、ご指導よろしくお願いします。

【2009/07/08 07:40】 | #- | [edit]












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