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教育とは、子どもの可能性を信じ続ける営み

 2009-04-20
私は以前、情緒障害児短期治療施設というところに勤務していました。

そこでは、学校教育部門・心理治療部門・生活指導部門の3つがあり、相互に連携し合って、子どもの指導・治療・処遇の方針を決めていきます。

毎週ケース会議というものが行われていましたが、あるとき、きよし君(=仮名・当時5年)の原籍校復帰についての話し合いが行われました。


きよし君との出会いは強烈でした。

学校教育の場面でも、まず視線を合わさない、表情はキツイ、口数は極端に少ない、それでいて突然にイスをけったり、時には机をひっくりがえすこともありました。

理由を聞いたり、諭したりしようとしても、何も言わずただ横を向いている・・

そんな日々がしばらく続いていました。


私はこういう子の力になりたい、というのが教員をめざした動機そのものでした。 何かと友達とのトラブルが多く大変でしたし、プレッシャーも普通ではありませんでしたが、心の中には逃げる気持ちはみじんもありませんでした。


> 口先ではなく、まなざしで子どもに伝えよう。

> 不適応行動は、その子の成長への欲求・行動改善の願いであると、最後の最後まで信じよう。

> その気持ちが本物であると、どんなときにもきちんとした姿勢で子どもに向き合おう。

> 子どものどんな強烈なお試し行動にも、その心の糸だけは決して切らないでいよう。


これが私の、当時の教育方針でした。

それ以外に、特別に何をどうしたという記憶は残っていません。

数ヶ月後、きよし君の顔には、出会いの頃からは想像もつかないほどの笑顔がみられるようになりました。

5年生の彼は、「算数をちゃんと勉強したい」 と言うようになり、体験学習・算数的活動を取り入れた学習を彼のニーズ似合わせて、低学年の内容のものから順に構成し、彼は真綿に水が吸い込まれるように学習を取り戻していきました。

よく考えたら、これは今私が教室で行っていることと、本質は何も変わりません。 (今では、その理論的な裏付けが厚くなり、ご家族にきちんと説明できるようにはなりましたが・・)

そして、さらに何ヶ月か立った後、彼は私に 「先生、オレ元の学校に帰りたい」 という日がやってきたのです。


私は、学校教育場面での彼の成長の様子を、ケース会議で心を込めてお伝えをしたつもりです。

当時は今よりも血気盛んな頃でしたから、何とか彼の願いを叶えてやりたいと、相当な勢いで話したことだと思います。

当然ながら、ケース会議では、慎重派の先生も多く、すぐに原籍校復帰ということにはなりませんでした。

しかし、私が予想していた以上に早く、試験登校の決定がされ、やがて彼は原籍校に復帰していきました。

彼は、笑顔で施設を後にしました。

そして私も、任期を終え、もとの通常の小学校へ帰る日がやってきました。


通常の小学校の学級担任に復帰して数ヶ月経ったある日、私は突然校長室に呼び出されました。

校長室に呼び出されるような心当たりは何もなかったので、不思議な気持ちで扉を開くと、何とそこには、あのきよし君がお母さんと一緒に座っているではありませんか?


> おれ、がんばっとるけえ~

> 先生に、算数教えてもらったけえ~

> それだけ、言いたかった・・


もともと口数の少ないきよし君でしたから、この言葉がどんなに私の胸に響いたことでしょう

わざわざ、この学校を探して来るような子じゃないはずなのに・・

子どもを信じて本当によかった

私は、あふれる涙をこられきれることが出来ませんでした。


この体験は、私にとって生涯忘れることの出来ない大切な宝物となって、しっかりと私の心に根付いているのです。

これが、私の教育者としてのストーリーであり、そのストーリーの延長線上で、私は今の活動を行っているということです。

何があっても決してぬぐい去ることの出来ない、私自身の教育者としての、ひとつの原風景となっているのです。


最近、私の教室に通ってくれるようになった子がたくさんいます。

初回の指導では、なかなか着席できない子もいます。

玄関先のマットに寝そべって、次から次へとスリッパを投げた子もいます。

突然、離席し、階段を駆け下りて、両親の車を探し始めた子もいます。

突然、私の目の前で、ガラスのアートフラワーを手に持ち、それをそのまま床に落とした子もいます。(幸い、それは強化プラスチック製で、割れないものだということも判明しました=苦笑)


30分間、スリッパを投げ続けた子は、1時間後には私の指示を受け入れるようになり、指導が終わった時には、笑顔で握手をして帰ることができました。

細いけれども、1本線がつながりました。


心を開くまでの期間が長い子ほど、そのつながりがやがて強く、そして深くなることは、何より、きよし君の体験から、私の心にはしみついてしまっているのです。

こうした空間は、ある意味修羅場です。

でも、私は目をそらしません。


きよし君は、きっともうすっかりおじさんになっている年頃です。

今、どこで何をしているのかは、知りません。

でも、彼と過ごした体験は、今も私の心の中ではしっかりと息づいています。


スリッパを投げた子や、アートフラワーを落とした子が、やがてここを卒業した後も、「がんばってる姿を先生に見せに来た」  と言って、また私の所へ来てくれる日を、私は今から楽しみにしています。

私はずっとこの場所で、彼たちを待ち続ける存在で居続けたい。

私の教室には、転勤も定年もありませんから、ずっとずっとこの子達が帰って来られる場所で居続けたい。

まだ1回来ただけの子もいるのに、また私の勝手な妄想が始まってしましました (笑)


子どもの不適応行動は、子どもの成長の欲求の裏返しです。

そう言えば、初回・2回と着席できなかった子の3回目の指導の時、彼は私のひざに体をすりよせ、手を握ってきました。 (小学校、中学年の男子です)

ずっと心を込めて向き合ってきて、本当に良かったと思いました。

この子達の心を裏切らないようにするためにも、どんなことがあっても、どんな子にもいつも熱い心で、そしてやさしいまなざしで、向かい合っていかなければなりません。

言語は、コミュニケートの単なる手段

伝えていくのは、気持ちそのもの、心そのもの

問われているのは、その信念の深さと広さ、そしてその愛情のクオリティです。


私は、ご家族の方がここに大切なお子さんを連れて来てくださる限り、いつも変わらぬ姿勢で、いつも笑顔で、真剣に子どもと向き合って行く自分であり続けたいと願っています。


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