もう一つの学びのストーリー (7年後の教え子とのリスタート)
2009-02-27
今から10年くらい前の事からお話しします。当時、私は6年生の担任でした。 1学年1〜2クラスの小さな学校でした。
私は、通常学級の担任も通算10年以上の経験があります。 元々は通常学級からのスタートでした。
学級担任を長く続けていると、いろいろなクラスとの出会いがあります。 努力しても報われない感じのクラスもあれば、何もしないのに多くの感動と感謝の気持ちを受け取るそんなクラスとの出会いもあります。
このクラスは、まさに後者の典型で、私が特別何もしないのにすばらしいクラスに成長していました。 私この学年を2年続けて持ち上がるという大変なご褒美をいただいていました。
自分のことよりも、まずみんなのことを先に考える、いわゆる ONE FOR ALL のモラルが一人一人にしみわたっており、以前にもお伝えしましたが、教育実習生がその姿に心を強くを打たれ、大粒の涙を、子どもたちの前でボロボロと落としたことがありました。(今は正規の小学校教諭として活躍されています)
就学旅行先の宿の人も 「何十年この仕事をやってきたが、こんな子どもたちは初めてだ」 と感動の言葉をいただきました。 わずか2学級の学校のソフトボールのチームが、その年度の市内の大会のすべてに優勝し、保護者の皆さんと盛大な祝勝会をしました。 市の陸上記録会のリレーでも、大規模校の精鋭を向こうにして、堂々とした走っぷりで、まるで優勝したかのような感動をおぼえました。 卒業の前には、保護者主催のイベントを体育館で開いてくださり、私たち2人のために作った、オリジナルの曲を生演奏で合唱してくださり、あふれる涙をとめることができませんでした。
このクラスは、私にとってはまったくのラッキーパンチで、実力でも何でもありません。
しかし、この子たちの出会いは、私の心に一つの決心をさせました。
> これでもう、通常の学級担任の仕事には区切りをつけよう
そんな思いです。
この学校に赴任する前、私は情緒障害児の短期治療施設の派遣学級の仕事を経験しました。
当時は、今のような特別支援の風は吹いておらず、いわゆる特殊学級担任というイメージは、かなりマイナーなものでした。 私は、当時市内の名門と呼ばれる学校の担任でしたから、派遣学級に行くというのは、正直、何か不祥事があって飛ばされる?ように受け止める人までいました。
私のような形で、派遣学級に異動するのは、市内で初めてのケースだったのです。
今では、当たり前に行われている、こうした人事交流の第1号は、私です (笑)
ですが、私はもともとの志がありましたから、飛ばされたなんて気持ちは、カケラもありませんでした。 それどころか、この施設でのこどもたちの出会いは、私が生きている原点に触れるすばらしいものとなりました。
しかし、転勤の年を迎え、私は特別支援か、通常か、その選択に迷いました。
そして出した結論が、通常学級の担任として納得のいく仕事ができたら、あとは特別支援の担任としてがんばろう、というものでした。
これもたまたま偶然のことですが、その次の年に、この小さな学校にも特別支援学級ができることになりました。
新しい1年生に支援を必要とするお子さんが、入学してくるということでした。
担任希望の欄に、私、しっかりと 「○」 を付けさせていただきました。
これもあとで分かったことですが、この時の校長先生は、私が情緒障害児短期治療施設の人事交流で派遣された当時の教育委員会の人事課長で、そのことを推進したその人であったわけです。
(今は、大学で活躍されています)
卒業式が終わると、私は校長室に呼ばれ、次年度、支援学級担任として学級の創設にとりかかってほしい、と言われました。
私、ほっぺたつねりましたよ。 夢かと思いました。 うれしくて、うれしくてその晩はねむれませんでした。
でも、当時私は、養護学校教諭(今の特別支援学校教諭)の2種免しかもっていませんでしたし、特性理解も、専門的な指導の技術も、ほとんど素人に近い状態でした。
今から考えると完全にフライイングだと思いますが、卒業式が終わったその日から、その子が通っていた施設に行ったり、ご両親にお会いしたり、通っていた幼稚園に行ったり、素人は素人なりに駆けずり回っていました。
そして、今日の主人公、まさと君 (=仮名 当時小1 現在中3) と出会うことになります。
このまさと君とは、学級創設から2年間、担任として共にあゆむこととなりますが、今の私が最も大切にしている、保護者とのパートナーシップの原点は、すべてこの2年間あったと考えています。
実は、そのまさと君と7年ぶりに、勉強を再開することになりました。
先日、そのご両親が私の所にお越しくださり、週1度90分の個別指導をさせていただくことになりました。
まさと君は、4月から、特別支援学校高等部への入学が決まっています。
彼は本当は勉強への向上心が強いのですが、その強すぎる思いがゆえに、その心を少し痛めた時期があったようです。
昨日、私の教室に来たまさと君は、身長が170センチを超え、すっかりたくましくなっていました。
ご両親は、最近のようすから、とても不安な表情でまさと君を送ってこられました。
7年ぶりに会った愛しい教え子 学年で1番に九九をマスターさせたことなど、宝物のような思い出がたくさんあります。
私は、週1の個別学習で、「英検」 と 「漢検」 を、彼と共に目指して行こうと考えました。
いわゆるマルチセンソリーな体験を特別支援学校で、ミニマムスタンダードの部分をこの教室で、という色分けを、私なりにイメージしたのです。
90分の指導後、ご両親は本当に心配そうな顔で、迎えに来られました。
暴れたり、泣いたりしたのではないかという心配をされていたのだと思います。
そんな心配を抱かせるストーリーが、中学校生活の中であったことが伺えます。
体は大きくなり、英語もできるようになったまさと君がそこにいましたが、温度も空気も体温も、伝わるものは7年前と同じ香りがしました。
きっと、それはまさと君も同じであったと思います。
指導が終わり、1時間くらい経った頃に、私の携帯が鳴りました。
まさと君のお父さんからの着信です。
私の心に不安がよぎりました。
1回目の指導後の感触は、その後に大きな影響を与えますから・・
しかし、その不安は、わずか10秒で消え去りました。
> 先生、まさとの様子が、明らかに変わってきています
> 行く前は正直、不安だらけでした
> でも、今のまさとの様子を見ると、言葉とか、表情とか、どこかに和らいだ感じが、はっきりとにじみ出ているように見えます。
> 何だか、うれしくなって、うれしくなって、電話をしてしまいました・・・
私は、また来た、また始まった と、その時そう思いました。
7年前は、毎日のように、連絡帳で、電話で、お会いして・・
私とご両親とクラスの友達との輪の中で、この子はタケノコのようにすくすくと育っていました。
私とこのご両親との信頼感は、鉄よりも、ダイヤモンドよりも硬いと、私は思っています。
7年前と同じ事をしようというのではありません。
しかし、この相互の信頼感をもってすれば、何かはできると私は考えています。
この電話のやりとりは、7年前とまったく同じ響きです。
小1の時、心配していた卒業式を立派に乗りこえ、その報告をと、息を切らせながら、職員室の電話でお母さんにお伝え時、電話口で声をつまらせていたお母さん
IQの数値が大幅に伸びたと、検査機関からその足で、紅潮した顔のまま校長室に駆け込んできてくださったお父さん
超多忙な中、我が子のためにと、地域の保育園と幼稚園の双方に通わせ、ありとあらゆる役員を引き受け、参観日の時には、自分の子より、他の子どもたちに優しく声かけをしていたこのご家族の真実を、私は知っています。
小学校の教え子を、再び教えることができるなんて、奇跡としか言いようがありません。 この子にひらがな教えたのは、私ですから。
私、中学の免許も、高校の免許も、英語の免許もない、モグリの学習指導者です (笑)
お父さんが電話で、喜びの言葉を伝えてくださった瞬間、私の心に何かよみがえってくる力強いものを感じました。
それこそが、人がつながって生きることによって生まれるエネルギーみたいなものではないかと感じています。
人間は、自分のためには力が出ない。
やさしくなければ、強くはなれない。
子どものために、誰かのために、
そんな風に生きるからこそ、困難を打ち抜く力が生まれるものです。
あの6年生のクラスの子は、給食で誰かが嘔吐すると、1秒も経たないうちに数人が、無言の連係プレーでそれを処理し、その子のダメージを最小限に抑えるように動いていました。
チームの中にはそんなに運動が得意でない子もいました。 そんな子は当然レギュラーにはなれませんでした。 でも代打で登場すると、当たりそこねの内野ゴロでも、毎回1塁に全力疾走、時にはヘッドスライディングをして、血を出すこともありました。。
たとえアウトになっても、こうした姿は他の子の心に火をつけ、チームの士気を高め、すばらしい集中力をみんなに与えました。
顔で笑っている時はあっても、チームのみんなは彼を大切なメンバーとして心から受け入れていました。
たとえヒットは打てなくても、彼抜きのチームでは意味がないことを、全員がわかっていました。
そのみんなの気持ちが、いつも彼を全力疾走にかき立てているのです。
私は日本のインクルージョンのモデルを、実はこんな形でイメージしているのです。
グランドスラムのかかった大会では、休日にもかかわらず、あの校長も、担任も、保護者も集結して、全試合を応援しました。
子どもたちは自分のためではなく、みんなのために戦っているのがわかりました。 エースの子は、自分が1球でも甘い球を投げたら、あのヘッドスライディングも無駄になると感じているように見えました。
私は、この子の人に言えぬ悩みも知っていましたが、このムードが、彼を一流の男に仕立て上げていました。
あのヘッドスライディングが、彼を真のエースに育てたのだと、私は信じています。
子どものために、誰かのために、信頼の輪を紡いでいくこと。
奇跡の一歩がそこから始まることを、私は、この子どもたちから学んだのです。
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