子どもの最善の利益 というスタンス
2009-01-07
私は今、「全国保育協議会・全国保育士会認定 保育活動専門員 」という資格に向けての研修を受けています。もちろん、発達にかかわる内容的な面のレベルアップ自体が本来の目的ではあるのですが、全国の保育関係者の皆さん(志の高い方が多いです)との接点としても大切に考えています。
この1年で数回、東京・横浜で行われた研修会に参加しました。
この研修会で、私は多くの事を吸収しましたが、そのうちの一つは、すべての判断を 「子どもの最善の利益」 という発想に基づいて行う、という価値基準です。
これぞまさに、私が求めていた形を概念化した言葉だと、心おどるような気持ちになりました。
Special Educatinal Needs (=特別な教育的ニーズ)という概念もあります。
私はこの Special という意味を、 「普通ではない」 という意味ではなく、「本質的な」 あるいは 「最も大切な」 という意味でとらえています。
こうした概念のベースが、実は日常の子どもとの接し方で、大きな差となって現れてくることを、私は日々肌で感じ取っています。
同じ内容、同じプログラムで子どもと接したとしても、その内容には天と地ほどの差が生じることがあります。
子どもは、とくに論理で言いくるめることのできない子どもは、誰よりも感受性が豊かで、人の心を感じる感度が敏感です。
それが、口先だけのものなのか、魂の込められた内容であるか、感覚的に判断できるようになっています。
どんなに理屈で言いくるめても、好きな先生と、そうでない先生は、はっきりましす。
相性や出会い、タイミングなど、いろいろな要素があるのも事実ですが、私は、人の理念は、そういうところで確かめられるのだと考えています。
どんなに高邁な理屈や、むずかしい論理を持ってきても、子どもの前では裸の王様です。
だから私は、どんな研究者よりも、臨床実践者の方が魅力的だと思っています。
野球で言えば、打撃理論も大切ですが、ファンの心を大切にし、いつも全力プレーで試合に臨む現役選手であり続けたいと思うのです。
全国保育協議会・全国保育士会の研修は、これまで私が教員時代に受けてきた、いわゆる「官製研修」とはかなり趣の違う物でした。
そこには、未来を目指す大きなエネルギーのようなものがみなぎっており、ほとんどの参加者は主体的な気持ちで、それぞれのテーマに向き合っているように感じました。
だからこそ、 「子どもの最善の利益」 という発想を、私の魂に伝えてくれたのではないかと思います。
ここの発想は、すべての子どもの教育の場に、もっともっと積極的に取り入れて行く必要があると私は考えています。
ここも理論だけでは、響きません。
皆さん方の実践の中から、子どもの最善の利益という判断から、こうした教育環境を作り出し、それが子どもの具体的な成長にどう結びついていくのかを、具体的に明らかにしていかなければなりません。
そして、私たちも、それぞれの立場で、現実の中の複雑に絡みついたややこしい状況を、ひとつひとつていねいに整理しながら、子どもの最善の利益は何かを、いつも見つめ直していく作業が求められることになります。
どんな理屈をもってきても、子どもの笑顔に結びつかない限り、それは何にもならないと、私は思っているのであります。
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