模索・選択・決断・創造・・ 真剣であるほど困難な 家族としての願い
2008-12-28
先日、関東地方にお住まいの、あるお母さんから、お子さんの成長記録を送っていただきました。現在、小学校の、通常学級で学んでおられる、ダウン症のお子さんの成長記録です。
プライバシーの事があるので、画像を公開できないのが残念ですが、あまりにも精査された内容と、そこに流れる豊かで深い愛情に、しばし言葉を失ってしまいました。
このブログを熱心にご覧いただき、以前メールで 「今すぐに、私に会いに岡山に来たい」 とおっしゃってくださいましたが、「いくらなんでもそれは・・ 」 ということで、次回東京へ行ったときにご相談を伺うお約束をさせていただきました。
お母さんは、それでは、その時までに目を通していただければ・・・ と、いうことで、何日もかけて資料をもう一度整理され、ご丁寧なお手紙を添えて送付してくださいました。
その1ページ、1ページから、切なる思いがダイレクトに伝わってくるようでした。
以後、その記録はいつも私の手元に置き、時間があるときには何度も目を通すようにしていますが、読めば読むほど、何がそこまでお母さんの気持ちを突き動かすのか、理解できるようになってきました。
私が、このブログで私が訴えてきた内容と、あまりに共鳴する部分が多いことに、変な話ですが、私の方が驚いてしまいました。
と同時に、そこに幾多の困難があったか、痛いほど伝わってきました。
集団の中に居場所がしっかりあることと、高度な専門的な指導とは、相反する物でも何でもないはずです。
なのに集団から除外しないと、専門的な指導が受けられないというような空気があることに強い憤りを覚えます。
集団には、集団でしか育たないエネルギーやパワーがあり、優れた専門的な指導には、子どもの可能性を見つけ、それを引き出す道筋というものがあります。
ところが、悲しいことですが、ただ集団から除外して、せまい部屋の中で、専門的な指導も何も行われず、単調な反復学習ばかりをしているケースがないとは言えないのが、現実です。
こうなると、親の気持ちの行き場所はありません。
例え、みんなと同じような活動はできなくても、リアルな子ども集団の中に居場所があり、メンバーの一員として知って欲しい、受け入れて欲しい、ただそれだけでいい。
それでいて最低限でよいから、ほんのわずかでよいから、この子の特性に応じた専門的なかかわりををお願いしたい、こうした親の気持ちの、一体どこに誤りがあるのでしょう?
どこかであきらめてしまえば、どんなに気が楽になるかも知れない。
でも、親である以上、それだけはできない。
真剣に向き合えば向き合うほど、その困難指数は、どんどん上昇していきます。
具体的であればあるほど、実現に向けて、思わぬ困難が次々と訪れます。
同じ苦労でも、耐えられる苦労と、そうでない苦労とがあります。
その違いは、心の支え、そして希望と可能性の存在です。
それさえあれば、どんな苦労だって耐え抜いてみせる、 それで子どもが幸せになるのなら、どんなことだってすべてやってみせる!
私の周りのご家族は、そんな方ばかりです。
私、このお母さんに会いに行かせていただきます。
きっと、具体的には何もできませんが、実際に会って、その表情を伺い、そのお気持ちを受け止め、そのお気持ちを支えてこようと思います。 そして、希望の光を見つける作業を、少しでもお手伝いさせていただこうと思います。
バーチャルなネットの世界だからこそ、人の真実が浮かびあがることがあります。
真剣だからこそ、思いが強いからこそ、そこに難しさもあり、苦しさもある。
最近、特にそんな風に感じることが多くなってきました。
まだまだ駆け出しで力量が足りませんね。
もっともっと力量を高め、本当にご家族のお役に立てるサポーターに、一日も早く成長しないといけません。
みなさんの応援、よろしくお願いします。
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