セラピストみたいな先生で良いのか? 特別支援教育の進む方向とは・・
2008-12-13
先日、ある保育園におじゃまさせていただきました。その幼稚園では、前日が学習発表会の振り替え休みで、この日は朝一番に体重測定が行われていました。
私は、予定より少し早めにこの幼稚園に着いたので、しばらくその体重測定の様子を眺めていました。
園長先生を含めて4人の先生で指導にあたっておられましたが、その子どもたちの表情といい、受け答えといい、先生方の関わり方といい、実にあたたかく、ほほえましい雰囲気です。
教育委員会から嘱託で派遣された相談員の私は、この体重測定の時間は、ある意味置いてけぼりです。
>体重測定なんですね。 だったら子どもの活動をまず優先してください。 打ち合わせなどは、子どもの活動の区切りが付いてからにしませんか?
この時点ではわかりませんでしたが、この園長先生は、スーパー園長先生でした。 わかりました、と短く一言私に告げると、すぐに子どもの輪の中に入って行かれました。
子どもとの一瞬一瞬のかかわりを大切にされているその教育観が、何も言われなくてもダイレクトに私に伝わってくるようでした。
体重測定が終わると、この日の巡回相談の打ち合わせを行いました。 何人かの子どもについての課題点をお伺いし、教育活動の様子をみさせていただき、その後ケース会を行う段取りになりました。
園内を歩いてみると、やはりいちいちが、子どもの目線や動線で、きちんと行き届いた配慮が伺えます。 それに、子どもの表情が底抜けに明るいのです。
授業を参観していると、ポニョの踊りの活動の時に、ある女の子が一人ぼっちになって泣いていました。 4人の先生は、別の子にかかわっていて、まだその子が泣いていることに気がついていません。 その子は、さきほど打ち合わせの時に、ピックアップされていた子どもの一人です。
早く先生が気がついてくれたらいいなあ、と思ってみていると、そこにジャイアンみたいな大柄の男の子が来て、すぐにその子の手をひいて、いっしょに踊り始めました。
ミニ先生も、育っていますね。 心が満たされている集団の子どもは、先生の気持ちを感じ取って、いつの間にか、こなふうにミニ先生に育っていきます。
この園長先生の快進撃は、とどまることを知りません。
給食時には、まるでABAを絵に描いたように、支援の必要な子への即時強化、あれっどこに行ったのかな、と思うと、園庭で子どもと縄跳び、笑顔いっぱいでバスの見送りをしたかと思うと、すぐに廊下の掃き掃除・・・
見ていてほれぼれするほど、かっこいい姿です。 最後の最後まで。とても本年度でご退職の年齢には見えませんでした。 (10歳は若く見えました!)
謙虚な先生でしたが、私はケース会の時に、論理的な背景なしでここまでの流れを作られたのですか? とお尋ねすると、今まで職員にも話したことはなかったけれど・・といって、これまで専門的に研修を積まれてきた経過をお話くださいました。
私も、かくあるべしと、切に思いました。
教育の営みは、医療と同じではありません。 教育には教育の王道というものがあります。
教育の主体性、教育の王道を歩んでいきながら、専門的な知識や技能を高めていくことは大切なことです。 しかし、その教育の王道自体が揺らいでいたのでは、専門的な技能が、逆にじゃまになってしまうこともあります。
過日、ある全国規模の保育士の研究大会で、発表者の方は、しきりに 「専門家との連携」 という言葉を、強調して使われていました。
でも、私は心の中で、連携は大切だけれど、主体者としての保育の中身はどこに行ったの? と何度もつぶやいていました。 その専門家と称する方の、断定的な言い切りにも何度も耳をふさぎたくなりました。
あなた、保育の臨床経験あるの???
専門家には、専門家としての力量は大いに発揮していただきたいですが、それがすべてであるかのような断定的な物の言い方に大きな違和感を覚えました。
教育のプロとしての、校・園の主体性があってこその連携であって、特別支援の名のもとに、学校・園の先生方が、安物のセラピストみたいになっていくのはいかがなものでしょうか?
私は、「マニュアル化された療育を受ける子どもには、笑顔が少ない」 という言葉を重く受け止めています。 この言葉についての真意については、いろいろなご意見があるとは思いますが・・・
それよりも、先日行った園長先生のはずむような姿が、今でもまぶたに焼き付いて離れないのです。
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