集団から排除する特別支援教育にしないで・・

 2008-11-22
昨日は、太郎君・花子ちゃん・友里ちゃん、3人のそれぞれの学習発表会でした。

初めに太郎君のいる学校におじゃましました。 教室の扉から覗くと、すぐに目が合い、とてもうれしそうな顔になりました。 学童保育の担当保育士もすぐにやって来ました。

歌も踊りも演奏も、みんなと一緒にとても上手にできていました。 1学期の頃と比べると、何もかもが大きな成長です。 後で聞くと、このクラスのすばらしい担任の先生は、全員で学習発表会を成し遂げたことに感激し、涙を流されたということです。 「できれば、ずっと太郎君の担任でいたい」というこの先生の言葉は、今でも私たちの心の奥底で、幸せの光を放ち続けています。


学校の勉強が終わり、3時からは、私との指導の時間です。

自信満々・笑顔いっぱいの表情で、私の教室に飛び込んできました。 何とたくましく、明るい表情になったことでしょう。

指導を開始してしばらく経つと、太郎君は 「SHINOBU先生、足は?」 と尋ねてくれました。 先週足をくじいて、幸い骨には異常なっかったのですが、実はまだ痛みが残っているのです。 

そう言えば先週、足をひきずりながら太郎君と野球をしました。 その時の事、ちゃんと覚えていて、ずっと心配してくれていたんだ・・

今度は、私の方が目頭が熱くなってきたじゃありませんか?


ちょうど1年前は、この子の就学について、お母さんと一緒に何度も学校にお願いを重ねた時期でした。

書類や検査からは、集団活動をこなせないなどの社会的対人行動の未熟さとか、コミュニケーションの困難さとか、様々な指摘を受けてきました。

今では、あの頃のことが遠い昔のように思われます。


少なくともこの学級担任の先生は、集団の場にあっても、太郎君の心が理解できています。 私も、太郎君と心が通じ合っていると思っています。 コミュニケーションって、そもそも双方向のものであるはずです。


どんなに発音がクリアであっても、心が通じ合うわけではありません。

社会性も、集団の関係性の中で育っていくものであって、その子だけの問題ではないはずです。

うまくいかないことが、何でもかんでも、その子の障害のせいにされてしまうようなことが、よくあります。

本当は、先生の指導のミスで引き起こされた反応が、いつの間にか、その子の障害のせいだと、中身がすり替えられてしまうこともあります。


今、お母さんは、通常学級を選択して本当によかったと思っています。 私も、お母さんは、すばらしい選択をされたと思っています。

そう言えば、 「もし無理があるのに、通常学級を選択し、その事で子どもが傷ついてしまったら、親としてどうするんですか?」 と、口をとんがらせた担当者が何人かいました。

その方は今、どんな反論をされるのでしょうか?

わたしは、この太郎君のケースは、たまたまではなくて、そこに強い意志と願いと努力があればこそ、実現できたものと信じています。 初めからうまく行かない、無理がある、と考え、全く取り組む意思のないようなメンバーに、どうして子どもの可能性を信じることが出来るのでしょう。


私は、まず集団の中で、その子の存在・人権・人間性をしっかり確立し、保障することが先。

その基盤が出来た上で、その子の特性に応じた高度な専門的な教育サービスを提供すべきだと考えています。 


きっとこれからも、いろいろな課題にぶつかることもあるでしょう。 でも、何もしないで、ただ集団から除外する特別支援教育だけには、絶対になってほしくないと思っているのです。

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コメント
親以外にも、そういう気持ちをわかってくださる方がいることを、本当に嬉しくありがたく思います。
うちの娘が小学校4年生の時、検査の数値を元に進学先について自治体の機関に相談の電話をかけました。
やさしい物言いをされる方ではありましたけれど、「IQ数値」をもとに、支援学校への進学を薦められました。
では、その学校ではどんな教育を用意してくれるのかと問うと、
「例えば、遠足などの行事でもわざと集合場所を最寄の駅にして、電車に乗るなどのスキルを身につけるとか、買い物をさせるとか・・・」
娘は、小規模校への越境通学をしており、小学校一年から電車に、4年からは電車とバスの乗り継ぎを毎日していました。そして、買い物も家庭で出来ることだと思いました。どちらも、たまにやるのではなく毎日が大事だとも・・。

私がその時点で渇望していたのは、力の弱い娘の力を引き出し伸ばす教育環境でした。電話の向こうで応対してくださった方のお答えからは「その数値ではこれ以上は伸びないんだから・・」という『専門家の判断』が透けて取れました。

結局私たち親子は、非常に面倒見のいい私立中高の学校に出会い、受験を経て今は2年生です。
勉強は確かに難しいですし、サポートもまだまだ必要ですけれど、コツコツをサポートしてくださる先生方のおかげで、確実に力がついてきました。
テストの点数などで表現できる力ではないので、どう書いたらいいか難しいのですけれど、普通に文章を読んだり類推する力が出てきているのを感じます。

「は」に 点々がついたら「ば」、「た」に点々がついたら「だ」、じゃぁ
「か」に点々がついたら・・・
というような類推ができず、全ての文字を同じ様に全部覚えなければならなかった娘が、昨夜英語の宿題に取り組みながら、
「『お酒を飲む』って・・・これがドリンクでしょ。だからこれがお酒なのかな?」
と、選択肢の中から
[to drink alcohol]を選んでました。

全体の中から、自分の知っているものを見つけ出し、知らない言葉を浮き出させて知識にしていく。

そういう事が本当に難しかった娘が、今英語の学習の中でそれを始めました。

「出来ない子だ」「やっても無理させるだけだ」
と、娘の学校の先生達は考えないでいてくれました。
力の弱い子にはそれにあった課題を考え作り、(山ほど)与えてくれました。
繰り返し繰り返し色んな方面から学習や体験を積み重ねていく中で、これまで彼女がためていた物をベースに少しずつ繋がりが生まれているのだと思います。

学ぶ事は苦しみでは無い筈です。
現に娘も、私の手助けの要らなくなった問題が増えるたびに、とても誇らしげにしています。

数値の低い子にとっては学習が苦痛だ、人に遅れることで傷つく
と考える方々は、本当に子どもの気持に寄り添っているのでしょうか。
学習が苦痛にならず、自分の力を伸ばしたいという方向にもっていく努力をなぜ考えないのでしょうか。
人に遅れることで傷つくというのなら、集団の中のトップの一人以外は全員傷つかなきゃおかしいわけで、そんな不健康な考えかたを育てないようにすることは考えないのでしょうか。

もちろん、現実に[理解のない環境の中、無理をさせて子供が潰れる]というケースはままあるわけで、「普通級で頑張るのがい」と言いたいわけではありません。
親は、「自分の子にとって何がいいか。どんな場がいいか。」を必死に考えるわけですから、どうかその気持ちを受け止めて、教育する側にも「数値による決め付け」ではなく、「子ども一人一人を伸ばすための最善の方法」をしっかり考えていただきたいと切望するのです。




【2008/11/22 10:10】 | sei #- | [edit]
seiさんへ

涙が出るほど、内容のある深いコメント、ありがとうございます。

英語のドリンクのエピソード、すごく伝わってきます。こんなことは、量的なデータでは示せませんが、子どもの育ちにとっては、何よりも意味のある手応えではありませんか?

そういうことは、検査やデータで表れないけど、生活の中ではとても重要なことです。

本来、日常生活を数値で切り取る事なんてできないのです。

子どもの育ちという、最も高度で深い営みが、紙の上なんかに表せるわけないじゃないですか?

学習を苦痛にするのは、指導の工夫もせずに、本来の学ぶ楽しさや願いに目を向けずに、そこに安易な競争原理だけを持ち込む愚かな指導が原因です。

苦手な子を踏み台し、人格まで否定すれば、だれだってやる気を無くします。

そんな環境で、子どもを痛めておいて、傷ついたらどうするの? の論理は、全く本末転倒です。

今、していかなければならないことは、本来の学びとは何か、その本質を正していくことです。

勇気がでました。 

すばらしいコメント、ありがとうございました。
【2008/11/22 11:39】 | SHINOBU #- | [edit]
SHINOBU先生、お久しぶりです。

今日は長男のサッカーの試合でした。
先発フル出場した息子は大変な集中力で
大きな声でチームメートと声を掛け合い
アイコンタクトでパスを出していました。
みんなとオニギリを食べ、おやつを分け合い、はしゃぎ・・・
本当にのびのびと楽しそうに笑っていました。

何故、この子が「どうせ俺はいらない子なんだろ!」と
泣きじゃくりながら教室を飛び出さねばならないのだろう。
そう思うと、とても切なかったです。

息子のパニックの頻度は減っています。
「我慢メーター」や「ワクワクメーター」などと
自分の気持ちを数値化することもできるようになってきました。
なのに、それを認めてもらえない・・・
我慢できるようになってきただけに
オーバーフローしたときの激しさが増しているために
担任の先生からは「状態が悪くなっている」
「投薬が必要」「転校した方が息子さんの成長に繋がる」と。

客観的で公平な「数値」という評価が必要な時もあると思います。
けれど、テストだけで人の心や成長は測れませんよね。
そもそも、その数値の境目は誰が決めるのでしょう?
息子のようにボーダーラインの真上にいる子供は
どちらにも行けずに立ちすくんでしまいます。

SHINOBU先生のブログを拝見すると
「こんなことで立ち止まってちゃいけない!」と励まされます。
お子さんたちの素晴らしい成長
保護者の方々の真摯な思い、たゆまぬ努力
そしてSHINOBU先生の本当に温かいまなざし。
我が子の周囲にも温かい輪を広げてやりたい。
私自身も温かいまなざしを忘れないように
そして誰かの温かさを感じ取り感謝する気持ちを持てるようになりたい。

ありがとうございます・・・





【2008/11/23 02:25】 | 祐 #- | [edit]
祐さんへ

ご無沙汰です。ブログ拝見させていただきましたが、ご苦労もおありの様子ですね。新年度に向けて、何とか希望の光が見えるとよいのですが・・

ブログの中で、「専門的知識」という言葉がありましたが、ある意味、これが大きなじゃまになっているケースを多く見かけます。

臨床の実績もないのに、ちょっとだけどこかでかじった程度の先生ほどその傾向が強い。知ったかげに、昨日、本で読んだばかりのような専門用語や知識のみを振りかざす・・

勉強は大事です。 私だって毎日の研究が仕事です。

でも、それは子どもと真っ正面から向き合ってこそ意味のあることなのです。

専門知識が色眼鏡になって、子どもをちゃんと見れないようになるくらいなら、そんなものはない方がましです。

特別支援や発達の専門性がなかったときでも、すばらしい先生方がたくさんいて、その先生のパーソナリティーで、クラス全員の子どもを包み込むような教育実践を積み重ねてこられました。

専門知識の無かった昔の方が、よっぽどよかったという見方もあります。

>「投薬が必要」「転校した方が息子さんの成長に繋がる」

この発言はダメですね。 こういう考えで、子どもが育つわけありません。 悲しいけど、ここは戦う時です。 また、ブログでお知らせしますが、戦うことによって、通じる先生もいるみたいです。

無理はなさらないでください。 でも、あきらめたらダメですよ。 何も出来ませんが、私も祐さんの応援団ですから。 決して一人じゃありませんよ。
【2008/11/23 07:42】 | SHINOBU #- | [edit]
しばらくパソコンが使えない状況にあったもので、少し遅くなりましたが、、。

「この数値でしょ。大して取り柄もないようだし、他の子への影響もあるし、早めに移籍を考えたら如何ですか。お子さんも辛いでしょうしねぇ。」
かつて言われた言葉です。それも当時管理職にあった先生から。
絶句しました。

確かに高い数値ではありませんでしたので仕方の無いことかもしれませんが、これが教育者の言葉かと、、。
うちの子がいることで他の子にどんな悪影響があるというのか?(因みに精神障害はありません)
「お母さんもそんなに頑張らなくても、、。楽になれますよ。」とも。「私は楽をしたいのではなくて、この子をしっかり育てたいだけです。」と思わず反論してしまいましたが、、。

これが全てのスタートでした。

その後、数々の相談機関で複数の専門家の方からその数値について首を傾げられ、再テストを行い「視覚認知の偏り」が指摘され現在に至っています。
その部分がかなり大きく落ち込むため全体としての数字はグレーからは脱しませんでしたが、、。

あの時、移籍を決めずに本当によかったと思います。

このように移籍を勧める先生方は支援級の見学をされているのでしょうか?
本当にその場が最もよいと判断されているのでしょうか?
私には「とにかく排除したいから、でも支援学校のレベルでもない。とりあえず隣の学区の支援級へどうぞ」といっているようにしか聞こえませんでした。

当時のそこのクラスは6名1クラスで重度の子が複数在籍していたと記憶しています。その場でどれだけこの子の持つ力を引き伸ばすことができるのか、認知特性に沿った指導をしていただける時間がどれだけあるのか、集団での学びは?(もちろん小集団ではありますが)
正直、納得できませんでした。
(決して支援級を否定しているわけではありません。その地域や環境、構成などによっては支援級といえどもさまざまな形態があることと思います。もし、ここならと思えていたら移籍させたかもしれません。)

数年後に中学入学を控えまた一山あるのでしょう。支援級の可能性も否定できません。だからこそ今小学生のうちに、集団の中で学ぶ事、集団から学ぶ事を大切に考えていきたいと思います。

ある中学生の子が支援級から通常級に移籍しました。「テストの点は思うように取れないが、皆と一緒に勉強することがすごく楽しい!!」のだそうです。
宿題等のことを考えれば大変なはずなのに、彼はずっと勉強したかったのですね。

「学びの楽しさ」根本はここかなと、改めて考えさせられました。

ギャングエイジ突入で難しい年頃になりつつあります。中学入学まであと数年となりました。この間に認知特性に合わせたスキルを身につけることとともに、決してテストの得点やIQ値などで表すことの出来ない「学びの楽しさ」を今、通常級の中で!と思わずにはいられません。

(何やら支離滅裂になってしまいました、、、。すみません。)
【2008/11/26 11:05】 | ごまたろう #- | [edit]
ごまたろうさんへ

学級集団の中にしっかり居場所があって、かけがえのない大切な仲間の一員としてのポジションがあり、その上で、それぞれの子どもの特性にあったサポートができる先生がいてくれたら、どんなにすばらしいだろうと思います。

残念なことは、特別支援学級に行っても、通常学級の集団から切り離され、集団の輪が小さくなっただけで、ちっとも充実した教育の場になっていないという声が、あちらこちらから聞こえてくるということです。

いつか行った学校では、特別支援学級で算数の少人数指導(通常学級と同じ内容の学習)をやっていて驚きました。 それが、この学校のニーズであったわけです。

障害種別ではなく、子どものニーズに合った教育の場を!

ちっともそうなっていない現場が多いのは、本当に残念なことです。

みんなと共に学びたい! 

その気持ちや意欲に添うことが、教育の基本姿勢であることに、何の疑いがあるのでしょう?

人と比べる安易な競争原理を、教育の場に持ち込むのは、もういい加減に考え直していただきたいと思います。
【2008/11/27 07:48】 | SHINOBU #- | [edit]












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