学習不振を病理化すること罪 (ドイツのズボドレッツ教授の指摘から)

 2008-10-09
みなさんは発達障害という言葉、それに障害児という言葉にどんなイメージをもっていますか?

私が指導を受けた岡山大学の佐藤暁教授は、「困り感」という言葉で、世の中に大切なことを示唆されましたが、こっちの言葉の方が正解だと思いませんか?

本当は下手くそな指導?、あるいは指導者の無理解が原因であるかもしれないのに、一方的にそれを子どもの障害(病理)のせいにすりかえられたことはありませんか?

少なくても教育は相互作用です。 これでは、いたたまれませんよね。

昨日、窪島務さんの「読み書きの苦手を克服する子どもたち」(文理閣)を読んでいると、医療と教育とのかかわりについて、次のような一節に出会いました。




ドイツ マクシミリアン大学児童青年精神医学研究所教授ズボドレッツ教授の指摘

 読み書き障害の医学的概念にたいする批判

1 学力不振を病理化している
2 情報処理の個々の段階へ還元することによって複雑な連関を不当に単純化している。
3 疑わしい治療技法による治療ブームのきっかけを作った。
4 もともとにある文字言語の獲得に対する援助を切り離した。
5 はじめから不十分な治療の提供しかしていない。



こうしてみるとかなり過激な主張で、鵜呑みにはできないと私は思いますが、しかし医学的概念(=診断)を絶対的のものとしてとらえることの危険性について、考えさせられますよね。

医療機関は、診断はできても、クスリの投与はできても、お医者が子どもの学力を育てる教育的な営みを保障してくださるわけではないのです。

これも、窪島さんの本にかいてあったことですが、「外的作用は内的条件を通して屈折的に作用する」(ルビンシュテインの発達の一般理論)と言われるように、どんなアプローチも、結局は、子どもの心を通して反映されていくのです。

私は、自己イメージの向上、と言う言葉をよく使いますが、こうした病理的なとらえが、そこにダメージを与えることになりませんか?

こうした病理的(ネガティブ)なとらえ方ではなく、どう育てていくかという建設的(ポジティブ)なとらえの方が、結果として子どもによい結果をもたらすに決まっています。

指導がうまくいかないとき、それを病理のせいにしてしまえば、そこで教育の機能は低下してしまいます。


医療と教育の連携は大切だと思いますが、教育の専門家は誰なのか? そこの誇りと専門性を投げ出すようなことになってはならないと思います。

少しずつではあっても、子どものやる気や達成感を育む営みこそが、一番重要だと思います。

苦しくても、大変でも、困難があっても、この子を育てたいという情熱があるからこそ、教育は、何よりも尊い営みとなりえるし、相互の信頼がそこに芽生えるのです。


子どもを育てるのは、教育の仕事です。 そこの温度が命だと、私は考えています。

コメント
医療、心理、認知発達の療育の3機関に「視覚認知の学習障害でもあり分類不能の広汎性発達障害」の息子は関わってもらっています。

医療の判断は「冷たく」「フォローのない」ものです。わたしも話には聞いていて覚悟をしてはいましたが、愕然としたものです。
しかし、後者2機関の「現状を認識した上での日常の困り感をへらすための支援、療育」があったので「学校への具体的な心理、教育的配慮」の提案が可能になりました。

また、後者2機関での詳細なレポートや彼らの現状から、逆に医療での検査結果が意味をあらたに持ったこともありました。

たとえば、左右認知が非常に悪かった息子の脳波は後頭葉部分での脳波の左右差がみられました。この左右差が通常の認知の仕方とちがうの一因でもあろうということで、視覚認知療育の進行と照らし合わせて脳波の推移も観察することになりました。脳波自体、双子の相棒がてんかん波が再発したことと、LD,PDDの診断があったためこの子供も専門機関での受診が可能になったくらいです。現状では医療機関でも市内の学校の状況把握、本人の様子の変化、進路の情報なども随分情報交換もできるようになり、安心できるようになりました。

こうしたことで日常に関わる部分での連携を丁寧にしてくれるようになれば、親も学校背の先生たちも本当に「???」の部分も減り、日々に努力にも希望がもてます。

専門機関といわれる方たちがどうか、こうした「子供を真ん中に一生懸命考え行動する」ことをいつも念頭において欲しいなあと思います。

「全員が丁寧にひとりひとりのありように寄り添う」
そんな支援者であってほしいです。(親も教師も専門機関も)


【2008/10/09 10:06】 | 双子の母 #PNOQ3fDM | [edit]
SHINOBU先生、こんにちは。

障害=「困り感」という言葉は、なんだか しっくりきます。

私の昨日のブログにも書いたのですが、
別の言い方で よく聞く、
障害=「個性」という言葉より、私はなんだか納得できます。

だって、私のこどもたちは、2人とも「聴覚障害」がありますが、
見てたら、まったく違う人間です。

持って生まれた性質も、性格も、物事の考え方も、
得手不得手も、好き嫌いも、夢中になれることも・・・。

何もかもが、本当に違っていて、
「同じ家庭で同じ親に育てられても、全然違うもんだ」と思います。

そんな中、「障害は個性だ」と言われると、
「個性っていうほどのものかな?」と、違和感を感じます。

私の2人の子供たちがそれぞれ持っている、
豊かな個性に比べれば、
「聴覚障害」って、「個性」っていうほどのもんじゃない。

だって、2人の子供達が、
「同じ個性を持っている。」とは、ぜんぜん思えないんです。

だけど、「困り感」なら、もうちょっと しっくりきます。

性格も、性質も、まるっきり違う人間だけど、
「困っていること」のひとつは、似ているよね、
っていうのなら、わかるのです。

【2008/10/09 10:20】 | ミカ #- | [edit]
双子の母さんへ

後頭葉部分での視覚的なメモリが書字に大きな影響をもたらしていることが、昨日のNHKの「ためしてガッテン」でも取り上げられていましたが、双子の母さんの指摘されるように、子どもを真ん中において真剣に向き合っていれば、そのことが具体的な支援や教育に反映されるわけです。

だったらどうする、が見えてくるわけです。

そこの覚悟と意気込み、つまり主体者として、あるいは教育者としての誇りと情熱を取り戻していただきたいと思うのです。

セラピストさんからも、ドクターからも、教育の果たす役割の重要性について指摘を受けたことがあります。

腰の引けた、丸投げの気持ちでは、連携にも何にもならないと思います。

双子の母さんの「死力を尽くす」、はまさに名言です。
【2008/10/09 11:56】 | SHINOBU #- | [edit]
ミカさんへ

佐藤暁先生も、双子の母さんも、「困り感」のあとに「寄り添う」という言葉を続けていますよね。

ミカさんの営みも、まさにお子さんに「寄り添う」実践そのものです。

佐藤先生は、言葉をとても大切にされる先生ですが、私はいつもミカさんの言葉から、大切なことを感じ取っています。

「個性」ということばについても、これを機会にもう一度見つめてみたいと思っています。

いつもありがとうございます。
【2008/10/09 12:03】 | SHINOBU #- | [edit]
こんにちは
障害=不便な個性
そうおっしゃる専門家もいらっしゃいますよね。

「不便さ」をどうカバーするか・・。

これが専門家や教師の腕のみせどころかなと。
そのための「特別支援教育」であり「環境設定」のうまさであり、本人にあわせた「認知発達」の療育の場がありって感じでいければなあと。

親はそうした沢山の人、場所、ものを「わが子用」に総マネージャーとしてコーディネートする人であればいいのかなあと思います。

実際には「頭を下げ続ける作業」や「子供をつい責め、追い込む毎日」に振り回されるのが現状で、なかなか立派な親にはなれませんが・・。

「普通」「標準」を無視もできませんが、そこに目標を置くと「つらい」「困った」毎日になりがちなので、「迂回路」をあるきなながらゆっくり本人がめざす山頂に登ればいいかなと思っています。
本人の目指す、山、山頂を本人希望を主体に、親・教師・専門家がうまく援助し選択してあげたいなと思っています。
【2008/10/10 08:41】 | 双子の母 #PNOQ3fDM | [edit]
こんにちは。
「発達障害という個性」との考え方は私も違和感があります。「普通」の子供と同様に障害のある子供たちにも様々な個性がありますよね。
教育に携わる現場の先生たちの障害への理解がまだまだ足りない…と強く思います。熱心に勉強しておられても、書籍に書かれたことをそのまま丸呑みするような理解の方も多いと感じます。
息子のことを「ASだから友達という概念がない」「人の気持ちが理解できない子供だから」と仰った方があります。息子はコミュニケーションが苦手ですが友達が好きです。人を思いやる気持ちもあります。子供自身を見ずに「障害」というフィルターをかけ、一方的に決め付けられ悲しい思いをしました。

もちろん知識は必要です。文献や講演会で学ぶことも大切だと思います。けれど、目の前の子供が何に困っているのかを感じ取って欲しい。多くの先生方がSHINOBU先生のように、知識だけではなく感性を磨いて子供たちと接していただけたら…と願います。
【2008/10/10 22:00】 | 祐 #- | [edit]
祐さんへ

ブログ、拝見させていただきました。

またしてもひどい先生の話で、悲しくなっちゃいます。

そこに育てたい何かがあって、懸命に子どもと向き合って、多くの事例に触れ、理論と照らし合わせて整理しながら、試行錯誤していく。死力を尽くす。

苦しいけど、やりがいのある尊い仕事です。

これでなきゃ、教師の看板、返上しなけりゃいけませんね。
【2008/10/11 12:51】 | SHINOBU #- | [edit]
双子の母さんへ

総マネージャーとしてコーディネートする人、今の日本では、ここを親がするしかないですよね。

私はそれを、子どもと保護者のself-Determination(自己決定)としてとらえ、そこをサポートしようと考えているわけです。

今回のコメントは、まさにそこに取り組んだ実践者としてのもので、奥が深い貴重なものです。

主体者としての子どもと保護者をサポートすること、こうした最低限の意識も根付いていません。

最低限のことさえできていないのに、相変わらずの上から目線とくれば、こちらの怒りも頂点に達してしまいます。

何度そんな場面に遭遇したことか・・

しかし、主体者は子どもと親なのですから、死力を尽くして、やっていくしかありませんよね。
【2008/10/13 08:58】 | SHINOBU #- | [edit]
窪島さんの本にかいてあったことですが、「外的作用は内的条件を通して屈折的に作用する」(ルビンシュテインの発達の一般理論)と言われる
と書かれいますが、彼は逆に外部条件が内部条件を決定することに傾注しています。ルビンシュテインは「外的作用は内的条件を通して屈折的に作用する」と単純に書いてません。田中昌人の書いた引用の自己解釈です。Google 教育と労働安全衛生と福祉の事実 ご覧ください。
【2011/07/19 03:45】 | 教育実践研究 #- | [edit]












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