当事者にしかわからない 発達障害に対する差別
2008-10-01
私は、子どもとご家族の心のサポーターでありたいと願っていますが、それでも当事者である皆さんの痛みや苦労を、完全に分かち合えているわけではありません。先日の記事で、障害のある子どものことで生じるご家族間の軋轢について紹介させていただきましたが、その後寄せられたコメントからは、私の想像を超えた、なお厳しい現実を知るこことなりました。
少し前、岡山駅で、不幸なことに少年がホームに人を突き落とすという痛ましい事件があり、皆さんの心にも深い影を落としたのではないかと思います。
私が今日ここで取り上げたいのは、 「発達障害だから〜」 「特別支援の子は〜」 という、表面だっては口にされない、微妙な空気、差別、偏見についてです。
例えば、登校班でお子さんが誰かとトラブルになったとします。 登校班のトラブルは、そこに何か原因があるからであって、障害があろうとなかろうと、どこにだって誰にだってあることです。
原因を明らかにし、相互の子どもの心に寄り添いながら、どうしたらよいのか考えさせ、解決法を指導していく以外に方法はないはずです。
ところが先日あるお母さんから、相手側の保護者が、直接、口には出して言われなかったけど、「あなたの子は特別支援の子だから〜」 という微妙なオーラがそこにあったと聞きました。
そりゃ、子どもですから、感情的になることだってありますよ。 この子、ホントは誰よりも傷つき易く、心優しい子です。
でもそこに、特別支援 → 感情の理解が出来ない → 衝動的・突発的 → 何をするかわかなない → 電車事件 → なるべく近寄らないでおこう なんて空気が流れたとしたら、それはとんでもないことです。
特別支援の子 = ××××
という決めつけがあったとしたら、それは差別・偏見・無理解以外の何ものでもありません。
太郎君は、言葉の発達が遅れていましたが、この1年間でびっくりするほど表出言語が増え、コミュニケーションが活発に行われるようになってきました。
この太郎君、家で飼っていた愛犬の死と向き合い、深い愛情と命の大切さを育みました。 夏に、担任の先生からの連絡帳から、プールサイドで死んでいた生き物に、持っていたティッシュを敷いてあげていたそうです。 本当に太郎君らしいエピソードです。 一生懸命だからこそ、うまく伝わらないときは心が揺れる事はあります。 でも、それはそこに前向きな願いがあればこそです。
花子ちゃんは、今、書字の課題で苦労しています。 でも、本読みはとても上手だし、読解力も一流です。 物語を読んでいる時、母熊が鉄砲で撃たれているシーンは、かわいそうだからとばして読む、そんな子どもです。 この子も明るく前向きで向上心が強いがゆえに、時々友達とのトラブルもあります。 でも、それは書字が苦手だから、ということとは、まったく別の次元の話です。
そう言えば、今ではそんなことはないと信じたいですが、私が、通常学級から当時の特殊学級の担任になったとき、周囲からは、 「よく、思い切ったね〜」 とか 「自分で希望したの〜」 と言われたことが記憶に残っています。
今では当たり前になっていますが、そういう人事はこの地域には過去に前例がなく、どうやら私がその第1号だったらしいです。
私は、胸をはずませて、希望をもって特殊学級の担任になり、それまでに得たことのない大きな感動を何度も胸にしましたが、一方で、教育界でさえこんな感覚か、と失望したことを覚えています。
当事者にしか、わからないことがありますよね。
私が、子どもとご家族の心のサポーターでありたいと願う以上、この問題に対する構えもしっかりもっておかねばと、気持ちを強くしたのでありました。
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