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信頼できる先生を選択する基準 (基礎理論と臨床技術 問われる指導者の専門性)

 2008-09-05
昨日、ある方のコメントから、特別支援にかかわる先生の専門性について考えさせられました。

内容は、以下の通りです。




特別支援に来る担任が専門性があるとは
限らないですよね。

通常級では複数の保護者の激しいクレームがついて
火だるまになり、とてもやれないから、
人数の少ない特殊級(ないし特別支援学校)に・・と
いうケースもありますね。
それも決して珍しいことではありませんよね。

給料がいいから、
退職金に反映されるから
という理由の人も少なくありません。

それでもきちんと仕事をしてくれるなら
問題ありませんが。

「私は免許を持っていますから」という先生に
「大学の専攻は障害児ですか?」ときくと
「いいえ」という答え。
たかだか何時間かの講義を聞くだけで(レポート提出とかでも)
免許を持っているといわれても・・・・
しかも免許を持っていても
実践が伴わないので 何の役にも立たないのです。
こどもを不登校に追いやっても
「あの子供が(保護者が)悪い」と。反省の色は
皆無です。(中高年の教員に良く見られる現象です。
フレッシュマンにはあまり見受けられません)

「より適切な指導を受けれますから」と教育委員会がいうのなら
そういう実践を個人芸ではなく、
どこに行っても受けられるようにしてほしいですね。




この件については、私も思い当たることが、いくつもあります。

まずね、大学に行っても、研修に行っても、教えてもらえることのほとんどは、基礎理論であって、臨床技術ではないということです。


すべてとは言いませんが、大学の先生の多くは研究者であって、教育の臨床実践者でないのです。

もっと言えば、大学の先生方には、実際に、自分で子どもを教えたことがない人もいます。授業をしたことがない人もいます。

もちろん現場の連携を深め、それぞれの専門性を発揮し、優れた授業改善のために多大な貢献をされています。

でも、教育学部の教授だから、全員教員免許があるか、と言えば、それはNOです。

大学で学ぶのは、教師として最低必要な基礎理論であって、だからといって、実際の指導に必要な臨床技術が、必ず身についているかと言えば、そうは言えないのです。

じゃあ逆に、例えば特別支援学級の免許をもたない人の臨床技術はどうかと言えば、免許は無くても、障害のある子どもの力をどんどん伸ばしていく力のある先生は、山ほどいます。


じゃあ、その臨床技術をどうやって身につけていくかというと、例えば、こんな過程になります。

大学で一定の基礎理論を学び、教育現場に出ます。この基礎理論にも、定番というものはなく、大学で、これはと思う先生のゼミをとり、卒論でそのことを書いた、という程度です。

教師になって数年は、とにかく独り立ち出来るよう、子どもにしっかり向き合い実践のキャリアを積みます。

もう、誰かの世話にならなくても、自分のことは自分で出来るようになったら、今度は、教師としての自分の研究テーマ=ライフワークに向けた歩みを始めます。

ここで、様々な教育雑誌、実践研究、研究会、サークルなどで技術を磨き、我と思わん者は、積極的に自分の実践を公開するなど、情報発信をしていきます。

教師としての力量や技術は、実はここで高められるのです。


免許のあるなし、出身大学の偏差値、先生としての地位やポジション、キャリアなどは、プロフィールとしては意味をもちますが、実際の指導となると、それは参考の材料にしかすぎません。

先生にも色々タイプがあって、研究発表をやらせると、専門家も大学の先生も一目置くようなすばらしい内容の提案をする先生が、こと学級経営に関してはボロボロということは、よくある話です。

管理職に逆らって、問題教師とされている先生が、子どもにとっては生涯の師とであり、結構式で仲人なんて話もよくあることです。

特別支援の免許があるというのは、発達の基礎を学ぶ意欲と姿勢ということから、とても大切なことだと思います。


しかし、臨床技術は別です。

プロである以上、特別支援学級の先生全員が、保護者の期待に応えられる臨床技術をむつべきであり、特別支援学級の先生というからには、そうであるべきだと思います。


ただし、現実はどうでしょうか? 

そこで大切なのは、我が子にとってどうか? という視点だと思います。

免許のあるなし、とかそういうことではなくて、我が子にとってどうか?という内容で先生を選んでいくことだと思います。

うちの学区の特別支援学級の先生はどうも・・・と考えるのであれば、隣の学区はどうですか?通級指導教室はどうですか?通常学級はどうですか?校長先生や地域の方への働きかけはどうですか?


ここで、いきなりめちゃを言ったり、横車を通そうとしてもダメです。

公教育ですから、表面上は無理は通りませんが、実際は、どう考えてもご両親のひたむきな姿勢や取り組みが、この先生を呼び寄せたとしか思えない、という例を、私はたくさん知っています。

ひたむきな姿勢が、校長先生を動かし、信じられないような人事が執行されたこともあります。

それもこれも、お子さんの実態・必要感・求めていく、希望する具体的な指導形態のビジョン・正当性・公平性・手続き性など、条件が整わないと無理です。

いくらやっても、無理なケースもあるかも知れません。 それでも、次の一手は考えていかなくては、なりません。 むごい先生の実態があることも、幾度となく聞いたりふれたりしてきました。


こうしたことを専門的にサポートする存在が欲しいところですが、いなければまずは、自分で進めなくてはなりません。

その一歩は、 「うちの子は、こういう特性のある子なので、親としてこんな教育を希望している」 ということを、具体的な形で学校に伝えたり、理解していただいたりする取り組みです。

何もしなけりゃ前へは進みませんし、いきなり言っても、まず無理でしょうから、容易ではありません。


大きな社会の流れを、教育のうねりを巻き起こすために、批判を批判として形にしていく取り組みも、一方では大切な事だと思います。

と同時に、現実の我が子の教育の形を、地域社会のリソース(資源)の中から、選択したり、組み合わせたり、作ったりするのも、親として大切な役割ではないかと思うのです。

その一切な視点の一つとして、先生の臨床技術ということを頭に置かれてはいかがでしょうか?というのが、今日の私の言いたいところです。


先日、ある保育園の先生の相談を伺いました。 障害児保育という枠ではなく、普通の保育の中でかかわりをされている若い先生です。

3時間位保育の様子を拝見させていただきました。かなり、ハードなケースでしたが、子どもに寄り添い、ていねいに、しかも熱い気持ちで保育の実践に取り組まれていることが、ダイレクトに伝わってきました。

私は、発達の視点から、思うことを伝えました。 そして、そのことがどれだけ価値のあることかを話すと、しっかりとした表情でこちらをきちんと見据えながらも、大粒の涙が、ぼろぼろとこぼれていきました。

この先生は必ずやるでしょう。 尊敬とあこがれの視線でこの先生をサポートしていた新採用のサブの先生も、だんだんと表情がひきしまっていきました。

ここには免許も何もありません。

ただ質の高い・魅力ある、臨床技術向上への期待が、ここにあります。

保護者の方の信頼は、指導をする者の命です。こういう魅力ある先生を支え、手をつなぎ、いっしょに歩んでいくということも、ひとつの方法として知っておいていただけたらと思います。

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コメント
子供が通ってる小学校は、特別支援の免許をもっている先生は 指で数えた方が早いぐらい いません。その下に免許のない方が教えています。いくら基礎概論が、勉強しても臨床が出来なかったら意味がありません。基礎と臨床は、違いますから。免許のない方でも、ただ教えるだけでは。経験を積んでる方は、違うと思います。免許をもってその人に役にたっているかが重要かと。○○小学校にもそういった経験の積んだ先生が、来てほしいですね。そういった経験の先生は、子供に対し暖かみがありますよね。暖かみでも本当の心の底から。先生しか出来ない愛情。
【2008/09/05 12:26】 | まーちゃん #- | [edit]
まーちゃんへ

なるほど、子どもに寄り添っている先生は、基礎理論も臨床経験や技術も伴っているということですね。

そういう先生が、特別支援のステージの主人公になってほしいと思います。

教育のユニバーサルデザインというスタイルです。

目指す方向は、こうした方向なのかも知れません。
【2008/09/05 16:08】 | SHINOBU #- | [edit]
覗いてみましたら、自分のコメントが取り上げられていて
驚きました。

先生のブログ、あまりぜんぶ読まずにコメントしたので
ごめんなさい。

私は教員ではないのですが、2年くらい学校に関わる仕事(特別支援とは直接関係ないですが)をしたことがありますので、内情を少々理解しています。

私の自閉症のこどもは去年まで私立保育園で15年くらいの保育士さんに見てもらってました。その人は当然、自閉症の知識はありませんし、免許もありません。

でもこどものことが大好きな先生でした。

私が「こういうことが好きだ」「こういうことは苦手だ」というと
それに沿ってやってくれました。
すばらしい実践ではないかもしれないけど
こどもの目線でやってくれました。

その保育士が私に「専門家の講義を聞きに行きたいと思って・・」と
いいました。「先生のほうが遥かに経験豊富だから、講義を聴いても
あまり参考にならないと思いますけど」というと驚いていました。


昨日は、国立大学教育学部の障害児教育講座の先生が保護者向けに
個別の支援計画、教育計画の講義をされたので聞きに行きました。
(私はそんなの学校で見た事も相談されたこともないのですが)
その中でその先生が「特別支援の免許の認定講習で WISCをやらせたが
特に特別支援学校の教員が評価と実践ができていない」といわれました。
事例が高機能自閉症だったからでは?と思いましたが、実態はこうなのに
センター機能を押し付けている文科省の姿勢はいかがなものか?と思います。
また、その先生が「認定講習で教員のモチベーションがあがらない」と
嘆いておられたので、講習の後に「先生。講義をもっと実践的なものに
変えたらモチベーションはあがるんじゃないですか。持ち寄ってやってみられたらどうですか?現場の人は評価とか定義とかの講義は聞き飽きていて(理解は完全ではないけど)どうすればいいのかということに関心があるみたいですよ。せっかく教員が強制的に集まるのですから。」というと大変驚いていました。間があって「そうしてみます・・・」と・・

不思議な気がしましたが、先生の記事をみて納得です。
教育機関は診断をつけるところではないと思います。
しゃべらない、字がかけない、よめない、計算ができない、そんなことは日々接触していれば発達検査をするまでもなくわかることですよね。

【2008/09/06 11:27】 | とおりすがり #- | [edit]
とおりすがりさんへ

貴重なコメント、ありがとうございました。通じ合えたみたいで、うれしいです。きっと、とおりすがりさんと私は、向いている方向は同じなんだと思います。

発達検査の量的データより、日々の教育の中の質的データの方がどれほど貴重で有益なものか!

とおりすがりさんのご意見に全く同感です。

はじめに診断があるのではなく、まず、そこに子どもがいるのです。

夏にね、ある自治体の先生方の研修会に呼ばれました。

そこで、私の日々使っているカードやワークシートを紹介すると、食い入るように見てくれました。

この事は、8/5の記事に書いていますので、よろしければご覧ください。

どこにでもは、いないんですよ、ちゃんとできる臨床実践家は!(私もまだまだ駆け出しです)

今求められているのは、理論より、実践。

とおりすがりさんのご意見は、正解だと、私は思います。
【2008/09/06 11:43】 | SHINOBU #- | [edit]
あと、担任の先生はそれなりに一生懸命やってくださっていますので
感謝しています。私の話(といっても子供の話)もよく聞いてくれますし。
私はそう無茶をいっているわけではありません。

現行のもので組み合わせていくしかないのも
現状では仕方ないですね。
気の利いた そして余裕のある保護者の子供しか
勝ち得ていけないと思います。

また、教育界では(だけではないけど)
保護者を下に見る傾向がまだまだ強いと思います。
もう師範学校の時代ではないのに・・・

保護者からは聞き取りさえすればよくて
計画の策定にも入れない、お任せすれば自分たちで
プロとして十分するかといえばそういうわけでもない(傾向)ですし。

勉強している保護者にとって 単にさぼっているだけ?形式を整えているだけ?モンスターペアレント
呼ばわり という状況はものすごく不条理ですね。
教育委員会、文科省、教育センターの文書を見ても
保護者は指導されるものであるという雰囲気がびんびん伝わってきます。
指導するならきちんと実力をつけておっしゃっていただきたいものです。



今まで文部省、厚生省、労働省、保護者、社会・・
みんながさぼっていたツケがまわってきた感じです。
財政難がきっかけで障害者の自立を促す方向に向かうとは
皮肉なものですね。。

【2008/09/06 11:46】 | とおりすがり #- | [edit]
いろいろわかっていますね。

ただ者ではありませんね(笑)

学校にいると「保護者は指導するもの、甘やかすな、威厳をもって対応するように」と本気で考えている先生、いますよ。

でも、力があれば、権威も威厳も必要ありません。

私は、とにかく子どもを育てたい。だとしたら、協力・連携・パートナーシップは不可欠だと考えています。
【2008/09/06 12:01】 | SHINOBU #- | [edit]
投稿ボタンを押したら 先生のコメントを拝見しました。
方向は同じだと思います。

ないものねだりは現実的ではないので 学校と
敵対するのではなくて できるだけ協調しながら
行動変容を促しつつがんばりたいです。

でも保護者は保護者は・・って
その保護者が学生時代に 学校教育してきたのは誰・・?と
言いたいですね。
(って教育委員会の人に実際 独り言調で言ってしまったことがあります。
はとが豆鉄砲を食らう という表現がぴったりな お顔をされてました)
【2008/09/06 12:02】 | とおりすがり #- | [edit]
はじめまして
息子は聴覚障害と精神発達遅延で幼稚部まで聾学校で過ごし
その後養護学校へ入学し現在小3です。

うちの学校はモデル校というのでしょうか?先生たちの育成の場のように
入れ替わりが激しいです。
息子は重複クラスに存在しているので一般クラスよりも手厚いのはよいですが、その分手抜き的な部分も多いです。
目標を立ててというよりも、一日を無事に過ごすというような感じです。

>「うちの子は、こういう特性のある子なので、親としてこんな教育を希望している」 

これは毎回訴えています。それでも毎年担任が変わるので進級してるのに毎年1からの始まりで1学期を捨てている状態です。

言っても伝わらない話を読み取って頂けないんですよね。

>通常級では複数の保護者の激しいクレームがついて
火だるまになり、とてもやれないから・・・


噂で聞いたら保護者からのクレームで出されたということでした。
転勤で2人でセットで来るときはどちらかがおまけ(言い方悪くてすいません)と保護者の間では噂されています。

教育に関して目標や
ここまで出来たからその次はこうするという事を先生の方から言われたことはありません。
ですので私が口を出すんですが、さぞかしうるさい親だと思われていると思います。
やはり聾学校と比べてしまいます。
絶対に手話を使わないと子供たちとのコミュニケーションがとれないので
先生たちは必死で覚えるしかない、やらなきゃいけないと思うんですが
養護にいる息子の先生たちは、何度も話しかけないと(手話)この子は何をしていいか分からない伝わらない ですと言っても重要性がわかっていません。

なんだか話がそれて愚痴になってしまいました。すいません。
また貴重なお話読ませて頂きたいと思います。
リンクもさせていただきたいなと思います。
一度ご訪問頂き よろしかったらお願い致します。
【2008/09/06 12:23】 | あい #mQop/nM. | [edit]
あいさんへ

ようこそお越しくださいました。


>「うちの子は、こういう特性のある子なので、親としてこんな教育を希望している」 

これは毎回訴えています。それでも毎年担任が変わるので進級してるのに毎年1からの始まりで1学期を捨てている状態です。


この縦軸の通りの悪さ、何とかなりませんかね、その気があれば工夫できるのにね、残念です。


教員の質のことにしても、実はこれが、特別支援教育の影の部分であることは否めないことです。

信じられないくらいすばらしい先生もたくさんいます。

が、実際に、厳しい現実がそこにあることは、何人もの方が同じようなコメントをお寄せくださることからも明らかです。

命を削るように真剣に取り組んでおられる先生を知っているだけに、保護者の「せめてもの思い」に応えられない先生や論外の先生の存在を知る度に、深く重い気持ちになってしまいます。

私は、自称「保護者のサポーター」です。

私でできることでしたら、精一杯がんばりますので、どうぞよろしくお願いします。

子どものために、一緒に前を向いて進んでいきましょう。
【2008/09/06 13:06】 | SHINOBU #- | [edit]












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