知能検査・発達検査の怪 (こんなもので 子どもを苦しませてはいけない)
2008-08-23
大学などの研究法で,「量的研究」と「質的研究」という2つのとらえがあります。「量的研究」というのは。歴史のある研究のスタイルで,例えば,自閉症のお子さんに有効かも知れない支援の方法があったら,本当にその支援によって子どもに有効な成長が見られたかどうかを,データによってきちんと証明していく方法です。
一見その方法が有効なように見えても,実は別な要因が作用していた(例えばたまたま体調がよかったとか,先生が大好きだったとか。ごほうびがめあてだったりとか・・)という話は,よくある話です。
だから,他の要因を排除した,統制的な環境で,本当にその方法が有効かどうかを,信頼できる統計的手法なども取り入れながら実証していくのが,この「量的研究」のスタイルです。いわゆる。実験的なやり方です。
しかし,現実生活は,さまざまな要因が複雑にからみあっており,実験室の中で有効であっても,それはそれだけのことであって,実際の家庭や学校で役に立つのは別問題,という見方もあります。
もっと,リアルな人間社会の中で。トータルな子どもの育ちの中で,その方法の有効性を見つめてみよう,というスタイルもあります。これが「質的研究法」です。
質的研究では,例えば,現実社会の中での子どもの育ちを観察して,それを言葉で記録していきます。一定のルールのもとに,可能な限り言葉によるデータを大量に収集していきます。
その膨大tも言えるデータを,次は細かく分類しながら整理していくと,一定の法則生を編み出していくことができます。その編み出された法則性をもとに実践を重ね,また記録を積み上げ,より豊かで信頼できる方法を編み上げていく,これが質的研究のスタイルの一つです。
どちらのスタイルもそれぞれのよさがありますから,どちらがどうと比べることはさほど意味がなく,要は,実際に子どもの育ちにどれだけその方法が有効か,その中身こそが重要なのだと考えています。
知能検査は,ばっちり数値で示されますから。完全に「量的なデータ」です。
ある意味,公正で客観性がありますから,療育手帳の交付とか,特別支援学級の入級とかで,何らかな基準が必要な場合には,こうした検査が有効だと,思ってはいます。
しかし,しかし,これは統制された,現実ではあり得ない空間の中で,初めて会ったセラピストの手によって,一つの方法で,ある一つのものさしで,せいぜい半日,子どものプロフィールの一面を映し出した,ということであって,恐れ多くも,人間の価値を決定づけるものでも何でもないことを,十分・十分理解していただきたいと,思っています。
「あなたのお子さんのIQは50でした。生活年齢は6歳ですが,精神年齢は3歳になります。」
こんな言い方で,それを聞いたご家族が,どんなイメージをもつか,担当者は理解して伝えているのでしょうか? きっと客観的なデータを示すことによって,子どもの障害に対する認識と受容の一助としていただきたい,くらいのことは考えているのだと思います。
でも,それって,本当に,命をかけて,この子は3歳くらいの知能ですって,断言できますか?
今日初めて会った子に対して,わずか3時間ほどのかかわりで,たったひとつの検査で,本当にそんなことが言えますか?
そのことによって,もし,ご家族や本人のセルフイメージがマイナスに作用したとしても,あなたは責任もって,今後の対応についての指針を示すだけの力量と決意があるのですか?
と,私は言いたい。
花子ちゃんが今回検査を受けられましたが,IQ値は,私が思っていたものより,かなり低いものでした。
この私でさえ,検査結果を聞くと,正直,心が揺れてしまいます。 自分の子でなくても,こうですから,ご家族の気持ちは,いかばかりかと容易に想像できます。
療育手帳など,行政サービスを受ける権利を得たという見方もできますが,それは違う次元の話になってしまいます。
しかし,これは,単なる「量的データ」の一部にしか過ぎません。
私には,これまで何十時間と,一緒に個別学習を進めてきた「量的なデータ」が豊富にあります。
昨日,2年生の教科書の巻末教材の「黄色いバケツ」の読み取り学習をしましたが,それは,ほれぼれする内容です。
十分2年生としての水準超えてます。 私,2年生の学級担任,やったことありますから・・ これまで,何百人という子に勉強教えてきましたから・・
ここの部分は,自信もって断言します。
この子は,聴覚性の入力と言語表出(スピーキング)は得意ですが,視覚認知と動作性の出力(ライティング)は苦手です。
今回は,田中B式の検査だったようですが,この検査法って,苦手な方法のみでやってませんか?
こうした検査自体,予備検査みたいなものをして,その子にあったものをするみたいな感じにはならないんでしょうか?
花子ちゃんのすばらしい読解能力,どこへ飛んじゃったんでしょうか?
そう言えば,私の大学の時の友達,子どもの時,発達遅滞と診断されたと言ってました。
「分からない問題が1問あって,それを飛ばして次の問題をするということがいけないことだと思ったから,最後まで真剣にその問題だけ,時間いっぱい考えていたら,そうなった・・」
と,笑っていましtが,こんなことだってあって当然です,子どもですもの。
ちなみに彼の大学の成績は,私よりはるかに優秀でしたよ。
知能検査・発達検査は,単なる一つのプロフィール,と,大学院で私は何度も何度も,そう教えられました。
しかし,検査を受けられる方,すべてが心理学を学んだものでもなければ,検査がどんあものかを理解しているわけではない。
しかも,命より大切な我が子の宣告です。
密室の中で行われ,詳細については秘密で,結果だけが断定的に提示される。
少し「量的データ絶対主義」みたいになっていませんか?
検査は,何かに生かすための手段であって,それが少しでも,自己イメージや意欲を低下させるリスクがあるのなら,その点を十分に配慮すべきだと考えます。
親の目の前に厳しい物だけを突きつけて,突き放すようなことだけは,いい加減にやめて欲しいと思います。
数値がこうだから,指導をしても無駄ですよ,というように受け取る方は聞こえてしまう場合もあるのですよ。
子どもの成長や幸せに結びつかないのであれば,自己イメージを傷つけるような検査はするべきではないと,私は考えます。
今の日本では,検査をするは山ほどいるけど,検査結果を見て,子どもをちゃんと育てられる人は,そうざらにいないような気がしています。
それより私は,花子ちゃんの読解の才能を,どう開花させるか,そこに集中したい。
マドンナさんのまこちゃんが,二次方程式や英検に挑戦し,自己イメージをぐんぐん伸ばしているように,花子ちゃんに自信と誇りと生きがいをもたせ,笑顔いっぱいの人生をおくらせたい。
検査により,そこが提示できる方がおられるのなら,今日にでもお伺いして,ご指導をいただきたいと思うのであります。
↑どうかランキングも見てやってください。はげみになりますので,ご協力よろしくお願いします。


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