声にならない言葉
2019-02-28

先日、ある中学生の子が、レッスンが終わった後に、いきなり私に抱きついてきました。
単語レベルの言語表出が、無かったわけではありません。
ですが、私には彼の思いが手に取るように分かり初め、その願いを教材の構成という形で彼に返してみました。
すると不思議なことに、それにつれて言語表出の機会がだんだんと増えてきました。
当然のことながら、その言葉の量以上に、コミュニケートな内容が格段に豊かになってきたのです。
レッスンが終わったあと、達成感で彼の顔が紅潮しているのが見て取れました。
言語は単なる音声の表出ではなくて、通じ合うもの、共有し合う何かがあってこそ初めて意味をなすもの、
共有し合う内容が豊かになれば、言語であれ、非言語であれ、コミュニケート自体が生き生きと動き始めるのです。
言葉であれ、何であれ、支援者と子どもが同じ目標や、同じ方向に向くことこそが、その絆が深まり、通い合うことの中から何か美しいものが生み出されていく。
いつの頃だったか、この子の行動面の課題で心を痛めたことも、もう遠い昔、
抱きしめられた手のぬくもりこそ、百万の言葉をしのぐ、私へのメッセージに他なりません。
ずっと信じて前に進んできて良かった、
また一つ大切なメモリーが、心にしっかりと刻まれた一日となったのです。