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子どもが育つ教材

 2018-08-31
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皆さんは、学生時代にメンデルの法則や元素記号、古文や漢文、関数・因数分解・三平方の定理などたくさんのことを学んできたと思います。

でも、その事が今のお仕事と直接結びついたり、その事が生活の中で日々使われているかというと、そうではない方が大多数なのではないかと思います。


では、高校で物理や漢文を学んだ時間が、全く意味の無いことであったかと言えば、それはきっとそうではないと言えるのではないかと思います。


高校球児なら、どの子もすべて夢は甲子園で練習したいものです。

たとえそれが予選敗退であろうがなかろうが、野球部で過ごした日々は、決して甲子園出場の有無では替えることのできない大切な日々であったはずです。

野球部でみんなと共に練習した日々の中から、チームワークであったり、目標に向かって努力する姿の尊さであったり、自分や友達に対する誇りであったり、克己心であったり、そのことがその後の人生を切り拓く大きな原動力となったりすることもあるでしょう。

勉強でも、運動でも、子どもたちは、懸命に取り組む中から、きっと何か大切なことを学んでいくのです。


以前、私の所に、サッカーのとても上手な子が来てくれていました。

お父さんも元サッカー選手で、将来はきっとその道で活躍できる資質や環境が整っている子でした。


ある日、その子がため息まじりに私に語った言葉があります。

「先生、おれ勉強できるようになりたいんよ~」

今からもう数年も前の話になりますが、この言葉は、今でも私の心に突き刺さっています。


2歳や3歳子でも、アンパンマンのおもちゃを出した時と、数字やひらがなのパズルを出した時の目の輝きは違います。

子どもには、生まれながらにもってした、内発的な学びの欲求や、知的好奇心が必ずあるのです。

「あなたは勉強しなくていい」は、「あなたは生きていなくていい」と同じ意味の言葉です。


子どもの能力や、特性、発達の時期や伸びるタイミングは、多様で千差万別、一人として同じ子どもはいません。

別な言い方をすれば、子どもの目が輝くのは、その教材の目的や方法がその子にあっているからで、そうでないのなら、それはその題材や方法に工夫が足りないのだと、私は考えています。


標準化・系統化された教材にチャレンジしていく方向感は、すべての子にもってもらいたいと思います。

大谷選手だって、キャッチボールもできない時期が、必ずあったはずです。

最初から甲子園なんか無理と、だらだら野球をやっているのと、そこからきっと大切なことは何も生まれません。


しかし、いくらそれが標準化された教材であっても、その子の今に合ってない教材を、何の手立ても工夫もなしに与えていて、それで一体何が育つというのでしょう。

それは、子どもが悪いのではなく、何の配慮もなく与えた指導者こそが、切腹すべきだと私は考えています。


子どもの今を見つめること、

教材のねらい・育ての目標を明確にとらえること、

子ども力を育てる見通しとビジョン、

それに叶う技術と情熱、確かな支援、


それで育たないことが、一体どこにあるというのでしょう、

ものさしのあて方一つで、きっと違って見える何かがある、

可能性を信じることから、きっと何かが生まれる、


たとえ甲子園に出れなくとも、君の誇りはどんなものにも替えられない、

私と子どもとの信頼の基盤は、いつもきっとそこにあるのです。
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