母の命 ②

 2016-12-31
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12月28日に仕事を納め、29日と30日は母の眠る広島県三次市東川内町、そして母が晩年過ごした広島県府中市上下町に伺いました。


母が生まれた家庭は、代々続く上級武士の家庭であったそうです。

先祖代々の大きな墓と共に、歴史を刻む幾多の武家の墓がありました。


母の生まれた時の写真を一枚見せていただきました。

真ん中の祖父に抱かれた母の姿がそこにありました。

祖父も祖母も母も、美しい姿で写真に映し出されていました


裕福な旧家に生まれ、秀才であった反面、祖母が祖父と離婚したことをとても恨んでいたと聞きました。

今回案内をしてくれた叔父は、その母の再婚後の弟で、母が老後を迎え、ケアマネさんから連絡があるまで母との付き合いは一切なかったのだそうです。


その後、府中市上下町にある母の終の棲家を訪ねました。

部屋の中のほとんどは、書籍や絵画などで埋め尽くされていました。


パソコンが数台ありましたので、そのすべてを開いてみました。

データのほとんどがエクセルで、仕事以外にパソコンを使っていた形成はありませんでした。

内容のほとんどは経理や総務が中心でしたが、それはすべて幼児教育やその研究・イベントにかかわるものでした。


私が自分の車に荷物を取りにいくと、ちょうどお隣に住むご家族が出かける途中でした。

ずいぶん母と仲良くしてくださっていたと聞いていたので、ご挨拶をさせていただきました。

息子夫婦とそのおばあちゃんだと思われましたが、そのおばあちゃんは、「君子さんに、こんなりっぱな息子さんがいらっしゃとは思いもせなんだ」 と、目に涙を一杯うかべておられました。


母の家には半日以上滞在し、アルバムなどないかと探しましたが、それとおぼしきものは見つかりませんでした。

初めは何か遺品になるようなものをと探していましたが、途中からもうそういうことはやめようという気持ちになりました。

それよりも、50年にも長きにわたり、東京で一緒に仕事をさせていただいていた研究所の方にできるだけ早くご挨拶をして、もうこのことには早めに終止符を打つことにしました。


叔父さんは、現職の町議会議長ですから、この時期に丸一日私のためにお時間を作るのも、至難であったに違いいありません。

叔母様もずっと一緒にいてくださり、母が恵まれた最期であったことに安堵し、感謝の気持ちで一杯になりました。


一日の予定を終え、叔父が私が車を置いていた世羅町の道の駅送ってくださるその途中に、曇り空の向こうから天空の半分もあろうかという大きな虹が、私の視界の真ん前に広がっていました。

私はもう何も迷わない、

私のこの手も、この足も、この口も、すべてはこうしたつながりの中から生まれたもの、

母が母であったからこそ、私は私でいられる、

だからこそ私は、この目で前を向いて、これからもしっかりと自分の道を歩んでいくことができるのです。





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