「僕は生まれてから 母が泣いたところを見た事がない」

 2016-12-26
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「SHINOBU先生がそばにいるから、私は鬼になれる」

今からもう7~8年前のことになるでしょうか、私はあるお母さんから車の中でそんな言葉を聞きました。


当時小学生の、ダウン症の女の子をおもちのお母さんでした。

神奈川県にお住いの方でしたが、当時私はその思いに導かれるようにして神奈川まで出張レッスンに伺っていました。


初めてお会いしたのは、私が研修で出かけ千葉県舞浜のホテルのロビーでした。

ダウン症の女の子、お父さん、お母さん、そしてまだ小学校に上がる前の弟さんが、わざわざ私の研修先のホテルまで訪ねてくださいました。


その日のことを、私はまるで昨日の事のように思い出すことができます。

(当時のブログです → http://shinobu1.blog117.fc2.com/blog-entry-398.html )

今では秦野にレッスンに伺うことはできなくなってしまましたが、それでも私が東京へ出張などで伺った際には、会ってその子の成長ぶりにふれることができました。


当時まだ小学校に上がる前だった弟さんは、今中学2年生になっていました、。

その弟さんが、ダウン症のお姉さんのことを書いた作文が、第40回神奈川県福祉作文コンクールで県知事賞を受賞されました。

そこには、「僕は生まれてから母が泣いたところを見た事がない。今までたくさん泣いたから、どんなことがあってももう泣かなと決めたらしい」 という一文が書かれていました。


今では高等部に通うその女の子は、光輝くステキな娘さんに成長していました。

そして、その弟さんも、空手の全国チャンピオンでありながら、こんなにも豊かな心をもった立派な青年へと成長されていました。


その作文を以下に掲載させていただきます。

今でも年末には、いつもカレンダーのプレゼントを私に送ってくれます。

今日もお礼の電話を差し上げながら、この母の何がこの子たちの心に宿っていったか、私は自分の胸が熱くなるのを、どうしても抑えることが出来ませんでした。





僕の姉
秦野市立南中学校2年  伊藤 大地

 皆さんはダウン症という障害を知っていますか。
 僕が小学校に入学する少し前に、初めてお母さんと二人だけで遊びに出かけた。どこに出かけたのかは覚えていないが、最後にファミレスでご飯を食べた。その時、僕の姉がダウン症という障害があると聞かされた。当時の僕には難しい話だったが、僕が小学校に入学したら姉の事で嫌な思いをするかもしれない、でも誰も悪くないから堂々としなさいと言われた事は良く覚えている。
 小学校に入学して、姉の学年の男の子から「こいつの姉ちゃん、ちゃんとしゃべれないんだぜ」とからかわれた。その時何も言い返せなかった。僕が二年生になった時姉はクラスでいじめられて学校に行けなくなった。二週間も女の子に蹴られていたり、ひどい事を言われ続けて、身体がおかしくなってしまった。学校が怖いと言っていた。やっと姉が学校に行けるようになっても僕は気になって、学校に着くと姉の教室をのぞきに行った。そこにはいつもお母さんがいた。僕が幼い頃からお母さんが「心の強い人になりなさい」と言っていた意味が少し分かった。学校だけじゃない。家族で出掛けた時には、姉をジロジロ見られたり振り返られたり、指を指されたりする。姉は何も悪くない。僕達の様に障害が無く生まれてきた人でも苦手な事だってあるし、皆んなと同じに出来ない事だってあるのにひどい人が沢山いるのが悲しかった。
 小さい頃の姉は具合が悪くなると入院する事が多かった。全身の筋肉が弱くて僕達が簡単に出来ることでも、姉にとっては大変な時が沢山ある。そんな大変なことが僕にもわからなくて、行動が遅くてイライラする時もあるし、根性のある頑固になる時は頭にくる。障害が無く生まれてきた兄弟でも、そんな風に思う事はあると思うし、兄弟げんかだってする。姉は、やると決めた事は必ず頑ばり張り続けるし、我慢強い。人の悪口も言わないし、人の良い所を見つける。いじめられてもすぐ許す事が出来る。何でも前向きに考えるし、挑戦する勇気もある。毎年僕の誕生日に、頑張って作った手作りのプレゼントをくれる。こんな良い所がある姉なのに、なぜ皆んな冷たくするのか悔しくてたまらなかった。
 ダウン症は姉が病気になったのでもお母さんが病気になったのでも無く、千人の赤ちゃんに一人の確率で生まれてくる障害だと聞いた。もしかしたら、僕がダウン症で生まれる可能性だってあったはずだ。姉が千人の代表になって生まれただけなのに、それが分からない人が大勢いる。
僕のお父さんは姉を障害児として特別扱いはしない。悪いことをすればすごく怒るし、良いことをすればすごくほめる。
 母は姉の障害を知った時に、ショックが大きく毎日泣いて一年以上家からほとんど出られなかったそうだ。それでも父はどこにでも姉を連れて行ったと聞いた。すごいと思った。僕は生まれてから母が泣いたのを見た事がない。今までたくさん泣いたから、どんな事があってももう泣かないと決めたらしい。
 そんな両親で良かった。そんな両親だからか、姉を障害児学級で過ごす事を選ばなかった。小学校も中学校も通常のクラスで姉は過ごした。姉は友達と楽しく過ごす事が嬉しくて、自分の出来ることを頑張り、僕より勉強をしていた。でも、毎晩遅くまで姉のためになる事や法律を調べたりしていた母が、姉にひどい事を言う人にも、頭をペコペコ下げていたのが嫌だった。障害者として生まれただけで、皆んなと同じクラスで過ごすことがこんなに大変なんておかしいと思った。僕も悔しかった。皆んな同じに過ごさなければ解ってもらえるはずがないと思う。車椅子の障害のある人などは、どんな事に手を貸してあげられるか解りやすいと思う。でも、ダウン症の人はそれぞれ僕達と同じに違っていて、手を貸してほしい所も違っている。だからこそ、もっと皆んなが障害を理解してその人自身を知る事が大切なんだと思う。障害のある人ない人を分けないでほしい。僕達皆んな、命の重さは同じなんだから。













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