母の命 ①

 2016-12-21
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先月末、広島家庭裁判所福山支部から1通の封書が届きました。

何だろうと思いながら封を切ると、そこには50年前に生き別れとなった母の 「遺言書検認期日通知書」 が入っていました。


昨日、福山市にある家庭裁判所に伺いました。

時間通りに会場に案内されると、そこには裁判官、書記官、遺言にかかわる申立人の方がいらっしゃいました。


申立人は広島県内のとある自治体の現職の議長をされている方でした。

裁判官が、また開封されていない遺言状を前に、この遺言が書かれた経緯について申立人に質問をされました。


私は、今回の遺言は、てっきり母が地域で信頼のおける方に生前に託したものであると考えていましたが、申立人様が質問に答えていく中で、その方が母の弟であることを知り、大変驚きました。

わが娘は別として、私にはこれまで血のつながった親類縁者はいないものと思っていただけに、叔父様にあたる人物が目の前にいることに感激し、ましてやそのおじさんが議会の要人として活躍していることを誇らしく思いました。


限られた時間ではありますが、母の晩年最期のようすを、お伺いすることができました。

事実を直接確認したわけではありませんが、母は私を岡山に残したあと、東京の出版社で働き、以後齢80になるまで現役として働いていたと聞きました。

しかも、それが保育関係の書籍であったと知り、万感の思いがこみあげてきました。


自宅の部屋の中にはパソコンが3台あり、まるで図書館のような仕事部屋であると聞きました。

とても頭の良い人で、仕事の鬼だったようにも伺いました。

叔父様の口から出る幾つかの生前のエピソードを知る度に、今の私の仕事ぶりや価値観・物の考え方とそのことのほとんどが見事なまでに重なり、まぎれもなく私のDNAがここにあるのだと思いました。


私の家内も,叔父様の奥様も一緒に家庭裁判所に来ていましたが、会場への同席は許されませんでした。

私の家内が保育園の園長をしていると伝えると、目を丸くしてとても驚いておられました。


出来れば年内に墓参りをして、母の仕事場を見せていただいたいとお願いをしました。

こんなに近くに住んでいたのなら、ただの1年であってもよいから連絡してもらって、親孝行をしたかったという気持ちがないわけではありません。

わが子を捨てた母の思いが、一体何であったのかをもう直接知ることは出来ませんが、今の私には母を恨む気持ちなどかけらもなく、80歳まで現役でったという母に、少しでも近づいていけるように実践者としての道を突き進んでいきたいという思いが、あふれる水のごとく心の中に湧き上がっていくのでした。


きっとこれから、母のゆかりの場所を訪ねていく機会が続くことでしょう、

そしてそのことが、私の中で、とてつもなく大きなモチベーションとなっていくのは間違いのないことでしょう、


神様は、私の人生に何をお与えになったのか、

私は一人ではなかった、

この日をもってして、母の命が私の心にしっかりと宿ったのです。


これまであったやりきれない私の迷いはもはや霧散し、その行く先に、母の背中がはっきりと見えるように感じています。







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