学びに代わるもの

 2016-10-17
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私は、教科の学習をとても大切にしています。

それは、障がいの種別や軽重とは、まったく無関係です。


重い課題に向き合っている子は、勉強が嫌いだと思っている人がいるかいないか知りませんが、実際はそんな子ほど逆に、良質の学びを欲しているのだと感じています。

勉強そのものが嫌いなのでは、決してありません。


特性理解に基づく課題設定や研究が、標準的なものと比べて遅れているために、えてして適切な支援や題材の構成が出来ていなかったりしがちなことに加え、他者と比較して、君はダメだとまたりすれば、それが嫌になるのは誰だって同じことです。


例えば因数分解が出来たり、難しい化学式が解けたとします。

それはそれで、何よりすばらしいことではありますが、因数分解自体が生活の中で直接役に立ったり、その子の幸せにダイレクトにつながっていくということにはならないはずです。


2歳の時から、新大阪の教室に通っている女の子がいます。

最初の頃は、同じ色のカラーボールのマッチングもおぼつかないようすでしたが、この1~2年で、数も言語もコミュニケートも行動のコントロールも、格段に向上してきました。

こんなことなら、最初の頃のようすを動画記録に残しておけばよかったと、かなり後悔しています。

今や大阪の期待の星です。


この子とのレッスンは、お母さんが横に座って、母子で一緒にする活動が増えてきました。

それは決して母子分離に不安があったり、何かを母に依存しているということではありません。


これまでたくさんのすばらしいご家族の皆様と共に歩んできましたが、このお母さんが、この子の学びにどれだけの深い思いをもっているか、はかり知れません。

そしてその学びのプロセスを通して、この子が他のことでは替えることのできない大切ものを、どれだけ培っているかが、痛いほど感じとれるのです。


自分に対するプラスの気持ち、

向上心、

目標に向かってチャレンジすることのすばらしさ、

未知の文化へのあこがれや希望、


子どもの時に、しっかりと学びに向き合った子は、必ずやかけがえのない大切な宝物をその心に抱き、社会に力強く社会にその足を踏み出し、自分の命の大切さと他者をいつくしむすてきな人に育つに違いありません。

子どものときに学ばない子が、いったいいつになったら学ぶことができるのでしょう、


せめて子どものときに、そうした豊かな文化を、その子の手のひらにしっかりとのせてあげたい、

それが私が生涯求めてやまない学びの形であり、ライフワークとなっているのです。


子どもが出来たーって笑顔を見せた時、私は脳の中に何か液が流れるような気持ちになります。

うちの教室の先生に、そのことを尋ねたら、私もそうだという返事が返ってきました。


まさか本当に、セリトニンの分泌を体感できたわけではありませんが、もはやこれは中毒症状に近い快感があります。

こうした学びを通してつながっていく信頼感は、母子でなくても、支援者とても同じことです。


学びの形はいろいろで、これでなければならないというものはありません。

私のやっていることが正解で、他のアプローチがだめだなんて、思ったこともありません。

しかし、それがどんな形であれ、学びのない所に、子どもの育ちは決してないと思っています。


学びを通してつながる絆、

子どもの学びに代わるものなど、本当はどこにもないのです。






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Author:SHINOBU
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