子どもの心の原風景 (生きる指針となる 子どもの心の拠り所)

 2008-07-11
私が新採用の教員だったころ、1年生の研究授業に伺うと、そこには動物のように泣き叫ぶ一人の男の子の姿がありました。今から20年以上も前の話です。

どういうメカニズムなのかは、わかりませんが、その時、私の心の中で何かがパチンとはじけました。

当時その子は、特殊学級に在籍していました。私は3年生の担任をしていました。若かったですね、その日から、私は少しずつその子に近づいていきました。

ある日、その子と砂場で遊んでいました。

「もうこれで終わりにしようね。今度この棒が倒れたら、やめておうちに帰ろうね」と約束をして、砂取りの遊びを始めました。

何かのはずみで、不意にその棒が倒れてしまいました。何気なく私がその棒をつかむと、あわててその子は、その棒の反対側をつかみました。

私はこの時、この棒一本で、この子と心が一つにつながったような感覚になりました。「先生といっしょにまだ遊びたい」、という非言語の言葉が、その棒からダイレクトに伝わってくるようでした。

その日から、素敵なことがいっぱい起こるようになりました。

私の職員用の靴箱をあけると、小さな花束が時々入っているようになりました。

縦割り掃除で、その子が私の3年生の教室で、それはいっしょうけんめいそうじをしてくれるので、図工の余りのセロファン紙を与えると、その子はそれを両目に当てて、何度も何度も私の方をキラキラとした目で見つめてくれました。

その学校での勤務は5年、あっという間に転勤の日を迎え、その子も5年生になっていました。私が、体育館の壇上でお別れの言葉を言い、花束をもって玄関を出ようとすると、なぜかその子はその場所にいて、私の方を指さし、そして何とも言えない悲しそうな瞳で、「あっ」と一言発しました。

百万の言葉に代わる何かが、その「あっ」という言葉からお互いの心に伝わっていきました。

こうした体験が、結局は、その後の私の行動を決定づける原風景となっているのです。

先日、太郎君のお母さんが、こんなことを教えてくれました。

太郎君の家では、以前ラブラドールを飼っておられ、太郎君が5歳の折には、かなりの老犬になっていたということでした。

ちょうどお母さんが休みに日に、その老犬は心不全を起こし、太郎君とお母さんは、歩けない犬をシーツにくるみ、唇が真っ青になり、呼んでも振り向かない犬を、病院へと運ばれたそうです。

それ以来、太郎君は、同じような他の犬を見る度に、、「えりちゃん(その犬の名前)によく似てるね、えりちゃん天国にいったんだよね」 と、何度も口にするようになったということです。

先日、太郎君の連絡帳を拝見すると、担任の先生から、「今日、プールにはいるまえに、スズメが死んでいるのをみつけた太郎さんは、「いたい(かもしれない)から、タオル(をひいてあげる)」と言って、自分のタオルをスズメの下にしいてあげたそうです。やさしい気持ちに感動し、学級で紹介しました!!!」と書いてくださっていました。

ここに、太郎君の行動の指針、生きる指針となる原風景が存在しているわけです。

私は5歳で母と生き別れ、写真一枚もっておらず、どんな顔だったのかのさえ曖昧なのですが、それでも心の中にある原風景が2つあります。

一つは、母が裁縫か何かで生計を立てていて、家でよく縫い物をしていました。ある日、畳の上に落ちていた針を私が踏んづけて、その針が折れてしまいました。

私は大して痛くもなかったし、歩けば歩けたと思いますが、母は必死の形相で私を抱きかかえ、病院まで必死で走っていました。

その腕の中で上下にゆれる振動の感覚は、今でも深く私の体に焼き付いています。これが、あったからこそ、5歳で生き別れても、私は現在まで、生きていられたのだと思います。

思春期に危うい場面、何度もありましたが、向こう側から、枕を濡らしながらでも戻ってこられたのは、こうした原風景があったからです。

もうひとつは、保育園のお迎えで、私が最後の一人になり、ジャングルジムのてっぺんで外を見たとき、遠くから手を振ってくれた母の姿です。母の顔は思い浮かばないのですが、なぜか、保育士さんの「お母さん遅いね」の言葉は覚えています。

まったくの日常で、特別な事でも何でもないのに、なぜかそれが原風景となって、それが生涯心に刻まれ、生涯生きる指針になる、そんなことだってあるのです。

みなさんには、そんなご経験はありませんか?

それと同じように、この原風景に対しては、IQだの特性だの、そんな薄っぺらい数値や概念はこっぱみじんです。

そこにあるのは、切っても切れない、親子の絆、 生きるという営みそのものなのです。

知識も技術も判定も、それは単なる一つの手段。

目的はいつも、幸せに生きるという営みそのものであるはず。

その土台があってこそ、教育・療育・支援の方向性も決定づけられるのだと、私は考えています。

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コメント
SHINOBU先生の、お母さんのお話、涙が出ました。

また、先生が好きになっちゃいましたよ。
【2008/07/11 09:51】 | ミカ #- | [edit]
ミカさんへ

年ですね。書いている途中で、今日は柄にもなく、センチメンタルな方向へ流れて行ってしまいました。

お恥ずかしい・・・

でも、正直言うと、こんなコメント、嬉しいです。
【2008/07/11 09:56】 | SHINOBU #- | [edit]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2008/07/11 11:06】 | # | [edit]
先生の文章は、いつも見る度に勉強になります。私の両親は共働きでした。亡くなった祖母に育てられ、幼い時は、寂しさもありました。その寂しさの中で、懸命に働く母親の姿がありました。不思議と病院に行くと、違う母の姿、輝いており 今は、母と同じ職業を。私にとっては、一生涯尊敬出来る母だと。自分が、寂しい時期もあったので我が子には 愛情愛情をそそいでいます。
【2008/07/11 12:05】 | まーちゃん #- | [edit]
まーちゃん ようこそいらっしゃいました。

お母さんから受け継がれた、人としての大切な部分が、今はお子さんに伝わっているのでしょう。

人が生きることの尊さを、まーちゃんのコメントの中から、私は感じ取らせていただきました。

これを機会に、また、仲良くしてくださいね。
【2008/07/11 13:49】 | SHINOBU #- | [edit]
今日の文章は、最近の文章の中で一番好きです。僕は浪花節で生きてるからかなー。非科学的専門性と呼びたいところですけどね。
【2008/07/11 23:00】 | 夢追い人 #- | [edit]
SHINOBU先生の原風景のお話、太郎くんとすずめの話、ジーンと来ました。
以前に、聞いた話ですが 学校で気分が悪くなって嘔吐しているクラスメートにに駆け寄り、「大丈夫、ココに吐きなさい」と両手を差し出した6歳の女の子がいたそうです。 「お母さんがいつもそうしてくれるから、、そうすると安心するから」と言いながら、、、。ドキンとしました、その子の弟子にならなくては、、、と思ったことを 今日の記事を拝読して思い出しています。
【2008/07/12 00:16】 | かたこ #- | [edit]
夢追い人さんは、URL貼り付けませんね。あえてリンクをしない美学。これぞ浪花節って感じですか。

あれだけの専門性をもちながら、浪花節とは、いつも泣かせますね。

「非科学的専門性」なんて、常人の使う言葉ではありませんから〜

でも、真実は虚と実、科学と非科学、論理と浪花節のすきまで見え隠れするもの

うそっぱちの作り話の中にこそ、人の真実があり、それに涙した人の生きる糧となることは、よくあること・・

ちなみに私も、曽根崎心中とか、大好きなタイプなんです。
【2008/07/12 07:28】 | SHINOBU #- | [edit]
かたこさんへ

コメントがアメリカの東海岸から届いているんだと思うと、いつもとっても嬉しい気分でいられます。

私ね、機会があったら、半年でも良いからNYかBOSTONに住んでみたいです。(単なるあこがれです)

クラスメイトの嘔吐のことで、思い出したことがあり、今日明日にでも記事にしたいと考えています。

息子ちゃんの言葉のお取り組みも、前進されてますね。私が指導させていただいているお子さんのお母さんも、かたこさんの取り組み、いたく感心されていました。
【2008/07/12 07:37】 | SHINOBU #- | [edit]












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