人が勝手に作り上げる障がい

 2015-07-27
DSC00614.jpg






今、私たちの教室には、0歳から18歳までのたくさんの子どもたちが来てくれています。

まだ独立歩行の完成していない小さな子もいれば、高等部の3年生になり、連日職場実習で活躍している子もいます。

ダウン症のお子様の比率が比較的多いのは事実ですが、障がい名だけで何かを決めつけるようなことは決してしないようにと心がけています。


どんな子どもも、一人の人格者として尊ぶことが、すべての教育のスタートであると考えています。

発達にかかわる特性理解は、子どもの育てに生かしてこそ初めて意味をなすものであり、障がい名や数値を見ただけで、安易に分離してしまうことは、差別であると思っています。

もしも紙切れだけで子どもを切り離し、何でもかんでも区別しまう傾向があったとしたら、それは 「人が勝手に作り上げた障がい」 と言えるのではないでしょうか?



「白ゆりに来ると、何だか子どもの表情が柔らかくなる」

何人ものお母さんが、異口同音に同じ意味のことをおっしゃいます。


私たち職員は、それぞれの子どものもつ多様性を受け入れています。

自分とは違う、それぞれの子の特性を受け入れている職員のまなざしにふれ、子どもたちは自らの姿を投影して見ているのです。


多様性を受け入れることは、それぞれの子の人格を肯定的にとらえることと同じなのです。

それは、例えば他国の文化を受け入れることで、日本古来の文化の豊かさを見つめ直すことと似ています。


普段はなかなか行動の安定しないPDDの子が、ダウン症の赤ちゃんが膝の上に乗って来て、急にお兄ちゃんらしくやさしい表情に変わっていく様を、私はこれまで何度となく見てきました。


特性を理解して、より専門的で豊かな育てを構築していくことは、とても重要で大切なことだと信じています。

だからこそ、その根元には、地域の中の大切な子どもの一人として、しっかりとした居場所が必要なのです。


そんな所はどこにも無いと思いますが、「検査をして、分けて終わり」 の療育なら、ない方がましだと私は考えています。

しかし、私たちも、どこかで似たようなことをしていなかという、見つめ直しは重要です。


それを見失ってしまったら、こんなふうに、白ゆりの子の表情が輝くことはないのだと、私は考えているのです。







にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

↑ 大切さを全国に伝えたい! 応援の1クリックを よろしくお願いします。
コメント












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://shinobu1.blog117.fc2.com/tb.php/1830-513a677f
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫
Author:SHINOBU
新大阪教室

bnr_personal-osaka.jpg

今までにご覧いただいた方
 

百万アクセスまでがんばりたい

カテゴリ
最近の記事
月別アーカイブ