障がいのある子だからこそ 教科学習にこだわりたい

 2014-12-04
私のレッスンが、子どもたちとそのご家族に、人気がある理由の一つ、

それは、きっと私が、何より教科の指導を大切にしているからと思っています。


たし算も出来ない子に、かけ算をさせて何の意味がある?

障がい児には、教科学習よりも、生活に関係ある内容をさせるべきだ、


今まで何度も耳にして来た言葉です。

でも、だからこそ、あえて私は、発展性のある教科学習から、絶対に軸足を動かさないようにしています。


その理由はいくつかあります。

まず第一に、文化的に価値の高い教材を、その子の育ちに合わせて教材化したときの、子どもの目の輝きが明らかに違っているということ


未知の文化にふれてみたい、

出来ないことが、出来るようになりたい、

初めて出会った教材に、胸をときめかせながら、一所懸命チャレンジする子どもの表情を見たとき、私は、何にも勝る昂揚感をおぼえます。



野球というのは、木の棒で、人が投げた小さい球を遠くに飛ばし、それを追いかけながら走り回るゲームです。

そのゲーム性自体が、将来、実生活に直接役に立つということではありません。

職業として、野球にたずさわる人は、ほんのわずかに過ぎないはずです。


しかし、真剣に甲子園を目指して取り組む高校生活の中から、人は、チームワークであったり、体力や巧緻性の向上であったり、同じ目標に向かって協力し合うことの尊さであったり、克己心であったり、後にまで続く友情であったり、生涯の糧となるようなかけがえのない成長の礎を築いていくのです。


野球部が、真剣に野球に取り組まずして、一体何の値打ちがあるのでしょう。

ならば子どもは、勉強に取り組まずして、一体そこに何が生まれるのでしょう。


先日、ある3歳の女の子が、突然天国に旅立ちました。

私の所に来てくれる子の時間は、1秒だって、おろそかにすることがあってはいけないと、常々私は職員に伝え続けています。

この子たちだからこそ、学びの何年間は、神様が与えてくださった特別な時間なのです。


基礎的な力、今その子が伸びていることを、おろそかにしてはなりません、

日々の白ご飯があり、口当たりはそれほどよくなくても、栄養価の高い食材があるわけです。


だからといって、発展的なことや、未知の文化の扉を、すべて閉ざしてしまうのは如何なものでしょうか?

たし算が出来にくい子が、同じ数ずつ増えるかけ算や、面積の勉強を通して、それまで出来にくかった数の量的な見方が育った例を、たくさん見てきました。

学校でやらしてもらえなかった九九を、私の教室で初めて学び、学校に逆輸入した例も珍しくありません。


私の教室は、学校教育に成り代わるようなものではありません。

学校教育が充実すればこそ、私の所の個別指導が初めて生きる。


要はバランスとセンス、

子どもの成長を芯から願う気持ち、

教材の構成と指導の見通し、

そして子どもの目を見て、いつでも柔軟に対応できる技術と経験。


教材は、人類が子どもたちに受け継ぐべき文化のエキス、

人によってその内容やレベルは違っていても、基本的に子どもは、DNAの中で、それを欲しがっているわけです。


毎日毎日、気持ちのこもらないワンパターンの食材の連続、

それがまずく感じてしまうのは、誰のせいでしょうか?


子どもの目が死んでしまうようでは、栄養価のあるのも決して生かされないと、私は思っているのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-05)








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