外言と内言とをつなぐ支援
2014-06-28
「おともだちとなかよくしましょう」国語の本に、そんな文章がのっていました。
やっと文字が読めるようになったまいちゃんは、「お・と・も・だ・ち・と・な・か・よ・く・し・・・」 と、、一文字一文字いっしょうけんめい読んでくれました。
でも、文字の言葉を音声化するのに精一杯で、「どんなことが書いてあったかな・」 と、尋ねても、きょとんとした顔をしています。
こうした文字で書かれていて、それを読むことができても、自分の言葉になっていない言葉を 「外言」 と呼ぶことがあります。
一方で、遠足から帰ったばかりの子に、「今日の遠足楽しかった? どんなことして遊んだの?」 と尋ねると、
「うん、めちゃ楽しかった、最初に、けいどろしたら、けんちゃんが坂でしりもちついて、そのまま下まですべったんだ、そしたら、みんなもまねしていっしょにすべりだいみたいに・・・」
楽しかった出来事を、次々に私に伝えてくれます、
「そう、よかったね、じゃあそのことを作文に書いてみよう」
と言って、すぐに生き生きとその時の様子を、文章に書くことが出来る子には、あまり出会ったことがありません。
「内言」 と 「外言」 の間には、想像以上の乖離があるのです。
物語文を読んでいて、「そうか、太一はお父さんの命を、自分の心の中によみがえらせたんだ」 そう思った時に、外言だった物語が、この子の言葉として内言化されたことになります。
まいちゃんがひらがなを見て、一生懸命 「み・か・ん」 と読んだ時、私はそれを 「そう、みかんなんだ~、先生も大好きだよ、まいちゃんもみかん好き?」 と返してやります。
そうすることにより、まいちゃんの心の中に、内言の小さな芽が育っていくのです。
内言は、子どもの命そのものです、
内言が豊かになることは、行動のコントロール力を育てることであり、コミュニケートにより自己肯定の気持ちを育むことにつがります。
たとえ言語表出がなくても、内言が豊かなな子はいくらでもいます。
逆に外言が豊かすぎるゆえに、内言が貧弱で、行動のコントロールが出来にくい子も、これまでたくさん見てきました。
内言を育てることが、私のレッスンの大切な柱の一つ、
そして、このことを外言として、豊かに情報発信できるような子に育てていきたい、
そこをつなげる支援の具体を、実践を通してもっともっと明らかにしていきたい。
どんなに苦しくとも、その道のりには、小さな希望の香りがしています。
主体的な学びは、きっとどこかで、子どもの幸せにつながっていくのです。
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