私の歩んでいる道

 2013-08-05
「通常学級で、これぞという実践を残してから、私は特別支援教育の道へ進む」

確か私は、30代の後半の時、そんな目標を定めていました。


通常学級の1年生で、脳性まひのお子さんを、クラスの一員として迎えたことがあります。

その頃は、支援員さんなんていう存在自体がありませんでしたが、30数人いた子どもたちが、みんなミニ先生になってくれて、本当に毎日が楽しくてたまらない学校生活でした。

この子を迎え入れて1年生の担任をさせていただけたことを、心の芯から誇りに思った日々でした。


その翌年、私は情緒障害児短期治療施設の派遣学級の担任となりました。

当時、教育委員会の学事課の課長さんだった松原先生が、私にその道を開いてくださったのです。

情短施設派遣学級の勤務時代に、国立特殊教育研究所(当時)の短期研修に行かせていただき、支援学級の2種免をその機会にいただきました。


3年間の情短の経験をもとに、私は原籍校に1年帰り、その後、別の学校に転勤となりました。

その学校で、5・6年生を持ち上がりさせていただきましたが、それはそれは信じられないようなすばらしい子どもたちでした。

教育実習に来た学生さんが、あまりにも心豊かな子どもちの様子にふれ、「今まで20年以上生きてきて、こんなにすばらしい子ども達の心に、初めてふれることができました」と、大粒の涙をぽろぽろとこぼしていました。

このことで、私は、特別支援の道を進む決心を固めました。


翌年、その学校に情緒の学級ができることになりました。

私は迷わず、担任希望の欄にまる印をつけました。

当時の校長先生は、あの時学事課にいらした松原先生で、私に、新設の情緒学級の担任をさせてくださいました。

「力と意欲のある者に、支援学級の担任をさせる」

そういう言葉をいただき、涙がでるほどうれしい気持ちになったのを、今でもはっきりと覚えています。


その後、松原先生は、他の学校の校長先生を歴任され、県の校長会の会長時には、岡山で行われた校長会の全国大会の責任者としてご活躍、ご退職後は、岡山大学で、学生たちの指導にあたられていました。

松原先生は、白ゆり発達支援センターが出来たときには、お花を持って、お祝いに駆けつけてくださいました。

昨年度、岡山大学を退官され、この4月からは、くらしき作陽大学に移られました。


その松原先生の研究室に、今日、お伺いさせていただきました。

すぐにお伺いしなければと思いながら、やっとのことで、今回お訪ねをさせていただきことができました。


道すがら、日射しがとてもまぶしくも、さわやかに感じられました。

この日が来るのを、本当に楽しみに待っていました。

私の特別支援への道を開いてくださった大恩人であり、公私共に、まちがいなく、私の最大の理解者のお一人です。


帰り際には、駐車場で、私の車が見えなくなるまで、何分も何分も、ずっと見送ってくださいました。

この次に、先生にお会いするときも、はずかしくない実践を、一つでも多く積み上げていきたい、


恩返しの方法は、後にも先にも、これしかない、

何だかうれしくなって、研究室では、コーヒーを2杯もいただいてしまいました、


かれこれ、もう15年近くのお付き合い、

私は、自分がこの道に進むことができたことを、多くの人に感謝しながら、そのご期待に少しでも添うことができるよう、これからも一歩一歩前に進んでいきたいと願っているのです。





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