私のできること

 2013-06-30
個別指導の教室を始めて、気がつけばもう5年以上にもなりました。

その間には、いろいろなことがありました。


いつだったか私は、就学前のある女の子を厳しく叱ったことがあります。

その子は、席を立つと、近くにあったカーテンに丸まってしまいました。

後ろで目を白黒させているご両親に、「申し訳ありません、少し席を外してください」 とお願いし、まだ言語表出もおぼつかない彼女に、真剣に向き合ったものでした。

しばらくして、手にしていた教材を差し出すと、その子は、学習を再開しました。


「そうか、本当は勉強が大好きだったんだね」

私は、その時、初めてこの子の内発的な学習意欲にふれることができたのでした。


部屋の外でお待ちのご両親の、不安げなあの時の表情を、私は今でも忘れることができません。

その子は、今ではもう3年生になりますが、それ以後、1度たりとも、その子と私の気持ちが離れることはありませんでした。


ご両親は、小学校に入り、その子の手術を受けられるご決断をされました。

手術後に、首にコルセットをはめた状態でも、ずっと私のレッスンを受けに来てくださっていました。

いつもご両親そろって、レッスンを参観してくださり、そのあたたかい眼差しに支えられながら、私はレッスンをさせていただいたのです。

私は、そのことを何よりの誇りに思い、このご両親のお気持ちに少しでも添えるレッスンをしていきたいと思っていました。


そのお母さんが、突然、お亡くなりになったという知らせが、今月届きました。

私は、どうしても、その事を、心の中で受け入れることが出来ずにいました。


この日、決められた時間に、その女の子はレッスンを受けに来てくれました。

そこには、あのやさしいお母さんの笑顔はなく、気丈に振る舞おうとされているお父さんの姿がありました。


私は、このご両親の期待と共に、数年間一緒に歩んできました。

支援者としての私が出来ることは、このお母さんの深い愛情を受け、1回1回のレッスンに、真心を込めて一生懸命努めさせていただくこと、それ以外にはありません。


この子の前で、絶対に悲しい顔は見せまいと、固く心に決めていました。

でも、その事をお父さんにお伝えしようとすると、どうしても声がうわずってしまうのです。


これからも、ご指導よろしくお願いします、

そう言って頭を下げ、お子さんの手を引かれ、お父さんは帰っていかれました。


私の心の中から、あのお母さんの笑顔が、片時も離れることはありませんでした。

「お母さんの願いは、先生の心の中から消えることはないよ」

「お母さんは、ずっとずっとここにいるのだから」


我が子の幸せを、ただただ願い、毎回いつもご両親で見つめて来られたその成長の軌跡を、決して色あせるものにしてはいけない、

その託された母の願いを、これまで以上にしっかりと受け止めて、私はこの子と歩んで行きたい。

私の鞄の中には、このお母さんの直筆のお手紙が、入っているのです。


真心を込めた、一期一会のレッスン、

機会を与えていただける限り、そのことだけに、真剣に立ち向かえる自分であり続けたい、

私のなすべき役割は、それ以外には、あり得ない。


「いつも妻は、先生のお言葉の一つ一つに、励まされ、支えられていました」

あなたの成長が、母の願いに支えられ、そしてこれからもそうであり続けることを、私はいつまでもこの子に伝えていこうと願っているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2013-07-02)






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