相反するハザマの中にある真実

 2012-08-20
昨日は、夏休みを利用してということで、東京から2組の方が、岡山までお越しくださいました。

フランチャイズでレッスンをさせていただけることを、とてもありがたく感じました。

本当は、わざわざお越しいただくのではなく、年に1度くらいは、東京におじゃまさせていただかなければならないのかも知れないと思いました。


この日は、東京からお越しいただいた方を含めて、朝9時~夜8時まで、11時間連続のレッスンでした。

正直、フィジカルな面を考えると、中に1時間でも休憩があると助かるのですが、色々な状況を考えると、なかなかそうもいきません。

でも、こんな日は、終わったあとの達成感には最高のものがあります。

決して、もうやめようとか、お断りしようとか思えないのも、不思議なものです。


こうした生活を何年も続けていると、たくさんの子どもとご家族に出会うことになります。

そうしたリアルな最前線で歩み続けた道のりの中に、私が、たどりついたいくつかの気づきがあります。


それは、「微細と大局」 「要求と受容」 という一見相反する2つのハザマにこそ、育ちや学びの真実が見え隠れするということです。


我が子のためにと、色々な講演会に出かけられ、たくさんの書物に目を通し、検査データや専門家の見立てを精査する、

とても尊い営みがそこにあります。

ただ、微細に見れば見るほど、シャープに浮かび上がっていくことと、いつの間にか見失ってしまうもあるのです。

それは、決して細分化することでは見えない、その子のよさであったり、気持ちであったり、笑顔であったり、育ちの連続性やストーリー性であったりするのです、

当然わかっているはずのことが、そこに強い気持ちがあればあるほど、いつの間にか、見失ってしまう瞬間がそこにあるのです。


まさに、真実は、そのハザマにあり、生きているのです。

ある特定の条件で、それを言語や有益な方略として置き換えることは可能ですが、それが絶対普遍の真実となったケースに、私はお目にかかったことがありません。


育てのアプローチにしても、同じ事が言えます。

理解と支援、

個別支援と集団での育て、

受容と要求・・


重心のかけ方もそれぞれだし、どちらを窓口にするかもそれぞれです。

入り口は別々でも、出口が同じであったという例も、日常的によくあることです。

どちらがいいということではなく、真実は、そのハザマにあるのです。


どんなフレームをあてるかによって、その見え方もその都度変わってきます。

色々な角度、色々な機会に見ることで、それがかなり立体的に見えてくることもあります。

大げさに言えば、人が生きる真実、宇宙の本質がそこにあるのだと、私は思っています。


自分なりに、何となく見えかけてきたそこことを大切にしながら、今日もまた私は、たくさんの子どもに接していくのです。

それなりに自信がついてきた部分もありますが、とんでもない勘違いをしていることも、あるのではないかと思います。


ただそれが、子どものためだと思えばこそ、前に進んでいくことができるのです。

私は、そういう自分であり続けたいと、ずっと願っているのです。




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