通常級という選択
2012-01-16
いつだったか、あるお母さんに、> お母さん、通常級で正解だったですね
と、お伝えしたことがあります。
その子が3年生くらいの時だったでしょうか?
その時、母さんの目頭はみるみる熱くなり、大粒の涙がこぼれはじめました。
就学に際してのご苦労が、いっぺんに脳裏をよぎって行かれたのでしょう、
痛いほど、そのお気持ちが伝わってきました。
この4月、
同じような時から、同じようなタイミングでサポートさせていただいている、2人の男の子が就学を迎えます。
もう、3年近いお付き合いです。
奇しくも、一人は通常学級、もう一人は支援級を選択されました。
どちらが正しいとか、どちらが良かったとか、言えるわけがありません。
それぞれに良さがあり、それぞれに課題があるわけで、大切なのは、それぞれの歩みの中でその子がどう育ち、どれだけ豊かな時間を過ごし、どれだけそれがその子の幸せにつながっていくか、その中身が大切なわけです。
それでもあえて、通常級を選択されたご家族、
それでもあえて、支援級を選択されたご家族、
それぞれ、その選択の背景に、深い思いと熱い気持ちが見え隠れしています。
私が理解し、サポートさせていただきたいのは、まぎれもなくその思いであり、その気持ちであるわけです。
今は、どちらに重心を置くかということであって、より柔軟な教育の場の構成を工夫されている学校も多いようです。
実際に、支援級在籍であっても、通常級にランドセルを置いて、そのまま1日中通常級で過ごしている子を知っています。
逆に、通常級在籍であっても、週に何度か、担当の先生と行き届いた個別指導の場のあるケースも知っています。
どちらも、開いた口にまんじゅうが落ちてきたわけではなく、ご家族の深い思いと熱い気持ち、そして献身的なご努力が、やっとの思いで、形となって現れてきたのです。
「すべての子どもに、集団での学びと、特性に応じた適切な個別指導の場を」
あなたは、かけがえのない、うちの学校の大切な一員、
集団の中にしっかりと居場所と存在感があって、
それでいて、それぞれの子の特性に応じた行き届いた個別指導の場がある、
それが、このブログを開設以来、ずっと追い求めてきた教育の形です。
その子のもっている可能性を最大限に伸ばす、
発達にはいわゆる臨界期というものがあり、可塑性の高い時期での1時間1時間の授業は大切です。
この子たちの1時間は、特に大切な時間でもあるのです。
一方で、地域の同年齢集団の中での所属感、社会的な体験の積み重ねなどは、それぞれの教科学習が大切であるのと同じように、オフィシャルが学校でしか培えない大切な内容です。
あとで、別の機会にというわけには行かないのです、
長い学校生活の始まり、
ぜめてそのスタートの1年だけでも、
みんなと過ごす大切な時間を、1秒でも多くとってあげたい、
私には、そんなご家族の切なる願いが、痛いほど伝わってくるのです。
これから、歩んでいく道はそれぞれです。
それぞれが歩んでいく道は、百万通り、
たとえどの道を歩んでも、目指す頂きは、たった一つ、
あなたがいてよかったと、みんなに認められ、
自分の存在が、誰かのために役立っていることを、その子自身が感じとれる所まで育てること、
その子の自立や幸せといった中身を、私は、そんなふうにとらえているのです。
どんなに重く困難な課題に立ち向かっている子でも、その子が社会で果たす役割は、必ずあると私は考えています。
あなたの命の輝きが、
あなたの日々の歩みそのものが、
どれだけ私自身の魂を揺さぶり、それまで出来もしなかった内容を切り開かせてきたことでしょう。
君に出会えて、本当によかった、
今の私のエネルギーのすべては、こうした子どもたちの育ちに支えられている、
子どもを育てることこそが、教育の専門性、
その大切なスタートの時期が、まもなく始まろうとしているのです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-1-18)

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