言語に置き換えない子の感性

 2012-01-10
私は、何でも言語に置き換えて物事を判断するタイプです。

ぴったりの言葉を見つけないと、何だか気持ち悪いのです。

腑に落ちるぴったりの言葉を見つけると安心しますが、実はそれ程深い理解をしていないことも多いのです。


私は、幼稚園の頃から枕元に世界文学全集を置いて、毎晩それを読みあさるような子どもでした。

言語ルート優位の認知特性であったゆえに、同時系の認知や感性を鍛える機会が、その分、制限されてしまいました。


ある部分が優位な子ほど、そのルートが肥大化されるため、別のルートの伸びが後手に回る傾向があると、私は思っています。

天才に変人が多いのも、こういうメカニズムが関係しているのではないかと思っています。

また、それは苦手な部分を別の部分で補う、脳の代償性機能とも関連しているのではないかと考えています。


言語に置き換えることによって、一面で思考力は大きく育ちますが、それですべてが育つということにはなりません。

ましてや、幼い子の場合は、たとえどんなに優位であったとしても、まだまだ未成熟な部分も多いですから、言語的な思考のみで自分の行動をコントロールできないことも多いようです。


うちの教室に通って来てくれているあるダウン症の男の子、

表出言語はほとんどありません。

でも、メタ認知力はすぐれています。

もう、3年もずっと私の教室に通い続けてくれています。


この子との関係で何が起こるか?

私は、この子には聴覚性、あるいは理解言語はしっかり根付いていると思っています。

だから、ごくごく普通に言語で話しかけます。


でも、この子には返す表出言語はあありません。

だったら、コミュニケーションは成立しないか?

とんでもありません、


表情であったり、しぐさであったり、行動であったり・・

逆に言語を媒介としない分、私には手に取るようにこの子の気持ちは伝わってきます。

他のどの子より、確かに豊かにダイレクトに、コミュニケートは出来るとさえ思えてくるのです。


すばらしい感性です、

改めて、言語はツールであり、通う合うのはその中身であることを、実感させられる瞬間です。

表出していないからこそ、豊かに育つ感性だってあるのです、

そこに見える真実もあるのです。

決して口先のごまかしなんて通用しませんから、


表出言語を育てることと、単純に言語では表せないノンバーバルな感性を培うことは、どちらも同じように大切なことだと考えています。

この2系統を、同じ軸で考えながらその子の育ちを見つめてみると、じゃあどんな手順で、どこをどう育てていこうかという方略も浮かんできます。


優位なルートをメインにしながら、対局の力も使えるようにしてやることで、その子の良さは一層豊かになっていくものと考えています。

それが私の考えているコミュニケート指導の大切な部分なのです。


通じ合うことの楽しさを共有することで、肯定的な自己理解力も、自分をコントロールする力も、共に育っていきます。

「楽しいレッスン」

私の教室のキャッチフレーズの原点は、きっとこんな所にあるのだと思っているのです。



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