子どもが言葉を一般化していくプロセス

 2011-06-13
お母さんがお子さんにバナナを示して、「これはバナナよ」と教えました。

その時、その子は、「こんなふうに、黄色くて長いものをバナナと呼ぶんだ」 と理解しました。

ある日、絵本を見ていると、夜空に美しく生える三日月の絵が描かれていました。

「バナナ、バナナ」と、その子は喜びました。

「そう、よく覚えていたね、バナナと同じ形だね。でもね、これはお月さまと言うのよ」

そうか、同じ黄色くて長いものでも、食べられるものはバナナで、お空のきれいなものはお月さまというんだと、その子は気がつきました。


このように、ある言葉を学んだときに、それが似たような性質をもつもの総称のように思ってしまうことを、過剰一般化といいます。

アンパンマンを見ても、バイキンマンをみても、同じようにアンパンマンと答える場合、区別できていないのではなくて、このように概念が過剰一般化されているケースもあります。


また、子どもに、「これはカバンよ」 と教えたときに、自分の持っているミッキーのカバンだけを、「カバン」と理解してしまい、他のお友達のカバンは、カバンと思わない時期もあります。こういう状態を、縮小一般化といます。


私たち大人は、例えばバナナを見たときに、「それはフィリピンや台湾が原産で、おさるが大好きな食べ物で、黄色く長い食べ物で、最近香取慎吾が宣伝していて、皮は滑りやすくて、一時ダイエット食としてもてはやされたが、あっという間にすたれた・・」などと、マルチにそれを概念としてとらえていますが、子どもはそうでは、ありません。

「黄色くて長い」 というスタートラインに立ったばかりです。

これから、様々な言語にかかわる体験を通して、その概念を少しずつ豊かにし、一般化していくのです。


昨日、ある女の子が、「キティちゃん、するの!」 と、初めて私に言語で要求してくれました。

これまでは、パズルを2種類示して、どっちがいいかポインティングさせていましたが、それをついに言語できちんと伝えることができ、これは大きな一歩だと、とてもうれしく思いました。

「しのぶせんせい、いしはらせんせい、かわってくれてありがとう」

ごっこ遊びをしている中で、そんな一コマもありました。


この子、言葉を発した後、それを私がキャッチ出来ているかどうかを、私の表情を見て、毎回、確認をしています。

そして、それをきっちりキャッチしてリピートしてやると、満面の笑顔を見せます。

そうでない場合は、瞬間に、がっかりした表情になりますから、こっちも必死です。


言語によるコミュニケートが豊かになると、行動の安定や、活動の充実にダイレクトに影響していきます。

そして、言葉を通して、その根元にあるもっと大切な心が通い合うようになってきます。


私は、言語は、豊かなコミュニケーションのための、最も大切な手段の一つであるととらえています。

心を通わすことと、言語性を豊かにすることを、いつも両軸でとらえていく、

それが私の目指す、コミュニケーション指導のスタイルであると思っています。


私、英会話スクールで、初めて英語で、自分の活動のことを、外国の方に伝えることが出来た日のことを忘れることができません。

人は、人とのかかわりの中でしか、自分の大切さを確かめることができないのです。

小さな言語の育ちを見つめ、かかわりを通して、それを少しずつ豊かにしていくあゆみ、

コミュニケーションのレッスンは、人を育てるレッスンそのものではないかと思っているのです。


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