すべては肯定的な自己理解のために

 2011-05-13
私の所には、遠く県外からも、何人もの方がご相談に来られます。

「 自分の苦手なことも受け入れて、自分が好きになれる感覚 」

私は、そのことを、肯定的な自己理解力と呼んでいますが、「その言葉の大切さを確かめに、ここに来ました」 と、おっしゃってくださった方は、一人や二人ではありません。

もし誰かに、先生は何のためにこうした活動をなさっているのですか、と尋ねられたら、私は、迷うことなく、「出会った子どもに肯定的な自己理解の力を育みたいから」 と答えるに違いありません。


私は、幼い頃 「SHINOBU」 という名前が嫌いでした。

時々、それが女の子と間違えられたりもしたので、何でこんな名前が付けられたのだろうと、何度も思ったものでした。


そのことを確かめようと思っても、小学校高学年の時には、両親を失っていましたので、尋ねようがありませんでした。


青年期になり、私は、困っている子の支援をする仕事につきたいと強く願うようになりました。

なぜ自分に生きている意味があるのか?

私と同じようなさみしい気持ちの子どもの支える仕事につくことしか、自分の存在の意義を確かめることができなかったのです。

私は、そのとき、小学校の先生になることを決心したのです。


当時、私の家庭は、まともに勉強ができるような環境ではありませんでしたから、経済的なことも含め、結構大変なこともありました。

それでも、結局、教師の道を挫折することはありませんでした。

それ以外に、自分の気持ちを支えるものは、何もありませんでしたから、


いつだっか、もうだめだと思いかけた時に、今こそ踏ん張らないといけないと覚悟を決めた時があります。

「忍」 という名の意味が、このことだと気がついたとき、両親が、私の名に託した愛情に、初めて気がつくことができたのです。

あれほど、自分には生きている意味がない、両親は私に何一つ残してくれなかったと恨み続けていたのに、その日を境に、私は、「SHINOBU」 という名前を何よりの宝物と感じるようになったのです。

私はその時、初めて、私のありのままの人生と、自分自身の存在を受け入れることができたのです。

その時のことを、生涯忘れることはありません。

私が今、石原先生ではなく、「SHINOBU先生」 と子ども達に呼ばせているのは、こういう経過があるからなのです。


その日から私は、他の人環境と自分を比べて、愚痴をいうことはなくなりました。

ちゃんと勉強して、学校の先生になる、

それができるのなら、他に何がなくても良いとさえ思うようになりました。


「肯定的な自己理解の力」 という言葉を、私は時々 「それぞれの子の命の輝き」 という言葉に置き換えることがあります。

わり算の計算も、画数の多い漢字の書字も、慣用的な語句の使われ方も、あいまいな内容の文脈理解も、それぞれが子どもの能力を育てていくための大切な学習内容です。

でも、それは、一つ一つがないがしろにできない、大切な学習内容であると同時に、単なる一つの手段であって、目的そのものではないはずです。


では、目的は何か?

それは、その子が自分自身を受け入れ、その大切な命を輝かせながら、幸せに生きていくことです。

その子が幸せに生きていくためには、社会の中で、人とのかかわりの中で、自分の存在が必要とされていることを実感できることが、どうしても不可欠なのです。


私は今、そんな子に育てるためのサポートを、ご家族と共に進めさせていただきたいと願っているのです。

それが、私の生きている意味であり、それがなければ、他の何があっても、私は幸せを感じることが出来ないのです。


時を経て消え去るものと、確かに残るものとがあります。

私は、あなたがどれほどステキで大切な存在であるかということを、そのまなざしや言葉の一つ一つから、ずっとずっと子どもたちに伝えていきたいと願っているのです。



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