私の帰るところ
2019-03-30

程なく、平成30年度の終了の日を迎えます。
私の友達の中にも、明日をもって40年近くの教員生活にピリオドを打つ人もいます。
もしも私が教員を続けていれば、この時期に退職を迎えていたわけです。
感慨も一入です。
私は今、保育園の園長ですから、まずもって、その重い責任をしっかりと背負っていかなければなりません。
また、自分の保育園のことだけでなく、法人全体の中でのその役割を認識し、務めを果たしていかなければなりません。
若い先生方の指導も大切ですし、大学で学ぶ学生さんたちにも、発達にかかわわる知識や技能、保育・教育の本質を伝えて」いかなければなりません。
それぞれの内容は、どれも尊くも重要で、一つとしていい加減な気持ちで取り組むことは出来ません。
これが出来てこそ私は、教育者として直接子どもに向き合うことが出来る、
いつしか私は、そのように考えるようになりました。
生涯一実践者、
それが私の唯一帰る場所なのです。
昨日、新園が設立される地域で、挨拶回りに伺いました。
公民館にお伺いすると、何と館長さんは、ずっと前から共に仕事を続けてきた大切な先輩の先生でした。
私が発達支援センターの所長をしていた時には、ちょうどその地域の小学校の校長をされており、訪問支援事業の道筋をしっかりとご指導いただきました。
歩いて2分もかからない場所に、こうしてまたご縁がつながり、何とも心強い限りです。
しかし、いつもそこで話題の根元にあるのは、一人一人の子どもの育てそのものです。
新しい一歩は、きっとこれからも、同じように続いていくのです。
強運
2019-03-29

今年は、私にとって特別な意味をもつ節目の年になります。
小学校を退職して、個別指導の教室を開いたのが、今から12年前のことでした。
当時小学校1年生だった花子ちゃんも、その後中学校・高校へと進み、この春卒業、
私のサポートにも、大きな区切りを迎えたのでした。
大阪への出張レッスンも、いつの間にか10年にもなりました。
当時3歳くらいだった子も、この春に小学校を卒業、
当時からずっとサポートさせていただいている私としては、その成長ぶりには、目を見張るものがありました。
昨日は、私の60回目の誕生日、
私も昨日をもって、還暦を迎えたことになりました。
この日は、「認定こども園白ゆりの丘」 の落成式、
岡山市初、旧公立幼稚園の跡地を利用しての、民間の手による認定こども園の設立ということで、岡山市長様がわざわざ落成式に足を運んでくださいました。
私は、法人を代表して、謝辞を述べさせていただきました。
自分の還暦の誕生日に、こうして市長様だけでなく、局長様、課長様を前にしての舞台に自分がいられることを、何とも誇らしくもうれしく感じたのでありました。
私は、一人一人の子どもに寄り添うことにより、子どもたちの方が私をここまで押し上げてくれた。
何たる強運、
あなたたちと出会えたことそのものが、私の何よりの宝ものなのです。
「成長の基礎を培う豊かな保育」
2019-03-28

→ パンフレットのPDFはこちらから
4月に新しく開園する 「キッズガーデン白ゆり」 工事が終わり、先日行政の方の検査も無事完了しました。
パンフレットもこんな感じに仕上がり、オール新築のおしゃれな夢あふれる園舎となりました。
ここでまた一つ、新しく白ゆりの花が咲くのです。
「成長の基礎を培う豊かな保育」
少しお堅いのではと、お世話になっている方にご助言をいただきましたが、私はあえてこの言葉にこだわりました。
この名に恥じない保育の花をこの地で咲かせてみたい、
希望の春は、もう目の前まで来ました。
プロの技術
2019-03-27

私は、どのような子どもであっても、ひとたびお母さんと分離し、教室の扉を閉め、私と二人だけにしてくだされば、どんなふうにでも対応できる自信があります。
たとえどんなに泣き叫びながら入室したとしても、レッスンの終わりには笑顔で退室させる自信があります。
むしろそんな時ほど、自分の力量を見てもらえる絶好のチャンスであるとさえ思っているのです。
今では週末に行っている大阪でのレッスンも、もう10年になりました。
一定の時期に私のレッスンを卒業していった子も何人かいますが、当時ご縁があった子どもたちの半数以上が今でも継続してレッスンを受けてくれていることも、私の大切な誇りです。
レッスン自体は、決して最初から今のように行っていたわけではなく、挫折と失敗の連続でしたが、それでもその間一つたりとも気を抜いたり流したりするレッスンはありまでんでした。
その10年の積み重ねなくして、今の自分があろうはずはありません。
私の場合は基本、自分一人でやってきた個別指導スタイルですから、この技術のポイントをあえて後進に伝えようとは思っていませんでした。
昨日、保育園で生活発表会がありました。
保育園としてはここを大きな目標に据えており、1年間で大きく成長した子どもの姿がたくさん見られました。
その後の反省会で、こども園の園長が行った指導は、かなり厳しいものでした。
私は保育士の経験がありませんから、これまで保育内容そのものについては、事細かく保育士に指導することは意図的に控えてきました。
発達支援センターの所長時代と、同じようなスタンスの園長では決してありませんでした。
しかし、こども園の園長の指導に耳を傾けていると、その内容の一つ一つが、私がこの十年の実践の中から血のにじむ思いで積み上げてきた指導技術と、何ら異ならないことが分かりました。
彼女には、私が切り口としている応用行動分析や脳の機能局在といった切り口はありませんが、子どもを育てるという観点から本質は何も違わないということが、くっきりと浮き彫りになって見えるような気になりました。
私はこれを他者に伝承していくことに主眼を置いていませんが、彼女は園長として、そのことを保育士に伝承していくことこそが、自らの使命であると考えていることがわかりました。
ならば私は、自分しかできないことをもってして、このことをさらに豊かにしてくために、果たす役割があるのだと感じました。
私はこれまでがそうであったように、これからもずっと実践を通してその技術に研きをかけていきたい、
そしてその本質を、園長として、教育者の一人として、保育士さんに伝承していくことも、与えられた大切な使命の一つであると思いました。
向かう先と、その手立てが見えたなら、あとはそれを実行するだけのことです。
この4月に新園、2園開園、
明日は、市長さんを迎えての落成式。
子どもたち、そしてご家族のはずむ笑顔のために、私たちの使命は、決して軽くはないのです。
文字言語をイメージ化させる
2019-03-25

子どもが文字を見たとき、その字が何の時であるかをまず識別して認知します。
それまでに長期記憶に保存された情報とそれを照合して、一致すればそれが何という字なのかが認知されたことになります。
その文字のいくつかの組み合わせから、「りんご」なら「りんご」 「みかん」なら「みかん」 と意味のある内容と結びつけて理解することが出来ます。
それを文字に書いたり、音読したりすることが出来ます。
しかし、たとえ文字をすらすら書けたとしても、その意味がイメージ化出来ているかどうかは、また別問題です。
子どもによっては、文字を音声化するだけで、ショートターンメモリーを一杯に使ってしまい、内容のイメージ化が出来ていない場合もあります。
「太郎君は、昨日デパートに行って、洋服とかさとぼうしを買いました。」
こんな文章を読んだ子に、「太朗君は昨日どこに行ったの?」 とか 「何を買ったの?」 と尋ねても、きょとんとして答えられない場合だっていっぱいあるのです。
いやいや今読んだばっかりやろ、と突っ込むのは、それはその人がイメージ化がしっかり出来るまで学習経験を積んだ大人であるからで、その人だって小さいときには、きっと同じようなことだってあったはずです。
今私は、読解指導の場面で、iPadProの音声検索を時々使用しています。
例えば、子どもがシロツメクサって何?って尋ねてきた時には、iPadに 「シロツメクサ」 と音声入力すれば即座にシロツメクサの映像が何十枚と表示されます。
子どもは自分が知りたい内容が、瞬時に映像化されるので、とても喜びます。
こうした学習を通して、子どもたちはいつの間にか「シロツメクサ」と聞いただけで、そのイメージが豊かに広がっていくように成長していくのです。
学習って、何て豊かで楽しいものでしょう。
他者と比較するだけではない、子どもの学びの欲求に即した、内発的で豊かな学び、
たとえわずかの時間であっても、子どもたちはそういう時間を必要としているのだと私は思っているのです。
子どもたちのそういう願いを叶えたい、
いつだって私はそう思っているのです。