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音楽発表会

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この日、イオンモール岡山・岡山未来ホールにおいて、認定こども園白ゆりの音楽発表会がありました。

年々たくさんの子どもたちが、白ゆりに通ってくれるようになり、以前のように一同に集って発表会ができなくなったため、本年度より岡山駅前の当ホールを借り切っての開催となりました。


前日は、会場のイベントスタッフの方が色々とお手伝いをしてくださいました。

0歳児の演技から愛らしくも和やかな感じで会はスタートしましたが、園児たちの発表が進むにつれて、多くの方々の顔つきが変わり、身を乗り出して、中には目を潤ませてご覧いただく方が増え、やがて会場は大きな感動に包まれました。


音楽は、言葉や理屈を超えて、子どもたちの心にダイレクトに響いていきます。

お友達と一体となり、こうした内容の豊かなパフォーマンスを体験した子どもには、自己肯定の気持ち、他者受容の心が芽生えていくに違いありません。


発表会終了後、階上のビュッフェで、子どもたちとご家族、そして先生方との懇親会が催されました。

子どもの成長を真ん中にして、ご家族はきっと豊かで美しい時間を過ごされたことでしょう。


この日に向けて、それぞれのクラスの保育士に大きな方向感が生まれていきました。

こんなすてきな会になって本当に良かった。


自分もその一員でいられたことを、誇りに感じた一日となったのでありました。








豊かな学びをワーキングメモリの視点からとらえる

 2019-01-29
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子どもが生き生きと豊かに学び育つ姿、

それはご家族も私たちも共に願う共通の思いです。

その学びの中枢をになうワーキングメモリーについて、私は直近の実践を通して、次のような思いで整理して考えるようになりました。



① インプットの認知処理特性
 ワーキングメモリーで処理していくためには、まずその情報が認知されなければなりません。言語一つにしても、文字言語・理解言語・聴覚性の言語・話し言葉など、様々な異なるタイプのものがあります。
 その子の得手な情報入力のソースをつかみ、その幅を広げていくことが、豊かな学びを構成していくためのポイントであると考えます。

② 処理速度の速さ
 パソコンで言えば、CPUの速さがこれにあたります。処理速度が早ければ、学習のパフォーマンスもそれにつれて向上していきます。例えば、計算が早くできるようになれば、そのことによって生じたワーキングメモリーの余力が別の内容に生かされていきます。こうした力を育んでいくことも、重要です。


③ 一度に処理できるワーキングメモリーの容量
 聖徳太子は一度に七人の問いに答えたという逸話がありますが、それぞれの子には、一度に処理できる情報量には限界があります。その子が処理できる情報量を意図的・教育的に配慮していくことも、子どもを育てていくときの大切な視点の一つであると考えます。

④ 情報を集中して処理できる持続時間
 次から次へと山のように情報を処理していく子どもがいたとしても、そういう子に限って、案外一つのことをずっと頭の中に思い浮かべ、考えることが苦手である場合もあります。ゆっくりと頭の中で考え続けるというのは、処理速度が遅いのとは似て非なるものです。ゆっくりと集中して考え続けることは、それ自体が知的レベルの高さと高い相関があると考えます。


私は、子どもと接するそれぞれの学習活動の中で、今日は①~④のどの部分を刺激し、伸ばしてきたか、振り返るようにしてきました。

数であったり、言語であったり、それぞれの内容の成果とともに、こうした4つの力と自分に対するプラスの気持ちを育てていくこと、

子どもとその方向感を共有することこそが、楽しいレッスンの中身であると、私は考えているのです。




ささやかで当たり前の幸せ

 2019-01-28
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就学を4月に控えた今、ご家族の方が私の所にご相談にみえられます。

そのほとんどが、家族としての思いがなかなか相手側に伝わらず、悔しい思いをして帰ってきたというものです。


何かこちらが非常識な要求をしているように言われる・・

ごく普通に学校に行って、ごく普通に学ばせてやりたい・・

過度な要求は何一つしていない、一人の子どもとして、ささやかな配慮をお願いしたいだけなのです・・


世の中だいぶ変わってはきましたが、まだまだ画一化をよしとする日本の風土は根強い、

こういった臨床の最前線では、なかなかまだ当たり前のように多様性を受け入れる文化は育っていないのです。


多様性を受け入れるということは、それぞれの命の大切さに目をやること、

他者の存在や特性を受け入れるということは、自分の存在と命の大切さにふれること、


私は、ご家族に寄り添い、戦い続けることにより、その大切さを当たり前のように世の中に浸透させていきたい。

それが私のなすべき責任、

これからも私は、ずっとこの道を歩んで行きたいと願っているのです。









私の歩んでいく道

 2019-01-24
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先日、所用があり事前私が所長をしていた事業所へ顔を出しました。

久しぶりに保育室へ足を踏み入れると、子どもたちはちょうどお散歩に出かけているところでした。


お誕生日の掲示物に目をやると、何とも美しも豊かな愛情をそこに感じることができました。

数年前に心血を注いで、この事業所設立に向けて汗を流した日々が、なつかしくそして鮮やかによみがえってくるような気持ちになりました。


管理者を後進に託し、新しい事業を始めたのですが、その後進にかけた負担は並大抵のものではありませんでした。

しかし今、それぞれの管理者は以前にも増して輝きを取り戻し、私とはまた一つ違った持ち味で、多くの子どもたちの成長と幸せのために活躍できる基盤をつくりあげてくれたのでした。


私はこの3月に還暦を迎えます。

まだまだ現役最前線で、戦い続けていく覚悟です。


しかしいつの日か、私が現役から退いた後でも、きっと私の志しは、それぞれの後進に受け継がれいきながら、また新しい花を次々と咲かせてくれることでしょう。


それが、これから私の歩んでいく道、

作り上げていく一つの形、

生み出し受け継がれていくためにこそ、去りゆく姿がある、


そこに向けて生涯駆け抜ける自分でありたいと、心から願っているのです。






行動の安定とコミュニケーションとの深い相関

 2019-01-23
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今からもう10年以上の前の話になります。

私が初めて発達支援の個別指導教室を開いた時、申し込みが殺到して、一日に数名の子どもの新規レッスンを行ったことがありました。


元来、初めての環境が苦手な子が多いのに加えて、私の指導技術も経験もそれに足るものではなかったため、それはそれは厳しい1日となりました。

おそらくは、生涯忘れることの出来ない1日となったのでした。


そのうちの一人が今年高等部の卒業を迎えました。

当時、行動面の課題が大きかったこの子も、知的にも行動面でもその後大きな成長を見せ、実習などでも優れた実績を残し、4月から事業所の一員として働くことが内定しました。


彼と初めて心がつながったのは、小学校の時のバイキンマンのおもちゃでした。

このこときっかけに、彼とは深い絆ができ、その後衝動的な行動は一切見られなくなりました。

以来10年にわたって、サポートは続いているのです。


就労後も、先生の所には定期的に会いに行かせていただきたい、

ご両親は私にそう、おっしゃてくださいました。


私とこの子との関係は、決して言葉のやりとりによって深まったものではありません。

「君には、君の果たすべき役割があってこの世の中に生を受けたのです。」

「あなたには、誰かのために、何かのことで役に立ち感謝される存在になるという使命があるのです。」

そんな言葉を一度として口にしたことはありませんが、私のまなざしも、手のぬくもりも、すべてそこからわき出たものであったのです。


口数の少ない子ほど、そんな感性は豊かなものです。

行動の安定しない子ほど、心の中に繊細な気持ちを宿しているものです。


当初不安定だった子のほとんどは、やがて私に寄り添い、手をにぎってくるようになりました。

衝動性のはげしかった子ほど、寄せる思いはやがて深くなっていきました。


すべての子どもは、信ずるに値する子ども、

それが子どもの心に伝えることができてこそ、真の教育者、

私の信念は、今でも脈々と心の中で息づいているのです。




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