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イタリアの特別支援学校

 2017-05-31
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4月28日の京都新聞に掲載された、熊本学園大学堀正嗣教授のインクルーシブ教育にかかわる記事を、保護者会の会報よりご紹介いただきました。

その中の一文に、「イタリアは1977年の法律で特別支援学校・学級を廃止」という一文がありました。

私は京都の教室で数年前から、日本とイタリアの双方で学ぶ小学生のお子さんをサポートさせていただいておりますので、そのことがとても身近に感じられました。



私は10年ほど前に、大学院で初めてそのインクルーシブの理念に触れ、体が身震いするほどの衝撃を受けたことを今でも忘れることができません。

今、この時代に生き、直接子どもの育てにかかわる者としての、なすべき根幹はきっとここにある、

その時に感じたその思いは、以後多くの子どもやご家族の思いに触れていくなかで、衰えていくどころか、いつしか私の心の中で揺るぎない信念と昇華したのでありました。


4月に開設した新しい教室には、「インクルーシブ教室 白ゆり」 という屋号をつけさせていただきました。

長年の日本の分離教育の歴史にあって、インクルーシブという理念が、そうやすやすと日本に根づくとは思っていません。

だからこそ私は、あえて自分の教室に 「インクルーシブ」 という名を冠して、その方向性を明確にしたかったのです。


ただ単に、特別支援学校を廃止するだけで、それが子どもの成長や幸せに寄与するとは思っていません。

ただ同じ屋根の下にいるだけで、子どもが育つとも思っていません。


どの子も生まれながらにもっている内発的な学びの願いが叶ってこそ、そのあるべき学びの形をもってして、その一つの姿をインクルーシブという言葉で示すことになるのだと、私は考えています。


私は、自分の命の最後の一滴に至るまで、ここを目指して歩んでいきたい。

私の命は、そのために神様からいただいたもの、

私の夢も幸せも生きがいも、根元はすべてここにあるのです。











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母の命④

 2017-05-29
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私は、小学校の頃より、両親が共にいない環境で育ってきました。

いつしかそれは、

「自分は望まれて生まれた子ではない」

「それはすなわち、生きている意味がない子だ」 

という思いがずっと心の中を占め、自分は世界で一番不幸な子だと考えていました。


私が誰かにそのことを話すと、何人かの人は、「全然そんなふうに見えないよ、きっと小さい頃は愛情をいっぱい受けて育ったにに違いないよ」 と言ってくれました。

そのときは、とても複雑な思いでそんな言葉を受け止めていました。


連休中に、母が長年にわたりお世話になったギルフォード教育研究所にお伺いさせていただきました。

所長様をはじめ、皆様には、大変なおもてなしをしていただきました。


そのときに、ある先生がお伝えくださった言葉は、今でも私の心の中に深くしみわたっています。


私は、自分の母の介護を長年にわたり続け、それは言葉では言い表せないほど、とても重い時間でした。

SHINOBUさんの人生は、ある意味不幸であったという見方もできますが、では人のいう幸せな人生というのは、いったいどこにあるのでしょうか?

何か一つ足らないものがあったとして、そのことだけを考えていられたというのは、もしかしたらそんなに不幸な時間ではなかったのかも知れません。

あなたのお母さんは、きっとあなたのことを片時も忘れたことはないはずです。

人と同じような幸せが一つかけていたとしても、その分あなたのお母さんは、あなたの苦しみを一つ背負って旅立たれたのかもしれません。


母が、私と同じ教育の世界に身を置いていたということ、

その臨床の最前線で、日々子どもたちと向き合っていられること、

そして、何の迷いも無く、日々の仕事に集中して取り組むことができること、


誰が願ってこんな環境にいられることでしょう。

これが私の人生であって、そのことを誰かと何かと比べてみても、それはそんなに意味のあることではないかも知れない。


私の命がここにあることを、

私はここにきて、今はっきりと感じることが出来るのです。







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言語にかかわる専門性

 2017-05-27
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例えば「みかん」という言葉があったとします。

みかんのカードをみて、それをみかんと認知して、言葉でそれを「みかん」と伝えることが出来る、

とても大切な言語のプロセスです。


「みかん」という文字を見て、その文字を「み」「か」「ん」と音声化することが出来る。

これもとてもすてきな言語の育ちです。


でも、たとえ「み」「か」「ん」と音声化出来ても、それが「みかん」と認知出来ているかどうかは別問題です。

「み」「か」「ん」とⅠ文字Ⅰ文字を音声化するのに精一杯で、その時「それなあに?」と尋ねてみてもキョトンした顔をする子もたくさんいます。

音声化は認知のための第一歩でありますが、もし音声化しただけで、その内容を認知出来るのであれば、読解指導なんて不必要で、国語の勉強はずっと音読だけすればいいということになってしまいます。


おしゃべりが大好きな人は、世の中にたくさんいます。

ですが、その方に「今お話くださったことを、文章でまとめてください」とお願いしたとしたら、案外そんな方に限って、「作文は大の苦手で…」と言われることが多いように思います。


私は文章書くのも、1,000人の前で講演させていただくこともあまり苦になりませんが、プライベートな小集団で、ジョークを飛ばしたり、場を盛り上げたり、気の利いた事を言ったりするのは大の苦手です。


さらに文字を書くプロセスも、内言から一つ一つ文字化することが出来る子と、「みかん」というカードを見てそれを視写するように書いていく子と2通りあります。

きっと何年か経てば、その子がどんなプロセスで書字化しているかは判明出来ないほど言語ルートが豊かになっていくと思われますが、そこまで育てていくまでには、その時々でその子にあった有効な支援というものがあります。


多くの子どもの言語の育ちを長年見てくると、こういう子のこういう場合には、こういう支援が有効であったということが体験的に見えてくるときがあります。

これが私の言語の育ての基本スタンスです。


理解の言葉、文字の言葉、話言葉

長年の学習により、いつの間にかそれを自由自在に使いこなせるようになった者には、なかなか文字の読めない子のメカニズムは、逆に見えなくなるものです。

言語の育てにかかわる専門性、

きっとそれは、こんなこころにあるのではないかと、私は考えているのです。








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ダメなリーダー

 2017-05-26
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私は元々一匹狼の変わり者で、職人肌ではありますが、組織のリーダーには向いていません。

今では、3つの事業所の統括をしていますが、それぞれの事業所で直接子どもの指導にあたっており、自分自身のレッスン内容については、納得できないレベルのものは決して受け入れることはできません。


私がいつもレッスンにに集中できるよう、他の職員には事務などの事前の準備をしっかりとするよう指示しています。

こうしたスタッフ努力抜きに、私のレッスンを考えることはできません。

多い日には、一日に10人以上のレッスンをこなすことができるのも、こうしたスタッフがいればこそのことであるのです。


先日、そのスタッフにちょっとしたミスがありました。

いつもレッスンにかかわることは、完璧にしていきたいと思っている私ですので、懐深くそのことを受け止めることが出来ず、感情がすぐに表に出てしまいます。

スタッフもそこにいた子どもたちも、私のいつもと違うオーラを目の当たりにして、場が凍り付いてしまいました。

リーダーとしては、全く失格の内容です。

心の中では、しまったと反省をしていますが、だからと言ってその私の基本的なスタンスが変わることはありません。


一度でもレッスンに穴を空けたら、即引退する

それが私の口癖であることは、職員はみんな知っています。


本日法人の理事会があり、新しく開設したインクルーシヴ教室のここまで利用実績を報告させていただきました。

ダメなリーダーのもとで、わずか開設2か月で、よくぞこれだけの数字を残してくれました。


器のちっちゃい私ですが、そこにかける真摯な気持ちだけは、理解してくれているようです。

これがなくなったら、もう私ではありません。


真摯な思いだけは決して失うことなく、自分なりのスタンスで成長していきたい、

こんな私をいつも支えてくれる職員、

私は、本当に人に恵まれました。








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教材を選ぶ力

 2017-05-24
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以前、私の教室には、おもちゃの墓場というものがありました。

就学前のお子さんのレッスンを担当して間もない頃、高い値段で買ったおもちゃが、ことごとレッスンで役に立たなかった時期があるのです。

その教材を見て、子どもの動く姿が全くイメージできていなかった証拠です。

使えないおもちゃが山のようにたまってしまっていた、私の修業時代の苦い思い出の一つです。


いい絵本やおもちゃを選ぶことのできる保育士は、間違いなく相応の力量のある保育士です。

豊かな実践のある保育士は、おもちゃや本に出合った瞬間に、その絵本やおもちゃで生き生きと活動できる○○ちゃんの姿が思い浮かんでいるのです。

どんな活動も、まず子どもの育ちの実態があり、教育者としての願いがそこに生まれ、それをつなげる教材や活動を組み立てる。

その原則には、かわりがありません。


小規模保育園の子どもが、朝の時間に食いつくように取り組んでいる活動があります。

画像のような小さいボックスに大きなの違う大小の丸いキャップのような物を入れる活動です。

別に保育士がやらせようとしているのではなく、いつも子どもが夢中になって取り組んでいるのです。


手作りの知育玩具なのですが、ボックスはキラキラ、

入れる部分は、ボール紙で適度な弾力があり、すぐにスポット入ってしまわない所が、子どもの探求心や好奇心をくすぐっています。

試しに個別指導の場で使ってみましたが、案の定子どもの食いつきは抜群です。

もう一つこれに似た手づくり玩具のカード版もありますが、これも臨床実践場面での即戦力です。


何気ない所ほど、保育者としての力量の差が歴然と出るものです。

そのわずかな技量の向上こそが、私たちはそのプロとしての専門性の証であると考えているのです。










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インクルーシブの風

 2017-05-21
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このところ適応であったり、表情であったり、生活面の安定性であったり、目に見えて大きな成果が現れだした子どもが何人もいます。

それらの子に共通する内容は、この春から、白ゆりのこども園であったり保育園であったり、この春から集団の中にしっかりとした居場所ができたということです。

私は、子どもが劇的変わるための、必要条件の一つがここにあると考えています。


専門性の高い個別支援の場が重要であるか、地域の学校園で育てていくことが重要であるか、そんな議論はナンセンスであると考えています。

そのどちらもが不可欠であり、そのバランスやタイミングを考え、結果としてどう子どもを伸ばしていったかが、プロとしての力量を示す尺度であると思っているのです。


こうした子どもの育ち、保護者の皆様からいただく感謝の言葉こそが、私たちの理念や活動の根幹を支える原動力となっています。

一人でも多く、一つでも豊かに、

私たちの誇りも夢も自信も、すべてはこのたちの育ちが根元にあるのです。










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迷路で培う思考力

 2017-05-18
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先日、ある4歳の男の子に上のような迷路をさせてみました。

この4月から、プリント学習に取り組み始めた男の子です。


さあ、これから迷路の勉強だよ、

そう伝えた時の、その子の驚きと、目の輝きがしっかりと見て取れました。


適切な支援や見通しがないために、子どもがつまづいたり、一定の教育的な効果があがらないようでは、導入する意味はありません。

このレベルの場合、ポイントとなる分岐は1つか2つなので、その場面だけはタイミングよく支援を入れます。

そこさえ過ぎれば、あとはその子の判断で自利解決することができるのです。


トライ&エラーの模擬体験であったり、視覚認知と判断の協応力を育てていくためには、迷路はなかなかの題材です。

認知処理様式の異なる子でも、同時系と継次系の行ったり来たりを使い分ける場面があるのです。


洞察したり、類推したり、試行したり…

子どもが飛びつくのは、そうした知的探究心や追求意欲を満たす何かが、この題材にあるからです。

良い教材で子どもが育つと同時に、理屈では無く、子どもが育つ教材こそが、良い教材なのだと私は考えているのです。







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ほんのわずかの差

 2017-05-17
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上の画像のプリントは、どこにでもあるような一般的なものです。

左のくだものに対応して、右のまるに色を塗っていくものです。


ですが私は、丸に色を塗らせるのではなく、丸に / (斜線)を入れるようにさせます。

小さい子が、8つも9つも小さい丸を塗りつぶすのは、結構骨のいる作業です。


このプリントの主眼がそこにあるのならそうさせますが、私がここでその子に付けたいのは、数の1対1対応と、順序数をショートターンにキープして、それをすばやくアウトプットして意識化させることです。

ならばその子のショートターンメモリーのキープ時間を考えると、いちいち丁寧にいろ塗りをさせるのではなく、素早く斜線を入れさせる方がよいと判断しているわけです。


このプリントをさせることなら、誰でも出来ます。

色を塗らせるのではなく、斜線を入れなさいと指示すれば、みんな同じようにできます。

しかし、実際にプリントをやらせても、子どもの目が輝くかどうかは、実線場面での技術力・対応力と、ねらいの明確さや教育的な信念の差が如実に反映されるものです。


プロの技術の差は、ほんのちょっとの差が大きな差となります。

すべての活動のほんのちょっとの差が、総合力では天と地の開きとなってしまいます。


汲めども尽きぬ奥の深い教育の仕事、

満足のいくゴールは、いつ見えてくるのでしょうか、

そのわずかな技術の向上のために、これからもずっと研鑽を続けていきたいと、思っているのです。







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言葉が出る

 2017-05-16
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言語聴覚士の先生から、「あまり療育の成果が見られないから」 という理由でセラピーを終了させられてしまいました…

長い間この仕事をしていると、何回かそんなご相談をいただくことがありました。


先日、私が就学前のお子さんのレッスンを行っているときです。

ある小学生の男の子が、少し早めに教室に来てくれました。


勉強時間までは少し時間があったので、担当の先生と歌の絵本で遊び始めました。

その先生はこの日が初出勤だったので、何にも気付かなかったみたいでしたが、私の方は個別指導室に聞こえてくるその子の歌声に、飛び上がるほど驚いてしまいました。


年長さんだった1年間、週に2回、雨の日も風の日も、この子はほとんど欠かさず、私のレッスンを受け続けてくれていたのでした。

STさんの指摘されたように、言語表出の数は少なく、その明瞭さにも課題の残るお子さんでした。

レッスンや療育そのものに対する抵抗感もあり、最初の頃から、とても流れるようなレッスンが出来ていたわけではありませんでした。


しかし、いつの頃からが、その子の表情にも変化が見られ始めました。

言語自体の課題が一気に改善するということにはなりませんでしたが、信頼感やコミュニケートのレベル、その表情や活動に対する内発性などは、ぐんぐんと向上し、私はこの子とのレッスンが楽しみでたまらなくなってきました。

週に2回もさせていただく個別レッスン、

私は与えられた自分の責任とご家族の期待を一身に受けながらも、笑顔いっぱい、毎回生き生きと活動に取り組むその子の表情を何よりの喜びに感じていました。


小学生になり、担当の先生は別の先生にお願いすることになりました。

当初はどうかなと危惧していたプリント学習などにも、きちんと適応できるようになりました。


この子の言葉の育ちには、内言語をダイレクトに表出するまえに、大好きな歌を一緒に歌うことが大切だと考えていましたから、小学校の担当の先生も、毎回個別学習の後には別室で、一緒に歌を歌う活動をずっと欠かさず継続してくれました。

2年生になり、インクルーシブの教室が、ご自宅から近い位置に出来、送迎サービスもあるいというので、この4月からはこちらの教室でのレッスンがメインとなりました。


お母さんの方から、表出言語がクリアになってきたという情報をいただいていたので、それはとても楽しみしていたのですが、まさかここまで伸びているとは…

本当にうれしい気持ちでいっぱいでした。


私がこの子にプレゼント出来たことなんて、きっとほんのわずかであるに違いありません。

でも、そのことを願い、決してあきらめずぞれを信じて歩み続けてきた事と、この子の大きな成長とが、何よりの喜びに感じているのです。


子どもの成長を心の芯から、信じられることこそが、支援者の力量

これだから、教育の仕事はやめられません。







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母の命 ③

 2017-05-05
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5月4日に、母が40年近くお世話になっていた東京町田市のギルフォード研究所の千葉先生の所にご挨拶に伺いました。

母は、私を岡山に残して、50年間全くの音信不通でした。

今回は、その母がその50年をどう生きてきたかを知るための訪問でした。


まずは、母が何年か暮らしていた玉川学園の分室にご案内いただきました。

今は研究所の分室になっているということでしたが、玉川学園駅から徒歩10分程度の高台にあり、一度はこんな所に住んでみたいというくらい緑豊かなすばらしい環境がそこにありました。

1時間余り、奥様より、生前の母の仕事ぶりや暮らしぶりを詳しくお聞きすることができました。

この住まいも、千葉先生ご夫妻のご好意で、母が住まわせていただいていたのだと伺いました。


その後、町田にあるギルフォードメモリアルホールに伺いました。

そこで初めて千葉先生のお話をお聞きすることができました。


しばらくして近くの場所で夕食をごちそうになりました。

当初は1時間足らずの滞在で岡山にとんぼ返りするつもりでいましたが、話がはずみ、帰るに帰れなくなりました。


ゴールデンウィークど真ん中で、何件あたってもなかなか宿を取ることができませんでした。

私は、カプセルホテルでも、サウナでも大丈夫だと考えていましたが、小林先生が赤坂のホテルニューオータニに宿をおとりくださり、ご自身のお車でわざわざ私をホテルまで案内してくださいました。

その車の中で、ギルフォード教育の一端をご教示いただきましたが、教育者として私にとっては雲の上のようなすばらしい研究実績を残されてきた先生方が、初対面の私を、まるで家族のように、いや普通では考えられないようなVIP待遇で迎えていただいたことに、驚きを禁じ得ませんでした。


あなたのお母様は、比類なき優秀な能力をもった方でした、

千葉先生は、そのように言ってくださいました。


これは、先生のお母様に対する私の感謝の気持ちです。

ホテルニューオータニにご案内いただいた小林先生は、そのようにお伝えくださいました。


奥様は、その言葉の一つ一つのすべてに、本当に家族のように、私の母を心の芯から受け入れてくださっていました。


私の母は、ここでこのようなすばらしい先生方の輪の中で、まるで家族のように接していただきながら、母なりの形で子どもの成長と幸せに寄与する仕事に生涯たずさわっていた、

母の人生は、そんな人生だった…

皆さんのお気持ちに、私は何度も涙がこぼれ落ちそうになりました。


翌朝10時には、岡山行きの新幹線に乗りました。

母の生き様を探る旅は、事前の私の予想を全くくつがえすかけがえのないものとなりました。

ここに来て、本当によかった。


様々なエピソードから、間違いなく私は母の子であり、母のDNAは今この時も、しっかりと私の血の中を巡っているのだと確信しました。

もう私は何も迷わない。


私はこれからも、自分の命の最後のひとしずくまで、子どもたちの成長と幸せのために、力を捧げ尽くしていきたい。

50年間会えなかった母の命は、今私の心の中にしっかりと生きているのです。







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↑ギルフォード研究所玉川分室 何年か母がここで暮らしていたとお聞きしました。

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↑町田にあるギルフォードメモリアルホール

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↑中はこのようになっています

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↑千葉先生にお話を伺いました

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↑千葉先生ご夫妻 小林先生に夕食をごちそうになりました

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↑その日の新幹線で帰る予定が、話がはずんで帰るに帰れなくなってなり…

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↑連休でどこも宿がとれない中、小林先生のコネで、なんと都内のホテルニューオータニに泊めていただくことになりました

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↑まるで外国にいるような朝食の風景

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↑非日常の朝食

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↑私のチョイス

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↑40階から迎賓館が見えました







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