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支援除去のテクニック

 2016-10-31
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昨日の大阪でのレッスンのことです。

4年生の子と、15-3×4  や 12-(1+4) のような四則混合の計算問題に取り組みました。


最初は、やや自信なさげな表情でしたので、少し厚めの支援を入れて、エラーが起きないように問題解決に取り組んでいました。

途中でリズムがつき、要領を得てきましたので、20問中半分の10問は支援を入れて、残りの10問は自力解決させてみることにしました。


自力解決の場面では、最初は少しとまどったり、迷っているのが見て取れました。

が、ここは自力解決可能と判断し、喉から手が出るほど言いたい補助発問をぐっと飲みこんで、その子のトライ&エラーを見守ってみることにしました。

何度か消しゴムに手をやったあと、その子は小さく 「うん」 とつぶやきました。

ついに、四則計算の手順が、自分のものになった瞬間です。


よい学習とは、決して支援者が目立つレッスンではないのです。

むしろ支援者は何も言わず、その子自身の手や頭や口が、フル回転し、学習場面の構成が動き出したたら、以下何もしなかったがごとくニコニコと子どもの学習を見守る支援者こそが、私の目指す一人前の支援と言えるのです。


簡単そうに見えますが、こと実践場面となると、そうやすやすと出来ることではありません。

だからこそこの技術を、私は後に続く先生たちに伝えていきたいのです。


大阪の教室は、私にとっての臨床最前線、

技術を磨き上げるうえで、なくてはならない場所なのです。






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矛盾しない二つの価値

 2016-10-28
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それぞれの子どもの発達のレベルや特性に応じた教育内容を構成していくこと、

どの子も同じ一人の子として、同じようにその存在を大切にしていくこと、


文字だけを眺めていると、この二つは相反する内容にも見えますが、私はこの二つの視点こそ、子どもを大切にするというページの表と裏の関係で、矛盾どころか全く同じ内容であると考えています。

この感覚をはき違えることが、えてして母子を、一瞬にして奈落の底に陥れる元凶になっているにつながっていきます。


決してみんなとすべてを一緒にしてほしいと言っているわけではありません、

ただこの子にも、このなりの学びの場を与えていただきたいと思うのです、


たったこれだけのことが、どうしてわかってもらえないのか、

これまで何度も、こうした苦しい胸の内をお伝えくださるご家族に出会ってきました。

決して差別と思っていないその一言が、決定的に母の胸に突き刺さっていくことが、何よりも恐ろしいことなのです。


画一的ではない多様な人の価値を、まっすぐに見つめること、

それは子どもたちとのかかわりを通してこそ、身についていく人権感覚です。


そもそもが分けて育てていて、どうして子どもたちにそれが身についていくでしょうか?

その人としての基本的な感覚には、小さい時でしか身につかないこともあるのです。

準備ができていなから、インクルージョンが容易でないかないからやらないのなら、一体いつになったらそのことが叶うというのでしょう。


私の今のこの感覚は、のべ10000時間をはるかに超える個別指導の臨床実践を通して、やっと身についてきたものです。

何百人という保護者の皆様の、血の出るようなご苦労をお聞きしたからこそ、思う気持ちです。


それがたやすいことだとも、夢の国のことだとも思っていません。

もしかしたら、永遠の課題となるのかも知れないとも思っています。


認定こども園になり、発達支援センターから多くの子どもが、認定こども園白ゆりの子どもとなりました。

記念すべきその最初の運動会は、多くの人の感動と涙に包まれていました。


この子たちは、それが当たり前のこととして、未来の日本を支えていくのです。

私はこの先の人生のほとんどを、そういうことに注ぎながら、全力で駆け抜けていいきたい、

そのことは不幸でも何でもなくて、私の幸せそのものなのです。






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お金の感覚

 2016-10-26
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先日、何だかとても楽しそうな雰囲気だったたので、小学生のグループレッスンのようすをのぞいてみました。

紙のお金をもった子どもたちが、真剣にその日食べるおやつを購入しているのです。

1人100円、飲み物は50円、同じ品物は3つ以上は購入できないというルールが決められていました。


お金はレプリカですが、この設定の中では電子マネーと同じ、しっかりと通用する通貨です。

しかも商品は、正真正銘のリアルです。


プリントの学習は苦手でも、こういう場面では、目を輝かせて取り組む子もいます。

そういう子には、プリント学習の中でも、こうした数感覚が生きる子どもに育てたい。


逆にプリントではしっかり計算ができるのに、こうしたリアルなおつりのやりとりには、手間取る子どももいます。

そんな子にも、こうした教育的な設定が意味をもってきます。


先日は、先生がゲーム大会の勝ち抜きトーナメント表を、とてもていねいに仕上げ、係の子がそれはそれは嬉しそうな顔をしていました。

白ゆりに来ると、子どもの表情が変わる、

難しい理論や肩書よりも、こうしたセンスにこそ、支援者の愛情と力量、そして教育的な信念が垣間見えるものだと思ったのでありました。






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豊かさを加味していく育て

 2016-10-21
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私は、実際に諸外国の教育事情に直接ふれた経験があるわけではありませんが、お仕事等の関係で、海外でお子様の教育を受けられているお母さんの話は日常的に伺っています。

そうしたお母さんのお話をお聞きするたびに、分離教育が当たり前なのは、日本だけのことなんだと感じています。

分けて育てるより、分けないで育てる方が、教育効果が高いことが当たり前のように実証されてされていると聞き、さもありなんと考えています。


一方で、同じ屋根の下にいるだけで、子どもが育つと思っているわけでもありません。

どの子にも、その子の発達段階や特性に合った豊かな教育の質が必要なのであって、それは障がいのあるなしにかかわらず、それこそが教育の基本なんだと思っているのです。


特性理解に基づいた個別の教育は、集団の中にしっかりとした教育の基盤があってこそ初めて生きる、というのが私の揺るぎようのない信念です。

つまりは、集団から切り離して何かをする教育ではなく、それに豊かさを加味していくような支援のスタンスが重要だと考えているのです。


私が個別のお迎えに行ったとき、充実している運営をしているクラスの子は、実にあたたかいまなざしをしています。

その子を自分のクラスの大切なお友達として、送り出してくれていることが、伝わってくるような気持ちになります。

個別レッスンを終えて、集団の中に帰っていくその子の足取りも弾んでいます。


まさに多様性を受け入れているクラスは、一人一人がクラスの大切な一員として受け入れられ、それぞれが自分と友達に対してプラスの気持ちをもっているのです。

友達を大切にしているクラスは、まちがいなくそれぞれの子が先生や友達から大切にされているのです。

これがない所に、どんな権威ある指導者がやって来ても、どんなテクニカルな技を駆使したとしても、決してそれで十分ということにはなり得ないのです。


どんな新米の先生であっても、子どもにとっては、誰よりも大切な担任の先生です。

その誇りと愛情、そしてその使命感が教育者としての命です。


私は、そんな真摯な先生を、全力で支えていくことが、自分の重要な役割の一つであると考えているのです。






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早期療育

 2016-10-18
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私が支援学級の担任だったころ、私が教えていた2年生の子に、誰よりも早く九九をマスターさせ、交流学級の子どもたちを驚かせたことがあります。

○○君すごい、と多くの友達に囲まれている姿を見て、ご両親がとても喜んでくださった日のことを、今でもはっきりと覚えています。


自慢ではありませんが、私は一論車に乗れます。

なので、この子に一輪車を乗せてみたいと頑張りましたが、もう一息というところで、私は転勤になってしました。

今からもう、10年以上も前の話です。


今日の夕方、何気なくこども園の運動場をのぞいてみました。

すると、何とこの春からこども園に入園した子が、一輪車に乗れるようになっていました。

私が見た時には、まだ数メートルという感じでしたが、ここまでくれば運動場一周に、そんなに時間はかかりません。


同じように協応運動の苦手なタイプの子ですが、就学後となると、なかなかこんなふうには出来ません。

運動などの感覚は、まさに早期の指導が重要だと、改めて思い知らされた瞬間なのでした。


先取りして花が咲くこと、

じっくり育てて実を結ぶもの、


教育の世界も、プロのレベルとなると、マニュアルや方程式だけでは太刀打ちできません。

早期療育とは、中身が大事あって、結果を出してこそ初めて意味をなすものです。

どこかの屋根の下にいれば、それだけで大丈夫というものでは決してないのです。


小さい頃に、むやみに集団から切り離すだけでは、マイナス面の方が私は多いと考えています。

集団の中に居場所がしっかりとあって、それでいてそれぞれの子に応じた豊かな教育の場を、

このブログを始めた時から、ずっと伝え続けてきた内容です。


そのことを論理だけでななく、具体的な事例を通して世に示していくこと、

また一つ、大切な1ページが、私のブログに刻まれたのでした。







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学びに代わるもの

 2016-10-17
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私は、教科の学習をとても大切にしています。

それは、障がいの種別や軽重とは、まったく無関係です。


重い課題に向き合っている子は、勉強が嫌いだと思っている人がいるかいないか知りませんが、実際はそんな子ほど逆に、良質の学びを欲しているのだと感じています。

勉強そのものが嫌いなのでは、決してありません。


特性理解に基づく課題設定や研究が、標準的なものと比べて遅れているために、えてして適切な支援や題材の構成が出来ていなかったりしがちなことに加え、他者と比較して、君はダメだとまたりすれば、それが嫌になるのは誰だって同じことです。


例えば因数分解が出来たり、難しい化学式が解けたとします。

それはそれで、何よりすばらしいことではありますが、因数分解自体が生活の中で直接役に立ったり、その子の幸せにダイレクトにつながっていくということにはならないはずです。


2歳の時から、新大阪の教室に通っている女の子がいます。

最初の頃は、同じ色のカラーボールのマッチングもおぼつかないようすでしたが、この1~2年で、数も言語もコミュニケートも行動のコントロールも、格段に向上してきました。

こんなことなら、最初の頃のようすを動画記録に残しておけばよかったと、かなり後悔しています。

今や大阪の期待の星です。


この子とのレッスンは、お母さんが横に座って、母子で一緒にする活動が増えてきました。

それは決して母子分離に不安があったり、何かを母に依存しているということではありません。


これまでたくさんのすばらしいご家族の皆様と共に歩んできましたが、このお母さんが、この子の学びにどれだけの深い思いをもっているか、はかり知れません。

そしてその学びのプロセスを通して、この子が他のことでは替えることのできない大切ものを、どれだけ培っているかが、痛いほど感じとれるのです。


自分に対するプラスの気持ち、

向上心、

目標に向かってチャレンジすることのすばらしさ、

未知の文化へのあこがれや希望、


子どもの時に、しっかりと学びに向き合った子は、必ずやかけがえのない大切な宝物をその心に抱き、社会に力強く社会にその足を踏み出し、自分の命の大切さと他者をいつくしむすてきな人に育つに違いありません。

子どものときに学ばない子が、いったいいつになったら学ぶことができるのでしょう、


せめて子どものときに、そうした豊かな文化を、その子の手のひらにしっかりとのせてあげたい、

それが私が生涯求めてやまない学びの形であり、ライフワークとなっているのです。


子どもが出来たーって笑顔を見せた時、私は脳の中に何か液が流れるような気持ちになります。

うちの教室の先生に、そのことを尋ねたら、私もそうだという返事が返ってきました。


まさか本当に、セリトニンの分泌を体感できたわけではありませんが、もはやこれは中毒症状に近い快感があります。

こうした学びを通してつながっていく信頼感は、母子でなくても、支援者とても同じことです。


学びの形はいろいろで、これでなければならないというものはありません。

私のやっていることが正解で、他のアプローチがだめだなんて、思ったこともありません。

しかし、それがどんな形であれ、学びのない所に、子どもの育ちは決してないと思っています。


学びを通してつながる絆、

子どもの学びに代わるものなど、本当はどこにもないのです。






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表現力 その育ちのステップ

 2016-10-15
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昨日のことです。

小学校中学年の頃から、ずっと国語のレッスンをさせていただいている女の子に、大切な育ちのステップが見られました。


それまでは、問題文に対する解答のほとんどは、教材文から該当の箇所を切り取って書き写すことがほとんどでした。

しかし、昨日は違いました。

該当の箇所を読み解き、それを尋ねられた内容に合わせて、自分の言葉に書き換えているのです。

本人にも伝えましたが、まさに文字に魂が宿った記念すべき瞬間です。


この日は、彼女が修学旅行から帰ったその足で、私の教室に足を運んでくれたのでした。

USJの大きなおみやげの袋を嬉しそうに抱えていた反面、きっと疲労度はMAXで、体調も万全ではありませんでした。


そういうことなら、この日のレッスンは少し早めに切り上げようかと思いましたが、学習が進むにつれて、そうではなくてこの日のレッスンを最高の形でしめくくることこそが、この子の気持ちに応えることになるのだと思えてきました。

時間のほとんどは彼女の自力解決の時間でしたが、彼女が文字とどう出会い、それをどのように内言化しているのかが、私には手に取るように見て取れました。

ややハードな設問での補助発問は、吸い込まれるように彼女の心の中に入り込んでいきましたし、補助発問をしようかどうか迷っていると、はっと気が付いたように答えを記入し始めるような場面は、1度や2度ではありませんでした。


あれから5年、

当時のようすを思い浮かべれば、正直こんな日が来るなんて、予想もできないことでした。

だからこそ私は、子どもの可能性、教育の可能性を、心の芯から信じることができるのです。


この子たちがいたからこそ、私は支援者としての力量を、ここまで高めていくことが出来た、

母から託された教育的な出会い、

支援者と子どもとの深い絆と信頼感、

教育者としての夢と誇りを、この子たちがみんな、私に与えてくれているのです。




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あなたを先生と呼ばせたい

 2016-10-12
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今からもう10年近く前にもなりますが、私が白ゆり教室を始めた頃は、先生は私1人、生徒はたったの3名でした。

たった一人で始めた教室も、今や職員が10名を超え、来年度にはさらに何名かの職員が新しい仲間として一緒に働いてくれる予定です。


中には、白ゆりの職員になった以降に、保育士の資格を取得した職員がいます。

わが子の育てにかかわった経験を、わずかであってもよいから他の子の幸せに生かしたい、そういって白ゆりの門を叩いてくれた職員もいます。


私が採用した以上は、どの職員も、子どもの前に立てば先生となります。

逆に言えば、私の目にかなう人材であれば、白ゆりの先生となっていただくことが可能だし、そうした人材を育てていくことが、今や私の大切な仕事となっています。


有資格者は、もちろん大歓迎です。

ですが、資格があれば免許皆伝というものではなく、それだけでプロとして子どもの前に立たせるわけにはいきません。


必要なのは、子どもの教育にかける深い思いと情熱、

どんな努力をも怠らない謙虚さ、

レッスンから何かを吸収しようとするひたむきさ、

私の望む先生としての素養は、そんなところにあるのです。


大切な子どもを託される責任と使命感

志ある方は、どうか私に声をかけていただきたい、心からそう願っているのです。






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白ゆりの実力

 2016-10-05
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この4月から、岡山市北区伊福町に 「白ゆり小規模保育園」 が、開設しました。

0歳から3歳までの子が、20名近く通ってくれるようになりました。

http://www.shirayurikai.com/syokibohoiku/



準備体操が終わって、3歳の子から順に長縄跳びが始まりました。

最初の子の演技が始まったとたん、  会場から 「おーっ」 というようなどよめきが起きました。


0歳の子が、鉄棒にぶら下がった時にも、同じようなどよめきが起こりました。

そのどよめきは、他の演技の時でも、何度も何度も起こりました。

小さい子が懸命に演技をするたびに、あたりは何とも言えないあたたかい雰囲気に包まれていきました。


小規模保育園のある学区には、以前勤務していた小学校があり、当時教えていた教え子のお子様もその中にいたりして、格別な思いがありました。

あたたかさと感動に包まれながら、記念すべき白ゆり小規模保育園、開設第1回目の運動会は閉会しました。


法人を代表して、運動会の閉会のご挨拶をさせていただきました。

同じこの建物の三階で、来年4月から、発達支援センターの新教室も開設します。


これから子どもたちと、いったいどんな素敵なドラマが繰り広げられていくのでしょうか?

白ゆりを選んでよかった、

閉会のあいさつでご家族と子どもたちの笑顔を見ながら、そう心の芯から皆様に思っていただけるよう、職員と共に努力を積み重ねていきたいと思ったのでありました。








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数感覚

 2016-10-04
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今日、5歳の子のレッスンがありました。

数のプリントをしていた時のことです。


いつもは、1・2・3・4・・・ と、順序数の1対1対応で数を数えていた子が、突然 「あっ、なんかわかる」 と言って、5と5のかたまりが2つある問題を、いきなり10と答え、3のかたまりが3つある問題を即座に9と答え始めました。

それを言語に置き換えて説明したわけではありませんが、5のかたまりが2つあれば10になり、順序よく並べた5のかたまりから1つ欠けたものが9であることを感覚的にとらえることが出来始めたわけです。


私の喜びは、いかばかりであったことでしょう、

一輪車も、二重跳びも、竹馬も上手に出来るようになってきたと、笑顔で教えてくれるその横顔に、すくすくと伸びる成長のエネルギーを感じないではいられません。


どんなにしんどくても、レッスンには、決して穴を空けない。

生活面の節制には、日々留意しているつもりではいますが、この年になると、体調が万全の日の方が少なくなってしまいます。

それでも気力が回復し、それに伴うようにフィジカルも復活していくのは、こうしたうれしい子どもの成長に、ダイレクトにふれることができているからに違いありません。


ここに来て、2歳・3歳の子が、次々に新しい教え子となって私のレッスンを受けてくれるようになりました。

あと何年、現役の最前線で戦うことができるのでしょうか?

こうたしたチャレンジの日々を、1日でも多く積み上げていきたい、

心の底から、そう願う毎日なのでありました。







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