私たちのめざすこと
2016-03-31
今日で、年度末の日を迎えます。昨年3月末に、新しい園舎が完成し、1日定員をそれまでの20名から35名へと増員しました。
それまでの月間利用者が約400名であったのに対して、この3月の利用実績は782名、
そうでなくても分母が大きいのに、わずか1年で、程なく倍増になろうかという勢いです。
保護者の皆様のあたたかいご理解と期待感、
職員の並大抵ではない使命感と努力、
そんじょそこらの努力では達成不能と思っていた700いう大目標を、この年度にはそれを楽々と越える実績を残してくれました。
私は、この事業所の責任者ですから、基本、私的な生活はなくて当然だと思っています。
日曜日に休みたいとか、人並みにレジャーを楽しみたいとか、全く思わないわけではありませんが、実際にはそんな機会はほとんどありません、
もしも人並みに休みたいなら、早く後進を育てて隠居すればいいのだと考えていますが、現段階でそんな気持ちもサラサラありません。
「もう1回、今年とおんなじことをやれと言われても、もう2度とこんなことはできないよな~」
あの苦しい場面を一緒に乗り切った主任さんと、先ほどしみじみと語り合いました。
身の程しらずの本館建設に、空前の定員増、
年度末までに、定員いっぱいにできなければ責任をとる、
職を辞することなど明日にでもできる覚悟で毎日を過ごしていますが、何かを投げ出して、誰かに迷惑をかけるようなことだけはどうしてもできませんでした。
だからこそ、歯を食いしばって、ここまで来ることができた、
それは決して自分の努力だけで為しえることではなく、多くの方々の支えがあったからこそのことであり、少なからず運も味方をしてくれました。
その運を私に運んでくれるのは、いつの日も決まって、子どもたちの笑顔、
私にとってのお正月は、1月1日ではなくて、明日の4月1日です。
お雑煮はなくとも、子どもたちの笑顔と、ご家族のやさしいまなざしが、何よりの私たちの宝物、
私たちの向かう先は、きっといつもそこにあるのです。

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生きた言葉と死んだ言葉
2016-03-27
私はこれまで、講演会をさせていただいたり、色々な会で閉会などのご挨拶をさせていただいたりする機会が何度かありました。何度やっても、それはプレッシャーで、いつも開き直って、やるしかないと思って取り組んでいます。
でも、もしもそんな時に、ふところから原稿用紙を取り出して読み始めたとしたら、たちまちそこにいた方々は下を向いてしまいます。
挨拶や、講演というのはそんなものです。
それとは逆に、事前に考えてもいなかったようなことを話し出すと、それまで下を向いていた人の顔はあがり、よそ見をしていた人の目は輝きはじめます。
いつだったか、ある大学での講演会に、学生さんを含めて体育館一杯の人がお越しくださいました。
その中に、演台からたくさんの方にお話をさせていただいていたのですが、私の話の一つ一つに食い入るように聞いてくださっている方の姿が印象に残りました。
その後、それぞれの分科会におじゃまをさせていただきましたが、その時にもそれがすぐその方であることに気が付きました。
何がその方とと私をつないでいたのかは、その後に知ることにはなるのですが、生きた言葉というのは、こんなふうに人のこころにがっちりと入っていくものです。
そのことは、個別のレッスンの時にも、ダイレクトにリフレクトしてきます。
読解文ひとつ扱ったとしても、死んだ言葉のやりとりでは、子どもの反応も死んだままです。
文字言語は、そもそもは死んだ言葉です。
それを生きた言葉に置きかえていくこと、つまり内言化させていくためには、文字言語を生きた言葉に変換していく支援がポイントとなっていきます。
紙芝居一つ読ましても、腕のいい保育士と、そうでない保育士との差は歴然です。
子どもの目を見ずに、マニュアル通りに、機械的に進めていく療育に、子どもの目が輝いていくはずがありません。
ビデオとライブでは、同じサッカーの試合を見ていても、燃え方は全然違うはずです。
このことは、物語の読解指導などでも当てはまることです。
子どもがもし文字だけを目で追ったとしても、たとえ文章を音声化できたとしても、それはまだ子どもの生きた言葉にはなっていないのです。
読んだ言葉が、子どものイメージの世界で踊り始めてこそ、それは初めて生きた言葉(=内言化された言葉)となるのです。
たとえどんな教材であったとしても、読解指導のダイナミズムは、必ずここに置くべきだと私は考えています。
教育は、一期一会、
その一瞬一瞬の出会いに感謝できない者に、どうして魂のこもった楽しいレッスンを展開していくことができるでしょうか?
計画や準備は、できるだけ周到に、
けれど、一たびレッスンが始まれば、すべての計画を捨てて、子どもの反応を見ながら、ライブに展開する、
レッスンは生き物であり、似たようなレッスンはあったとしても、全く同じ内容のレッスンなどどこにもないのです。
はじめから結末の分かった推理小説なんて、一体誰が読むというのでしょう。
魂を込めたレッスンの一つ一つの積み重ね、
子どもの輝く未来は、きっとその先にこそあるのです。

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母の手紙
2016-03-23

先日、私の教室を卒業した子のお母さんから、下記のような内容のお手紙をいただきました。
卒業を終え、ボーとした頭の中で、私は一生ここから見た景色を忘れることはないだろうなあ、と思っています。
正直、こんな風に思える日が来るとは思えませんでしたが、私はこの子の母として、共に学び、育ち、今こうして居られることを、何よりも幸せに、何よりも誇りに思います。
それもひとえに、SHINOBU先生がずっと私たちの気持ちに、心に寄り添ってくださったからこそのこと、
本当に、言葉では言い表せない程のキラキラと輝いているこの出会いに、感謝の気持ちで一杯です。
これまでは、初めての事に対し、特に新入学などは、この子にとっては大の苦手でしかなく、尻込みばっかりだったのに、今回の高校進学については、明らかに何かが違っていて、ワクワクとその時を楽しみに待っているのです。
やはり、自分自身で勝ち得た高校進学というのは、全く違うものなのでしょうね、
本当に良かったなあと、今更しみじみと思います。
高校から出された課題に取り組む姿には、もう昔の面影はなく、とても意欲的で楽しそうですらあります。
ああ、この子はもう大丈夫かも知れないと思えます。
もちろん、これからもサポートはいるでしょうが、今までのようではなく、もっと手を離して見守っていけるのかなと、
こんなに穏やかに迎えられる春は、はじめてかもしれません。
こんなに大きな門出なのに、
SHINOBU先生とのつながりは、ここで今終わらせるにはまだまだ心もとなく、まだもうしばらくはお力を貸していただきたいですが、ここが一つの大きな節目でもあります。
今のこの、とてつもなく幸せな喜びを形にしたくて、お花を贈りました。
今まで、本当にたくさんの愛をありがとうございました。
そして、これからも、よろしくお願いいたします。
これほどまでに美しい瞬間なんて、そんなにあるものではありません。
君はもう、一人前の男へと育った。
君の未来はもう、しっかりと君自身の手の中にあります。
母がこれまで、一体どのような思いで、あなたをここに連れてきたのか、
そのことに感謝できるようになった今、君はもう、しっかりと自分の足で前に進むことができるようになったのです。
ここまでが、私の仕事、
私はずっとここにいますから、さらに次のステージで、また来るであろう晴れやかなその日に、たくましく成長したその姿を見せに来てください。
そんなに遠くないその日が来ることを、私はずっと楽しみにしています。
卒業、本当におめでとう。

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教育の仕事
2016-03-22
この週末に、2人の子が、私の教室を卒業していきました。一人は、白ゆり教室のころから、7年間ずっと通ってくれた男の子、
もう一人は、倉敷で講演会をさせていただたのがきっかけで、4年間通ってくれました。
どちらの子の実践も、私にとっては、他では替えることの出来ない大切なものです。
ここで大きな区切りを迎えることが、さみしくないわけがありません。
こうして、晴れて次のステージに送り出す日を、万感の思いで迎えていました。
先日、3年前に私の教室を卒業した子が、私のところを訪ねてきてくれました。
しばらくぶりに会ったその子は、当時の面影を残しながらも、とてもすてきな女の子に成長していました。
それぞれ節目の日を迎え、私の所にその晴れの姿を見せに来てくれる子ども、
この子たちのためにも、私は、それに恥じぬ存在で居続けたいと思うのです。
それが、私に課せられた役割の一つ、
先生は、ずっとここにいますからね、
また、いつか先生の所に、すばらしい報告が出来る日を、待っています。
卒業、おめでとう、
未来は、きっと君たちの手の中にあるのです。

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息をのむ瞬間
2016-03-17

先日、ますかっと組の子どもたちが、ひも通しの活動をしていました。
普段は元気いっぱいの子どもたちですが、この時ばかりはみんな静まり返って、息をのむように真剣に取り組んでいました。
どんな子だって、向上心をもっているし、すてきな教材の中で、いろいろな勉強を進めていきたいと願っているのです。
この瞬間を、もしも保護者の皆さんにご覧いただいたなら、心の中に何かあたたいものが流れ込んでくるように感じてくださるこに違いありません。
教育は、一期一会、
託してくださった時間を、より豊かで価値のあるものに、
その日々の積み重ねの先にこそ、子どもの幸せが待ち受けていることでしょう、

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「障がい児は分けて育てる」 という感覚
2016-03-14
私が、大学院にいた頃に、諸外国のインクルージョンの概念を学ぶ機会がありました。そのことを知ったとき、感動で胸が震えたことを今でもはっきりと覚えています。
逆に言えば、それだけこれまで暮らしてきた世界は、インクルージョンとはほど遠いものであったことを示しているのかも知れません。
個別支援の活動を始めてから、海外で暮らす何人もの方が、私の教室を訪ねてくださいました。
そのお話をお伺いするたびに、ありのままを受け入れず、画一性のみを重んじる日本の風土が浮き彫りになって見えてきました。
私は日本が大好きです。
この国に生まれ、暮らしてきたことを喜びに感じていますし、他の国に真似のできない誇るべきことが数多くあると信じています。
だからこそ今、多様性を尊ぶインクルージョンの文化を、実践を通して、教育の中にしっかり根付かせたいと願っているのです。
多くの人の心の根元に張り付いて離れない、「障がい児は分けて育てるもの」 という感覚を、一日も早く払しょくしたい、
今から10年前と今では、その感覚に大きな変化が見られているように、間違いなく次の10年で、分けて育てない育ての感覚が教育のスタンダードモデルになるのは、確実です。
いくら拒もうが、誰が抵抗しようが、世界の潮流の中で、日本の感覚だけが取り残されていくことなんて、あるはずがありません。
要は、1日も早く、そういう感覚で、子ども育ての体制を根本から整えなおすことが大切です。
白ゆり保育園は、この4月から認定こども園に移行し、発達支援センターが何人もの子が、この機に認こども園に入園することが決まっています。
地域の中、集団の中にしっかりとした居場所があって、さらにその上で、その子の育ちに応じた専門的で行き届いたサポートの場を整える、
私たちが全国に提案する子ども育ての新しいスタンダードが、今まさに始まろうとしているのです。

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あるべき形とありのままの子ども
2016-03-12
私の所には、毎日40名近くの子どもが通って来てくれています。みんな、笑顔のかわいいすてきな子どもたちで、そんな子どもたちに囲まれ、日々のその育ちにふれることを、私は何よりの喜びに感じています。
障がいという概念は、ある意味人間が勝手に作りあげたものだと考えています。
その概念は、専門性を生かし、その子の特性に応じた豊かな育てに役立ててこそ意味をなすものです。
子どもたちの弾む笑顔を見ていると、なんて可愛いのだろうと、あたたかい気持ちがこみ上げてきます。
どんな障がいがあろうが、なかろうが、子どもは子どもであり、障がい児という前に、一人の人間として尊ぶというのが、私の信念です。
すな場であそぶ子どもたち、お雛様を見て胸をときめかしている子どもたちを見ていると、その信念は、さらにゆるぎなきものへと高まっていきます。
あなたは、初めて三角定規を買ってもらったときの、あの胸のときめきをおぼえていますか?
障がい児は、勉強が嫌いなんていうイメージは、偏見以外の何物でもありません、
子どもはみんな学びたがっているのです。
誰だって、勝手な物差しを一方的にあてられて、ほら見たことか、こんなことも出来ないのかとやられたら、傷ついたり、やる気をなくしたりするのは当たり前のことです。
子ども理解に基づいた適切な目標設定と、豊かで行き届いた支援、そして深い愛情、
そんなあるべき形があればこそ、障がいという概念は、初めて成立するものなのです。
その子はその子でありのまま、
誰にも替えることの出来ない、唯一無二の絶対的な存在、
あなたの代わりなんて、誰にも出来ない、
きっとあなたにしか出来ない大切な使命がきっとある、
この世に意味なくして生まれた命なんて、一つもない、
もしも、そうでない障がいという概念ががあるのなら、それは差別や偏見以外の何物でもない。
そんなものは今すぐに、ごみ箱にポイと捨て去ることにすればいいのです。

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子どもの学びをプロデュースする②
2016-03-08

たった一人で始めた白ゆり教室、
あの頃は、生徒が1日たったの1人、なんていう日が、当たり前でした。
ある意味、実践者としては一番幸せな時間でした。
白ゆり教室を事業化してからは、給与計算、開発許可、建築許可、人事、労務、職員募集、予算、請求事務など、すべてのことを自分一人でやらなければならない時期がありました。
それも今では、すべて担当職員が責任もってこなしてくれており、私は確認だけで済むようになりました、
あの頃の苦労があればこそ、当たり前のように事務をこなしてくれる職員に、「私が教育実践に打ち込めるのも、皆さんがいればこそ」と、感謝の気持ちがこみ上げてきます。
この4月から、個別指導の教室を指導員3人態勢で運営することになり、昨日からその準備にとりかかりました。
新しい先生が一人増えることを、きっと子どもは笑顔で迎え入れてくれるに違いない、そう確信していました。
時間帯によっては、個別教室の中に子どもが1人、
指導するのは、私を含めた3人の職員といった、まるでハーレムのような状況になりました。
もちろん4月からは、「子ども3人⇔職員3人」の形の教室運営が始まるわけですが、この1+1+1のシステムは、案外答えが4にも5にもなるような予感がしています。
まさに子どもの笑顔があふれる学びの拠点、
わざわざ岡山にお越しいただかなくても、この教室から広がる新しい学びの形を、全国のスタンダードモデルまで高め上げたい、
1日たった1人の教室が、ここまで来たこと自体がすでに奇跡、
誰でも子どもは、みんな学びたがっているに決まっている、
それが私のゆるぎない信念です。
白ゆりの何が、子どもとご家族の圧倒的な支持をいただいているのか、
その根元をしっかりと見つめていきながら、これからも子どもの笑顔の輪を、益々確かなものにしていきたいと願っているのです。

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豊かなものの輪郭
2016-03-03
あれは確か、私が17歳の時だったと思います。暮れかかった校庭のベンチに腰をかけ、自分の将来に思いをはせた瞬間がありました。
私は幼少時代、家庭に恵まれない子どもでした。
「困っている子どもの力になる仕事がしたい」
驚くべきことに、そのぼんやりとした気持ちは、それからずっと私の心に根元にあって、40年たった今でも、ほとんど何も変わっていないのです。
子どもの力になる仕事、
その時の私には、学校の先生になる以外の道を、思い浮かべることが出来ませんでした。
教員になって、様々な勉強の機会をいただきました、
やがてその仕事を自ら退職することになるわけですが、そこにも何かぼんやりとした希望が、心の根元から消え失せることはありませんでした。
白ゆり教室という個人の教室を開いたとき、月収数万円にも満たない時期が、半年以上続きました、
それでも私は、豊かな思いがずっと心の中に広がっていました。
教室を始めて1年経った頃、入会希望者は爆発的に増え、私には土曜日も日曜日もなくなり、レッスンに打ち込む毎日が始まりました。
大阪や京都からも次々にお越しくださる方が増え、定期的に京都や大阪に出張レッスンに行くようになりました。
24時間、365日、
よくぞあれだけと思えるくらい、わき目もふらず実践に打ち込む日々を積み上げていくことができました。
やがて白ゆり教室は、障害児通所支援事業へと移行し、その圧倒的な利用実績の伸びが評価され、補助金をいただいた立派な建物が建ち、今では月間のべ利用者数が700人を越える事業にまで成長しました。
今日私が、所用を済ませて教室に帰ると、3年生の女の子が、「おかえり~」と大きく手を振って笑顔で迎えてくれました、
1年生の男の子も、とことこと私の方にすり寄ってきました、
言語はなくても、そこにはあたたかい気持ちが、ゆるやかに流れ込んでくるのでした。
私の心の根元は、17歳のときのそれと何も変わっていない、
あの時校庭で見た夕焼けと同じ色が、子どもたちの笑顔を、美しく照らしていました。
本当に豊かなものには、輪郭も何もないのです、
その子と生きる大切さをご家族とともに見つめながら、これからも生涯同じ歩調で歩み続けたい、
私はきっと、いつだって、ずっとそう願っているのです。

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子どもの幸せの中身
2016-03-02
毎月第1水曜日の7時に、私は自分の髪のカット&カラーの予約を入れています。以前は、仕事に追われまくって、予約を取るのにも苦労した時期がありましたが、今は1年先まで自分の予定は時間単位で管理していて、それが崩れることはほとんどありません。
数年前にぎっくり腰で1日のレッスンをキャンセルして以来、徹底した自己管理に心がけ、体調不良でレッスンをお休みしたことは1度もありません。
もしもそういうことで次にレッスンに穴を空けることになったら、もはや潔く第1線から引退する覚悟で日々の仕事に取り組んでいます。
月に1度、決まった日に美容院に行けること、
毎日、のりの効いたワイシャツに袖を通せること、
そして、私のレッスンを楽しみにしてくれる子どもとご家族がいること、
この3つが、私の仕事の大切なバロメーターになっています。
高級時計も、高級外車も、私にはまったく無意味な長物です。
それ3つ以上のことは、私にとってはおまけに過ぎません。
「まあすてきなレストランだこと、本当においしい料理だったわー」
「で、次のご予約は?」
「えっ、それはまた今度にします・・・」
発達支援センターの個別学習サポートは、1日6人の枠を9人まで増やしましたが、それでもすべての方のご予約を賄いきれないず、1年先まで満杯のご予約です。
どんな美しい言葉を並べていただくことより、実際にご予約をいただけれるということ以上の評価はありません。
私たちの提案したサポートの形に、多くの方の支持をいただくことができた。
この1年、頑張ってきて本当に良かったと思いました。
何かのことで、誰かの役に立ちたい、
子どもの心の芯に流れている、そういう気持ちを呼び覚ますことが、私の最も大切な仕事の一つです。
君の幸せの中身は、きっとそこにある、
勉強を通して、私たちが歩んでいくその先にあるもの、
これからも私は、そのことをずっと見つめ続けて行きたいと願っているのです。

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