保育所等訪問支援
2015-09-29
今日は、新しく保育所等訪問支援をさせていただくために、地元地域の小学校へ出向き、校長先生・教頭先生に事業の内容についてのお願いなどをさせていただきました。このことについて、大変深いご理解をいただき、とても充実した時間になりました。
世の中というのは大変狭いもので、後で聞いてみると、校長先生とも、教頭先生とも、いろいろな面で私たちとつながっていることが判明しました。
一人の子どもの成長と幸せのために、多くの者が力を寄せ合っていく一つの形、
私たちには、保育所等訪問支援という制度を使って、わずかであってもご家族のご期待に添ったサポートを積み上げていきたい、
また一つ、大切な扉が、今開かれようとしているのです。

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自己肯定の気持ちは 他者とのかかわりによって培われる
2015-09-27
SHINOBUさんは、仕事も順調に進んでいらっしゃるし、何もかもすてきなのに、どうしてご自身のことをいつもそんなに低くおっしゃるのか、いつも不思議でたまりません。いつも通っている整体の先生は、時々私にそんなことを伝えてくださいます。
私は、組織のリーダーですし、たくさんの子どもたちとご家族の願いを背負って生きています、
そんな私が、いい加減な男であっては申し訳が立たないので、「白ゆりに来てよかった」 と心から言ってもらえるようにと、期待を裏切らないようにと、毎日精一杯踏ん張っているわけなのです。
整体の時間は、どうしても副交感神経モードになるので、「もう逃げだして、素の自分に戻りたい」 という自分の本音みたいものが、時々ぴょっこり首をもたげてくるのです。
たまの休日一人になると、その落ち込みようは尋常ではなくなります。
力のない私は、こんなポジションにいるべき人間ではないと、自己否定の嵐の中で、現実逃避を始めます。
私が、休日にも極力レッスンを入れるようにしている理由の一つがここにあるのです。
休日が終わり、一たび職場に入ると、自分でいうのも変ですが、とてつもない集中力で仕事を始めます、
私は組織の看板ですから、私を信じ支えてくれるスタッフの努力を裏切ることができないのです。
子どもやご家族と接するときは、愛情と使命感にあるれるあたたかい笑顔で、
外部の方と接するときは、責任感と決断力を体全体にみなぎらせて、
そして一人の時は、1分1秒を惜しんで、鬼の形相で次々に事務をこなしていきます。
私は、仕事に打ち込んでいるときの自分が一番好きだし、誇らしく思います、
そのことで、自分のアイデンティティーを何とか保つことができているのです。
自己肯定の気持ちは、他者に貢献できることにより培われていく、というのが私の信念であり、他者に貢献できる存在に育てることにより、子どもは幸せになるのだと考えています。
学びに真剣に取り組むことにより、子どもの自己肯定の気持ちは確実に上がっていきます。
単なる点数やランクのことではなく、子ども時代に何かに一生懸命取り組む体験をした子どもは、社会のデビューを迎えたときに、きっと自分自身が何かのことで誰かに貢献したいという、学びにかわる自分の役割や使命に気が付いていくはずです、
あなたには、あなたにしか出来ない大切な使命をもって、この世に生まれてきたんだよ、
私は、一つ一つのレッスンにそんな気持ちを込めて、これからもずっと取り組んでいきたいと思っているのです。

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数少ないわたしのとりえ
2015-09-26
昨日は、りんちゃん(中2)のレッスンがありました。講演会の時に、
「情報の量が多いと、子どもはどこの何をみたらよいのか、わかりにくくなることが多い。そういうときは、見る範囲を限定してやったり、色によって注目させるべき点を焦点化させる支援が効果的」
そんな内容のお話させていただいた記憶があります。
りんちゃんのお母さんも、講演会にお越しくださっており、この日のレッスンが終わるや否や、「先生のお話をもとにピンときたことがあり、すぐに実行してみたら、これまでできにくかったことがすぐにできるようになった」 と、とてもうれしいお知らせをしてくださいました。
他の方は、他の方で、それぞれにまた違っ収穫があったやにも、お聞きしました。
これまで何年間かにわたる実践をふりかえり、そのことを整理してお伝えすることで、皆様に何かの恩返しをさえていただく、
このことが、私の今回の講演のモチーフであっただけに、こうした内容はとてもうれしく感じました。
補助金をいただき、本館が建設され、これまで何年にもわたって支援を続けさせていただいた子どものご家族を、そこにお招きしての講演会、
この奇跡のような出来事の中で、精一杯そのことに取り組める自分のことを、本当に幸せに思います。
これまで私の実践の背景や、指導の工夫やポイントを具体的にお伝えしたことで、以後のレッスンのねらいが、私にもご家族にも、よりクリアに見えてきだしたように感じています。
もっともっと豊かな実践を積み重ね、いつかどこかで、また皆さんに大切なことをお伝えする機会がもてたら、どんなにすばらしいことでしょう。
講演会をする度に、新たにまたご縁がつながる子どもが、必ずいるものです。
私の力では、いくらがんばっても、講演は年に2回が限度ですが、だからこそ与えられた機会には、真心を込めて取り組んでいきたい、
一発勝負に強いのが、数少ない私のとりえの一つかもしれません。

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大切な原点
2015-09-22
このシルバーウイークは、土日が岡山教室、月曜日は大阪堺教室、火曜日には京都教室に伺いました。以前は月2回、堺教室にはお世話になっていた時期もありましたし、京都にも毎月おじゃまさせていただいた時期もありました。
新大阪に教室を開いてからは、それぞれ年3回程度の訪問になってしまいました。
当時幼稚園だったお子さんが、今年はもう6年生になるので、かれこれもう数年にわたってお付き合いをさせていただいていることになります。
初めて堺に伺ったとき、なんばの駅で、どう乗り換えたらよいのかわからず、駅員さんにホームをお尋ねしたことを、今でもはっきりと覚えています。
京都の教室は、以前は二条城の近くになり、いつもこどもの日になると、毎年京都におじゃましたことを思い出します。
岡山での仕事がありながら、休日に、他の地域でレッスンを積み重ねていくことは、決してたやすいことではありません。
学びを通して、子どもが自尊心やアイデンティティを高めていくように、私はこうしたレッスンを積み重ねていくうちに、実践者としての使命感を高めていったのでした。
久々に訪れる教室に、移り行く景色を目にしていると、いろいろな思いや出来事がこみ上げてくるものです。
その頃は、きっと今より技術も拙くて、何かと失敗の多いレッスンであったにありません、
それでも、何かを託して、何年も何年もずっと私を支え続けてきてくださった、たくさんのご家族がいます。
わずかであっても、そのご期待に応えたいと、歯を食いしばってふんばり続けた日々は、私にとっては、何ともいとおしく美しい出来事に思えてなりません。
大切な原点は、きっとここにある。
根元の気持ちは、あのときと何も変わっていないし、これからもずっと変わりはしない、
いつであろうが、どこであろうが、私は今日もまた、小さなレッスンを、ひとつずつしっかりと積み上げていくのです。

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読字改善のあゆみ
2015-09-21
今から5年ほど前に、倉敷市の障害児学級親の会の総会で、講演をさせていただいたことがあります。その講演を聞いてくださったことがご縁で、私の教室に通ってくれるようになった子がいます。
今年5年生になる男の子も、その一人です。
文字を見て、その文字が示す内容を内言化(理解言語化)できにくい子、
私は、何人ものこうしたタイプのお子さんと、向き合ってきました。
私には友里ちゃんをはじめ、言語にかかわる何十時間・何百時間の指導実践がありますから、私なりのなすべき役割と、成長のプロエスを、実践レベルで俯瞰することがことができます。
まだ低学年だったこの子のことについて私は、
「お母さん、5年生位になったら、この子の読字にかかわるようすは、きっとかなり改善されてくると思っています。だからこそ、それまでの間に、私がさせていただく役割がいくつかあろうかと思います。そのことを信じて、私にこの子の育ての一部を託していただけないでしょうか?」
もちろん、まったく不安がなかったわけではありませんが、おそらくは 「きっと大丈夫」 というような確信はありました。
その兆しがみえにくい時期から私は、いつかはきっと芽がが出て花の咲くたいせつな種に、水や肥料を与え続けていきました。
「大ウソつきにならなくって、よかったです」
昨日のレッスンを終え、私はお母さんにそのようにお伝えしました。
まだまだ、たどたどしさは残していますが、文字を読み、それを思考のベースに乗せながら、自らの力で問題解決に取り組む言語の扉がしっかりと開いてきました。
だからこそ、そのことを見通して取り組んできた何年かの時間が、無駄なものにならなくてよかった。
SHINOBU先生のレッスンはいつも楽しみにしていて、お盆休みの日は、どうして休みなのかと説明に困りました、
お母さんは、そういって苦笑されました。
子どもにとって、自分の成長の喜びに代わるものなど、そうそうあろうはずがありません。
私と子どもたちとの歩みは、これからもずっと続いていくのです。

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塵一つ落とさない気概
2015-09-18
私が小学校の教員時代、参観日の前に、教室環境などが整っているかどうかを確かめに校内を巡回したことがありました。ほとんどのクラスは、翌日の参観日を迎える環境がきちんと整っていましたが、その中に、これは一体どうなっているのかと目を疑うような教室がありました。
そのときは、ちょうど教頭先生が入院されていた時期であったので、教務主任の私がその先生に最低限ここまではしておきなさいと、注意をしましたが、その先生はそれを受け入れようとはしませんでした。
平成27年3月、岡山市より補助金をいただき、発達支援センターの本館が完成しました。
壁紙やタイルの色や材質、備品の一つ一つに至るまで、責任者の私が一つ一つを吟味し、検討し、発注をさせていただきました。
ここは、子どもたちに最高の環境を提供させていただくところ、
塵一つ落とさない、どこにも負けない行き届いた環境で、子どもたちと保護者の皆様を、毎日お迎えさせていただこう、
落成式を前に、私は職員にそのように伝えました。
うちの職員は、有名大学出身でもなければ、何か特別な実績を上げてここにきたわけでもありません。
ですが、全員私のことを信頼し、心を一つにして、毎日の仕事に取り組んでくれています。
リーダーの指示に従えないような選手のいるチームが、連戦を勝ち抜いていくことは決してできません。
結果にかかわるすべての責任は、トップである私がとる、
塵一つ落とさない気概、
そこに込めるのは、大切なお子様の育てを託していただいているという、支援者としての誇りと使命感以外の何ものでもないのです。

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どこまで真剣に向き合ったか それが子どもの学び
2015-09-15
いつだったか、「今日から九九の勉強をするよ」 と伝えると、一瞬で子どもの表情がみちがえるように輝き始めたことがあります。2年生になって、みんなが九九を習っているのを見て、自分もやってみたいと強く願っていたのしょう、
その時の弾むような学びの時間を、私たちはしっかりと共有することができたのです。
私は、子どもの学びをとても大切に考えています。
子どもは、学びを通して、自己肯定の気持ちを培っていくと、心の芯から私は思っています。
少年時代に、豊かな学びのときを過ごした子どもは、必ず肯定的な自己理解力が育ち、アイデンティティを確立し、自分がこの世に生を受けた意義を感じ、自分が地域の中で果たす役割を自覚するのだと考えているのです。
どうせできないからといって、テキトーに勉強していては何も育ちはしません、
やるからには、最善を尽くして取り組むのが学習というものです。
ですが、それは子どもにとって、最も大切なものではありますが、手段にしかすぎません、
目的は、学びを通して培った感覚であり、態度であり、能力であり、心なのです。
九九は出来た方がいいに決まっていますし、真剣に学ばない子には、何も育ちません、
しかし、九九が完全に習得できないからといって、その子の命の重みには、何ら関係ありません。
九九ができないから、数の学習は、何をやっても意味がないということではありません。
課題に向き合う子どもだからこそ、1回1回のレッスンで、最高の時間を構成し、その数を1回でも多く積みかさねていく日々を、子どもたちにプレゼントしたい。
それが、ご家族から負託された役割であり、私の個別指導のコンセプトになっています。
どこまでできたかではなく、どこまで真剣に取り組んだか、
育ちにかかわる学びのものさしは、きっとそういうものであると、私は考えているのです。

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時をとめる
2015-09-11
今、所長として、どうしてもチャレンジしなければならない大きなプロジェクトに取り組んでいます。子どもたちのため、ご家族のため、職員のために、意義の高いものであると認識していればこその決断ですが、そのための労力は、決して普通の覚悟でできることではありません。
1晩2晩徹夜すればできるというものでもなく、ましてやお約束しているレッスンを安易にキャンセルすることなど、到底許されることではありません。
1分1秒を削って、自分の持てる力を振り絞り、可能な限りすべての時間を仕事に打ち込んでいる状態です。
人間の意志というものは恐ろしいもので、こんなふうに腹をくくってさえいれば、帰宅が10時になろうが11時になろうが、そんなことは何の苦にもならないものです。
まさに超覚醒モードで、気力も、体力も、どこからそんなエネルギーが湧いてくるのか、自分でも不思議に思うくらいです。
そんな私の姿を横目に、職員の意識や使命感も、目に見えて向上しており、職場は何ともいえない活気と高揚感に包まれている感じです。
毎月第1水曜日は、美容室に行く日と決めています。
岡山で、こんな夜遅くまでカット&カラーをしてくれる店はここしかないので、もう何年もずっとお世話になっています。
その美容師さんが、先日、「今まで1度もお聞きしたことはなかったと思いますが、SHINOBUさんは、おいくつなのですか」と、お尋ねになりました。
56歳ですよ、と私がお答えすると、とても驚かれた顔をしました。
とても、50代には見えませんと、社交辞令でおっしゃってくださいました。
見た目はともかく、私の時間は、このブログを書き始めた7~8年前から、きっと止まったままになっているのです。
数年前、新大阪駅でぎっくり腰になり、その日のレッスンを全部キャンセルした日がありました。
その日以来今日まで、食事や体調管理には細心の注意をはらい、整体にも毎週通い、1度たりとも体調不良でレッスンに穴を空けたことはありません。
どんなに忙しくても、スポーツクラブはやめず、暴飲暴食や深酒も一切しなくなりました。
休日には、早朝から講演会のプレゼン作成に取り掛かり、昼ご飯も忘れ、気が付いたら夕方という日もありました。
この活動を始める前の私は、こんなふうでは、全然なかった、
久々に会った友人は、以前よりも若く見えると、何人も口をそろえます。
私の人生の中では、きっと今が最も充実して、最も幸せな日々であるに違いありません。
1998年に、がんの手術をしました。
今でも私のお腹には、15cmを越える傷跡が残っています。
「あなたはよほどこの世でなすべき役割があったのでしょう。あなたの命はそういう命であることを知っておいてください」
カルテに目を通し、担当だったDr.は、目を丸くして私にそう告げました。
私の時を、誰がとめたか、
何の迷いもなく、ただ子どもたちの成長と幸せのために働くことのできる毎日、
微力であっても私はただ、その思いに応えるだけなのです。

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彼方に過ぎ去りし困難
2015-09-09
あれは花子ちゃんが小学2年の時のことですから、今からもう7年以上も前になります。2年生になって、真新しい漢字ドリルを目の前にして、「みんなと同じように漢字ドリルをやりたい」 と、大粒の涙をはらはらと落とした日のことを、今でもはっきりと覚えています。
そこから何年にもわたって、私と花子ちゃんとの書字改善の旅路が始まりました。
新聞紙に大きな文字を何度も書く練習をしたこともありました、
粘土で文字を作る遊びを取り入れたこともありました、
へんとつくりをパーツに分けて、型紙を使って漢字づくりをしたこともありました。
パソコンを使った学習や、得意の聴覚性の内言を生かした長所活用型の読解指導をメインに置きながら、書字改善のことは常に頭に入れた実践を積み重ねていきました。
視覚認知力と、書字にかかわる運動機能の未成熟による困難と分析していましたら、そのためによかれと思うことは何でもやりました。
彼女に変化の兆しが見え始めたのは、5年生のころです、
それまでどうしても書くことができなかった数字の 「9」 が、正確に書けるようになりました。
ひらがなの 「ら」 も、正しく書けるようになってきました。
地中に張っていた根だけでなく、地表にしっかりと芽が出てきたのが、きっとこの日だったのだと考えています。
中学になってから、花子ちゃんの認知力も、書字にかかわる巧緻性も、目に見えてぐんぐん改善されてきました。
昨日行った漢字プリントを見て、私は、「彼女の書字障がいは、もはや遠くに過ぎ去った」 と思いました。
そのことを告げると、何とも言えない満ち足りた笑みを、彼女は私に返してくれました。
きっと、私がおらずとも、この子の書字改善は何らかの形で実現されただろうと考えています。
私の果たした役割は、ほんのわずかなことに過ぎない、
しかし私は、彼女との学びの歩みから、支援者として、最も大切なことを培ってきたのです。
私の実践のすべては、この母の願いに寄り添うことからスタートしました。
そのスタンスは、これからも微塵も変わりようがないのです。

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子どもに向き合うことで育つもの
2015-09-07
この活動を始めて間もない頃、次から次へとお越しくださる新規のお子様への対応で、レッスンが終わったあとで口がきけないほどヘトヘトになった日のことを、今でもはっきりと覚えています。大阪への出張レッスンを始めて間もない頃、岡山のレッスンを終えて大阪へのホテルへ直行、
そのホテルで、深夜まで翌日のレッスンの模擬練習をした日のことを、今でも忘れることができません。
本当に、あの頃は苦しかったし、何よりも自分の指導技術の未熟さを、日々大きなダメージとして受け止めるような連続でした。
先日、久々に講演をさせていただきました。
参加者の多くは、平素私のレッスンを受けてくださっている方々でしたので、これまでの実践を整理して、このワンチャンスにしっかりと大切なことをお伝えできればと願っていました。
会の終了後も、その手感じることができました。
これまで続けてきた自分のレッスンの狙いや方法を、きちんとお伝えしたことで、また大切な何かが浮かび上がって見えてくるような印象をもちました。
講演をさせていただいて、一番勉強をさせていただいたのは、誰でもないこの私自身なのだと実感しました。
本当は、そんなかっこいいことでも何でもなくて、正直ただ逃げることができないから、頑張れただけに過ぎません、
でも、子どものことに真剣に向き合うからこそ、私は変わることができた。
真摯にわが子の幸せを願う母の横顔から、私はいつもそんな思いをもつことができるのです。

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