実践力のある先生
2015-05-29
私は自分のことを、子どもを教え導く教育者であると思っています。そこには、行く先をゆるぎなく示すパワー、いわゆる指導者としての目力やカリスマ性などが一定レベルで必要となってきます。
野球の監督が、「ここはバントかヒッティングか、どっちがいいと思う?」 などと、選手に聞いているようではダメです。
例え成功率が100%でなくとも、「ここは勝負だ、思いっきりバットを振ってこい」 と選手の肩を力強く叩いてやるのがリーダーというものです。
教育に、こうした方向感は不可欠です。
一方で私は、子どもと言えども、心の芯では、一人の人格者として大切に扱います。
そしていつの日か、私のもとを巣立ち、一人の成長した人間として握手を交わす日が来ることを、何よりも楽しみにしています。
主体者としての子どもを育む、支援者としてのスタンスがここにあるのです。
「愛と青春の旅立ち」 で、あの厳しい鬼教官のもとから巣立ち、見事士官となって新たな一歩を踏み出すあの1シーンが、何度も何度も胸をよぎります。
甘やかしたり、要求度を全く下げてしまうのは、特性を理解することでもなければ、豊かな教育愛でも何でもありません。
頭ごなしに叱りつけたり、パワハラみたいな教育も、とんでもない筋違いだと思っています。
誰よりも子どもの可能性を信じ、子どもの今をしっかり見つめ、多彩で腰の据わった技術と指導経験を有し、厳しくもいつも子どもの輪の中で笑顔が輝くステキな先生、
そんな先生に教えてもらう子どもたちを、私はこれまでたくさん見てきました。
子どもの未来を拓く、こうした多くの先生方を、私は心から敬愛してやまないのです。

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希望の光
2015-05-26


先日、倉敷のある相談支援事業所の方が、4年生の女の子のレッスンのようすを見に来てくださいました。
就学前からずっと通ってくれている子で、今では漢字もこんなに正確できれいに書くことができるようになりました。
小さい頃は、とてもではありませんが、小学校になってこんなに勉強ができるようになるとは想像できませんでした。
この子の育ちが、どれだけ多くの子の希望の光になって来たか、はかりしれません。
論理でも数値でもなく、今、この子の存在そのものが、私の育ての拠り所となってきているのです。
支援者として、ご家族にしっかりとゆく道を指し示すことが、私に与えられた大切な使命です。
心の根元に実践の裏付けがあることが、どれだけご家族の支えとなっていくことでしょう。
こんな所が倉敷ににもあったらいいのに、
相談支援の担当者さんは、そんなふうにおっしゃってくださいました。
一人の子どもに寄り添う所から、次々と大切な何かが生まれてくる、
これからも、それぞれの子がもつ宝物がきちんと見える実践者でありたいと、願うのでありました。

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実践者の軸足
2015-05-25
私はこれまで、様々なオリジナル教材を開発してきました。そのためのベースとなっているのは、脳の機能局在と応用行動分析の論理です。
出来ると出来ないの間に、どんな刺激を与えて行けば、最も効率的にそこにたどり着けるのか、
その道筋を、自信をもって堂々と歩み続けるというのが、私の個別指導の基本的なスタンスです。
もしも私に、この2つの論理の背景がなければ、決してここまでの数の実践を積み上げることは出来なかったことでしょう。
一方で、論理的な背景は説明できないけれど、なぜか子どもが食いつく魅力的な教材というものがあります。
Aちゃんが目を輝かせた教材は、多くの場合Bちゃんも、Cちゃんも目を輝かせて取り組むことが多いのです。
年間2,000以上の個別レッスンの経験と実績は、こんな形で生かされていくのです。
ここが私の最大の強みです。
良い車が売れるのは当たり前のような気がしますが、能書きだだけではなくて、売れる車が良い車なのだという見方もできます。
論理はしっかりと身につけ、自分なりのアプローチを確立していくと同時に、何もかも捨ててまっさらで子どもと向き合うスタンス、
実践者の軸足は、しっかりと子ども側に置くべきものだと、私は考えているのです。

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その後に続く言葉
2015-05-22
「何やってるの、そんなことしちゃダメでしょ」同じように注意したのに、その言葉が子どもの胸に響く指導者と、全くそうでない指導者とがいます。
その差は、歴然です。
「何をやってるの、そんなことしちゃダメでしょ」
その後に続く言葉が、
(だって先生は、あなたの事が大好きだし、絶対にいい子になってほしいから)
の場合と、
(だからあなたはダメなのよ)
の場合では、子どもの胸の響きようが違っていて当たり前です。
愛すればこそ、厳しく叱る
叱られた言葉の中から、子どもは指導者の深い愛情と、自己肯定の気持ちを深くかみしめていくのです。
似て非なるものとは、まさにこの事、
重い課題を背負っている子、非言語の子どもであればあるほど、人の心を感じ取る力は敏感です。
揺るぎない信頼がかもしだす、子どもとの深いきずな、
教育者の目の色を変えていく源泉は、きっとそんなところにあるのです。

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きっと来る その日その時
2015-05-18

私の教室には、何人かの中学生が通ってきてくれています。
昨日は、そのうちの3人の子が来てくれました。
みんな小学校の時から、私の所に通ってくれている子です。
今年中2になる男の子は、小学生の頃は算数が得意な子でした。
ただ、順序立てて式を書くことが極端に苦手なために、さすがに中学になるとすべての計算を暗算では処理できず、プラスマイナスの符号などの正確にも欠け、大きな壁にぶち当たっていた感じでした。
4月のレッスンの際にも、計算処理の複雑さに対応できず、何度も私に厳しく指摘をされていました。
ところが、
ところがです。
昨日ここに来てみると、あれほどいい加減だった式の記述が、見違えるようにていねいで正確になっているのです。
言っておきますが、この子は小学校3年生ときから、もう5年以上もずっと私の所に通ってくれているのです。
そんなこの子も、変わる時は、こんなふうに一瞬です。
連立方程式につながる単項式の掛け算や割り算を次々にこなしていきます。
4月までの1日の内容量を 「5」 とするならば、今日の内容はきっと一気に 「10」 や 「15」 にもなった気がします。
「何か、わかった気がする」
「明日になって、今出来ていることを、何だかすっかり忘れてしまいそうで怖いです」
何度も何度も、この子は、私にそのような意味のことを伝えていました。
一度自転車に乗れるようになった子が、次の日から乗れなくなるなんてことは、あり得ないはずです。
もう数年も通っていながら、本人がそんなふうに感じるくらい、この日は特別な日になったのです。
そう言えば、今年高校に合格した別の子が、こんなふうに大変身した日の事を、私はしっかりと覚えています。
私には、その子とこの子との後ろ姿が、何だかぴったりと重なって見えていました。
この日、あとの時間に来てくれた中3の男の子は、ついに連立方程式の自力解決まで、あと一歩のところまでたどり付きました。
ここまでの道のりは、彼にとっては決して平たんではなかったはずです。
数学ができるようになってきたという方向感が、レッスンの要求度をかなりの速度で上げて行っても、この子のモチベ―ションをしっかりとキープしてくれているのです。
この子と連立方程式に取り組んでいくことは、私の一つの大目標でしたし、支援者としての夢でもあったのです。
どんなに遅くなっても、課題分析をして、ていねいにレディネスを積み重ねていけば、いつか必ずできる日はやってくる。
できなければ、小さなステップを刻むか、支援を入れて段階的に除去していけば良いだけです。
私は、今教えている3歳のダウン症の女の子を、連立方程式が解けるまでに育て上げることを、大きな目標の一つにしています。
構想10年の、私のライフワーク、
そのころ私は66歳。
私は、一人一人の子と培ってきた実践技術を、一人でも多くの子の学びと自己実現に生かしていきたいのです。

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子どもの自尊心は 学びによって培われる
2015-05-15
私がまだ幼稚園の頃の思い出です。すべり台の上から、同じ敷地内の小学校のようすを眺めていると、全校の生徒が集まって音楽集会をしていました。
そのリコーダーの音色が、何とも美しく心に響き、自分も小学生になったら、あんなふうに出来るのだろうかと、強いあこがれを心に抱いたものでした。
私は、勉強があまり得意でない子どもにでも、漢字であったり、計算であったり、可能な限り文化的に価値の高い題材を提示するようにしています。
もちろん、子ども一人で出来にくかった時の手だてを事前に十分に吟味し、提示した以上は、子どもが一定の手ごたえを感じるレベルまでの支援を構成するように心がけています。
新しい教材に初めてふれたときの、あの子どもの輝くような瞳を見ることは、私の生きがいです。
むずかしい勉強ができるようになったと感じたときの子どもの表情からは、まちがいなく自分に対するプラスの気持ちがにじみ出ているのです。
行動改善も、アイデンティティの確立も、根元はすべてここにあると思っています。
どんな子も、学びたいし、向上したいのです。
その内発性を信じる者こそが、教育者としての使命を果たすに値すると、私は思っています。
こんな子に勉強させても無駄??
そんな気持ちをわずかでも抱く者がいたとしたら、今すぐその子の前から立ち去るべきだと、私は信じて疑わないのです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-05-11)

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支援者は、去りゆくのが仕事
2015-05-10
5月は、5日に堺教室、6日は京都教室、そして9日・10日は新大阪教室でのレッスンがありました。以前は、新大阪でのレッスンが、1日12本なんていう日もありましたが、1週間のうちに、これだけ関西地区でのレッスンがあると、日程的には余裕があり、普段よりじっくりと腰を据えて取り組むことができました。
愛知県から来てくれた5年生の男の子は、見違える程に言語にかかわる力が伸びていて、正直私の方が驚いてしまいました。
3年生の頃は、毎月のように岡山に来てくださっており、「この子の言語にかかわる認知力は、高学年になれば必ず上がるから、それまではその部分に支援を入れて、この子の思考力と自信をしっかりと養って生きましょう」 と、お母さんにお伝えした日の事がありますが、そのことが嘘にならなくてよかったと、胸をなでおろすような気持ちになりました。
これからも、きっと色々な局面が訪れるとは思いますが、もはや支援は、段階的にフェードアウトすべき時期に差し掛かってきました。
一方で、今回初めて新大阪教室でデビューを迎えた子どもたちが2人いました。
どちらの男の子も、本当にステキな子で、新大阪に教室を出して本当に良かったと感じています。
今年から幼稚園に通うようになった子は、新大阪に教室を構えてから、月2回必ず通ってきてくれています、
マンツーマンレッスンには、年齢的にまだ少し早いかなと思っていましたが、このところ認知力も、言語の力も着実に伸びてきており、この子が中学や高校で、方程式くらい解けるくらいに育て上げたいと、大きな野望を抱くまでになってきました。
どの子もきっと、いつの日か、私なんかがいなくても、きっと社会の中でたくましく自己実現する日がやってくることでしょう、
1日も早く私は去りゆき、その子の心の中で生きていくようでないといけない、
そして、その子と培った大切な育ちを、多くの子どたちの成長へと役立てていかなくてはいけない。
それが、支援者としての私の役目、
そのために私は、今日も前に向かって、一歩ずつ進んでいくのです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-05-11)

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君のもつ命の輝き
2015-05-08
このブログを書き始めてから、もう7年以上になります。もがき苦しみながらも、何とか投げ出さずにやってきたこの数年間、
その間に、立派な建物が建つまでになりましたが、私が何かに成功したというような気持ちになったことは1度もありません、
目の前にある課題に、ただひたすら打ち込み続けた数年間がそこにあり、一緒に歩み続けてこられたご家族も、それ似たような思いではないかと、想像をしています。
もしも真剣に打ち込む日々がなかったとしたら、穏やかで安穏とした毎日だったかも知れませんが、そこにはきっと、今とは目の色の違う自分がいるのだと思うのです。
真剣にもがき苦しむ日々があればこそ、今の私はこの位置にいるのです。
今日も明日も、ただその日々の積み重ね、
もがいた分だけ、苦しんだ分だけ、私には身に付いた何かがあるわけです。
もう楽になりたいと、何度考えたことでしょう、
でも、そこに子どもがいたから、結局投げ出すことはできませんでした。
そのことが、人の人生を変えていくのです。
君のもつ命の輝きが、多くの人を動かし、大切な何かをあぶり出してきたのです。
それがあるから、私のあゆみは、決して止まらない。
君たちがいればこそ、私の時間は、意味のあるものになってきたはずです。
たとえ次の一歩をどちらに踏み出そうとも、私が何かに屈することは、もはやきっと許されないものになったのです。

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内言と文字言語
2015-05-05
例えば子どもが同じように 「おかあさん」 という文字を書いていたとしても、そのメカニズムには大きく分けると2通りあると考えています。文字そのものを見て、それを記号的にトレースしているタイプの子どもがいます。
書字そのものは正確ですが、よく見ると漢字を下から書いたりする子どもです。
字は正しく書けても、あまりその意味までを同時に考えて書いていないことも多いようです。
一方で、問題文にしても、地の文にしても、文字を視覚的にとらえることが苦手な子がいます。
こういう子は、画数の多い漢字などを書くのが嫌いな場合が多いようです。
文字を書く場合には、心の中にある 「おかあさん」 という言葉をリフレインしながら、順次おかあさんという文字に変換していくのです。
内言化された言葉を文字にすることは得手ですが、文字情報を視覚化するのが苦手なわけです。
こういう子どもには、内言に近い聴覚性の言語で支援を入れてから、文字をアウトプットさせていくのが有効です。
理解言語を増やしていくことが、やがては文字との接点を豊かにしていくのだと、私は考えているのです。
同じ子どもに3年・5年とかかわっていけば、必ず1度や2度は大きく伸びる時期があるものです。
ゴールは同じでも、その道のりは、子どもによって違う部分があるのは、ある意味当たり前のことです。
言葉のメカニズムを ①文字言語 ②聴覚性の言語 ③内言語(理解言語) の3つの角度からとらえ、そのなりの色で学びの道をぐいぐいと進ませていきたい。
それこそが、わたしのような立場の者が取り組んでいかなければならない使命の一つであると考えています。
スポーツでも、習い事でもそうであると思いますが、毎週来てもらっても、本物の力をつけるにはきっと何年かの継続性は大事です。
決してあきらめないご家族と私、
そのチャレンジは、今日も続いていくのです。

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ベーシックなものにほど 力量の差が見える
2015-05-04


10倍すると、小数点が右に1つ動き、100倍すると小数点は右に2つ動きます。
たったそれだけのこと、わかってしまえば何てことのないことですが、予備知識もなく初めてそのことを学び子どもにとっては結構ドキドキの内容であったりします。
ましてや、視覚認知がぜい弱な子にとっては、紙に小数点を書き、それに斜線を引き、矢印で移動させたり消したりすると、何が何だか分かりにくくなってしまう場面だってあるのです。
そんな時には、紙に小数点を書き、それをはさみで切り取って移動させてやれば、たいへんすっきりとして分かりやすくなります。
子どもがなぜつまずき、どんな支援があれば自力解決できるのかが見えれば、こんな工夫がさっと考え付くようになります。
こんな工夫のまねをするのは、誰にだってできます。
しかし、目の前の子どものつまずきを見て、瞬時にはさみを用意できるには、相応のの力量と実戦経験が必要となります。
マニュアル化すべきことと、マニュアル化できないこと、
教育者は、いつも実践から育っていくのです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-05-05)

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