涙のしずくが映し出すもの

 2015-01-28
いつだったか、倉敷市の親の会で講演会をさせていただいたことがあります。

倉敷の親の会は、長年にわたり活発な活動をされていて、私の講演会にもたくさんの方が参加してくださいました。


そのことがご縁で、何人かの子どもが私のレッスンを受けてくれるようになりました。

今、中学生になるこの子も、小学生の頃からずっと通ってくれています。


本館工事が急ピッチで進み始め、あんなにも立派な建物が建つのかと、色々な方からお声をかけていただくようになってきました。


「この子たちが、ステージのど真ん中にいて主役となる場所を、私は何としても作りたいと思っていました」

何気なく私がお母さんにそうお伝えすると、みるみるお母さんの表情に変化し、程なく大粒の涙をはらはらと落とされました。


いったいどのような思いが、お母さんの脳裏をよぎっていったことでしょう、

言葉には変わらなくても、その涙のしずくが、何か大切なものを映し出しているのです。


君たちが、社会のど真ん中で、自分らしく、幸せを感じながら、生き生きと安心して暮らせる世の中にしていくために、

私はこれからも、1っ歩ずつ前に前にと進んでいきたい。


君たちのために作った新築の建物の中から、いつも希望に満ち溢れた笑い声が響くような、そんな場所にしていきたい、

小さな希望の春は、もうそこまで来ているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-01-29)




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人のアイデンティティは 学びによって確立される

 2015-01-25
今、年中さんになる男の子

もうすぐ年長組に進級するということで、最近プリント学習を取り入れてみました。


私は、幼児期には、幼児期だからこそ大切に育てていかなければならない大切な感覚の育てが重要で、安易に教科学習の先取りだけをしていい気になってはいけないと、常日頃から自分に戒めています。

この子たちにもこれまで、ロールプレイや見立て遊びなどをたっぷりと取り入れてきたのです。

しかし、この時期になって、数や文字のプリントを取り入れると、明らかに子どもの目の色が変わり、表情が生き生きとしてきました。


先日から、学校であまり九九の勉強をして来なかった小学生の子に、かけ算のひっ算の学習を取り入れてみました。

ひっ算で、かけた数が繰り上がり、それを足して答えを求めていく手順は複雑で、初めのうちはかなり混乱させているという印象をもちました。

しかし、子どもの食いつきは、明らかに挑戦的で、決してあきらめようとはしませんでした。


この目の輝きは、今プリント学習を始めた年中のこの子と同じ色をしていると感じました。

やっていく度に、少しずつではありますが、しっかりと向上の手ごたえを感じることができるのです。


以前、私が大学院にいた時、教授方の前で自分の研究テーマに関連する英語の論文について発表するという学習会がありました。

それまで、英語の論文など読んだことのなかった私は、何か月も苦しみ抜いて、やっとその論文が何を意図して、何を明らかにしていたのかを読み取ることができるようになりました。

発表が終わった後に、先生に 「すごかったね」 とおっしゃっていただいた時に、涙が出るくらいうれしかったのを今でも忘れることは出来ません。


今、その英語の論文が、直接私の実践に役立っているかというと、それはそうではないと思っています。

しかしながら、やっと発達にかかわる専門的なフィールドに踏み入れることが出来た、

あの時に得た自分に対するそういう感覚が、今の私のモチベーションを根底から支え続けていると思っています。

その時以来、人のアイデンティティは、学びによって確立されると、私は信じているのです。


例えば博士号をとった人が私の職場にやって来ても、実践者として第1線を任せるには、どんなに優秀な子でも5年はかかると思います。

職業人としてのいろはは、現場に来て、1からでないと身につきません。

何かのアプローチ―を多少かじっていい気になっていても、たかだか学生のレベルでは実践では歯がたちません、

むしろ、まっ白でで、一から学ぼうという子の方が、きっと伸びます。

だからこそ私は、学生時代、学びそのものに精一杯取り組んで来た子に来てもらいたいと思うのです。


勉強しなくてもいいというのは、あなたは不要な人間だと決めつけるのと同じこと、

勉強しなさいというのは、あなたには世の中から必要とされている大切な子どもだと伝えること、

私は、そんなふうに思っています。


子どもの学びの意欲を、安易な競争原理によって、決して打ち砕いてはなりません。

発達面に課題のある子どもだからこそ、幼少期・学童期・青年期、それぞれのステージでの学びそのものが大切なのです。


私の教室に来る子から、勉強をとってしまったら、あんなにも目の色は輝きません。

階段を駆け上るようにして私の所にやってくるのは、勉強ができる手ごたえがあるからです。


その子に合った最近接な課題を提示できれば、子どもの目は必ず輝き出します。

子どもが目の輝きを失せてしまったとしたら、それは、本当に子どもの力のせいでしょうか?


「勉強して、世の中の役に立つ子になってね」

そう伝えること以上に、子どもの自尊心を高めていくものはありません。


君には君にしか出来ない大切なきっと役割がある、

先生と一緒に勉強して、立派な人になっていこうね、


そういうあなたが、先生は大好き、

これからもずっと、先生はあなたの先生でいたいと願っているのです。






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見失ってはいけないこと 

 2015-01-23
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先日、発達支援センター本館建設の中間検査がありました。

棟上げ以降、それぞれの業者さんが連日大人数で作業を進めてくださっており、わずかの期間でみるみる形が出来上がって来ています。


設計士さんが、本当によく考えてくださっており、えらいものを作ってしまったという気持ちがこみ上げてきました。

この先、背負っていく借金の額もさることながら、多くの方々からの期待と社会的な使命を、一生担って生きていかなければならないと感じました。

うれしさ以上に、逆に身の引き締まる思いになってきました。


何事も、こうして形が見えるときは楽しいものです。

しかし、何も見えない中から志をしっかりと立て、次から次へと訪れる試練にも方向を見失わず、土台を作っていくあの苦しい時期がなければ、決して何も生まれては来ない、

まさにそれは、子どもの育てと同じこと、


一人の子どもの幸せや成長から目を離し、目先の利害に追われていたなら、結局、何も生まれてはこなかったはず、

何をもって自分たちがここにいるのかを、これからも絶対に見失わないようにしていきたいと、心の芯から願っているのです。



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数の量的な見方のよさを体験させる

 2015-01-22
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上の画像は、私が普段のレッスンで使っている教材の一部です。

バナナはいくつと尋ねたら、「2」 とすぐに答えてくれました。

じゃあ、どんぐりはいくつとかと聞くと、1・2・3・4・・・ と数え始め、結局 「10」 という答えが返ってきました。


私たちは、すでに量的な見方が育っていますから、どんぐりの横に示しているブロック図を見て、どんぐりを数えなくてもそれが 「9」 であることにすぐ気が付きます。

「10は9より1少ない数」 「5と4で9」 など、数に関する多面的な見方が、すでに身についているからです。


4くらいまでの数なら、1・2・3・4 と順序数で対応させた方が楽ですが、5以上の数や数の合成分解の場面、あるいは繰り上がりや位取り記数法の学習となると、どうしても順序数から集合数へのとらえの変換が必要となってきます。


様々な学習活動から、自然にその感覚が身についている子はそれでよいのです。

ですが、いつまでたっても順序数の見方から抜け出すことができない子がいたら、集合数の見方を育てていく必要があります。


そのためには、集合数としての見方のよさが体験できる場を、意図的に構成していくことが大切だと思うようになってきました。

いちいち10まで数えなくても、ぱっと見て 「9」 と分かる便利さ、

「10」 と 「9」 を比べる時に、いちいち指を9本折っていかなくても、集合数のイメージを重ね合わせて、ぱっとそれが1ととらえられる楽しさを、何とかして子どもに感じ取らせたい。

それさえできれば、数の可能性は格段に開けていくはず。


こうした教材開発は、本当に楽しい、

私の野望も、追及心も、まだ道半ばといった所です。








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言語が豊かに育つメカニズム

 2015-01-21
それまで言葉が出なかった子が、ある日突然しゃべりだし、だんだんとその言葉が豊かに育っていくたくさんの子どもたちの様に、私はこれまで何度も何度も接してきました。

同じ人間が、月に1度、週に1度と、数年以上にわたって継続的にレッスンをさせていただけることは、ありそうでなかなかないことです。

当たり前のようにそんな機会を与えていただいている私だからこそ、きちんとそのことを情報発信していかなければならないと、いつもそのように思っています。


今日来てくれた5歳の男の子、

このところめっきり言語にかかわる状況が豊かに育ってきました。

パズルをしても、数を数えても、手遊びをしても、小さい声ではありますが、一生懸命口を動かすのです。


デジャブ―ではありませんが、この風景は、私の心に何度も何度も焼き付いてきた他の子の育ちをそっくり重なるのです。

その子たちは今、小学校の中学年以上になっていますが、以前、言語がうまく機能していなかった頃のことは、もうずっと遠い昔のような気がしています。

今では、漢字も書いたり、九九も言えたり、すっかりたくましくなって、いつも張り切って勉強を続けています。


「あの頃は、小学校に入って、まさか漢字を書いたり、九九の勉強をしたりできるなんて、夢にも思っていませんでした。」

お母さんは、私にそう伝えてくださいます。


正直私も、まさかここまで来れるとは思っていませんでした。

でも、今は違います。

何人も何人も大きな成長を遂げてきた子に寄り添い歩んできた実践者として、誰よりもその可能性を信じられるようになりました。


体験もなしにいい加減なことは言えませんが、これならきっと行けると、一歩前にお母さんに道を指し示すことができるようになりました。

これもそれも、すべて子どもの成長があればこその話、

君の成長は、君とご家族だけのものではなく、あとに続く多くの子どもたちの道しるべとなり、その大きなエネルギーとなっなっています。


君が社会で果たしていかなくてはならない役割の一つは、きっとこんな所にもあるのです。


この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-01-22)






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言葉を使わないことによって 通じる心

 2015-01-19
この土・日は、大阪でのレッスンがありました。

2日で18人の子のレッスンをさせていただきましたが、大変手応えのある収穫の多い時間を過ごすことができました。


しかしながら、毎回毎回すべてがこのようにうまく行くとは限りません。

子どもやご家族からは不満の声は聞かずとも、自分自身がどうしても納得のいかない、割り切れないレッスンというのが何度もあるわけです。

この納得の行かないレッスンを、何とか改善していく営みこそが、今日の私を育てていくのだと、今でも本気で思っているのです。


私の支援の柱は、ひと言で言うと、スモールステップ法と支援除去法の2つしかありません。

子どもの特性を素早く見抜き、その最近接の目標を設定し、その2つのアプローチをうまく使い分けてレッスンを構成する、

たとえどのようなお子さんであっても、どのような年齢のお子さんであっても、すべてのお子さんにこのスタンスで向き合っているわけです。

ここの部分は、この先もきっと変わらないものだと考えています。


私自身の認知処理様式は、言語優位の継時処理、

どちらかというと、スモールステップより言語による支援除去を得意とするタイプです。


今、大阪である6年生の男の子のレッスンを、定期的にさせていただいています。

低学年の頃に、何度か岡山に来ていただいた事があったのですが、新大阪に教室を開いたことで、毎月定期的にレッスンをさせていただくことが可能となったのです。


昨年の暮れ、この子とのレッスンがなかなかかみ合わず、大変申し訳ない思いでいっぱいになっていました。

もう数年前からのお付き合いということもあって、何とかすぐに結果を出したいと、自分の思いだけが空回りしているような感じでした。

これではいかんと思い、この日のレッスンは言語による介入は可能な限り控え、つまずきが予想されるポイントでは内容を精査したヒントカードを提示し、内発性を重視した支援に切り替えてみることにしました。


最近接な領域の課題を準備したつもりでしたので、レッスンが始まると、その子は集中して学習に取り組み始めました。

1レッスン7000円のプライベートレッスンで、時折つまずきそうになる子どもを、ハラハラとした思いでじっと見守っていくことは、決して楽なことではありませんでした。


最後の問題で、 小数のままでは割り切れないため計算の方法がわからず、顔色がさっと変わってしまう場面がありました。

ここはきっとそうなるだろうと予想していました。


2分くらい考える間を置いて、私は 「÷0・96」 → 「×96/100」 と書いたヒントカードを,、何も言わずその子の机の上に差し出してみました。

言葉は発しませんでしたが、「あっそうか」 というこの子の声が、ノンバーバルでダイレクトに私の心に飛び込んできました。

それは、あえて言葉を使わないことによって、私たちの信頼の絆が、しっかりとつながった瞬間でもありました。

この子は、非言語で、言葉にはならないメッセージを、ずっと私に発信し続けていたわけです。


この日、何人かのお父さんが、お子さんのレッスンを見に来てくださいました。

「何度来ても、SHINOBU先生の教室での集中力は、他のどんな場所でも見ることができない」

そうおっしゃってくださった方も、何人かいました。


私は、自分の力量が優れているなんて思ったことは一度もありません。

むしろ、下手くそなんだから、人が1回やって身に付くことなら、その3倍は努力しなくてはいけないと考え、日々の実践に取り組んでいます。


私は、他のどんな人より失敗の数が多い、

きっとその失敗の数の分だけ、大切なことを学んでいくことができた。


この日のレッスンを通して、私はまた一つ高いステージに上がったという気持ちになることができました。

うまく行かないレッスンにこそ、きっと大切な何かが隠されているもの、

人は成功から得ることよりも、失敗から学ぶことの方がはるかに大きいのです。


これもそれも、大切なお子様の、大切な時間を、信頼して託してくださるご家族がいればこその話です。

この気持ちに背くことは決してできません。


一人の子の学びに寄り添うことから、すべてのことは始まっていく。

小さくとも大切なその営みを、これからも一つずつ積み上げて行くあゆみでありたいと、心からそう願っているのです。


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可能性を信じて歩む道のり

 2015-01-13
この3連休、

初日は岡山でのレッスン、二日目は法人の用事で下関へ、そして3日目は大阪・堺でのレッスンがありました。


下関から岡山に帰り、その足ですぐさま大阪へ、

長距離移動は慣れているはずの私でしたが、色々なことが重なり、3日目の朝はかなり体が重く感じていました。


大阪に通い始めて5〜6年になりますが、以前はもっともっとハードだったことを覚えています。

でも、会場に入りレッスンが始まると体がシャキッとし、いつもレッスンの終わりころには体調が良くなってしまうので、不思議に思っていました。


この日の、大阪最後のレッスンは、2年生の女の子でした。

初めてレッスンをさせていただいたのは、きっとこの子がまだ3歳になったかならない頃で、当時は床にちゃぶ台を置いて、パズルや感覚遊びを中心にしていたのを思い出します。


何としても、この子を社会の中で自立できる子に育てたい、

レッスンのある時には毎回ご両親でお越しくださり、その愛情とお気持ちの深さに、並々ならぬものを感じていました。


小学校は通常学級を選択されました、

いつの間にかなぞり書きだった書字は、楽々と視写もできるようになり、標準化された2年生の配当漢字もかなり正確に書けるようになってきました。

読みがたどたどしい時期もありましたが、スイミーも黄色いバケツなど、お友だちと一緒に毎日音読を続けていくうちに、だんだんとレベルが向上してきました。


私が作った生活文の教材も、何十枚・何百枚と数を重ねていくうちに、自力で地の文を読み、尋ねられた設問に正しい解答を自力で記入できるまでになりました。

これまでは、出来にくい部分には周到な支援を入れ、追及心や学習の達成感を損なわないようにと様々な配慮してきましたが、この日ついに、私の支援を全く必要とせずに、完全に自分の力で生活文のプリントを仕上げていくことができるようになりました。


そのまなざしも、表情も、声の調子も、鉛筆の運び具合も、これまでとは全く勢いが違っているのです。

私も、ご両親も、これまでとは違うただならぬこの子のオーラに、息を飲んで学習の進捗を見つめていました。

用意された学習プリントをすべてやりきった瞬間、私はこみ上げてくる熱いものをこらえるのに必死でした。


文字言語を音声言語に変え、その音声言語を内言化して思考のベースに乗せ、それを判断してキーワードを視覚的に対応させ、更にはそれを文字言語としてアウトプット(書字)する。

小さい頃から長い年月を経て、育て積み上げてきた一連のプロセスが、ここに来て一つの完成形を見たのです。


もしも、この子たちと出会っていなければ、生活文の自作教材も、数の量的な感覚を育てる教材も、これ程までに精度を上げることはできなかったかも知れません。

続けることで収穫を得ることができたのは、子どもたちよりもむしろ、自分の方であったのだと思ったことは、幾度となくありました。


この日の朝一のレッスンでは、その子の学校の先生がレッスンの見学に来てくれました。

私の個別レッスンの内容や教材の一部を、学校教育の中にも取り入れてくださっているということ、

何ともありがたく、頭の下がる思いでいっぱいになりました。


あの日、年長さんだった子は、この春にはもう6年生、

私は中学になったこの子たちに、方程式や比例のグラフ、XやYを使った計算を教えたいのです。


学びに真剣に立ち向かった子は、必ずや自尊心が向上し、アイデンティティが確かなものに育っていく、

そのことが、その子の就労や社会参加の大きなエネルギーになって花を咲かせていく。

私は、色々な地域で、そんな子をたくさん見てきました。


それまで平凡だった私を、ここまで駆り立ててくれたもの、

わき目もふらず歩んできた道のりそのものが、私たちにとって何よりの宝ものなのです。

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君たちが主役となる舞台 (発達支援センター本館の上棟式)

 2015-01-09
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今から数年前、京都のモーネという工房の一室をお借りして、レッスンをさせていただいていたことがあります。

それまで、何人かの子が、レッスンのたびにわざわざ岡山まで通っていてくださっていたのですが、ここに拠点ができたことで、何人かの京都の子どもたちに、定期的にレッスンをさせていただくことが可能となりました。


白ゆり保育園の園長が、そのお礼を申し上げるために、モーネにお訪ねさせていただいたことがあります。

子どもたちのために、民間の方に、このようなお力をいただいている、

こうしたお気持ちに叶うためにも、社会福祉法人として、子どもたちのために何としてもにきちんとした施設を建設しなくてはいけない、

京都でのレッスンを見た園長は、そう心に深く刻んで岡山に帰ったといいます。



それから数年後、本日、白ゆり発達支援センター本館の棟上げを行いました。

発達支援センターに通うたくさんの子どもたちとそのご家族、そして保育園のお友だちもたくさん参加してくれました。


早朝から多数の職人さんが集結し、あっという間に形が出来上がっていきました。

プロの職人さんたちは、ここまで周到な準備をし、わずか数時間でこれだけの仕事を成し遂げるのかと、私は驚いてそのようすを見つめていました。


予定時刻になると、冬空の隙間から陽光が差し込み、絶好の上棟日和となりました。

園長と一緒に梁の上まであがり、おかしや餅を投げ、生涯初の体験をしました。

控室でぜんざいを召し上がっていただき、ご家族の皆様と、とてもたのしい時間を過ごすことができました。


この子たちが主役となる舞台を作り上げたい、

私たちの願いが、また一つ具体的な形となりました。


次から次へと降りかかる様々な試練にも、心が折れることはありませんでした。

白ゆりの施設整備は奇跡だと、行政の方はおっしゃいます、

それが奇跡であろうとなかろうと、どんなに時間がかかろうが成し遂げなければならないことに変わりはありません。


一人の子どもに寄り添うことから、すべては始まるのよ、

午前中の打ち合わせで、園長はそんなことを言っていました。


白ゆりで始めたこの事業を、何としても軌道に乗せ、学びのステージを卒業する子どもたちに、新しい社会参加の道を次々と切り拓いて行きたい、


志あるところ、必ず道は拓ける、

君たちが、私たちにいつも大切なことを教えてくれているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-01-10)

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血の通った支援計画

 2015-01-06
お正月の間に、支援計画の系統表の見直しをしました。

それぞれの子どもの発達の特性やステージを見つめて、どこを目指し、何を育て、そのためにどんな手だてをしていくのかを、0歳から18歳まで見通してまとめておくものです。


4年前の発達支援センター発足時に、頭がちぎれるほど考えて、苦しんで苦しんでひねり出すように形にした日のことを、今でも忘れることはできません。


計画をまとめる過程で、それまで自分自身があいまいにしていた部分を、明確に見つめ直す機会になったのです。

心の根元にしっかりた実践のビジョンのない者が、それを文章化していく作業は、予想以上にしんどいものでありました。


その後、この4年間におそらくは10,000時間近くの実践を積み重ねることができました。

今回の見直しでは、これまでのものは一旦すべて捨て、全く新しい枠組みで1から作り直してみることにしました。


前回、苦し紛れに作ったとはいえ、形としてまとめたものがあり、その上に10,000時間の実践があるわけです。

今回の見直しでは、それぞれの場面で子どもたちとの具体的な実践の姿が思い出され、そのポイントを文章化していく作業はとても時間はかかりましたが、手応えのある楽しいものになりました。


こうして、やりがいと夢をもって、一つの仕事に打ち込み続けられる自分の立場を、本当にありがたくもうれしく感じました。

これでいいという完成品にはほど遠いものですが、きっと私は生涯、このことを追い求め続けていくのだと思っています。


それが私のライフワーク、

すべては、一人の子どもの学びと育ちに寄り添う所からスタートします。


新しい年の、その大切な一歩が始まりました。

お正月早々、かれんちゃんのお母さんが、県の大きなお立場に就任されるというビックニュースが飛び込んできました。

本当におめでたいことです。


子ども成長を願う真摯な気持ちは、きっと何かを動かしていきます。

来年の今頃、わずかであっても今よりも高いステージに立つことができるよう、一つ一つの実践に精一杯取り組んでいける日々を積み重ねていきたいと、心から願っているのです。






この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-01-07)






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稽古が命

 2015-01-02
我が家では、柴犬を飼っています。

次女の9歳の誕生日に我が家にやってきて、もう十年以上も一緒に暮らしています。


家族が旅行などに行くときは、誰かが残ってお散歩に連れています。

大晦日の朝から元日の夜にかけて、私はずっと机に向かって、たまりにたまった事務仕事と格闘をしていました。


個人でやっている教室の確定申告の記帳は、以前は娘やアルバイトの人を巻き込みながら、3日も4日もかかっていましたが、伝票の整理の仕方や便利なパソコン入力の方法を学習して、今年は自分だけで、2日も経たずに完了することができました。

私は、紅白歌合戦や駅伝などを見るより、愛犬の頭をなぜる静かな時間を、とても心地よく感じています。


年末に、歌舞伎役者の市川海老蔵さんのドキュメントが放送されていました。

父の團十郎が亡くなられたその日、葬儀を終えた後、すぐに稽古に打ち込んでいました。

これが芸に生きる者の生き様と、いたく感銘を受けました。


誰がために為すべきことがある、

君には、君にしかない命の輝きがある、

人としての幸せの源泉がそこにあることを、私は子どもたちに伝えていきたい。


何の迷いもなく、そうやって一つのことに打ち込めることを、誇りにも、幸せにも思います。

子どもたちと、そのご家族のためにも、もっともっと高いところを目指す1年でありたい。


役者の命が稽古であるならば、私の命は日々の実践、

大切な1つ1つのレッスンを、今年もしっかりと積み上げていきたいと願っているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-01-02)
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大切さを全国に伝えたい
Author:SHINOBU
新大阪教室

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