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あなたの目をしっかりと見ること

 2014-12-28
今日が1年最後のレッスンの日です。

この1年、毎日ほぼベストな体調でレッスンをすることができました。

体調不良を理由に、レッスンに穴を空けたことは一度もありませんでした。

元日の朝にもお酒を飲まず、10時過ぎには教室に入り、仕事を始めたことが、もうずっと前のことだったような気がします。


今年の正月には、まだ新大阪駅前の教室探しをしていました、

本館建設の話も、まだ具体性には欠けていました。

先週の建築打ち合わせでは、プレイルームの床暖房が設置可能となり、指導訓練室の防音にも格段の配慮をしていただけることになりました。

設計士さんも、建設会社のスタッフさんも、子どものたちのためにと、何か特別な思いで取り組んでくださっていることが、ひしひしと伝わってきました。


自分の命を振り絞るように懸命に生きる子どもたちのために、何か自分の専門性を生かしてお役に立ちたい、

子どもたちには、大人の心をゆさぶる、強烈なパワーがあるのです。

それがなければ、私はここまで、自分の仕事に打ち込むことは出来ませんでした。


最後まで、あきらめちゃだめだ、

自分の可能性を信じて、

勉強がんばってる君が、一番かっこいい、


私は胸を張り、瞳をしっかりと見つめて、あなたの心にいつもそう語りかけたい、

もしも、あなたと出会っていなかったなら、私はこんなにも、何かに打ち込める自分ではいられなかった。


君たちのために、わずかであっても役に立てている実感、

寝食を忘れて、志を立てた仕事に打ち込める毎日、


私は、今が一番幸せです。





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学ぶことを喜びに 

 2014-12-26
今日、4歳児組の子の個別レッスンをしました。

もうすく年長さんだからということで、ひらがなのなぞりプリントをさせてみせると、突然目を輝かせ 「もっと、もっと」 と私にせがみます。

これまでロールプレイやパズル、カード学習などに生き生きと活動に取り組み、それはそれは楽しいレッスンを続けてきましたが、こんなに懇願されたことは過去にはありません。


勉強をする、

子どもは学びたがっているのです、

今更ながら、これほど子どものモチベーションを上げるものは、他にないことを改めて思い知らされたのでした。


いろいろな課題を背負っている子ほど、本当は学びたがっている、

そこに適切な教材や、適切な支援が工夫できていないから、子どもの学ぶ意欲を生かすことができない。

私はこれまで、ずっとそんな気持ちで教材開発に取り組んできました。


レッスンが終わって、いすにしがみついて帰ろうとしない子ども、

もう1回、もう1回と指差して、何度もその活動をせがみ続ける子ども、

私の教室で、日常よく起こる光景です。


妖怪ウオッチやアナ雪で、こうまでなったことはありません。

アンパンマンやプラレールなら、きっとおうちにだってあるのです。


先生と一緒にする勉強こそが、自分自身がもっとも輝いて感じ取れる瞬間なのでしょう、

それがお友だちの中で実現されれば、さらにすばらしいのにと、いつも私は思っています。


うまくいっている子とのレッスンほど、私にとって楽しい時間はありません、

インフルエンザで誰かのレッスンがお休みになって、ぽっかり空いた時間は、ほんとうにがっかりでつまらないものです。

これくらいでなければ、毎週毎週50以上のレッスンを、1年間続けることはできません。


この1年間、一度もその気持ちが萎えることなく、最後まで走る続けることができた、

私は、こうやって、これからも子どもと共に走り続けたい、


心通じ合うこと、

自分がより望ましい方向に向かって進んでいく手応え、

そこの中心に学びを置かずして、いったいどんなものが、その代わりになり得るのでしょう?


その大切さを、もっともっと多くの方に理解していただくために、私は意味のあるレッスンを、これからもずっと積み重ねていきたいと願っているのです。






この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-29)





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行動改善に向けた10歳の節目

 2014-12-25
日曜日に京都の教室に、3年生の女の子が来てくれました。

小さい時からずっと、三重県から通ってくれているのすが、このところ目に見えて学習がかみ合ってきました。

勉強の集中度が格段に向上し、すっかりお姉ちゃんらしくなってきました。


この子が幼い頃、何度も岡山の教室にも通ってくれていました。

「10歳になるまで、もう少し辛抱してみてください。」

「劇的に改善されるかどうかは別として、今よりはきっと見える景色が変わりますから」


10歳云々と言ったあの日のこと、覚えていますか?

私がお母そう尋ねると、お母さんは、

当時は、そんな余裕、どこにもありませんでした、

とお答えくださいました。


私は予言者でも何でもありませんが、こういった話で、ご家族の期待を大きく裏切った記憶は、ほとんどありません。

何人も何人も、同じような行動改善をしてきた子を知っていますから、理屈ではなく、体験として感じているのです。

それよりもむしろ、3〜4年前には予想することさえ出来なかったくらいの、飛躍的な成長を遂げた子を、何人・何十人と見てきたのです。


「通常学級なんて絶対無理です」

もう飽きるほど、何度も何度も浴びせられた言葉です。

そのセリフ、今でも同じトーンで、私たちの前で言えるのでしょうか?


それは、いたずらに甘い期待や過度の要求を子どもに無理強いするのではなく、特性理解に基いた質の高い教育をせよという、ありがたい戒めとして、忘れることなく大切に私たちの心の中にしまわせていただきます。

それよりも今、我々は子どもと一緒に、より高い次のステージを目指していかなくてはなりません。


3年、5年、いやそれ以上も、私は一人の子どもの学びに、ずっと直接かかわらせていただいているのです。

レッスン料自己負担、遠隔地から新幹線を使って、何年も何年もずっと通ってくれている子は、1人や2人ではありません。


そういう私だからこそ、果たさなければならない使命というものがあるのです。

教育のもつ無限の可能性を、もっともっと広く多くの方に、伝えていくこと、

これからも私は、その歩みを止めることなく、しっかりと前を向いて歩いていこうと決めているのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-26)




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白ゆりの保育所等訪問支援

 2014-12-23
先日、新聞社の方が、白ゆりの保育所等訪問支援事業の取材に来てくださいました。

私と記者の方が保育室に入ると、対象となってる2人の子が、満面の笑みを浮かべて手を振ってくれました。

普段は、主任の先生が訪問支援員として直接子どもにかかわってくれているので、個別レッスンをしている私が見に来てくれたことが、余程うれしかったのでしょう、

かっこいい所を見せようと、一所懸命活動に取り組んでくれました。


学級集団づくりにも共通することですが、個の支援を充実させるためには、まず集団のモラルが高くなっていることがポイントです。

それが出来ていない集団で、誰かだけに特別にかかわろうとすると、それは子どもの目にはえこひいきに映ってしまいます。

大げさに言えば、学級は崩壊し、それが子どものせいにされます。

逆に、学級のモラルが高いと、支援のポイントを理解したミニ先生がクラスに一杯でき、子どもたちのパワーで、すべての子にやさしいインクルーシブな集団へと育っていくのです。


私が取り出し支援の子のお迎えに行くときは、必ず周りの子に声かけをするように心がけています。

「何々ちゃん、クリスマス会の鉄琴、すごく上手だったね、先生びっくりしちゃった」

「何々くん、二重とび10回もとべるようになったんだって、今度先生にもやってみせてよ」


個のニーズに寄り添った支援というのは、何か特別なことをするのではなく、すべての子に与えられた、等しく教育を受ける権利を、当たり前のように普通に行っていくだけのことです。

一人一人に応じた教育がなされるのは、当たり前のことです。

この当たり前のことが、現実の場面ではなかなか具現化されないから、あえてとりたてて、それに特別支援という名前をくっつけて、意識化して取り組まなければならないということです。


今年2月に、保育所等訪問支援事業を始めて、程なく1年を迎えようとしています。

申請時に根拠法が児童福祉法に変わった関係で、市街化調整区域での建築関係の許可が通らず、本当に難産の末に誕生した事業でしたが、この2人の笑顔を見る以上は、努力の甲斐があったというものです。

やがては、白ゆりの柱の事業の一つに育っていくやも知れません。


「本当に参考になりました」

記者さんは、そういって帰っていかれました。


根底に子どもの育ちがなければ、どんな事業も枠組みも、やがては形骸化していくに違いありません。

その一つの形を、ぜひ白ゆりの保育で示していきたい、

今回の取材が、そのための大切なステップになっていけば、どんなにうれしいことかと思っているのです。


この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-21)







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宝物のような時間

 2014-12-19
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もしも私が、自分自身のレッスンの内容を評価するとしたら、

① 子どもとのコミュニケーションがしっかりとれたかどうか?

② 子どもの内発的な学びを具現化できたかどうか?

その2点をあげることになると思います。


他者と通じ合うことによって、子どもは自分の存在の位置を確かめることができ、文化的に価値のある学習を積み重ね、自分が向上している方向感を得ることによって、子どもの心は安定し、自己実現に向かっていくと、考えているからです。


積み木遊びが発展する子は、それまでのレッスンの内容が充実している証拠です。

1個の積み木から次々とイメージが発展し、内容がしっかり共有でき、心豊かにコミュニケートが深まる時間は、まさに私にとって宝物のような時間です。


言語・数量・コミュニケーションなど、個々の内容を細分化したり、系統化したりして、それを順番に子どもにさせていくと、たったそれだけのことが何だか急に専門的になったような気分になり、保護者の方にも説明しやすいのですが、子どもの瞳はちっとも輝きません。

積み木遊びのようなことは、量的な評価がむずかしく、ただ遊んでいるようにしか過ぎませんが、子どもの表情はみるみるうちに変わっていきます。


私の駆け出しの頃は、簡単なことにあえて専門用語をくっつけて、自分を大きく見せようと必死でした。

でも、本当に力のある人は、あえて専門用語やむずかしい数値を控え、涼しい顔をして、いつの間にか子どもをひきつけ、知らぬ間に子どもを変えていくのです。


儲かってまっか?

いやいや、ぼちぼちです。


私たちの評価は、出会った方に、もうここでなければダメと、末長くレッスンをさせていただけるかどうかだにかかっていると思っています。

あなたが目を輝かせて学び、生き生きと成長していくことこそが、私たちの願いであり喜びです。

その大切な時間を、1日に1分でも長く積み上げていきたいと、心から願っているのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-21)
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すべては個の学び 個の育ちに寄り添うことから

 2014-12-18
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来春2月完成予定の本館の基礎工事が、だいぶ出来上がってきました。

工事のことも、自分の予想以上に大掛かりなことになっていて、指導訓練室の防音のこと、プレイルームの教室環境のこと、それぞれの教室の窓や扉のこと、便器の高さや位置のことなど、毎週設計士さんや建築会社の方と細かい打ち合わせが続いています。

来年1月9日には、棟上げをすることになりました。


数年前に白ゆり教室を始めた頃は、会議室の隅を使い、2~3人の子と一緒にゆったりと勉強していたものでした。

就学前の子とは、地べたにちゃぶ台を置いて、おもちゃを脇に置きながらレッスンをしたものでした。

「岡山白ゆり発達支援センター」 という看板を初めて建物に掲げた日には、万感の思いが胸にこみ上げてきたものでした。

私は、その時の思いを、片時も忘れることができません。


今、目の前にいるたった一人の子どもの成長と幸せを、しっかりと見つめていくこと、

ただただそのことの積み重ねから、私はここまで来ることができた、

これから先、どのような展開が待ち受けていようと、私はそこから軸足を動かすことは決してできません。


しっかりとした足場があればこそ、その日その時の局面で、果たしていかなければならない役割というものもあります。

子どもの息づかいと体温をしっかりと感じ取りながら、いつの日も、あなただけのSHINOBU先生であり続けていたいと願っているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-20)





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数感覚が育ちにくい理由

 2014-12-15
1・2・3・・・ と数唱をして数を数えることはできても、「5個はどれ?」 と尋ねてもそれを見つけることが出来にくい、

「10ー9は、いくつ?」 と尋ねたら、10と9の数量を頭でイメージ化することが出来にくく、順番に10本の指を折りながら、「答えは0」 なんて平気な顔で言ってしまう、

数というのは、順番に数えるものと思いこみ、それが量的な意味も合わせもつもつことがとらえにくく、「どっちが大きい?」「どっちが多い」 が、なかなかわかりにくい、 


私はこれまで、何人となく、そんな子どもたちに出会ってきました。

それは、それぞれの子どもの認知特性のかたよりであったり、どこかの部分にやや苦手なことがあったりすることに起因すると考えてきました。


1対1対応から始まった数の学習の基本は、やがて 「いくつといくつ」 という集合数の合成・分解へと学習が発展し、やがては基本単位のいくつ分という数量の学習(長さ・重さ・広さ)へと進む単元構成となっていきます。

当初、順序数として数をとらえていた子どもは、長さや広さといった学習経験を積み重ねていくうちに、知らず知らずに数量感覚を身につけてきているのです。


ところが、支援学級などで、基礎基本を大切に学習を取り組んでいる場合、順序数1対1対応の学習ばかりで、子どもたちが数の量的な感覚を培っていくための機会が、極端に乏しくなりすぎているのではないかという不安が、私の心の中にはあります。


もちろん、それが育ちにくい内容であることは、重々承知しています。

でも、だからやらないではなくて、子どもの特性に合わせながら、「だからこそ、あえてやる」 と、最近の私は考えるようになり、今まで以上にそのための教材作りに時間をかけるようになりました。


どこまでできるかは、わかりません。

でもそれは、チャレンジするに値する大切な営み、

私にとって、楽しい時間以外の何ものでもありません。


こんな私の気持ちを知ってか、知らずか、それに取り組んでいるときの子どもの表情は、いつもよりうんと楽しそうに見えるのです。

いつもの白ごはんも大事ですが、SHINOBU先生の所に来た時くらい、たまにはお蕎麦もスパゲッティも食べていただきしょう。


チャレンジして失敗しても、一歩でも前に進むチャレンジであるになら、きっとそこから大切な道が見えてくるはず。

最初から無理だと、やらずしてあきらめるのは自由ですが、そこから広がる可能性が1%でもあるなら、私は子どもと一緒にそこにぶつかっていってみたい。


きっとそこから、何かが生まれる。

やらずに出来るわけがない。

いやいや本当はこれ、私も子どももやってて楽しくて、半端なところでやめるなんてとても考えられないのです。






この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-16)
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子どもの願いをキャッチするコミュニケーション力

 2014-12-11
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昨日、4歳の子のレッスンがありました。

手遊びやカードの活動が終わったあとに、つみき遊びを一緒にしました。


最初は、感覚遊び的に、機械的に積み木を上に積み重ねていましたが、だんだんとそれが見立て遊びに発展していくのが見てとれました。

上の画像が、何だかお分かりになりますか?

これは、電話機なのです、

この想像力、固定観念にしばられる私には、なかなかできない芸当です。


この電話機を使うと、表情といい、内容といい、これまでには無いような生き生きとした展開に、私の方が楽しくなって引き込まれていくような気持ちになってきました。

通う中身が先にあって、言語はその豊かさに応じて広がっていく、

そのコミュニケートの豊かさこそが、自己肯定の気持ちを培い、内発的な学習の達成動機を高めていく。

私は、改めてこの子との活動を通して、その大切さに気付かされたのでありました。


以前、シアトルのセーフィコフィールドに行った時、となりに座ったネイティブの方と気持ちが通じ合ったのを覚えています。

でも、全く英語が話せなかった私は、名前すら尋ねてみる方法がなかったわけです。

レストランでの注文方法もわからず、毎日同じハンバーガーショップの同じ商品ばかり食べていました。


もし、英語が話せたら、こんな何千キロも離れた人と通じ合える、

いや、世界のいろんな人とも、通じ合うことができる。

今からもう10年くらい前の話ですが、その日のことがきっかけで、以来私は、ずっと英語を習い続けるようになり、今でもその気持ちに全くの変化はありません。


子どもの気持ちと乖離した言語指導は、味気ないもので、一時的には効果があっても、結局は長続きしないものだと思っています。

子どもは、どの子でも、成長と自己実現の強いエネルギーをもっていて、それは大人と比較できるようなものではありません。

その成長の願いをくみ取り、学習という共通のツールを使って、自己実現の旅路を共に歩んでいく。


奇跡を何度も目にしてきた私は、この魅力と魔力にとりつかれていて、このスタイルを変えようにも絶対に変えることが出来ない領域に入っています。

通じ合うこと、子どもが育つということは、こんなにも楽しいものでしょうか?


私は、子どもと心が通じ合うことにより、自分が生きている意味を、誰よりもしっかりと確かめることができているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-14)









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障がいのある子だからこそ 教科学習にこだわりたい

 2014-12-04
私のレッスンが、子どもたちとそのご家族に、人気がある理由の一つ、

それは、きっと私が、何より教科の指導を大切にしているからと思っています。


たし算も出来ない子に、かけ算をさせて何の意味がある?

障がい児には、教科学習よりも、生活に関係ある内容をさせるべきだ、


今まで何度も耳にして来た言葉です。

でも、だからこそ、あえて私は、発展性のある教科学習から、絶対に軸足を動かさないようにしています。


その理由はいくつかあります。

まず第一に、文化的に価値の高い教材を、その子の育ちに合わせて教材化したときの、子どもの目の輝きが明らかに違っているということ


未知の文化にふれてみたい、

出来ないことが、出来るようになりたい、

初めて出会った教材に、胸をときめかせながら、一所懸命チャレンジする子どもの表情を見たとき、私は、何にも勝る昂揚感をおぼえます。



野球というのは、木の棒で、人が投げた小さい球を遠くに飛ばし、それを追いかけながら走り回るゲームです。

そのゲーム性自体が、将来、実生活に直接役に立つということではありません。

職業として、野球にたずさわる人は、ほんのわずかに過ぎないはずです。


しかし、真剣に甲子園を目指して取り組む高校生活の中から、人は、チームワークであったり、体力や巧緻性の向上であったり、同じ目標に向かって協力し合うことの尊さであったり、克己心であったり、後にまで続く友情であったり、生涯の糧となるようなかけがえのない成長の礎を築いていくのです。


野球部が、真剣に野球に取り組まずして、一体何の値打ちがあるのでしょう。

ならば子どもは、勉強に取り組まずして、一体そこに何が生まれるのでしょう。


先日、ある3歳の女の子が、突然天国に旅立ちました。

私の所に来てくれる子の時間は、1秒だって、おろそかにすることがあってはいけないと、常々私は職員に伝え続けています。

この子たちだからこそ、学びの何年間は、神様が与えてくださった特別な時間なのです。


基礎的な力、今その子が伸びていることを、おろそかにしてはなりません、

日々の白ご飯があり、口当たりはそれほどよくなくても、栄養価の高い食材があるわけです。


だからといって、発展的なことや、未知の文化の扉を、すべて閉ざしてしまうのは如何なものでしょうか?

たし算が出来にくい子が、同じ数ずつ増えるかけ算や、面積の勉強を通して、それまで出来にくかった数の量的な見方が育った例を、たくさん見てきました。

学校でやらしてもらえなかった九九を、私の教室で初めて学び、学校に逆輸入した例も珍しくありません。


私の教室は、学校教育に成り代わるようなものではありません。

学校教育が充実すればこそ、私の所の個別指導が初めて生きる。


要はバランスとセンス、

子どもの成長を芯から願う気持ち、

教材の構成と指導の見通し、

そして子どもの目を見て、いつでも柔軟に対応できる技術と経験。


教材は、人類が子どもたちに受け継ぐべき文化のエキス、

人によってその内容やレベルは違っていても、基本的に子どもは、DNAの中で、それを欲しがっているわけです。


毎日毎日、気持ちのこもらないワンパターンの食材の連続、

それがまずく感じてしまうのは、誰のせいでしょうか?


子どもの目が死んでしまうようでは、栄養価のあるのも決して生かされないと、私は思っているのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-05)








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肯定感の裏側にあもの

 2014-12-01
個別レッスンの教材を仕込み朝6時の新幹線で大阪へ、

昼ごはんはおにぎり1個で、10人以上の個別レッスンを行い、翌日の朝6時には岡山にとんぼ返り、

家には立ち寄らず、駅からそのまま岡山の教室へ直行


SHINOBUさん、そんなこと続けていたら、いつか体をこわしますよ

もう20年以上からお付き合いをさせていただいている友人は、会う度にいつもそう言って心配してくれます。

その友人は、今では大学の先生になっていますが、以前は同じ教員として働き、教員時代の私をよく知ってくれています。


スポーツクラブに月10回通い、睡眠は十分にとり、食生活に気をつけ、どんなに楽しくても翌日に影響するような深酒は一切厳禁、

こんな馬力は、実はずっと昔からあったわけではなく、教員をやめ、この活動に打ち込み始めてから、少しずつ身についてきたものです。

先日、銀行のATMで、10年ぶりくらいに会った別の教員時代の同僚が、以前より私が若く見えると、えらく驚いて帰っていきました。


今これを言うと、誰も信じてくれなかったり、皮肉に聞こえたりするらしいので、あまり何度も言わないように気をつけているのですが、私には大きな劣等感があるのです。

不思議と、この仕事をしている時だけは、そういう気持ちが頭を持ち上げてこないのです。

私がこうまで、この仕事にのめり込む理由の一つがここにあるのです。


私から、今の仕事を奪い取られたら、私はきっと、もぬけの殻のようになってしまうに違いありません。

精気を失った、どうしようもないダメ人間になってしまうのかも知れません。


そのことを一番よく知っているのが、自分自身。

私にはもう、これしかない、

だからこそ、がんばれる。

引き下がる道など、もうどこにもないのですから。


今の私の、超人的なエネルギーの源泉は、きっとそんなところにあるのです。

社会的には、まさに紙一重、

たまたま今は、よい方が形になって現れているだけのことです。


そのマイナスな部分があるからこそ、今の私のエネルギーがある、

苦しんで苦しんで得た内容だけに、私の気持ちにもうブレはありません。

自分の命が燃え尽きる一瞬まで、子どもの成長をサポートする、今の仕事の最前線に立ち続けていたい。


あのまま平坦な道を歩んでいたら、私にこれだけの覚悟や決心は、決して生まれてこなかった、

お子様のレッスンを託してくださるということが、とれだけ尊くてありがたいことか、感謝する気持ちも生まれてこなかった、

後ろに逃げ道を作って、言い訳ばかりする自分でいたかも知れません。


苦しさや重さがあるからこそ、あなたの輝きがあるんだよ。

これからも私は、真心を込めて、そのことを伝え続けたい。


真の輝きは、自己否定の裏側にある、

あなたには、社会の中で、あなたにしか出来ない大切な役割がきっとある、

そのことを見つけるのは、たやすいことではないけれど、それはみんな誰でも同じこと、


学びを通して、私はあなたとそのことを、これからもずっとずっと見つめていきたいと願っているのです。





この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-04)





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