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ご家族とのパートナーシップ

 2014-11-29
私は支援者であり、いつも主体者は子どもであり、そのご家族であると考えています。

子どもを育てるすべてを家族だけが抱えてしまうのではなく、信頼できるパートナーを見つけ、託すべき所を託すことの方が、本来家族としてなすべきことが明確になり、それが子どもの利益につながると信じているのです。


会社の経営者は、会社が進むべき道を明確に指し示すことが重要で、会計のことは税理士に、法律のことは弁護士に任せます。

経営のことについて、コンサルタントに相談することもあると思いますが、最終最後のの決断は自分で行い、その結果については自分で責任を負うわけです。


今からもう5年以上も前のことになりますが、大阪のあるダウン症児のご家族の会で、講演会を開いてくださったことがあります。

講演会が終わったあと、私が個別レッスンをさせていただいているご家族の方が残ってくださり、何か家族でお手伝いさせていただけることはないかとお伝えくださいましたので、私は、もし可能であれば、記録をとっていただけますかとお願いいたしました。

通常学級でがんばっているこの子ももう2年生になり、音読も、漢字も、書字も、九九も、このところその成果が目に見えるような成長ぶりです。

私としては、小さい頃から蒔いた種が、今になってしっかりと芽吹いてきたような手応えを感じていました。

就学前からもう何年もずっとレッスンの記録をとってくださり、私の実践をご家族としてずっと見つめてきてくださった大切なあゆみですので、何とかそれを形として残すことはできないかと思っていたところ、それならばということで、お父さんがまずは直近のレッスンの記録からタイピングしてくださいました。


マンツーマンレッスン実践記録 2年女子 2014.5~2014,11


この子を、社会の中で自立できる子に育てたい、

初めてお会いした日から、ご家族のその願いは、一瞬たりとも色あせることはありませんでした。

そのために、支援者としてすべきことのポイントは何であったか、その内容を少しでも明らかにして、この子の次の一手をさらに模索したい、

その仮説が実践として検証されていくことで、もっともっと多くの子の学びを、さらに豊かに展開していくことへとつなげていきたい。


そういう旅路を、私はご家族と一緒に、これからもずっと歩んで行きたいと願っているのです。


この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-01)





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心が通う 言葉が通う

 2014-11-27
10月から、4歳になる男の子が、私の所に来てくれるようになりました。

STさんとの訓練が、うまくかみ合わないとうことで、お母さんは、主に言語にかかわる願いを強くお伝えくださいました。


ここでのレッスンを開始するに当たって、私は、

「言語機能そのものより、お子さんとの内発性を信じ、心の通じ合いやコミュニケーションの充実を大切にしたレッスンをさせていただきたいと思っています」

そのようにお伝えしました。


事前のご相談で、これまでの経過や内容、お子様の育ちやご家族の願いなど、かなりしっかりとお聞きすることができたこともあって、私はすぐに育てのビジョンやイメージをもつことができました。

確かに、パズルなどは苦手で、あまりソフトな対応は苦手なタイプ


でも、絵本やカードや手遊びは大好きで、やる気も表情もとっても豊か、

それに、まだほんの小さな芽ではありますが、言語表出の兆しが随所に見られます。

私にとっては、大好きなタイプの、すてきなお子さんです。


最初の1~2回は、お母さんにもレッスンの様子を一緒にご覧いただいていましたが、これなら分離した方が近道と判断した私は、お母さんには、レッスン中ログハウス(控え室)で待っていただくようにしました。

ところが昨日、急な来客があり、ログハウスが使えない状況になってしまいましたので、お母さんには教室に戻ってきていただき、途中からではありましたが、久しぶりにレッスンを見ていただくことになりました。


「かえるがぴょんぴょん、かえるがぴょんぴょん~♪」

もちろんまだ明瞭というわけではありませんが、当たり前のように、歌詞をくちずさんでいるこの子のようすをご覧になり、お母さんはとても驚いておられました。

「この子のこんな姿は初めて見ました」

お母さんは感激され、目頭を真っ赤にされて、教室を後にされました。


今から5年くらい前のことになりますが、かれんちゃんが初めて私に「せんせい」と言ってくれたときも、ご両親には、しばらくそのことを信じてもらえませんでした。

願いを託されたレッスンの場では、時々こんなことが、起こるようです。

それは、どこか私に優れている所があるということではなく、ここがご家族の願いが託され場であるということを、きっと子どもが感じ取り、その持ち味が生かされる場になっているということなんだと、私はとらえています。


就学前に言語があまり機能しなかった子が、就学後に、当たり前のように会話がクリアになっていく。

私は、そんな子を、実際に何人も見てきました。

だからこそ、私は、その可能性をしっかりと信じることができる。

今、何をすべきなのかが、はっきりと見える。


そういえば、このお母さんは、そのかれんちゃんのお母さんのご紹介で、ここにやって来てくださった方、

私とこの子との歩みは、今やっと始まったばかり、

3年後、5年後のこの子が、いったいどこまで豊かに育っていくか、

もはやこの子も、私にはなくてはならない大切な子の一人。


君の育ちが、後に続く多くの子の希望の星になる、

これから君と一緒に歩む道のりそのものが、私たちの何よりの宝ものなのです。


この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-11-29)




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数を作る

 2014-11-25
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ある子に積み木の数を数えさせたら、楽勝で 「5」 と答えることができました。

「じゃあ、これで同じ形を作ってごらん」

私がそう投げかけても、その子はすぐに同じ形を作ることができません。

5個の積み木を真横に並べて、どうしたらよいのか途方に暮れています。

きっと目の前にお手本が見えていても、それがどんな形の構成であるかを、認知できにくいのでしょう。


はじめの1個をここに置いて、その下にもう一個、今度はここに置いてみようか?

私が補助発問をすると、その子は、一瞬はっと気がついたような表情をして、とたんに積み木を並べ始めました。

活動の意図がつかめたと同時に、その手順が理解できたのです。


数を数えるという活動と共に、数を作るという操作活動によって、数の量的な見方はだんだんと豊かになっていきます。

数えると受動とするなら、作るは能動です、

この二つを重ね合わせることによって、きっと認知は、より立体的になるはずです。


ずっと 1・2・3・4・・・ と6まで数えていた子どもが、バラバラに配列されたおさるの絵を見て、3こと3こで6こと見えるようになってきました。

9-8を、ずっと8回指を折って数えていた女の子が、ある日9と8の映像を頭の中で重ね合わせて、一瞬で違いが1と気がつくようになりした。


大人の私は、一体いつどこで、こうした数感覚を身につけてきたのでしょうか?

枝からかきの実が落ちてくるのを待つだけではなく、何とか意図的に、子ども自身にその良さを体感させるプログラムを構成することはできないか?

今、私が最も、意欲をもって追求してみたい課題がそこにあります。


同じチャーハンでも、オムライスでも、ポイントをつかんだ料理人の味は、なかなか素人では再現するのはむずかしいはずです。

同じお米と卵を使ったとしても、シンプルなものほど、腕の差が出る。


シンプルだけど、格別の味がするプロのチャーハン、

私は、勉強がわかったときの、あの子どもの笑顔を見るのが生き甲斐です。


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私の背負っているもの

 2014-11-24

この3連休、私はずっと大阪に滞在していました。

それぞれの日に、7~8人の子どもたちのレッスンをさせていただきました。

大阪レッスンと言っても、三重、愛知、京都、和歌山、兵庫など近隣の様々な地域からお越しくださるのです。

大阪のレッスンでは、1日に10人を超える日も多かったので、3日間それぞれ7~8人という形が、とても充実した時間だと感じていました。


最近、私はスポーツジムに通う回数が増えてきました。

定期健康診断で、食生活の改善を指摘されてから、ずっとそのことには留意し数値も良くなってきましたが、「SHINOBUさん、悪玉コレステロールを減らすには、軽い運動を定期的に続けることが大切ですよ」 と、ドクターの指導を受けました

ならばということで、ブログの更新回数のように、それを月に10回と決め、1年間で一体どれくらい数値が改善するのか試してみることにしました。


「発達支援センター本館の建設工事が本格化し、何千万もの借金を背負うことになったわー」

「借金背負えるというのは、それだけのものを背負えるだけになったということ、俺なんかこないだ銀行に頭を下げても300万しか借金背負わせてもらえなかった」


白ゆり教室を始めて間もない頃を知っている友人の一人が、笑いながらそんなことを話してくれました。

ただ日々のレッスンだけに打ち込み、わずかであっても山道を歩き続けることで、いつの間にか見える景色も変わっていったのでしょうか、


私がいつも口癖のように子どもたちに語りかけている内容があります。


失敗するからうまくなる

君には、君にしかないよさがあるんだ

苦手なことがあるから、得意なことがあるんだよ

あきらめなければ、夢は必ずかなう

結果ではなく、希望をもって歩み続けるそのことが大切


子どもにも、ご家族にも、そのことを伝え続けてきた年月がそこにあります。

自分に何か優れた能力があるなんて、思ったことは一度もありません。


しかし、子どもたちとご家族の夢と期待を、生涯支え続けるのが私の使命、

そのことを背負って生きる以上、一日だって歩みをとめることは許されません。


レッスンが終わってジムに行くのは、9時過ぎになることもあります、

大阪から朝帰りの新幹線で、そのまま教室に直行なんていうのも、もはや日常です。

所長の仕事と実践者の仕事の2本立てですから、普段は5分の無駄も削って、次々に仕事を片付けていきます。

その超人的な体力は、一体どこから来るのかと、私の日常を一番よく知っている主任さんが首をかしげています。


そんな秘密は、どこにもありはしない、

ただ目の前のことに、精一杯打ち込んでいくだけ。


誰かのために、何かができるということで、初めて人は幸せを感じることができる、

私は君を、そういう人に育てていきたい。


いつだって君の目をまっすくに見つめて、真心をこめてそう語れる自分でいたい。

私は、自分の命が燃え尽きる一瞬まで、そういうことを背負っていきることに、決めているのです。



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わたしのかける魔法

 2014-11-21
私は、家内が園長をしている保育園の子どものレッスンを、取り出し支援という形で定期的に行っています。

現在は、年中さんの子2人と、年長さんの子1人が対象になっています。


どの子も、私のレッスンの時間が楽しみで仕方がないようです。

毎回、保育園の園庭に迎えにいくと、かけ足でで私の所にやってきて、私の手を引き全力疾走で個別支援の教室の階段を駆け上がっていくのです。

個別の時間になると、どうしてあんなに表情が変わるのか不思議で仕方がないと、保育所等訪問支援で入り込み支援をしている主任さんが、いつも首をかしげています。


子どもをこんな表情に変えていくためのポイントというものがいくつかあります。


一つは、学びという題材から軸足を動かさず、伸びてきた点をしっかりと評価してやること、

二つめは、子どもの気持ちや思いをくみ取り言語化してやると同時に、ノンバーバルで、心が通じ合っている感覚をたっぷりともたせること、

そして三つめは、バーチャルでもロールプレイであってもよいから、子どもの夢を具現化してやることです。


この3つが出来れば、必ず子どもの表情は見違えるように変わってきます、

これが、私の魔法の種明かし。


株は、安いときに買って、高いときに売ればいいのです。

でも、それが現実場面で、具体的に実行できている人は、きっとほんの一握りの人に過ぎません。


どんな理論や法則より、目の前の子どもの笑顔が私の宝物、

その手をぎゅっと握りしめたぬくもりにこそ、私は、何よりの誇りと喜びを感じているのです。








この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-11-22)




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夢をつなぐ

 2014-11-17
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先日、広島から来てくれている女の子のレッスンがありました。

就学前から、毎回欠かさず来てくれているこの子も、もう4年生になりました。


いつも赤い手さげバックを持って教室に入ってくるのですが、この日は大きなリュックサックを背負っていました。

この日は、お父さんのご都合がつかなかったらしく、いつもの自家用車ではなく、新幹線を使ってここまで来てくれたということでした。


この日、もう一人の大切なお客様を同時にお迎えすることなっていました。

この子に広島で勉強を教えてくれている若い先生が、レッスンの様子をご覧になりたいということで、わざわざ教室まで足を運んでくださいました。

私のブログをずっと見てくれていたそうで、ご縁があって、今回お招きをする段取りになったのです。


基本私は、直接子どもの利益に通じない見学は、お断りをさせていただいています。

安易な気持ちで、たやすく見せるようなものではないと、考えているからです。


レッスンが終わったあと、この先生から、いくつかの質問を承りました。

その質問にお答えしながら、私は、この先生が、わざわざ新幹線で、広島から岡山までくる理由がわかったような気持ちになりました。


きっと、この先生は、心の芯から子どもの成長のために、自分の力量を高めていきたいと強く願い、ここにお越しくださったに違いまりません。

きっとこれから実践者として、大きく育ち、大切な道を歩んでいかれるに違いない、

そう、感じることができました。


私は若き日、

赴任した小学校の先生の力量の高さに圧倒され、自分もいつかはあんな先生になってみたいと、強く心に誓った日のことを、今でもはっきりと覚えています。


毎日毎日、たくさんの子どもの学びを託していただけるという、恵まれた環境を与えらえた者として、若き志を育てる営みも忘れることがあってはなりません、

本当は、こういうことが苦手な自分だけに、実際に、こうまでして広島からお越しくださったことに、本当の自分の気持ちを伝えることができたかどうか自信がないのですが、この子が、お二人の前で、いつものようにはずむような学びの姿をみせてくれたことを、何よりもうれしく思っているのです。


レッスンは、一期一会

一人の学び、一人の育ちに寄り添うことから、すべての事はスタートする、

忘れられない大切な一コマを、今日もまた、しっかりと刻むことができたのでありました。





↓ お母さんより、下記のようなメールをいただきました。


SHINOBU先生、いつも大変お世話になっております。

今回のような機会を作っていただいてどうもありあがとうございました。

若い先生も大変勉強になったと、大興奮されていました。

「私はあの教室の壁になりたい、もっともっとお話してみたい。」と言われていました。

娘は、校外学習のような楽しい一日で
「まだ帰りたくない」と何度も言っていました。

大好きなSHINOBU先生のレッスンを、若い先生に見てもらうことで
いつもとは違う自信がついたのではないかと思います。

私は娘が、知らない難しい問題を教えてもらい、
それ を答えていく姿は、不思議であり、とても嬉しく、大変ありがたい事だと思いました。

レッスンが終わっての、お二人のお話は、ただ圧倒されているだけでした。
教育というもの、そしてその使命感は大変深いものなんだと思いました。

そして、そのような熱心な先生に、娘を見て頂ける時間は、
今更ながら幸運であり大切な時間だと思っております。


きっとこの若い先生も、SHINOBU先生が若いころ受けたような衝撃を受けたと思います。
この経験で、教育の可能性を学び、引き継ぎ、
これから先も良き指導者とし子どもたちの為に、活躍してくれることだと思います。

また、このような機会があることを祈っております。

娘の一番のよき理解者のSHINOBU先生、
これからも親子共々ご指導の程、お願い申し上げます。


本当にありがとうございました。






↓ お越しいただいた先生から、次のようなメールをいただきました。


この度は貴重な機会をいただき、本当にありがとうございました。

2年前からブログを愛読させていただいていた私にとり、夢のような時間でした。

先生の教室の中に一歩入った瞬間、そこには私が初めて見る子どもの姿がありました。

子どもとSHINOBU先生の間は、あたたかい言葉と空気で溢れていて、子どもが先生に全幅の信頼をおいているのかが伝わってきました。

私は感動した、という言葉だけでは足りないくらい興奮して、二人のやり取りに目を奪われていました。

昨日は帰宅後さっそく、今日の教材用意をし直し療育にのぞむと、これまでとは違う子どもたちの新しい顔に出会うことができ、とてもうれしく感じています。

いつか必ず、SHINOBU先生のように一人一人の学びに寄り添える先生になれるよう、力量を高めていきます。

今回このような機会をいただき、本当にありがとうございました。

また、お会いできる日を楽しみにしています。





この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-11-18)






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数の多面的な感覚

 2014-11-15
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数は、言葉と並んで、人間にしか使いこなせない高い文化性をもったアイテムです。

エレベーターに乗ると、行きたい階の数字を押せば、そのフロアにぴったりと止まってくれます。

例えばその 「14」 という数字には、1階から数えて14番目という順序性を表す意味も込められていれば、1階から14階積み重なった場所にあるという量的な意味も含まれているのです。

そんなことを知らない小さなお子さんだって、「ぼくのおうちに行くには ⑭ というところを押せばいんだ」 というように、数を記号的にとらえたり、一番上の ⑭ いうボタンというように場所的に数字を見ることだってできるのです。


数の基本は、順序数を数唱して、それを事物と1対1に対応させるところからスタートします。

教科としての算数も、そういうところからスタートして、操作活動による合成分解などを通して、徐々に量的な感覚を身につけていきます。


一般的に、具体物や半具体物を見て、それがいくつかという問題に触れる機会は多いようです。

それに比べて、「4を作ってみよう」 とか 「7はどれ?」 というように、数を量的にとらえさせるプログラムが貧弱なように思っています。


順序数としてとらえることはできても、集合数としてのとらえが不十分なままでは、いつまでたっても数え足しのレベルから抜け出すことができないばかりか、念頭で数を処理してく力を育てる機会を失ってしまいがちです。


視覚認知ができにくい子どもに、数の量的な感覚を培っていくためのプログラムに、そんな工夫を加えていけばよいのか?

それが今、私がもっとも心血を注いで追求している研究テーマです。

まさに、個別支援の青色LEDといったところです。


その追及の仕方には色々な方法がありますが、私は実践者ですし、毎週毎週50人の子どもとレッスンをしているわけです。

いい車が売れるのではなく、売れる車がいい車、

とにもかくにも、子どものウロコガ目からポロリとこぼれ落ちるような教材とその提示の仕方を、体にしみこませていきたい。


ある日Aちゃんに有効だった方法が、違う日に自信満々でBちゃんに提示したら、さっぱりだったということもよくあることです。

100個の引き出しをいつもしっかりと整理しておき、その子の育ちの局面に合わせて自由自在に提示できる力量、

ギリギリまで子どもに自力解決でトライさせ、つまづいたときだけ絶妙のさじかげんで、さりげないヒントを提示し、子どもに達成感をもたせる、

次々とそんな支援を繰り出せる実践者になりたい。


数の扉をひらいた先に見えてくるもの、

それこそが、君の笑顔と自尊心であることを、私は誰よりも知っているのです。


この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-11-17)





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志の集う場所

 2014-11-14
今から何年前のことだったでしょうか?

「白ゆり教室」 という名前で、私がまだ一人で活動していた頃、あるお母さんがボランティアで半日、教材作りを手伝ってくださったことがありました。


いつか白ゆり教室が大きくなって、手が足らなくなったら、その時はいつでもお手伝いをさせていただきますから、

そのお母さんは、そう言って、にっこり笑ってくださいました。

当時、小学校中学年だったその子も、来年は高校受験を迎える年になりました。

その時に作っていただいた言語のカードは、今でもまだ、現役で実践に使用させていただいています。


来年度から、白ゆり発達支援センターの定員を、現在の1日20名から1日35名に増員する予定で、計画の詰めに入っています。

増員に伴い、新規に3名以上の職員を採用させていただく必要があり、先日から、採用にかかわる職員面接をさせていただくようになりました。


ハローワークから、何人かの方が紹介状を持ってお越しくださいましたが、その内のお一人に、あの時の、笑顔のステキなお母さんの姿がありました。


本当に、こんな日が来たのですね、

これまで懸命に我が子の発達に向き合って来られて、これからはそのことを、多くの子どもたちのために生かしたいと思われて、今日ここにいらっしゃったのでしょう、

私がそうお伝えすると、そのお母さんは大粒の涙をハラハラと落とされました。


福祉系の大学を卒業し、卒論でも障がいのある子どものことをまとめ、今回の募集を、幼い頃からの夢を実現するための大切なチャンスだととらえて応募してくださったお母さんもいます。

また、養護教諭養成課程で学ばれ、これまでの私たちにはない専門性をおもちのお母さんもいます。

ここに新しい療育の場が開設されるということで、地元地域の有為な人材と、この度新たにご縁がつながることとなりました。


私自身がそうであったように、子どもたちには、志のある者を引き寄せる、誰にも負けない強烈なパワーがあるのです。

私には、他者には任せず、私自身がなすべき使命というものがあると考えていますが、それと同じように、それぞれの職員には、私がまねをすることができない大切な持ち味をもっているに違いありません。


私の実践を支える強力なパートナーが、3人もいっぺんに増えるのです。

何とも、うれしくも、胸の高鳴る日々であることでしょう。


それぞれの子どもが、それぞれの持ち味を生かしながら社会に貢献し、自己実現をしていくことで、自分が生まれてきて良かったと、心の芯から感じ取れるような学びと育てのモデルを作りたい、

この志に集う者、

そのことが大きな社会のうねりとなっていくように、小さくとも大切な実践を、これからもしっかりと積み上げていきたいと思うのです。







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本番に強い2人

 2014-11-09
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先日、教育委員会の指導主事さんが、りんちゃんのレッスンを見に来てくださる機会がありました。

きっとりんちゃん、めちゃくちゃに張り切って勉強するに違いない、

私はそんなふうに予想していました。


予定していた時間ぴったりに、りんちゃんは教室に入って来てくれました。

私の教室に通うようになってから、もう5年以上も経過していますが、毎回決められた時間ぴったりに来てくれます。

1度たりとも、遅れたり、早く来すぎるということはありませんでした。

きっと毎回10分以上前に来て、車の中で時間待ちをしてくれているのでしょう。

そのことが、私たちの学びのリズムを作るうえで、とても大切な役割を果たしてくれています。


私にはこの日に、何か特別変わったことをしようなんて考えてはいませんが、教室に入ったりんちゃんの唇は、緊張して心なしかふるえているように感じました。

前の日くらいから、良いところを見せようと、気持ちが高揚していたのでしょうか、

いかにもりんちゃんらしい一生懸命さが、ダイレクトに伝わってきます。


いつものように、九九の確認から行いました。

緊張し過ぎて、普段すらすらに出来ている九九も、もしかしたらどこかでつまづくかも知れないので、事前に机上に九九カードを並べておきました。

案の定、りんちゃんは時々その九九カードに目をやりながら、いつもの九九プリントを普段の3倍くらい時間をかけてやり遂げました。


そのプリントに丸付けをして、大きな文字で100点と記入した瞬間、やっとりんちゃんがいつもの力を発揮できる環境が整いました。

そこからのりんちゃんは、一度たりとも集中力が切れることなく、時間いっぱい、与えられた課題を、すべてパーフェクトにやり遂げ、満面の笑顔で、教室を後にすることが出来ました。


「この子の自尊心は、この教室での学習によって支えられているんだと、改めて感じました」

事後のメールで、お母さんはそのようにお伝えくださいました。


お母さんにレッスンを公開したのは、何年ぶりのことだったでしょうか、

私はいつか、このような機会が来たら、そのワンチャンスに、しっかりとした答えが出せるようにといつも願って、これまでレッスンを積み重ねて来てくれました。

この子は、絶対にその期待を裏切らないという確信が、私にはありました。


小学校低学年の頃から、ご家族の熱い願いに少しでも応えていきたいという気持ち一心で、私は自分の技量が少しずつ向上してきたことを体感してきました。


りんちゃんをふくめ、一度でも、レッスンをさせていただいた子は、みんな私の宝物、

この日、私の大切なメモリーの1ページが、しっかりと心の中に刻まれたのでありました。







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言語でわかること 感覚で理解すること

 2014-11-04
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「2つの辺の長さが同じ三角形を二等辺三角形といいます」

今年3年生になった健治くんは、すぐに二等辺三角形のことを覚えました。

2つの辺の長さが同じ三角形のことを二等辺三角形っていうんだ、健治くんは何度も心の中でそう繰り返しました。


ところが、富士山のように二つの辺が左右対称に提示された三角形は二等辺三角形と認知できますが、その頂点が下に向いたり、不規則に斜めに向いたりする三角形をなかなか二等辺三角形とみなすことができません。

いくら言葉でその性質の定義を暗記しても、絵で描かれたいくつかの三角形の性質を類型化したり、その性質を相互比較して、認知出来るまでには至っていないわけです。


ものの理解の尺度を、私はよく 「できる」 → 「わかる」 → 「理解する」 の3段階に分けてとらえるようにしていますが、この子の場合は、まだ 「言語でわかる」 のレベルでしたから、実際の図形を操作させながら、言語とイメージを重ねて多面的にとらえる 「理解する」 のレベルに向けての学習を積み重ねていきたいと考えました。


たとえテストが100点であっても、その内容が100%理解できているとは限りません。

逆にテストが0点であったとしても、それはきっと理解度が0%ということではないはずです。


学校のテストや、各種検査など、客観性のあるテストは大切な指針であったり、目指す目標であったり、決しておろそかにあつかうべきものではありません。

しかし、それは子どもの可能性を決めつけたり、絶対的な尺度であったりはしないのです。


子どもがいて、そこに教育的な願いや目標があれば、必ずそこへたどりつくための教材が生まれると、私は考えています。

丸暗記の100点なんて、テストの時だけ出来て、卒業と同時にすべて学校にお返しする子もいることでしょう。

ならば私は、どんなにゆっくりであっても、点数化されない大切な内容を選んで、ていねいにていねいに子どもに紡いでいくような学びを、積み上げていきたい。


学校教育があればこそ、こういう学びのスタンスをプラスアルファーで積み上げていくことも、大切なことだと私は信じています。

他者と比べない楽しい学びのカリキュラム、

そんな学びのスタイルが、私の心の中には、いつもいっぱいに詰まっているのです。






この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-11-05)




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