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次の私の小さな一歩

 2014-10-29
今日は久々に岡山大学の眞田先生の所へ伺いました。

先日から何回かおじゃまさせていただいたのですが、すれ違いのことが多く、やっとお会いすることができました。

車で行けば20分くらいの距離なのに、実際にはなかなか時間の都合がつかず、一度チャンスを逃すと、次は2~3ヶ月後になってしまうことも、めずらしくありません。

そういう意味で、今日はとってもラッキーな1日になりました。


今、ある子の実践について、学会発表に向けての検討をしていただいています。

どちらかというと研究には消極的だった私に、その意義と使命について、いつも心を配っていただいています。


年度内の本館完成が、目の前に迫ってきました。

発達にかかわる専門機関のリーダーとしてなすべきことは何か、

眞田先生は、私が今後進むべき道について、以前から、ずっと気にかけてくださているわけです。


何とも、ありがたくてありがたくて、そのことをどう表現してよいのか、わかりません。

子どもとそのご家族、そして共に歩むスタッフの思いに、少しでも応えることの出来る自分でありたい。

それを踏みにじることは、決してできない。

その責任は重大です。


組織が大きくなり、立場が変わると、これまでと全く同じようなことが出来にくくなるのかも知れません。

でも、私の中身は何も変わらない、

与えられた機会と、みなさんの期待には、ほんのわずかであっても、結果を残していきたいと思うのです。


次の私の小さな一歩は、何か今とは違う所に、向いているのかも知れません。

その先に、どんな子どもの笑顔が待っているのでしょう、

そういう所を目指して歩む旅路そのものが、私にとっては、幸せ以外の何ものでもないのです。






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親としての覚悟の決め方

 2014-10-24
白ゆり教室を始めた半年間、私の教え子は、花子ちゃん、太郎君、友里ちゃんの3人だけでした。

保育園の副園長、かたわらのレッスンでしたが、教えるのは1日せいぜい1人か2人、

教材開発にたっぷり時間をかけ、楽しみながら、ゆったりとレッスンが出来た、幸せな時代でした。


ところが、その年の終わりには、予想以上の入会のお問い合わせをいただき、あっという間に、土曜日も日曜日も予約で一杯になりました。

今では、一日12人の予約なんていう日もめずらしくありません。


その頃からずっとそうなのですが、朝はじめの子を迎えるまでの時間に、プレッシャーで胸が押しつぶされそうになることがあります。

果たして、自分のどこに、そんな力があるのか、

いっそのこと、このままどこかに逃げてしまいたい、

そんな思いが頭によぎるのです。


個人の教室から、通所支援事業に切り替え、それが軌道に乗るまでの1年間は、資金繰りが本当に大変でした。

銀行から借りたお金は、半年も経たない間に底をつき、朝から晩まで、死ぬ気で働いても、借金だけが増えていく苦しみ、

もしも、あの時逃げ出していたら、どうなっていたことでしょう、

愚痴をこぼして、不満を言って、我が身を嘆いていて、弱い気持ちのままでいて、一体何になっていたことでしょう。


決して軽い気持ちで始めたわけではありませんが、よもやそれが、数年後には職員も増え、これだけの規模の事業に発展しようなんて、当時は予想だにしていませんでした。

ただ単に、子どもに楽しいレッスンをと願っていただけのことが、本当にえらいことになったものです、


何とか、ご家族の願いを裏切らないようにと、ただただがむしゃらに走り続けた数年間、

体調管理にも気をつけ、ぎっくり腰で穴を開けた1日以外は、皆勤賞の毎日でした。


寝食を忘れて、レッスンに打ち込み続けた日々、

確定申告や、所長としての仕事も山積みで、お正月でさえ、昼前には教室に入らないと、まいがまわらない状況でした。

振り返って見れば、この数年間に、10,000時間をはるかに超える個別指導の実践を積み上げ、日々少しずつではありますが、自分の力量を向上させていくことができました。


何百人というたくさんの子どもと、そのご家族と出会うことができました。

私の実践をサポートしてくれる多くのスタッフにも支えられてきました。

教材開発にかかわる事務機器や資料を、好きなだけ購入できる立場にもなりました。

以前のひ弱い気持ちの自分は、いつの間にかどこかに行ってしまい、気がつけば以前とは違った顔をした自分の姿が鏡に映っていました。


母として、自分の子どもの課題に向き合っていくとき、多くの方が、その重圧で、胸が押しつぶされそうになったこともあるでしょう、

背負うものの大きさで、心が折れそうになったことだってあるでしょう。


ただただ母として、子どものために走り抜けた日々、

でも、本当は、

失うものだけでは、なかったはず

神様がくださったごほうびの、その値打ちに気がつかないままでいたことだって、あったことでしょう。


嘆いた先に幸せの扉があるのなら、いつまでも嘆いていればよいのでしょう、

でも、もしそうでないとしたら、1日も早く、覚悟を決めて、前に進んでいくのです。

結局は、前に進んでいくことでしか、道は開けない。


幸せとは、一定の状態のことを指す言葉ではなくて、自分の心の有り様を示す言葉なのです。

人生なんて、そもそもつらいことを固めた品物、

そう覚悟を決めさえすれば、

苦しみながらも、前へ進んでいく営みの、何をもって不幸と呼ぶことができるのでしょう。


何があっても、これからも、ずっとずっと私はあなたと共に歩み続ける、

私には、あなたの笑顔のねうちがわかるのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-10-25)







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子どもが理解度を上げていく手順

 2014-10-21
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例えば、子どもがパズルができるようになるためには、いくつかの力を育てていく必要があります。

色を識別する力、形を認知できる力、順序立てて課題を遂行していく力、手指の巧緻性やコントロール力、言語による指示を理解する力、見通しをもったり過去の経験を生かす学習能力、試行錯誤の中から規則性を見いだす力、あらゆる認知を場や状況によって使い分ける力、課題を最後までやり遂げる追求心....

数え上げればキリがありません。


それぞれの力を育て上げれば、当然パズルができるようになりますし、逆に言えば、パズルができるようになれば、関連する種々の力も育っていくわけです。

どうして今、この子がその課題ができないのか、そのメカニズムさえ明らかになれば、そこに小さいステップを刻んで段階的に達成させるか、支援を入れてそれを育ちに合わせてフェードアウトしていくか、基本この2つのアプローチを実態に合わせて構成していけば、どんな課題であっても、あきらめななければ、必ずできると私は思っています。


今日、4歳児組の男の子のレッスンをしました。

この子は、言語による指示を行動化するのが苦手なタイプの子どもです。

ですが、手順を明確に構成すれば、それを受け入れることが出来ます。

言語により行動を規定するのではなく、行動の中に言語性をもたせていくのです。


今朝、園庭で別の子のお母さんとお話をしていると、その4歳児組の子が登園してきました。

レッスン中はおとなしいし、どちからというと行動は控えめなタイプの子ですが、私の姿を見つけると、その子は弾むように私の所に駆け寄ってきて、私の体を思いっきり抱きしめ始めました。


普段は、レッスンに一生懸命で、そんなことをするような子ではありません。

でも、レッスンの中に込めていた、私の気持ちは、この子の心にしっかりと伝わっていたのです。


りんごと言っても、まだすぐにりんごは取れませんが、その言葉に指さしを入れれば、指示された内容の行動化はできます。

右から順番に先生に渡すんだと、手順を示せば、まちがいなくその課題を完遂することができます。

そのことを繰り返し、周辺の力をしっかりと定着させれば、程なく言語の指示だけで課題をこなす日がやって来ると私は信じています。


出来るか出来ないかではなくて、どんなに時間がかかろうが、必ず出来るようにさせるのです。

そういう努力を、私は、これから3年・5年とこの子とのレッスンで積み上げていきたいと思っています。


5年後の結果は、私の予想を超えていく場合がほとんどです。

そうでない場合もありますが、だからこそ、真剣に可能性に挑戦した営みこそが、次の可能性を拓いていくものだと考えているのです。






この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-10-22)






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本館建設

 2014-10-17
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先日から、本館建設のための造成工事が、本格的に始まりました。

毎日、たくさんの方々が、そのために働いてくださっています。


補助金をいただけるとはいえ、多額の借金をこの肩に背負うわけです。

職員の雇用や、生活の安定にも気を配っていかなくてはなりません。

そして何より、その施設に恥じない、子どもの学びと育ての質に責任をもたねばなりません。


これまでと、同じ気持ちで取り組むことができないことも、きっと増えてくることでしょう、

ですが、どんなに枠組みが変わっても、この日この時、ここに来て良かったとすべての子どもたちと保護者の皆様に感じていただくことが出来なければ、その器が生かされたとは決して言えないと考えています。


店が大きくなると、味が落ちるとよく言われます。

今までと、全く同じことが出来にくい場面もいつくかあることは覚悟していますし、前の方が良かったというご批判をいただくこともあろうかと思っています。


それでも、多くの子どもたちの成長と幸せのために、

そして私たちが歩んできた道のりの中で、どうしても果たして行かなければならない、社会的な使命というものがあります。


すべての批判やご意見は私が受けるし、すべての責任は私が背負う、

ですが、子どもたちの幸せのためにと、前に進んでいく営みに、少しの迷いがあってはならない。


時々、前のように、一人で、自由に、思いのままに、レッスンだけをさせていただければ、どんなに幸せだろうかと思うこともあります。

これだけ、自分の好きなことを思い切りやらせてもらっているからには、それなりの恩返しも、社会的な貢献もしていかなくてはなりません。


所長としてやらなければならないことは、次から次へと増えていく、

でも、私は、自分のレッスンだけは、どんなことがあってもやめません。


それだからこそ、私は、ここまで来ることができた。

これからも、一人の実践者としての歩みを、生涯とめることは、決してないのです。


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順序数から集合数への切り替え

 2014-10-16
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「お魚は いくついるかな?」

子どもにそう尋ねたら、多くの子が 「1・2・3・4」 とすぐに数え始めます。

順序数との1対1対応 = 数の基本

学習の基礎ととなるとても大切な内容です。


十分に数感覚の育った大人に尋ねると、すくさま 「左が4で 右は7」 と答えます。

認知の仕方は様々で 「2と2で4」 とか 「3と3と1で7」 とか、人によっていろいろなとらえがありますが、順序数の1対1対応だけでなく、数をかたまり(量)としてとらえる数感覚が、自然に機能しているわけです。

一見、何もしないで育ったようなこの数感覚は、実は、九九を勉強したり、面積を勉強したり、関数のグラフを描いたり、数多くの算数的活動を通して身につけたものであって、生まれながらにあった感覚ではないのです。


皆さんは、幼い頃、自転車に乗る練習をした日のことを覚えていますか。

乗れるようになっては当たり前のことでも、その当時は、必死で練習をしていたはずです。

乗れるようになってしまえば何でもないですが、これから練習するとなると、それはそれ程簡単なことではないはずです。


自転車の乗れる大人であっても、明日からすぐに一輪車に乗れる人はめったにいません。

私は、一輪車に乗るために、1ヶ月間の猛特訓が必要でした。

子どもなら簡単に乗れる一輪車も、その感覚が身についていない大人には、至難の課題となるはずです。


順序数でしか数をとらえたことのない子どもに、量的な数のとらえを身につけるには、そこを目指した数にかかわる体験を意図的に構成していくことも大切です。

「1・2・3・4・・・」 といつも数えていた子どもに、 「4はどれ?」 と尋ねてみましょう。

最初は、片っ端から 「1・2・3・4・・・」 と数えていた子どもも、何度か学習経験を積んでいるうちに、ある日突然 「4はこれ」 という感覚が身についてきます。

順序数には順序数のよさがあり、集合数には集合数のよさがあるのです。

要は、それぞれのよさを子どもの体感させることができるような学びの場の構成を、意図的・継続的仁実践できる才覚があるかどうかにかかっています。


何で、こんなこともできないのかね~

それは、あなたが、そのために自分が何をすべきか、支援の方略を見いだすことができていないというだけに過ぎません。


「ジャングルジムを手でさわっていいから、一輪車に乗って100周してごらん。 今日は10周できたらシールを貼ろうね。シールが全部たまったら、今より絶対上手になるから」


たとえ一輪車に乗れるようになったとしても、それが出来なかった時の感覚を忘れず、課題分析を基に、何をすれば、どういうステップを段階的構成すればそれが達成できるかを考え、それを具体的に実行でき、成果を上げることができる才覚、

真の実践者となるために、もっともっとそうした力量を身につけていきたい、

志はまた道半ば、

百万の理論ではなく、今目の前の子の実践の中から、私はそのことを目指していきたいと願っているのです。







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出来る・出来ないではなくて 続けられるかどうかという分岐点

 2014-10-14
この土日は、新大阪でのレッスンの日でした。

2日間で18レッスンのご予約をいただいていましたが、台風の影響があるので、半分くらいのキャンセルがあるかも知れないと思いながら、大阪に向かいました。

しかし、いざふたを開けてみると、一つのキャンセルもなく、すべてのレッスンを予定通りさせいただくことができました。


ご縁があって、この4月から3歳になったばかりの女の子のレッスンをさせていただくことになりました。

私のマンツーマンは、基本3歳からということにしていますが、そのお母さんは、月2回のレッスンを申し込んでくださいました。

私には、正直、3歳になったばかりで、月2回はしんどいのではないかという危惧もありましたが、お母さんの瞳の奥に、しっかりとした決意を感じ取ることができましたので、そのお申し出をお受けすることにしました。


はじめの頃は、手遊びの曲をかけても、じっと固まったまま

パズルをさせても、支援者の介入を嫌い、決してすぐに思い通りの活動にはなりにくい場面が多くみられ、私は、申し訳ない思いになっていましたが、そのお母さんの気持ちに、決してブレは見られませんでした。


3回・4回・5回・・・

少しづつではありますが、回数を重ねるたびに、コミュニケートのレベルは向上し、活動の意図や手順も理解でき、表情が軟らかくなり、レッスンに躍動感がみられるようになってきました。

最初固まっていた手遊びは、母と子と私の、夢のように楽しい時間となり、介入を嫌ってうまくいかなかったパズルも、試行錯誤を繰り返しながら、巧緻性も認知力も目に見えて高くなってきました。


この成長は、まさに母の強い気持ちが作り上げたもの、

私はただ、このお母さんの強い気持ちを委託された支援者として、最低レベルの責任を果たしてきたに過ぎません。

この母は、我が子だけでなく、支援者としての私の技術や使命感をも、大きく育てあげる結果をもたらしました。


長い間、臨床実践の最前線にいて、たくさんの保護者の方と出会ってきて、私が体験的に感じてきたことがいくつかあります。

子どもを育てるという営みは、その時点で出来るとか出来ないとかを分析する力が重要なのではなくて、結局は、何があってもできるようにさせるという気持ちを継続できるかどうかにかかっているのです。


一見熱心なように見えて、1年もすればその気持ちがどこかに失せて、何だかんだと理由をつけ、そこから立ち去ってしまう方も見てきました。

かと思えば、最初はたよりなさそうに見えても、実はとてもしなやかで、どんなことがあってもその方向を見失わず、私でさえ無理かも知れないと思うような事柄を、いつの間にか成し遂げてしまわれるような方に、たくさん出会ってきました。


するかしないか、あきらめるかあきらめないか、実はその気持ちの持ちようによって、すべての結果が決定づけられていくものです。

今、目に見える景色は、単なる通過点。


でも、そんなことが、簡単であろうはずはありません。

絶望の淵にいても、それでも前に進む人だからこそ、私の気持ちを揺り動かしてきたのです。


せめて百分の一でも、その気持ちにお応えするレッスンを提供したい、

私の行動をかりたてる源泉は、きっといつもそこにあるのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-10-16)








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挑戦のないところに失敗はなく 失敗のないところに成長はない

 2014-10-10
失敗は、あるより無い方がいいに決まっています。

でも、同じ失敗でも、次に生きる失敗と、そうでない失敗とがあります。


私のレッスンの基本は、支援除去法なので、出来ない所には適切な支援を入れ、子どものモチベーションをキープします。

そして、タイミングを見て、その支援を除去し、トライ&エラーの時期を待ちます。

自力で挑戦し、失敗し、誤りに気づき、修正し、完遂する。

真の実力は、こうやって身につけていくものだと、私は考えているのです。


人は成功から得るものより、失敗から学ぶことの方が多いと考えています。

肝心なのは、失敗するか、成功するかということより、子どもがそのことでどんな力をつけていくかということです。


人が何かに思いっきりチャレンジできるためには、支援者との信頼感や達成可能な見通しなど、周到な環境も不可欠です。

思いっきりチャレンジできる子は、いつか必ず大化けする日がやってくると思っています。


おふざけではだめです。

一生懸命トライする子どもの姿、

それが困難であればあるほど、そのチャレンジは、ダイヤモンドにも勝る社会の宝ものとなっていくのです。


その子が、その子らしさを発揮して、思いっきりチャレンジできる教育の場、

私たちが目指す教育の一つの形が、きっとそこにあるのです。








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子どもの集う場所

 2014-10-07
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今日は、ダウン症のお子様のための赤ちゃん体操の日、

いろいろな地域から、たくさんの子ども、そしてそのご家族が来てくださいました。

一方ログハウでは、ダウン症協会の方が、お子様を囲んでのイベント会場としてご利用をいただきました。


真摯に子どもの幸せと成長を願うご家族の方が集い、主体者として、その方向性を確かめたり、モチベーションを高めたり、生きた情報を共有できる発達にかかわるセンターとしての機能を果たしていきたい、

私の願いが、また一つ、しっかりとした形となって動き始めました。


道の向こう側では、来年4月完成予定の本館建設のための基礎工事が始まりました。

かれんちゃんのお母さんが、全国いろいろな地域で、「岡山には、白ゆりというダウン症療育の拠点センターがあります」 と宣伝してくださっているおかげで、他の都道府県からも、日常的に岡山にお越しくださる機会も増えてきました。


一人の育ちに寄り添うことから、すべての事業はスタートします。

ちゃぶ台一つで、かれんちゃんのレッスンをさせていただいたことが、私のダウン症療育のスタートでした。

その数年後、これだけたくさんの方が集う療育の場が岡山に出来ることを、一体誰が想像することができたでしょうか?


個の特性に応じた行き届いた教育が、ダウン症の子どもたちの未来をどれだけ豊かに拓いていくかを、私の子どもの実践を通して、広く世に情報発信していただきたい、

私は、初めてかれんちゃんのお母さんにお会いした日のことを、今でも昨日のことのように思い出すことができます。


私には、まだまだしなくてはならないことがたくさんあります。

すべてのことは、今、目の前にいる子の成長と幸せを願うことから生まれる。

その大切な一歩を、大きなうねり、大きなエネルギーとして集約していくことも、私の役目だと考えています。


この子たちに、自分が社会に貢献している手応えを感じさせたい、

そしてそのことにより、自分に対する肯定的な気持ちと幸せを、胸一杯に感じ取らせたい、


ご家族の笑顔と活気の向こう側に見えるもの

その方向性を決して見失うことなく、これからも大切な一歩を積み重ねていきたいと願っているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-10-08)





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独自性とチーム力

 2014-10-06
子どもを育てるアプローチには、いろいろなものがあります。

それぞれのアプローチには、それぞれの良さがあり、お子様にとって最適なアプローチを選択されることが、ご家族の豊かな自己決定につながる最も大切な事柄であると、私は考えています。


ずっと以前になりますが、ある特定のアプローチをご家庭でされている方が、自分一人ではできにくいので、私にそれを手伝ってほしいと、お越しになったことがありました。

私は、今でもそうですが、個別指導の中身については、自分自身でそれが100%モノに出来ていないものは、決して取り入れないことにしています。

そういう意味で、レッスンの内容については一切の妥協をせず、安易に新しいことを受け入れず、頑固で、偏屈で、融通の利かない、超がつくほどの分からず屋です。

一見ワンパターンに見えようが、その精度を高めるための研鑽の気持ちを、片時も失ったことはなく、とにかく休みなしで毎日、臨床事例を狂ったように積み重ねていくのも、すべてはわずかであっても、日々自分の力量を高めていきたいという、その一心から行っていることなのです。


以前は、教材の一つ一つに至るまで、すべて自分で作っていましたが、今では、その多くを別の職員に任せることにしています。

手遊びやパズルなど、若い先生でできる内容があれば、トライしてもらう機会も増やしてきています。


たった一人で始めた個別指導教室ですが、来年4月には、1日の利用定員が30名以上となり、職員も、多い日には10人を数える規模にきました。

しかし、私が実践から遠ざかる気持ちはかけらもなく、実践者としてのスタンスには、全く何も変わりはありません。

私が追求してやまないものが、明確に目の前に見えてきたからこそ、こうしたチームの中で、私をアシストしてくれる職員の力が、チームとして機能してくるようになったのです。


それぞれが主体者になればこそ、初めて連携というものが生きる。

どんなに若くても、ひとたび子どもの前に立てば、背負う責任はみんな同じはずです。


私は、責任者として、リーダーとして、組織の中で果たすべき多くの役割を担っていますが、別に偉いわけでも何でもありません。

それよりも、若い先生にいつも目標とされるような圧倒的な実践力を、その新鮮な感性の中に焼き付けるような仕事を、ずっとずっと積み重ねていきたい。


私の今があるのは、それを支えてくれるたくさんの人々がいるから、

その気持ちを、決して裏切ることはできません。


これからも、チームのリーダーとして恥ずかしくない実践を、一日一日ちゃんと積み重ねていける自分でありたいと、心から願っているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-10-07)




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教育にかけるお金

 2014-10-02
先日、神戸の大学に通う娘の学費を振り込みました。

決して安くない金額です。


うちには3人娘がいて、この子が三女、

今3年生なので、あと少しで大学を卒業します。


私立・下宿という一番お金のかかるパターンで、信じられないくらいの負担が親にかかってきます。

一日でも早く自立してほしいと願うばかりですが、最近、「お父さんと同じ発達支援の勉強を、お父さんと同じ大学院で学びたい」 と言い始め、その志をうれしく思う反面、その道の厳しさを考えると、正直不安もかなり大きく感じてしまいます。


私は、小学校の頃から両親をなくしていましたから、大学へ進学することなんて、自分には到底無縁なことだと思っていました。

いつだったか、どうしても小学校の先生になりたいという思いを抑えることが出来ず、そのことを世話になっている親代わりのおばさんに相談したことがあります。

私は、その日のことを、今でも片時も忘れることができません。


「SHINOBU君、あなたはこんな環境の中で、これだけ勉強したのだから、大学へ行かせてあげる。しっかり勉強していらっしゃい」

夜の仕事をしながら、女手一つで、私を大学へ通わすお金を工面するには、相当の苦労があったはずです。

しかも私たちは、血のつながった親子ではない、

私はその晩、こぼれ落ちる涙を、どうしても抑えることが出来ませんでした。


大学院へは、現職教員を休職して通うことにしました。

当時、このことが、後にどれだけ大きな経済的なダメージを受けることになるか、思いもよらないことでした。


当時、私は教頭試験を受けていて、管理職の道を捨てて特殊教育(当時はまたそう呼ばれていました)へ進むことについて、周囲はみんな大反対でした。

でも、家内だけが、そのことを理解してくれたことも、今でもはっきりと覚えています。


今、私が行っている活動の原点は、すべてこの大学院時代に学んだことがベースになっているのです。

私は、この大学院で学べたことが、私の人生の中での、最も大切な財産の一つになったと、確信しています。


こうした学びをなくして、白ゆりの発達支援も、新大阪教室の開設も、補助金をいただいての本館建設も、何一つありえなかったことでしょう。

こうして支えてくれた人がいればこそ、私の今があるのです。


新大阪教室は、月にたった4日の稼働です。

あとの20日以上は、荷物だけがそこにあります。

岡山からの新幹線代もばかにならず、教材や備品のお金も結構かかります。


台風が来たり、お子様の体調が悪かったりと、致し方のない理由でキャンセルが続く日もあります。

そんな日は、経営的には大赤字で、それだけのことを考えると、レッスンを中止して岡山で体を休めた方がよいのですが、私は一人でも来てくれる子がいるのなら、大阪へは絶対に行くと心に決めています。


私のレッスンは、決して安くないレッスン料を、多くの方でご負担いただくことによって可能になっています。

いただいたお金に見合うだけの、豊かなレッスン内容を提供することが、私に科せられた責任、

そのプレッシャーも、普通ではないのです。


血の出るようなお金で、私は大学にも、大学院にも行かせてもらった、

そのことを無駄にするようなことがあってはいけません。


今、私がかかわっている子の中で、大学に行く子は、ほんのわずかかも知れません。

だからこそ、今、その教育に携わる者が背負う責任も、大きいのだと考えています。


この1年を、いや1日だって、学びの時間を無駄に過ごすことなんて決して出来ない、

私は、お母さん方の口から、何度も何度も、そのことを耳にしてきました。


義務教育はタダで行われているわけではなく、実は多大な税金で運営されているわけです。

それを何でもお金で換算しようとは思いませんが、単に経済的なことだけでなく、切なる願いと大きな努力にささえながら子どもの学びの場が成立していることを、子どもにかかわる教育者はしっかりと心に留め置いて、その責任に見合う教育の内容を提供すべきであると思っています。

先生を選ぶことができないということは、どの先生でも、それに見合う教育内容を提供する責務をもっているということです。


私の教室は直接契約ですので、それに見合う価値がないと思ったら、二度とご予約はいただけませんが、ある意味それは気が楽です。

学校教育が担う責任は、決して他の機関とは、比べものにならないのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-10-04)







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