子どもと そして家族と共にあゆむ道のり
2014-09-29
先週は、新大阪の教室でのレッスンがありました。今でこそ常設の教室になり、環境も整ってきましたが、以前は荷物を持って、いろいろな会場をお借りしながら大阪でのレッスンを続けてきました。
その頃、年長さんだった女の子も、今は4年生になりました。
就学前のご苦労、
その後の学区の再編にかかわる転校、
集団生活の適応のことや、登下校などでの安全にかかわること、
私のレッスンでさえ、お父さんやお母さんから分離できなかったり、少しむずかしい問題になると、固まって動かなくなる場面もありました。
その子が、ここに来て、めざましい成長を見せてくれるようになりました。
じゃあね、と笑顔でお母さんや弟に手を振り、弾むようにして学習席に一発着席、
読解問題も、計算問題も、漢字学習も、一度も意識を切らすことなく、それはもう生き生きとした表情で、時間いっぱい学習に取り組んでくれました。
こんなに生き生きと学習に取り組む姿を、あの日、あの時、いったい誰が予想することができたでしょうか。
費用も時間もかかる私のレッスンは、普通の気持ちで、何年も続けられるものではありません、
だからこそ私は、どんなに疲れていても、どんなに体調が悪くとも、何としてもレッスンには穴を開けまい、わずかであっても、オリジナルで工夫を加えたレッスンを積み上げて行きたいと、気持ちを奮い立たせることが出来たのです、
同じようなことが、きっとこの子を取り巻く環境の中で、じわりじわりだとは思いますが、きっと連鎖的に起こって来たのだと思います。
すべての根元は、子を思うご家族の強い気持ち、
最終的には、そのことが、動かぬ山をも揺り動かしていく、
私はこれまで、そんな子どもとご家族と、共に歩んできました。
この日も、新しく新大阪の教室で勉強を始めた女の子がいます、
通常級か、支援級か、お母さんは真剣にお悩みのようでした。
一度教えたら、私は一生その子の担任のつもりでいます、
この先、一体どんな学びの道のりを、この子は歩んでいくのでしょうか。
主体者としての子どもとご家族が、少しでも豊かな自己決定を積み重ねていくよう支援していくのが、私の仕事、
もう一度人生をやり直せるのだとしても、私は今と同じ仕事をさせていただきたい、
「shinobu先生、可愛い、また会いたい」
初めて会ったその女のは、家に帰って、お母さんにそう伝えたそうです。
また一つ、大切な絆がつながった、
子どもの瞳が輝く、主体的な学びの場の構成、
今の私の技術は、今まで出会ったすべての子どもと、一つずつ一緒に培ってきたもの、
その小さな一歩こそが、未来につながる大切な一歩であることを、
私は、ご家族の方と一緒に、これからもずっと確かめ続けていくのです。

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教材と子どもをつなげるコーディネート
2014-09-25
私の朝は、その日にレッスンがある子の教材作りから始まります。前回のレッスンの記録に目を通し、今回は前回の進捗をふまえて、どの程度要求度を上げ、どの程度の支援を行うか、教材作りを通してイメージ化していくわけです。
子どもの成長の歩みがしっかりと見えている時は、教材も、迷うことなくスムーズに選択することができます。
逆に、子どもの育ちのポイントを明瞭にとらえきれていない場合は、あれこれ迷ったり、試行錯誤したりします。
ある意味、次のステージに向かうためには、こうした場面のもがきが大変重要であり、支援者としての力量が問われる場面でもあります。
教材の仕込みには、毎日最低1時間半はかかります。
この仕込み具合で、その日のレッスンの出来栄えの、7割くらいは決定づけられます。
毎日毎日、真剣勝負で取り組むからこそ、教材の引き出しの数は増えてくるし、子どものとらえや、教材のねらいもよりシャープになっていくのです。
すごい、
あっという間に、こんなこともできるようになったんだね~
じゃあ、今度はこれに挑戦してみようか~
初めて、真新しい教材を目にしたときの、子どもの目はいつもきらきらしています。
体系づけられた学びのプログラムが充実すればこそ、私の個別支援は初めて生きる、
私は、自分に託された役割に、これからも精一杯取り組んでいきたいと、いつも強く願っているのです。

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レギュラーのレッスン
2014-09-22
土曜日は、久々に1日12人のレッスンとなりました。朝7時半に教室に入り、教材の確認・準備、
朝9時からレッスンが始まり、お昼の30分休憩をはさんで、最後の子が帰ったのは夜9時半のことでした。
朝一番に来てくれた子は、小学校4年生の頃からほとんど一度も休まずっと通ってくれていて、来週にはついに中学部の卒業を迎えることになります。
たとえ表出言語がなくても、こんなにも豊かにコミュニケートができること
私は、この子とのかかわりを通して、ずっとそのことを学び、確かめてきました。
いつだったか、小学部の先生が参観に来てくださったことも、昨日のことのように覚えています。
苦労がなかったわけではありませんが、その分、私にとっては、なくてはならない大切な子どもです。
この日、最後に来てくれた子は、わざわざ広島から来てくれました。
小学校5年生の頃から通ってくれている子です。
お父さんのお仕事の都合で、中2から広島の中学校に転校しましたが、時々こうして私の所に会いに来てくれます。
この子も中3になりました。
この日は、袋いっぱいに受験参考書と問題集をかかえて、教室に入ってきました。
「この高校を受験しようと思っています」
そう言って教えてくれた高校の偏差値を見ると、何と偏差値が60近くもある進学校でした。
小学校の頃は、とてもじゃありませんが、まさか中3で、こんな高校を受験するようになることは、想像だにできないことでした。
今となっては伝説の、夏休み猛特訓、
あんなふうに子どもをしかりとばしながら、進学塾さながらに猛勉強させたのも、今では信じられないような思いです。
あのサマースペシャルで得たのは、決して小さな学力ではなく、広島に転校してまで、わざわざ私の所に通ってくれる師弟の信頼感であったのかも知れません。
この日持ってきた参考書の問題には、もはや私が解いたり教えたりできるものは、もう1問もありませんでした。
私は、かつての教え子が、こんなにもたくましく学びの道を力強く歩み続けていることを、お母さんと共に、ただただほほえんで見守っているだけでした。
12人いれば、12人通りの、それぞれの大切な学びのストーリーというものがあります。
奇跡は、手品のように鮮やかには決して見えない、
こうして、何年間も、ずっとずっと通い続けてくれることが、きっと奇跡の序章となっているのです。
定番商品には、派手さがないからこそ、そのクオリティは高いのです。
それが本物でなくして、3年・5年と続くことなどどこにもあありません。
レギュラーのレッスンを、しっかりと積み重ねていくこと、
本当の奇跡は、きっとこういうことなのです。
大切なお子様を、1日に12人も託していただける幸せ、
私には決して、この歩みを止めることはできません。
真の勝利というものは、苦しくともあきらめなかった者にだけ与えられる、大切なごほうびなのかも知れませんから、

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認知特性のかたよりとそのメカニズム
2014-09-19
私は、小さい頃は本の虫でした。小学校に入る前から、枕元に文学全集を置いて眠るような子どもでした。
本を読む場合、視線移動は順次上から下、もしくは左から右となり、選択的な注意の範囲がかなり狭いままで、長時間文字認知入力とその処理が持続的に行われていくわけです。
こういう子は、どうしても全体を俯瞰して、図柄で物を認知するという入力方法が、不得手になる傾向があります。
「地下鉄の5番出口を出て、銀行を正面・5番出口を後ろにして、左手に進み、約100Mほど進むと、そこが今私のいるホテルのロビーになります」
先日、大阪の保護者の方に、そのようにご案内したら、とてもわかりやすいとほめられました。
きっと、そのお母さんも、私と同じ、継次処理優位の認知処理特性だったのでしょう、
でも、人によっては、そんなごちゃごちゃした説明じゃなくて、地図をスマホに送信してほしいと言われたりします。
かくいう私は、50を過ぎた今でさえ、町を歩いていて、地図で目的地へ向かうことがとても苦手です。
グーグルアプリの地図案内も、便利なようで、今一歩使いこなすことができません。
その継次処理タイプの子どもの認知のスイッチを、同時処理モードに切り替える方法が、だんだんわかってきました。
もちろん、その子の継次処理優位の特性が、180度変わると言うことはありえません、
だからこそ、意図的に、同時処理の良さを、小さいときから体験させ、場や状況によって使い分けることができる子にしたいというのが、私の野望です。
1・2・3・4・・・ と、順序数の1対1対応で文字を認知していた子に、「この中に4個りんごがあります、さてどれでしょう」 というと、 もう一度片っ端から数え始めます。
10より1個少ないブロックを、なかなか「9」と、すぐに認知できず、また初めから1から数えてしまう子、
ならばそこに、どんな支援を入れたら、同時的・量的に数をとらえることができるようになっていくのか?
個別指導の実践を積み重ねて、10,0000時間超~
私って、本当に不器用ですね、
ここに来てやっと、遠くにそのしっぽが見え始めました。

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入札
2014-09-15

先日、岡山白ゆり発達支援センター本館建設のための入札を行いました。
障害福祉課担当者立ち会いのもと、10社による入札の結果、落札業者が決定しました。
ここに至るまでにも、大変多くの方の努力とご苦労に支えられています。
この先、担当課への開発許可、建築許可等一連の手続きを経て、いよいよ来春の開設に向けての工事が加速していくわけです。
何もないところに、人は決して集わない。
これまで、ただただ子どもの成長と幸せを願い、歩み続けることのその先にこそ、人の力が集約されていくのを感じていました。
今、目の前の子どもにとって大切なこと、
一人の学び、一人の育ちに寄り添うことから、すべての事業はスタートします。
何があっても、 皆様の思いを踏みにじるようなことだけは、決して許されません、
この道は、さらにさらにとつながっていくはず、
小さくとも、私たちにとって大切な一歩を、この先もしっかりと踏みしめて行きたい、
そう願わずにはいられないのです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-09-16)

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個別レッスンの参観日
2014-09-11

9月になって、幼稚園の先生が、私の個別レッスンのようすを見に来てくださる機会が多くなりました。
この日も、来年就学を迎える女の子のレッスンを、園長先生と担任の先生お二人が見に来てくださいました。
つい何ヶ月か前には、担任の先生がグループレッスンのようすを見に来てくださいましたが、今回は、園長先生までわざわざ足を運んでくださいました。
この日、たった一人の子のレッスンのために、園長先生、担任の先生、お母さん、そしてますかっとぐみの先生も含めると6~7名の先生に見守られながらスタートとなりました。
これで子どもががんばらないわけが、ありません、
あんなことも出来る、こんなことも出来る、
みんなが目を丸くしているのを感じながら、この子はもっている自分の力を精一杯出し切ることができたのでした。
その翌日には、別の就学前の子のレッスンを幼稚園の先生がご覧くださり、その翌週には、大阪の小学校の担任の先生と特別支援教育コーディネーターの先生が、5年生の女の子のレッスンをご覧くださる予定です。
一発勝負、やり直しの効かないライブのレッスン、
だからこそ、毎回、言葉では言い表せない、子どもと通い合う大切なものを感じることができます。
子どもを囲むこうした輪の中で、きっと何大切なことが一つ、次につながっていくに違いない、
心からそう願いながら、子どもと共に、二度とないレッスンを作り上げていく醍醐味。
いつの時も、学びの主役が子どもたちであることを願い、そのために何かができるかを考えながら、内容のあるものをを一つでも多く積み重ねて行きたい、
子どもを中心に囲み合う育ての輪の中で、それぞれの愛情や願いが、今、きっと子どもの心に届いているはずだと、私は心の中で、その問いを繰り返しているのです。

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非言語の目力
2014-09-10
私の所では、月に1回ダウン症のお子様のための赤ちゃん体操のイベントをさせていただいています。そこには、主に0歳から2歳くらいの子が、たくさん来てくれます。
もちろん、白ゆりに来るのが初めての赤ちゃんもたくさんいます、
私が扉を開けて、その会場に入ると、ほとんどの子は私の方を、しっかりと見てくれます、
もちろん、そこに言語のやりとりはありませんが、非言語だからこそ、私がどんな思いでそれぞれの子を迎えているのかという気持ちが、ダイレクトにその子の視線を釘付けにするのです。
試しに、ほかの人が入ったときに同じようなことが起こるのかどうか、観察をしてみました、
他のお母さんが入っても、お客さんが入っても、うちの職員の誰かが入っても、赤ちゃんの目を釘付けにする人は、誰一人としていませんでした。
知育いすに一度座れば、言語があろうとなかろうと、ある意味私は、真剣勝負での子どもとの戦いが始まるのです、
たとえどんな子であろうと、ただの一人でも、子どもの心の扉を開けることが出来なかったら、
すべての看板を降ろして、個別指導の実践から即座に引退する
それこそが、私が、自分自身に何度も言い聞かせている覚悟と決心です、
これだけの決心をもって、私は毎日、10名近くの子どもとのバトルを繰り返しているのです。
その目力が、一般の方と同じであって良いはずがありません、
早く、赤ちゃん体操を卒業して、SHINOBIU先生とお勉強をしたり、遊んだりしようね、
ずっと楽しみにしているよ、
また、きっと白ゆりに来てね。
私の視線は、いつも子どもたちにそう語りかけているのです、
あなたこそが、白ゆりの未来のエース、
そういう思いがあればこそ、私の目からは、誰にもまねのできない必殺ビームが発射されるのです。
他に何ができなくとも、私はこのことでこそ、自分が自分でいられるたった一つの空間、
あなたにも、あなたにしかできない大切なフィールドがきっとある、
人を教え、育てること
小さいけれど、何よりも尊いその命と、一緒に歩んでいけるその幸せ、
あなたの瞳と笑顔の奥から、私にはそんなイメージが、しっかりと映し出されて見えているのです。

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母の勝ち
2014-09-08
通所支援事業を始めて間もない頃、ダウン症のお子様をもつ何人かのお母さん方が、まとまって見学にお越しくださったことがあります。皆さん、ブログでダウン症の子どものレッスンの実践をご覧になり、熱い思いを胸に抱いて、私の所にお越しくださったわけです。
そのうちの一人のお子さんのレッスンが、先日ありました。
初回の記録を見ると、2011.7 とありますから、その時からもう3年以上も続けて通ってくださっているわけです。
小さい頃には、お母さんとなかなか分離できず、入り口の所で立ち往生してしまうようなことが何度もありました。
なかなか豊かにコミュニケートが通わず、表情が硬いまま、後半になってやっと笑顔が見られるようなことも、何度もありました。
その女の子も、今年小学1年生になりました。
いつの間にか、知育いすから、一般の学習席で集中して取り組むことができるようになってきました。
ひらがなや数字の学習もみるみる向上し、なぞり書き卒業も、もう目前となってきました。
よくぞここまで、辛抱強く、歩んで来られましたね、
初めて見学に来てくださったあの日のことを、私は、片時も忘れていませんよ、
もう、入り口で固まっていた頃のこの子の面影は、どこにもありません、
勉強大好きで、時間いっぱい、笑顔で生き生きと活動に取り組んでくれる、
こんな日が来ることを、あの日あの時、一体誰が予想できたことでしょう、
順調な時ばかりでは、決してなかったはず・・
「お母さんの、完全勝利です」
私が、そうお伝えすると、お母さんは目を真っ赤にして、うなずいておられました。
あの時のお母さんのご決心は、やはり普通ではなかった、
半年くらい死ぬ気でがんばることは、案外誰にでも出来ることだけど、照る日も曇る日も、大切なことを見失わず、3年・5年と笑顔で前を向いて歩き続けることは、簡単そうに見えても、決してたやすいことではありません。
そこには、相応の、深くて強い決心を必要としているのです。
これぞ、本物、
その気持ちが継続し続ける限り、たとえどんなに時間がかかっても、そこにどんな苦難が待ち受けていようとも、砕けない困難など、どこにもありはしない。
神様は、その思いが本物であることを確かめるために、決して神様の形をして、私たちの前には現れません、
すべては、子どもの成長と幸せのために、
だからこそ私は、ずっと、こういう母を支えて、一緒に歩み続ける、
母子に起こった奇跡を、眼前で、何度も何度も見せられてきた私は、いつの間にか、遠くにある奇跡も、当たり前のように見据えることができるようになってきました。
あなたが歩み始めた小さな一歩、
小さくとも、深くて強いそのいぶきを、
たとえそれがどんな形であろうとも、必ずそれを実のあるものに、
私たちの旅路は、これからも、ずっとずっと続いていくのです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-09-09)

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子どもの適応力を培う
2014-09-03
「もっと字をていねいに書きなさい、ゆっくりでいいから正しく書くようにするのよ、そうすれば必ず字が上手になるから」「いつまでぐずぐずしているの、みんなに迷惑がかけないように、早く準備しなさい」
日常生活の中で、しばしば見られる当たり前の光景です。
字はていねいに書けばいいんだと教えられ、こんかぎりゆっくりと、スローモーションのように書いていたら、「そりゃ、いくら何でもゆっくりゆっくりすぎるわー」 とお母さんから叱られた太郎君、
さっきまではていねいに書いていたつもりなのに、目を白黒させながら、そんじゃあ、おれ一体どうすりゃいんだ、といった具合です。
ある時は、早くしろとせかされ、ある時はていねいに書きなさいと叱られ、ある意味では、全く相反すること、矛盾していることを要求されていることになります。
たった一つのアプローチ、たった一つのプログラムで、現実生活で起こるすべてのことに対応できるのであれば、こんなにたやすいことはありません、
場の状況や、環境の変化に対応しながら、ある時にはていねいに文字を書き、ある時にはさっさと学校の準備を行い、ある時にはじっくりと腰をすえて考える、
巡り移ろう環境と、刻々と変化していく人の感情の流れを感じ取りながら、その場に応じた粋な計らいができる、
こういうことは、どんなに技術が進歩しても、きっと機械やロボットには出来にくいことだと、私は考えています。
それぞれの子どもには、それぞれの特性があり、得意なことと苦手なことがあります。
苦手な部分は、しっかりと理解してやりたいと思っていますが、君はこういうことが苦手だから、もうやらなくていいよというのは、教育的にはある意味見放したことでもあり、残酷なことでもあります、
だからといって、それが出来にくい子どもに、これでもかこれでもかと、要求ばかりしていれば、それで必ずよい結果が出るということでもありません。
同じ料理であっても、同じレシピであっても、人気店になるか、つぶれる店になるか、その分岐点がどこにあるかは、案外わかりにくいものです。
その微妙なさじ加減であったり、勝負どころの踏ん張りであったり、タイミングの良さであったり、運の悪さであったり、様々な要素が複雑にからみあって行きながら、一定の結果が数字として残されていくわけです。
子どもだけでなく、育てのアプローチも矛盾だらけ、
だからむずかしく、奥が深く、いろいろな切り口から、あるべき形を探っていく営みが重要になってきます。
その微妙なしっぽをとっつかまえて、可能性の糸をたぐり寄せるようにしながら、子どもの真の力を培っていくプロセス、
それこそが、社会への適応力であり、子どもの自己実現を支える支援なのだと、私は考えています。
君には、君の持ち味を生かして、きっと社会に貢献できる何かがあるに決まっている、
混沌として、めんどくさくて、まったくスマートでない社会だからこそ、ずぶずぶになって君と一緒に歩いていくこの道のり、
私は、そのことを、苦労だとも何とも思っていない、
だからこそ、強い気持ちで、進んで行ってやろうと思っているのです。
同行二人、
例えそばにいなくても、先生は、いつも君と一緒に歩いているつもりです。

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学校教育との連携
2014-09-01
先日、久々にレッスンのない日曜日を過ごしました。私の通ってるスポーツクラブは、いつも日曜日は午後6:30に閉まってしまうので、私が日曜日にスポーツクラブに行くのは、この日が初めての体験となりました。
遠くで誰かが手を振っているので、誰かと思ったら、以前同僚だった支援学級の先生と、スポーツクラブでばったり会う、という出来事になりました。
今は、私の所に通ってくれている子の、担任の先生でもあるのです。
「担任の先生には、本当に良くしてくださっています」
お母さんは、口を開くたびに、私にそのように伝えてくださっています。
「先生の個別支援、いつも参考にさせていただいています。学校で半分あきらめていたような内容にも、果敢にチャレンジしている先生の取り組みに、本当に大切なことを学ばせていただいています。」
いやいや、私の個別支援は、学校教育が充実していればこそ、生きてくるもの、
先生の学校での教育が、いかに豊かで充実しているかは、この子の表情を見れは、私にだってすぐにわかります、
ご家族が、どれほど先生のことを信頼し、敬愛しているか、私は毎回お母さんからそのことを伝え聞いています。
私は、そのようにお返事を差し上げました。
そういえば、先日、新大阪の教室に、支援学級の先生が、お母さんと一緒に参観に来られました。
夏休みの休日に、お母さんと連絡を取り合って、わざわざパーソナルな教室のレッスンを見学に来る、
なかなか出来そうで出来ないことです。
これまで、何人もの方が、そのような機会に、私の教室に足を運んで来てくださいましたが、私の所へ自分から足を運んでくださるような先生の瞳の奥は、やさしいながらも、いつも自信に満ちあふれた輝きを見せてくれるものです。
私は、学校教育に出来ないことをさせていただきますが、学校教育の場には、学校教育にしかできない大切な内容がたくさんあるのです。
連携というのは、それぞれの機関が同じことをするのではなく、同じ目標に向かって、それぞれがそれぞれにしかできない大切な内容を機能化させていくことだと考えています。
相互に良いところを生かすと言うこ姿勢はとても大切ですが、それぞれが本来の機能を失っては何にもなりません、
学校教育の先生が、安物のセラピストになってはいけないと、私はいつも思っています。
このすばらしい担任の先生がいて、私がいて、そして誰にもかえることのできないステキなお母さんがいる、
来年中学校を迎えるこの子の表情が、いつも明るく輝いているのは、きっとこんなところにも源泉があるのかも知れません。
だからこそ、私にできることは何か、
主体者の力を、最大限に引き出すことこそ、支援者としての力量、
長かった夏休みも終わり、今日から9月
学舎にいっぱいの子どもの歓声が、私の耳にも聞こえてきそうです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-09-02)

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