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子どもの今があり そこに願いが生まれ 育てのための教材を作る

 2014-02-27
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子どもにとって出来ないこと、苦手なことを出来るようにしてあげたい、

それは、教育の営みのなかで、最も大切にしていかなければならない内容です。

その気持ちを失った者には、教育を語る資格などありません。


一方で、子どもの苦手なことの裏側には、必ずその子の良さが潜んでいるというのが、私ならではの教育観でもあります。

失敗やチャレンジを繰り返しながら、どんどんど成長を重ねていく歩みの先で、その子が最も得意な分野をもってして、アイデンティティを確立し、社会の中の有為な存在として、自己実現をめざす、

もう一つの教育の大切な営みが、そこにあります。

私の個別指導場面でも、小学校高学年頃から、指導の重心を少しづつ、そっちの方向に移していくことが多いように思っています。


私は今、ある5年生の男の子の図形の指導に注目しています。

仮に言語性と動作性という2つの視点で見た場合、明らかに動作性優位のこの子、

もちろん言語やコミュニケーション指導の大切さを忘れているわけではありませんが、この子のもっている優れた才能を、何とか形あるものに紡いでいきたいというのが、メラメラと湧き上がってきた私の教育者としての願いであるのです。


私に与えられているのは、わずか月に何回かの個別指導の時間のみ、

しかし、完全マンツーマンですから、その1回1回は貴重です。


毎日、次から次へと10人近い子どものレッスンを担当している私、

だからこそ、この子のために与えられたこの時間だけは、この子のためだけに、集中した学びの時間を構成していきたい、


もしかしたら、そんなに大したことは出来ないのかも知れません、

でも、希望だけは毎回でっかくもって取り組んでいるのです、

こうした時間の積み重ねは、必ず何かの道を開き、他の多くの子の実践にも生かされていくに違いまりません。



「子どもの実態 → 教師の願い(目標) → 教材の選定・工夫・開発」

教育原理の第1ページに記されている王道を、子どもたちと共に、今日もしっかりと歩んでいきたいと願っているのです。








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子どもが 「あとで」 のわかるとき

 2014-02-25
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今日、5歳の男の子のレッスンがありました。

理解の言葉が豊かで、ひらがなをすらすら読むことができます。

小さい時は、パズルがあまり好きではないタイプでしたが、この頃は目に見えて、色々な事が上手にできるようになってきています。


今日、数字のパズルをやっていて、「4」という数の所を見つけようとしていますが、なかなかその箇所を見つけることができません。

以前ならすぐに、ここだよとばかりに支援を入れる事が必要でしたが、この日の私はあえて知らん顔、

十分に自力解決できるタイミングだととらえていましたから、いわゆるトライ&エラーの場を構成して、見守っていました。


いくつかのトライを重ねていくうちに、この子は、別のピースをはめているうちに、「4」という数字の場所がわかりやすくなるんだということを、体験的に学習することができました。

「あとで~」

さすがは、理解言語の豊かな子です。

そのことを、こんなすてきな言葉に置き換えることができました。


このことは、「4」のピースの時だけでなく、パズルの後半の活動の時にも、随所で活かされるようになりました。

幼い時には、パズルが好きではなく、出来ないピースをほり投げて、お母さんの目を白黒させたこともありましたが、しっかりと成長を遂げた今のこの子にとっては、もはや遠い昔の笑い話になってしまいました。


どちらかというと、インプットに比べて、アウトプットが苦手なタイプではありますが、私はこの子の力をずっと信じていました。

どんなことでも、誰の時でも、いつだって十分に力の出せる子に育てなければいけません。


しかし、そのことと同じくらい、その子の良さを見いだし、可能性を信じ、夢をふくらませていくスタイルの育ても必要だと、私は思っています。

それが、私に課せられた使命であり、その専門性が発揮される部分であると思っています。


この日、この子は、間違いなく一つおりこうになった、

そして明日には、このことは出来て当たり前のことになり、また新しい課題にトライしていくようになるのです、


育つとは、そういうことの繰り返し、

その一つ一つの大切さを、いつもきちんととらえ、評価できる自分でありたいと、この子の育ちに寄り添いながら、思っているのでありました。







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小さな一歩

 2014-02-23
今日は、最後のレッスンの子がお休みになったので、その時間を利用して、今度新しく借りた新大阪の教室の鍵を受け取りに出かけました。

なかなかゆっくりと物件を見て回る時間がなかったので、物件選びから契約まで、すべてネットを通して行いました。


実際の物件に入るのは、この日が初めて。

ちょっと、ドキドキものでしたが、十分に満足のゆく内容でした。

不動産会社の担当の方には、ほとんど奇跡的なタイミングで、私の希望通りの物件を紹介してもらいました。


メールで紹介された瞬間に即決、

その後に、これに近い物件は一切出ずで、まさにどんぴしゃの契約になりました。


私は、たくさんの子どもたちとそのご家族の願いを背負って日々生きているわけですから、こういうことに関する私の強運が、普通であろうはずがありません、

奇跡とおぼしきことが、日々当たり前のように起こっていきます。


教室のレイアウト、部屋に必要なものチェックと、レッスンのイメージを作り上げたら、すぐに最終の新幹線で岡山にとんぼ帰り、

新幹線の中では、年度末の補正予算の書類に目を通し、月曜日に備えなくてはなりません。


ここの教室は、小さいけれども、きっと今後の私の活動の、大切な拠点の一つとなるはずです。

臨床の最前線で、たくさんの子どもたちと、これからここで出会うことになるでしょう、

これから生まれてくる大切な命とも、向き合うことにもなるのでしょう、

子どもたちが力強く歩んでいくために、わずかであっても支えとなり、何かのことでお役に立てる存在であり続けたい、


臨床の積み重ね以上の財産は、何一つ私には必要ではありません。

一人の子どもの育ちに寄り添い、一人の子の学びに真剣に立ち向かうことにより、大切な何かがきっと、たくさんの子どもたちの道しるべとなっていくのです。


今も私は、100人以上の子どもとそのご家族の、願いを背負って生きている、

だから私は、決して折れない

わずかであっても、必ず前へ前へと進んでいくのです。






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数の学びを 生きたツールに

 2014-02-21
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今日は、かれんちゃんのレッスンの日でした。

この頃、かれんちゃんは言語の伸びがめざましく、

「先生、つぎはホラーマンです」

と、言語で要求を正確に伝えることができるようになってきました。


3歳の頃は、私もご家族も、この子は言語でコミュニケートするのは無理かも知れないと思っていました。

私に初めて、「せんせい」と言った日のことは、生涯わすれることができません。

その数年後に、こんなふうに豊かに言葉でコミュニケートできる日が来るなんて、当時の状況からは想像もできなかったことです。


ひらがなの読みも、単語レベルへと伸びてきました。

もともと理解言語は豊かなので、この日のカード学習では、理解の言葉をベースに文字の言葉に対応させていく学習に、楽しく取り組むことができました。


最近、うちの教室の子どもたちに人気なのが、「もしもし、ぼく、アンパンマン」という玩具です。

2つの数字と、電話のマークをプッシュすれば、アンパンマンやバイキンマンとお話をすることができます。


この日のかれんちゃんは、ホラーマンに電話をするのが、楽しくてたまりません。

「ホラーマンやって」 と、何度も私に要求してきます。


なかなか3つの動作を連続して遂行することができにくいので、今日は、私が最初の 「3」 と 「0」 をプッシュしてやり、かれんちゃんには最後の 「 ☎ 」マークをプッシュさせるようにしました。

かれんちゃん、よっぽど楽しかったのでしょう、

「つぎは、どきんちゃん」

「つぎは、じゃむおじさん」

と、何度も何度も要求してきます。


もしかしたら、今すぐには、スムーズに 「3」 → 「0」 → 「☎」 とは出来にくいのかも知れません。

ですが、いつの日か、必ずスマホで、私に電話してきてくれる日が来ると、私は信じています。 


数字も、文字も、文化的な生活の中の生きたツールとして、すべての子どもたちにプレゼントしたい、

そこから広がる豊かな世界を、何としてもそれぞれの子どもたちに広げていきたい、

もしもしぼくアンパンマンは、そのための一つの大切なツール、

やがて、「小学校の時は、アンパンマンの電話で勉強したね〜」なんて、懐かしむ日がやってくるかも知れません。


事実、しゃべれないかと思っていた子が、ここまで豊かにコミュニケートできるようになっているのです。


信じる、信じないは、その人の自由、

しかし、「すべての教育は、可能性を信じることからスタートする」 と、私は、発達支援センターのホームページの一面に堂々と掲げているのです。

可能性を信じ、そこに向かうプロセスを指し示すことができて、初めて教育者という称号が与えられるのです。


どんなに未熟であっても、私は生涯、一人の教育者として、ずっと歩んで行きたいと強く願っているのです。






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個の学びに寄り添ってこそ

 2014-02-18
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私の教室には、車いすで通ってくれている子がいます。

6年生になり、もうすぐ卒業の日を迎えようとしています。


私の教室は、2階建ての建物にありますから、これまでずっとお母さんが抱き抱えて教室まで連れてきてくださっていました。

ある日、お父さんがお子様を連れて来ていただいた時に、「体も大きくなり、家内の身体的な負担や、安全面から、2階での勉強を別の場所に変更していただけませんか」 という内容のお申し出がありました。

このひと言で、私の心に、それまでにない新しい決意が生まれてきました。


昨年の秋に、社会福祉施設等整備計画の補助協議等対象施設の選考に応募することになりました。

家内と二人、申請書類をいただくための事前の打ち合わせに、担当課に伺いました。


例年、対象となるのは1件程度、

本年度は、例年以上たくさんの応募が見込まれている、


耐震化対策が急がれており、よほどの緊急度や妥当性のある計画でないと対象にならない。

期日までに、設計・地元自治会の了解・資金の調達など、すべての書類が整わなければ、応募書類は受理されない、

お考えになっているような計画は、これまでに前例がなく、他の事業者さんとの公平性の観点から、十分な検討な必要である・・・


とてもではないが、この状況から、私たちの計画が採択される可能性はほとんどないようにも思われました。

その日から、私たちは、目の前にある、整えていくべき課題に、一つ一つ取り組んでいきました、


あきらめたらそれで終わり、

しかし、可能性は0ではない、

それが本当に子どもだちのためになることであれば、私たちの気持ちが本物であれば、きっと何か大切な道が開けていくに違いない、

ふしぎなもので、こうした前向きな気持ちが萎えることは、一度だってありませんでした。


具体的なビジョンや、これまでの状況をお伝えしていくうちに、担当者の対応がだんだんと変わってきてくださっていることを感じていました。

年が明ける頃には、「もしかしたらこれはひょっとするかも」みたいな勢いが、私たちの心の中にも芽生えてきました。


2月6日に、選定結果の通知をいただきました。

おそらくは、ごぼう抜きの大逆転、

私はむしろ、起こってしまったことの大きさに、身の引き締まる思いになったのです。


これは、子どもため、そのご家族のため、地域社会のための大切な事業であると考えています、

されど、あのお父さんのひと言こそが、私の心に火をつけ、以後のプレゼンの原動力になったことは確かです。


一人の学び、一人の育ちに寄り添うことから、すべての事業はスタートする、

それこそが白ゆりの原点

私たちは、改めてそのことの、大切さと底力を確かめることになったのです。






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子どもの内発性を支える 学びの支援技術

 2014-02-17
県内外から、たくさんの子どもたちが、私の所に通ってくれています。

就学前からずっと私の教室に通ってくれている子は、もう小学校の中学年になりました。


あまり言葉は巧みでなくとも、心通じ合う大切な間柄というものもあります。

日曜日に、広島から通ってくれている女の子も、その一人です。


私がお母さんのご相談をお伺いしている時、いつも笑顔いっぱいで、お父さんと楽しい時間を過ごしています。

「この子が、学校でお友達から受け入れられて、楽しい時間を過ごすことができるようになったその根元には、きっとこの教室でのSHINOBU先生の時間があったからだと思っています」


そのひと言を聞いたとき、私は目がしらにこみあげる熱いものを、どうしてもこらえることができませんでした。

私が、この教室の中で、どうしても子どもたちに培っていきたいことの中身、

そのことが、まさにこの言葉の中にあったのです。


学びの道を歩むことこそが、子どもの自尊心を育んでいく、

学びを真ん中に置いて、心通う時間を積み重ねていくことが出来てこそ、自分が家族から、地域から、社会から、必要とされている感覚を子どもの心に育てていくことができる、

それが私の仮説であり、信念であり、生きている証でもあるのです。


生まれてきてよかったと、心の芯から思わせたい、

この子がいてよかったと、多くの人から、愛される子どもに育てたい、


学びという宝物を共有することによって、色々な地域の子どもたちと、そしてそのご家族の皆さんと、普通ではないつながりをもたせていただくことができた、

みんな勉強がしたいし、できるようになりたいのです。


そのその大切なともしびに、決して水を差すようなことがあってはならない、

私が支えているのは、ほんのわずかの時間だし、ほんのわずかな内容であるかも知れない、

だからこそ、これからも私は、そのわずかな時間に心血を注ぎ、自分の技術を磨いて行きたい、


それが子どもの笑顔に通じるのなら、

そのことがご家族のお役に立てるのなら、

迷うものなど、何もない。


子どもの内発性を支える、学びの支援技術

レッスンを終え、また広島へと帰られるご家族を見送りながら、

これからもずっとチャレンジし続ける自分でありたいと、強く感じていました。


子どもたちと歩む道は、これからもずっと続き、広がっていくのです。






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ALL FOR ONE

 2014-02-11
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先日から私は、せっせとビニールテープを買いあさっていました。

3原色のテープなら、どこにでも売っているのですが、黄緑とかオレンジとか紫とかは、専門の文具屋さんに行かなくては揃えることができいません。

揃えたテープはご覧の通り、ボックスにきちんと整理して初めて、教材としての価値が出てくるわけです。


これだけのことをしようと思うと、時間的にも経済的にも、結構なコストがかかります。

日々、5分10分と細かくスケジュールを考えながら仕事をしている私にとっては、かなりの作業になってしまうのです。


最近、工作にはまっている2年生の男の子がいます。

工作関連の本を見て、牛乳パックを利用しながら、自分のアイデアや工夫を加えながら、オリジナルな味わいのある作品を仕上げることができます。

この牛乳パックに、色どりをそえるためには、黄緑や紫のビニールテープは不可欠です。


すごいね〜

うまいね〜

よくそんなことを思いついたね〜

上手に切れるんだね〜

とても2年生とは思えないよ〜


工作を通して投げかける言葉は、実はその作品に対してではなく、その子の存在そのものに対しての言葉であるわけです。

作品は、間接的に私がこの子に与える、肯定的な自己理解の力をつなぐ大切なツールになっているのであり、忙しい合間をぬって揃えたビニールテープこそが、私がこの子に示す愛情や熱意の形なのです。


こうして一人の子のために心を込めた内容は、必ずや多くの子の実践に生かされて行く、

その一人一人の子への対応の積み重ねによって、私は実践者としての力量を少しずつ培っていきました


すべては一人の子のために

私は教育のあるべき形の一つを、こんなところに見出しているのです。






この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-02-12)








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雪の日のレッスン

 2014-02-08
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今朝起きると、岡山も一面の大雪、

もう必要ないから外そうかと思っていたスタッドレスタイヤの大活躍、

いつもの時刻に、いつもと同じように教室に着き、いつもと同じようにレッスンの準備を始めました。


次々に届く、ご欠席のメールや電話、

でも私は、たとえ一人でもこの教室を訪れてきてくれる子がいる限り、決してレッスンをお休みにしたりはしません、


私のレッスンは、選んで来ていただくレッスン、

それに応える積み重ねがあったからこそ、私はここまで来ることができた。


一人の子どもの学びを大切にしない者に、教育を語る資格などどこにもない、

私はこれからもずっと、こうして子どもを待ち続ける自分でいたいと願っているのです。









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学びという子どもたちの誇り

 2014-02-07
新しい教材に出会った時の、キラキラとした子どもの目が大好きです

誇らしげに見せてくれる、子どもの新しい筆箱が、私にはいつもまぶしく見えます


どんな子どもだって、勉強したいと願っているのです

どんな子どもだって、成長したいと願っているのです


何かと比べて、何点だったということではなく、

誰かと比べて、何点だったということではなく、

その学びの1歩のねうちが、しっかりと見える支援者でいたい


やがて消え去ってしまう何点だったという数字ではなく、

その子の心に刻まれる学びの軌跡を、見逃さないでいたい


いつの日か、

あなたが、あなたらしさを生かしながら、

誰かのために、何かができる、その姿を見失うことなく、

誇りをもち、希望を失わず、

いつも笑顔と自信にあふれたまなざしで、

あなたの歩みを支え続けたい


生まれて来てよかったと、

あなたがいてよかったと、

家族の中で、社会の中で、自分の命の大切さを、しっかりと感じ取ってほしい


どんなにささやかであったとしても、学びは私たちの命であり誇り、

学びがど真ん中にあればこそ、

私たちの歩みは、ずっと続いていくのです








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私が背負っているもの

 2014-02-04
先週の金曜日に、施設整備の審査会に伺いました。


「月間のべ利用者が400人を超える事業、それにふさわしい建物を建設したい」

「私たちの事業が、補助金に値する内容であることを、行政の中心となってご活躍の方々に、何としてもお伝えしなければならない」


審査会場には、おそらくは行政の中核とおぼしき面々が、15名位いらっしゃいました。

この日のために、私は何十回となくイメージトレーニングをしてきましたが、さすがに何千万という補助金の審査会だけあって、質問の内容は厚みのあるものでした。


審査の対象にしてもらまでの労力も、普通ではありません、

もしも、それが個人的なお願いであったなら、とっくの昔に投げ出してしまいたくなるような内容でした。


しかし、そこに、100人をはるかに超える子どもたちとそのご家族の願いを背負っていると感じたならば、退く気持ちがほとんど湧いてこないのが、不思議でたまりません、

気合が入り過ぎるのを抑えながら、その分深く、静かに、力強く語りかけていこうと決めていました。


十分準備をしたつもりでしたが、とてもじゃないけどスマートに受け答えできたとは言えません、

しかし、これから進めて行こうという事業内容には、多くの方の願いも魂も込められているわけです。

このことすら、もしも伝え切れないで終えたなら、もはや私には帰る場所はない、

それらいの気持ちで、私はこの場に臨みました。


渾身の力を込めた、一世一代のプレゼンテーション、

その手ごたえは、十分でした、

むしろ次のステージに進んでいくことが現実的なものとなり、目つきも顔つきも引き締めていかなくてはなりません。


子どもと家族の願いの代弁者、

それにふさわしい内容と実績、

私の背負っている責任も、もはや普通のものではなくなってきているのです。




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