実践を語る大切さ

 2013-12-31
月間10本の記事を書くと決めて、この12月31日に、やっと今年120本目の記事を書き終えることになります。

ブログの記事を書くことは、私にとって、自分の実践を振り返ったり、確かめたりするなくてはならないツールになっています。


このブログがあったからこそ、全国のいろいろな子ども達とも出会うことができたし、大切に思っていることを皆さんにお伝えすることができました。

今年は、行政への申請だけで、3件以上の手続きがあって、莫大な時間をそのことに費やしたため、時間に追われ、どうしても少しレッスンの空き時間がある月末に記事が集中してしまいました。

それでも、1本たりとも魂の抜けた記事を書いたつもりはなく、予定通り120本の記事を書き上げたことを、とてもうれしく感じているのです。


教育は、ライブであり、実践の世界です。

いくら綿密に指導案を書いたとしても、子どもの前に立った瞬間には、目標をしっかりと見据え、たくさんの引き出しを用意しながらも、子どもの表情や体温を感じながら、ライブでそれをさばく才覚なくして、生きた授業にはなりません。

台本を棒読みにしているようでは、決して子どもの目は輝きません、

周到な準備があった上で、あえてそれをまっさらにして、子どもを見るからこそ、ライブ感の高い生きた舞台になっていくわけです。


ミュージカルにしても、スポーツにしても、DVDと生では、まったく比較にもならないはずです。

キャストはオーディエンスがあってこそ、選手はサポーターがいてこそ、時として、信じられないようなパフォーマンスが発揮できるのです。


他の療育機関では、10分ももたないこの子が、どうしてSHINOBU先生の教室では、40分もあんなに生き生きとした表情で活動できるのか、何度も見ても信じられない気持ちで一杯です、

レッスンが終わっても、教室から帰ろうとせず、次のお友達が来るからと、抱きかかえるように教室を後にするその姿を、今年も幾たびとなく見つめてきました。


小さいお子さんであればあるほど、感性は鋭いですから、一度新鮮な素材を提供したら、冷凍物はなかなか受け入れてくれません、

ぼろぼろに使い込んだ紙芝居だからこそ、その子のためだけに、ライブでそれを提供する、

テレビでした見たことのない選手に、間近でリフティングを見せてもらったら、どんなに子どもは胸をときめかすか知れません、

それこそが、教育のダイナミズムであると、私は考えています。


百万の理屈より、一つの実践

私が、大切にしている言葉の一つです


もしも日々夢をもって、そうした実践に取り組んでいたとしたら、そのことを発信するのは、喜び以外の何物でもないはず、

もしも、ブログに実践を書くことが嫌になったその日が来たとしたら、それは、実践者としての私が、その看板を降ろす日なると考えています。


このブログも、まもなく6年で、やっと500,000アクセス、

この調子なら、目標としている1,000,000アクセスまでは、もう6年くらいはかかりそうです、

その頃は、私は60歳、

きっと、まだまだ現役バリバリのはずです、


この先、さすがにパワーはきっと衰えていくには違いありませんが、その向上心と技術だけは、今よりも格段に向上するはずと、私は信じています。

それが、私の選んだ道、


明日から続く新しい1年も、私はひたすら、この道を一歩ずつ、前に前にと進んでいくのです、

いったいどんな子と、どんな大切な時間を過ごすことができるのでしょうか、

その時間を、一つでもたくさん積み重ねていきたい、


来年も、もっと豊かな内容の記事を120本、書き続ける自分でありたいと、そう願っているのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2013-11-17)






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私の誇り

 2013-12-30
イチロー選手が、日米通算4,000本安打を打った時、「これまでの4000本のヒットの影には、それを超える8,000本の凡打があった」という意味のコメントがありました。

その言葉を耳にしたとき、「これぞプロの向上心」と、いたく感服したのを覚えています。


今シーズンは、楽天の田中将大投手が、24勝無敗という空前絶後の大記録を打ち立てました、

どんなに優秀で、どんなに力のある選手でも、体調が万全ではない日もあるでしょう、

それをして、24戦無敗というのは、空前絶後の、とてつもない大記録であると、私は思っています。


今年のカレンダーを見ると、私は、1月3日から京都でのレッスンを行っています。

1月3日にレッスンをしたということは、1月2日には、京都でのレッスンを教材を、せっせと教室で作っていたということになります。

それから、12月29日の今年最後のレッスンまでに、今年は、いくつのレッスンを積み重ねていくことができたでしょう、


どんな賞賛の言葉をいただくより、私は、自分がこの1年で積み重ねてきた臨床実践の数を、何よりも誇らしく思っています、

私は、保護者から選ばれて、レッスンを託していただいている、

その数が年間で2,000を越え、それを数年にわたり積み重ねてきたことより他に、私の心を満たすものは何もありません、



京都の教室で、最後の子のレッスンを、予定通り終えたとき、私はこの1年の手応えを、初めてその心にしっかりと受け止めることができました。

1つのレッスンをおろそかにすることは、すべてのレッスンの価値を、いっぺんに落としてしまうのと同じこと、

一人の子どもをないがしろにすることは、すべての子の命を軽んずるのと同じこと、

今度生まれ変わったその時にも、私は今と、同じ仕事を続けていきたい、


田中選手ならずとも、イチロー選手でなくっても、万全の体調で、新しい年も、内容のあるレッスンをさらに一つずつ積み上げて行きたい、

向上心をもって、1,000のレッスンを積み上げれば、こんな凡人の私にも、何か新しいメシの種が生まれてくるものです、


まだまだ私の技術は、三分三厘、道半ば、

プロとしての技術に、もっともっと磨きをかけていかなければなりません、

プロとして子どもの前に立つならば、その気持ちだけは、田中選手にも、イチロー選手にも、決して負けてはいけないのです、


向上心なきもの、使命感と誇りのないものに、先生という称号は与えられない、

臨床現場の最前線にいることこそが、私の何よりの宝もの、

この体が続く限り、私は、明日も戦い続けていくのです。




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理解言語があればこそ文字言語はつながる 行動理解があればこそコミュニケートは豊かになる

 2013-12-29
言語表出には、何の問題も見られないけど、その言葉によって相手がどんな気持ちになったり、その言葉によって自分にどんな影響があるのかが、予測できにくいタイプのお子さんがいます、

その発せられた言葉と、そのことが意味する内容との乖離は、ほんのわずかであったり、表面上は全く差がなかったりする場合もあります。

でも、実は、そのほんのわずかなズレこそが、相手の心に何とも言えないダメージを与えることが多いのです。


「背のちっちゃい人に、ちっちゃいと言って何がいけないの?」

「背のちっちゃい人は、背がちっちゃいことを、自分では嫌だと思っていることも多いんだよ~」

「へ~、そうなんだ」


悪気がちっともないからこそ、そんなことを平気で言ってしまいます。

「その人は、どんなことが好きなの?」

「ポケモン~」

「だったら、Aちゃんはポケモンのこと、とってもよく知っているから、こんど一緒に遊んであげたらどう?」

「うん、そうしてみるよ」


メタ認知のためには、肯定的な自己理解力も大切です、

一つ一つの出来事に、細かく寄り添いながらも、私はいつもその部分を大切に育てていきたいと考えています。


一方で、言語表出が全くない子もいます、

こういう子は、表情や仕草で気持ちのやりとりをしますから、ダイレクトに心が通じ合うことが多く、そう言う意味では前者のタイプの子より、案外豊かにコミュニケートがとれることが多いように思います。


幼児期に、ようやく言葉がでるようになってきた子とのコミュニケーション指導では、私は、理解の言葉と話し言葉と文字言語との接点を、相互に行き来させるようなことを意識してかかわります。

その場合には、何を題材にするか、その部分での内容の共有化ということがポイントなります。


構音がクリアでない子もいます。

例えばそれが、ポケモンの名前と意識していればキャッチできる言葉であっても、そうでなければ、何を言っているのかわかりにくことも多いのです。


それは、子どもが文字を習得する過程の中でも言えることです。

いちごの「い」でも、つきの「つ」でも、理解言語があってこそ、文字には魂が宿ってきます。


逐次読みだった子が、やがては「あ」という文字で始まるそのことばが、「あんぱんまん」であることを認知し、やがてまとまり読みで、「あんぱんまん」とすらっと読めるようになる日がやってくるのです。

「うんとここしょ、どっこいしょ、とうとうかぶはぬけました」

クラスのみんなと一緒に動作化したこのフレーズがあればこそ、音読のときに、その文字が子ども目の前で躍り出す日がやってくるのです。


テクニカルな言語指導も、もちろん大切です、

しかし、言語表出の大爆発の引き金が、大好きなお友達とのかかわりであったという事例を、私はこれまで、何度も何度も目の当たりに見てきました、


今年のレッスンは、今日の京都が最後の日となりました。

豊かにコミュニケーションがとれるということで、子どもはまちがいなく肯定的な自己理解力を高めていきます。

通じ合う心、通じ合う中身があってこその、言語指導であり、コミュニケーション指導であることを、私はこれからもずっと心に刻んで、子ども達のかかわりを続けていきたいと願っているのです。





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私の前に広がっている道

 2013-12-27
先ほど、岡山市の障害福祉課の施設整備にかかわるヒアリングに、法人理事長・保育園園長と共に行ってきました。

会場には、障害福祉課の担当の方をはじめ、5名の方がいらっしゃいました。


「月間利用実績400名の事業所として、お子様の豊かな自立と社会参加のために、行き届いた療育を提供できる環境、それにふさわしい新園舎を今すぐにでも建築したい」

「その必要感も、緊急度も、社会的な使命も、費用対効果も、もはやMAXのレベルまで到達している」

「私たちは、子どもと保護者の願いの代弁者として、公的な機関の助成と指導を受けながら、その独自性を生かした質の高い福祉サービスを、より豊かに具現化していく喫緊の責務を負っている」



約30分程度のヒアリングではありましたが、私は自分のもてる力を振り絞って、精一杯の訴えをさせていただきました。

このヒアリングに至るまでの、申請書類については、事務担当として家内が中心となって取りそろえていきました。

常人なら、とてもではないが成し遂げることができないであろう膨大な内容の申請資料を、次から次へと降り注ぐ難題をはね除けながら、よくぞこの短期間に耳を揃えることができたものと、その意思の強さと使命感に、私はただただ驚いているばかりでした。


こうした多くの方々の期待と努力に支えられてきた今回の申請については、たとえどんなことがあろうとも、何があっても成し遂げなければならい、

その看板を背負うものとして、ほんのわずかな妥協もミスもあってはならない、

こうした深く強い覚悟なくして安易に実現する事柄ではない、

たとえ時期や形に多少のズレがあろうとも、その答えにYES以外のどんな文字を入れることも許されない、

私は、そう信じてこれまで取り組んできました。


どんなに忙しくても、体調が悪くても、期限は待ってくれない、

脱落や妥協のの落とし穴は、毎日のように次々とやってくる、

そこに子どもたちのため、ご家族のためという気持ちがなければ、決して前には進めない仕事、

そのマイルストーンを、1つ前に進めることが出来たのがこの日、

おそらくは、これからの方が、もっともっと厳しい場面がやってくるに違いありません。


でも、答えにはYESの3文字以外はありません、

私に退く道など、どこにもありません、

子どもと家族の願いを背負ってる自負がある限り、これからも私は、ずっと前に進んでいくのです。





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子どもが通常級で学ぶ意味

 2013-12-24
もしも、「学校は、何をするところ?」 と尋ねられたら、多くの人は 「それは勉強をするところよ」 と答えることでしょう。

そうです、まさにその通り、

学校は勉強をするところに決まっているのです。


その直接の担当となる担任の先生は、持ち上がるかどうかは別として、1年を単位として、社会の代表として、大切なお子様をおあずかりさせていただくわけです。

ただ漫然として1年を過ごせばいいというのではなく、「教育者として、私は1年で、この子にこれだけのことを育てた」という結果を示す必要があります。

この1年で、これだけの漢字が書けるようになったとか、二重跳びができるようになったとか、明確に結果を残すのがプロとしての責務です。


例えば、せめて九九はちゃんとできるようにさせたいと思うのは、2年生の担任なら当然のことです。

35人のこのクラスで、Aちゃんにも九九をちゃんと定着させることができるだろうか?と考えたら、支援が必要なお子様を、安易にお引き受けすべきではないと考えておられる先生方も多くいらっしゃいます。


そういう先生は、決して、障がいのある子を受け入れたくないと思っているのではありません、

2年担任として、責任のある仕事をさせていただきたいと思うのは、あるべき姿の一つではないでしょうか?


学校は、勉強するところです、

そこをおろそかにしては、人間形成も何も生まれてはきません、


野球チームは野球をするチームですから、野球をする姿勢がいい加減でいては、チームワークもへったくれもありません、

ならば、甲子園に出場できなかった高校野球のチームは、野球をやったことの意味が全くないのかと言えば、それも違います。

本当は、野球は題材であって、野球を通して培った精神力やチームワーク、向上心、連帯感、目標遂行能力、克己心、向上心、闘志、多くの人に対する感謝の気持ち、それらが育つことが目標なのです、


2年生ですから、九九をはじめ、様々な学習内容が定着するよう願わずにはいられません、

しかし、努力の結果、うちの子の九九の定着が、たとえほんのわずかであったとしても、私はそのことを何と尊いことと感じ、きっとこの子を抱きしめてやるに違いありません、

この子が、多くのお友達の輪の中で、一緒に九九を唱え、懸命に努力する過程の中で、社会性、協調性、自己肯定の気持ちなど、様々なかけがえのない宝ものをつかむことができます、


単に九九だけのことなら、それは公文でも、家庭でも、取り組むことはできます、

しかし学校は、子どもにとって、唯一無二のオフィシャルな集団、

所属感があり、社会から受け入れられていることの証である学校という集団の中で、社会からその大切な役割を公式に付託されている担任の先生と取り組むこととは、全く意味が違います、

たとえ外部の方がどんなに高名で、どんなに優秀な方であっても、ここの部分は、決して他の機関で替えることのできないものです、

それが、学校でしかできないことでり、私はその大切な役割を、学校の先生に託したいのです、


もしも、通常級にしっかりとした居場所があって、それでいて、その子の特性に応じた豊かな支援が、当たり前のようにプラスアルファで実行されるのであれば、何も迷うことはありません、

だから、私は通常級での学びを、とても大切にしているのです。



こうした内容が、もしも担任の先生に届いたならば、果たしてそれでも、その先生はもう一度、支援級を勧められるでしょうか?

「そういうことなら、微力ですが精一杯取り組ませていただきます」

多くの先生が、きっとそうお答えになるのではないかと考えているのは、本当に私だけなのでしょうか?



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誰が子どもの学びの場を築くか?

 2013-12-19
教職員の人事が動き始める昨今、全国各地の保護者の方から続々と、来年度のお子様の学びの場の構成についての連絡や相談のメールをいただいています。

ご主人と一緒に、校長室に伺ったというケースも、1件や2件ではありません。

新しい年の春に、新しいお友達と先生と一緒に、晴れやかな笑顔で、その時を迎えることができるのも、こうしたご家族の、心を砕いた取組があればこそ、実現できることです。

私は、こうしたご家族に寄り添ながら、何度もこうした光景を、じっと見つめてきました。


ただひたすらに子どもの成長と幸せを願い、そこに深い気持ちと強い信念がある限り、動かぬはずの山が、何らかの形で動き始める、

そうしたケースを、毎年のように見つめてきました。


多くの場合、その形は、当初考えていたものと同じでないことの方が多かったように思います。

思いも寄らぬ形で、思いも寄らぬ時期に、きっと何かが動き始める、

いつの間にか私は、そんな思いを強くもつようになりました。


打たぬ矢は、決して当たらない、

蒔かぬ種は、決して生えない、

あなたのその笑顔が、どれだけ深い家族の努力に支えられてきたものなのかを、私は間近でしっかりと見つめてきたのです。


子どもの教育は、誰にでも、安気に託せるようなものではない、

指導者として、子どもの前に立たせていただけることの誇りと使命感を、常に心に刻んでおきなさい、

私は、職員に、何度もそのことを伝えます、


いつもは穏和で物腰のやさしいお母さんが、我が子のためとなれば、一体どこからそれほどのエネルギーやパワーが出てくるのかと、驚くことばかりです。

私には、その気持ちを見過ごすことが、到底できません、


どんなことがあっても、私は、こうしたご家族と共に歩んでいこうと決めています、

それが、私が今、生きている意味を確かめられる唯一の道、

私が退く道なんてどこにもありません、

だからこそ、私も、こうやって前に進んでいくことができるのです。


子どもの笑顔は、私たちに、いつもこうしたパワーを与えてくれるのです、

誰に何と言われても、構いません、

それが本物である限り、真実は、必ず形となって現れる、

百万の理屈より、子どもたちとのあゆみそのものが、いつも私たちにそのことを伝えてくれるのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2013-11-17)







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理解言語と文字言語との接点

 2013-12-17
先日のレッスンのことです。

ある女の子が、次のような読み違えをしました。


○ 「年越しそば」 → × 「今年そば」
○ 「家族」 → × 「家庭科」


この子の読みは、逐次読みではなくスラスラ読みですが、よくよく聞いているとこうしたエラーが時々見受けられます。

一文字一文字を、精査に音声化しようとしているのではなく、かたまりをみて「あ」を見たら「ありがとう」、「す」と見たら「すみません」と、理解言語から単語を引っ張り出して読んでいるのです。


この日、この子が漢字練習をしているときに、以下のようなミスもありました。

「暖」という文字を書く際に、「日」(ひへん)が、「月」(つきへん)になっているのです。

つまり、文字を書くときにも、微細な形を見ているのではなく、アバウトに「これはつきへん」と認知して、それを書字化するという処理をおこなっているのです。

もしも、継次処理優位傾向の子どもが、こういうメカニズムで、認知から書字までの処理を行っているのだとしたら、どこにどんな支援を入れて、どこを達成させて、何を磨き上げていくか、レッスンの方略も明確になっていきます。


こうした処理は、子どもによって違うし、題材によっても違うし、その育ちの過程の中でも様々に変化していきます。

そのプロセスが明確に見てとれると、教材の意義も、支援の内容も、育ちの中身も、より充実していくというものです。


この女の子は、来春には中学生になり、新しい学びのステージに立つことになります。

だからこそ、私は、今共有しているこの学びのフィールドがら目を離すことなく、フレームをきっちりキープしていこうと考えています。

フレームが同じだからこそ、内容を充実させたり、発展させたりすることに力が注げるわけです。


それが、支援者としての、私のなすべき道、

この子と進んでいく言語の道には、いったいどんな花が咲いていくのでしょうか?

そのことが、私には、何よりの楽しみとなっているのです。





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理解と支援とのベストミックス

 2013-12-14
私は英会話を習い始めてから、もう10年以上になります。

AEONから始まって、NOVA、それから今のオンライン英会話まで、1,000時間をはるかに越えるレッスンを受けていますが、その割にはちっとも上達しません、

今では、週一30分をやっとの思いで続けていますが、ことさらやめるなんてつもりは、さらさらありません、

教える仕事に携わるものとして、学びから自分をみつめる、大切な時間にもなっているのです。


当初は、マンツーマンレッスンなんて、とてもではありませんが、受ける気にもなりませんでした、

Whtat do you do?

と、言われても、何を言っているのか、まったく聞き取れないのです。

その状態で30分も経とうものなら、あぶら汗がだらだら出てきて、とてもじゃないけど、また次もマンツーマンレッスンを受けようなんていう気にはなれません。


先日、グレールレッスンをのぞいてみたら、ある2年年生の女の子が、みんなと一緒に勉強をしていました。

1年生の頃を思い出すと、見違えるような成長ぶりだと、担当の指導員が感慨深げに私に伝えてくれました。

当時のことを知る者なら、みな同じ思いをもつに違いありません。


先日は、ご両親が私のマンツーマンレッスンを参観してくださいましたが、その時にも一生懸命最後まで学習に取り組むことができました。

九九の勉強にも取り組めるようになったその姿に、何だか私まで胸が熱くなる思いでした。


6年生のりんちゃんは、毎週木曜日のマンツーマンレッスンに来てくれていますが、スケジュールの都合で、この2学期の途中から、同じ教室で、4年生の女の子があやか先生と一緒に勉強することになりました。

ここで、面白い現象が起こります。


りんちゃんも、その4年生の女の子も、どちらも私がマンツーマンレッスンをさせてもらっている子どもです。

この2人をバラバラに別の時間にレッスンするのと、同じ時間に同じ場所でレッスンをするのを比べてみると、圧倒的に同じ時間同じ場所で勉強する方が、パフォーマンスが高いのです。

りんちゃんは、先輩の6年生として、勉強のお手本になろうと、精一杯がんばり始めたのです。


ここに、教育のもつ可能性と、魅力と、ダイナミズムの原点があるのです。

もちろん、マンツーマンレッスンには、マンツーマンレッスンの役割と有効性があり、単に場所を同じくすればよいというものではありません、

それと同じように、単に集団から分離して、マンツーマンレッスンにしても、その内容や有効性が精査されなければ、ほとんど意味をなさないのです。


私の英語学習の例ではありませんが、指導する者にとっても、学ぶ者にとっても、マンツーマンレッスンは、コンテンツそのもので、45分勝負するわけですから、とてもハードになります。

一定の力量のある者でなければ、とてもじゃないけど、マンツーマンレッスンをキープしていくことはできません。


集団による教育と、個別指導の時間のどちらが有効か?という視点は、全く意味のないものだと私は思っています。

「子どもは集団の中で育ち、集団の中で学び、伸びる」

「だからこそ、それにプラスアルファで、個に学びに寄り添った時間を可能な限り取り入れていく」


これで正解です。



これから、来年度の学びの場の構成について、人事も含めて決断が必要な時期になります。

現実の学校現場の中にあって、支援の割合の構成を決めていく作業は、とても判断がむずかしく悩むところです。

できることとできないことがあろうけど、あるべき姿、目指す方向だけ見失わないようにしたいものです。

その方向感を、子どもはしっかりと感じ取っているはずです。


理解と要求のバランスには、方程式も正解もありません。

そこに必要なのは、子どもを思う深い愛情と、だからこそ前へと進む強い決心だけなんだと、たくさんの事例に寄り添っている私は、いつも感じているのです。



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言葉は出る

 2013-12-06
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昨日のことです、

主任さんが、目を真っ赤にしながら、私にこんな報告をしてくれました。


「グループレッスンの場面で、1年生の男の子の表出言語が、この頃みるみるクリアに、そして豊かになっている」

「懸命に伝えようとする姿、そして心通じ合うその瞬間に、あふれる思いと感動を、押さえることができない・・」


就学前の2年間は、週1回、私がマンツーマンレッスンを担当させてもらっていました。

お母さんはお仕事をされていましたが、どんなに仕事が忙しくても、レッスンをお休みにされることはありませんでした。

どうしても都合のつかないときなどには、仕事のやり繰りをつけ、私のスケジュールに合わせてくださり、必ず振り替えをしてくださっていました。


レッスンを重ねるたびに、理解言語やノンバーバルなコミュニケーションは確実に豊かになり、微細な運動刺激も積み重ね、運動機能の面からみても、かなり整っていました、

これまでも、何人か似たような言語の育ちをしてきた子どもと出会ってきました、

その子たちはみんな、就学後に表出言語の爆発期を迎え、目に見えて大きく育つ時期を一緒に見つめてきました、


「きっと、きっと、この子もいつかその時期がくると確信しています」

「これまでの子どもたちの例からしても、それはきっと、お友達とのリアルなコミュニケーションの機会が豊かになる、就学後しばらく経っての時期になることが多いようです」

いつだったか、私は、お母さんにそうお伝えした日のことを、私は、今でもはっきりと覚えています。


ついに来たか~

私の胸に、何ともいえない大きなものが、心の中にいっきに流れ込んでくるような気持ちになりました。


私のマンツーマンレッスンは、ずっと、この日この瞬間を目指して積み重ねてきました。

そのことを信じて、雨の日も、雪の日も、1週たりとも休まず、ずっと私のところにこの子を連れてきてくださったお母さん、

すべての扉は、このお母さんの深い愛情と強い心が、押し開いていった、

私は、そのお母さんの気持ちを支えていたに過ぎないのです。


児童発達支援の事業は、定員を倍増したにもかかわらず、連日キャンセル待ちの大盛況の状況になってきました、

発足当時の経営の苦しさを思えば、夢のようです、

こうした保護者の厚い信頼を受けるまでになった最大の功績は、この主任さんの、教育者としての誇りと使命感、そして子どもたちへの深い愛情にによるところが大きいと考えています。


子どもの成長には、友だちとのかかわり、人とのかかわりは必要不可欠、

それがあってこそ、初めて、専門性や個別の支援は生きる、

分離するだけでは、子どもは決して育たない、


これからも私は、実践事例を通して、このことをずっと伝え続けようと願っているのです。







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レギュラーな時間のクオリティ

 2013-12-04
私の英会話のレッスンの時のエピソードです。


「私は、日曜日より、レッスンの始まる月曜日が好き」

「お休みは、月に1度もあれば十分で、2日も続けて休むと、逆に何だか調子が狂ってしまう」

「お正月などは、いつも見ているテレビ番組は見られないし、いつも行っているジムやお店も休みになるので、早く普通の日になってほしいと思う・・」


私のことをよく知っている英会話の先生は、私が月曜日が好きと聞いて大爆笑、

SHINOBUさんは、レギュラーな時間がとても大事なんだね、と言ってくれました。


昨日、市役所の建築指導課・開発指導課に、保育所等訪問支援事業にかかわる法令協議記録記入のお願いに行きました。

うちの発達支援センターが市街化調整区域にあるため、保育所等訪問支援事業を行うためには、また新たに建築許可の申請から行わなければならないのです。

根拠法が、障害者自立支援法から児童福祉法に変わったため、都市計画法の中にまだその条項がなく、今回岡山市初の申請となり、設計士さん、建築コンサルト会社の担当者さんを巻き込んで、約半年にわたるバトルの末に、審査会を通り、やっとの思いでここまでたどりつきました。


これまで、レッスンができることを、当たり前のように思っていた私、

その当たり前のことを、当たり前に行えるようになるには、様々な努力の積み重ねがあってのことであるということを、今回、改めて思い知ったのでありました。


本当に楽しかったと、心満ち足りて子どもを帰すことの幸せ、

その1回、1回のレッスンこそ、何にも替えがたい私たちの大切な時間、

本当は普通ではないことを、当たり前のように、毎回積み重ねていくためには、不断の努力と向上心が不可欠です。


そのフィールドの最前線にいられることを、私は何よりの誇りに感じているのです。






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Author:SHINOBU
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